210814蜻蛉日記⑳「新しいライバル『近江』」

この年は、36歳の作者にとって激動の年であった。琵琶湖の畔の唐崎でのお祓い、石山寺での御籠り。それだけ兼家との関係が、冷え込んでいたのである。嬉しいこともあった。息子道綱が16歳で元服して、従五位下の地位を賜った。

兼家への不信感を募らせる。原因は、最近夢中になっている近江という愛人にあった。

 

「朗読1」元日は毎年来ていたのに、今年は現れなかった。前を通り過ぎたのに。年初から、

     機嫌が悪い。

さて年ごろ思へば、などにかあらむ。ついたちの日は、見えずしてやむ世なかりき。さもやと思ふ心遣ひせらる。未の時ばかりに、さき追ひののしる。そそなど、人も騒ぐほどに、ふと引き過ぎぬ。急ぐにこそはと思ひかへしつれど、夜もきてやみぬ。つとめて、ここに、縫ふ物ども取りがてら、「昨日の前渡りは、日の暮れにし」などあり。いと返りごと憂けれど、「なほ、年の始めに、腹立ちな初めそ」など言へば、すこしはくねりて、書きつ。

「現代語訳」

さて、何年もの間、不思議なくらいだが、元旦に顔を見せないことは無かった。今日もきてくれるかと心遣いする。

未の時に、先払いの騒がしい声がしている内に、通り過ぎて行った。それはと、侍女たちも騒いでいたが、行き過ぎてしまった。急いでいたのだろうと気を取り直したが、夜になってもそれっきりである。翌朝、ここに縫物など、取りに使いを寄こして、「昨日は、急いでいたので素通りした。」などという。

とても返事をする気にもなれない。
「年の始めから、腹を立ててもと」と侍女が言うので、少しは腹立ちまざりの手紙を書いた。

「講師」

今年こそはという、作者の願いも最初から果たせなかった。

 

「朗読2」再度四日にも行列は来たが、今度も素通り。私の辛さを考えて欲しい。

かくしも安からずおぼえ言うようは、このおしはかりし近江になむ文通ふ、さなりたるべしと、世にも言ひ騒ぐ心づきなさになりけり。さて二三日も過ごしつ。四日、また申の時に、一日よりもけにののしりて来るを、「おはしますおはします」と言ひつづくるを、一日のようにもこそあれ、かたはらいたしと思ひつつ、さすがに胸走りするを、近くなれど、ここなるをのこども、中門おし開きて、ひざまづきてをるを、むべもなく引き過ぎぬ。今日まして思ふ心おしはからなむ。

「現代語訳」

この様に心穏やかならぬ状態になったのは、当て推量している、近江という女と手紙を交わし、そんな関係になっているだろうと、世間でも噂されているような事への不愉快さである。そんなで二三日過ごした。四日、申の時に、先日より声高に先払いしてくるので、侍女たちが「おいでです、おいでです。」としきりに言うが、先日のようになったら心苦しいと思う。でも、心はドキドキして、行列が近づいてきたので中門を開けて跪いているのに、やはり通り過ぎて行った。今日の辛さを、想像して欲しい。

「講師」

最後の文章から推し量るに、この日記は読者への訴えなのである。普通の日記とは違う。

 

「朗読3」近江の所に三夜続けて通ったと聞いた。この事は妻としたという事である。

二月も十余日になりぬ。聞くところに三夜なむ通へると、ちぐさにひとは言ふ。

「現代語訳」

二月も十日過ぎになった。あの人は、あの女の所に三夜通ったと、噂である。

「講師」

男が女の家に三夜連続で通えば、正式の結婚とみなされていた。近江は、正式の妻の一人となったのである。近江は、大鏡で兼家の妻の一人とされる。近江の娘、綏子(すいし)は、美貌で三条天皇の寵を受ける。親子ともに性格温和とされている。

為家に絶望した作者は、道綱と長期間の精進生活を始める。

そんな時にこみあげてくる思いがあった。

 

「朗読4」女が勤行なんてと馬鹿にしていたのに。勤行をしている様子は、惨めに映るだろうと、

      涙を堪えている。

あはれ、今様は、女も数珠ひきさげ、経ひきさげぬなし、と聞きし時、あな、まさり顔な、さる者ぞやもめにはなゐてふなど、もどきし心はいづちかゆきけむ。夜の明け暮るるも心もとなく、いとまなきまで、そこはかともなければ、行ふとそそくままに、あはれ、さ言ひしを聞く人、いかにほかしと思ひ見るらむ、はななかりける世を、などてさ言はけむ、と思ふ思ふ行へば、片時涙浮かばぬ時なし。人目ぞいとまさり顔なく恥づかしければ、おしかへしつつ、明かし暮らす。

「現代語訳」

ああ、当節は女でも、数珠を手にして、経を持たないものは無いと聞いて、まあ惨めな、そんな女は寡婦になるなどと言っていた私は、どうなったのだろう。夜が明け、暮れるのにもイライラとして、はっきりした目標もないけど、勤行に精を出していた。あんな風に言った私を聞いていた人は、今の私をどんなにかおかしく思っていることだろう。こんなはかない世の中なのに、どうしてあんなことを云ってしまったのだろうなどと思って、勤行をしていると、涙が浮かばない時はない。

人目には惨めに映るだろうと、涙を堪えて日を暮らしている。

 

「朗読5」勤行の中で色々と夢を見た。後の人が、この夢を判断して欲しい。

二十日ばかり行ひたる夢に、わが頭をとりおろして、額を分くと見る。悪し善しもえ知らず。七八日

ばかりありて、わが腹のうちなる蛇ありきて胆を食む。これを治せむようは、面に水なむいるべきと見る。これも悪し善しも知らねど、かく記しおくようは、かかる身の果てを見聞かむ人、夢をも仏をも用ゐるべしや、用ゐるまじやと、定めよとなり。

「現代語訳」

二十日ほど勤行を続けた日の夢で、私は髪を切り落として、額髪を分け、尼姿になった。その夢の

吉凶を知ろうとは思わない。また七八日して、私の腹の中にいる蛇が、内臓を食べる、これを治すには額に水をかければ良いという夢を見た。この夢の吉凶は知らないが、これを書き留めておくのは、わが身の成行を見たり聞いたりする人が、夢や仏を信じるのか、信じないのか判断して欲しいと

思ったからである。

「講師」

夢で見た髪の切り落としは、肩まで切って、額で分ける事。尼そぎという。そして見た夢を、この日記を読んだ人が吉か凶か判断して欲しいと言っている。私の人生と生活を知った上で。源氏物語の六条御息所、葵の上が思い出される。

「コメント」

調べたら七人の正式な妻がいて、子供もある。気と手が廻らぬはずである。こんな状態を現代人が判断できる訳がない。政治的には太政大臣までやるのだから。