210828蜻蛉日記㉒「鳴滝に籠る」(その2)

作者が、参籠している鳴滝の般若寺から、都へ連れ戻される場面を読む。

山籠もりしている作者に、下山を促す兼家からの手紙が届いていた。知人や親戚も訪ねてきた。兼家の正室時姫の長男道隆まで訪ねて来て、下山を促す。そして、作者の父まで説得に来る有様。

作者は追い詰められる。遂に兼家が鳴滝に乗り込んでくる場面である。

 

「朗読」周囲から京に帰れの大合唱の中、困っている所に兼家がやってくる。

釣りする海人の泛子(うけ)ばかり思ひ乱るるに、ののしりて、もの来ぬ。さなめりと思ふに、ここぢまどひたちぬ。こたみは

つつむことなくさし歩みて、ただ入りに入れば、わびて几帳ばかりを引き寄せて端隠るれど、
なにのかひなし。

「現代語訳」

釣りをする海人の浮子の様に、(和歌の引用)伊勢の海に釣りする海人の泛子なれば心ひとつを定めかねつる 古今集     泛子→心が動揺している様子を表す

心一つを決めかねて思い乱れていると、威勢よくやってくる人がいる。あの人だと思うと、気も動転する。今度は何の憚ることもなく歩み寄って、部屋に入ってくるので、困ってしまって几帳を引き寄せて、体を隠したが何の役にも立たない。

「講師」

源氏物語でも、六条御息所と源氏との関係を、泛子に例えて表現されている。蜻蛉日記・源氏物語水脈説。ここから兼家と作者の対決となる。兼家は巧妙である、作者が大切にしている道綱を自分の方に引っ張り込むのである。

 

「朗読2」兼家は、覚悟の様子を見て作者説得を諦め、息子の道綱を取り込んでしまう。道綱も父の意を戴して寺を出る準備をする。

香盛り据え、数珠ひきさげ、経うち置きなどしたるを見て、「あな、恐ろし。いとかくは思はずこそありつれ。いみじく、気疎くてもおはしけるかな。もし出でたまひぬべくやと思ひて、まうで来つれど、かへりては罪得べかめり。いかかに、大夫、かくてのみあるをいかが思ふ」と問へば、「いと苦しうはべれど、いかがは」と、うちうつぶしてゐたれば、「あきれ」と、うち言ひて、「さらば、ともかくもきんじが心、出でたまひぬべくは車寄せさせよ」と言ひも果てぬに、立ち走りて、散りかひたるものども、ただ取りて、つつみ、袋に入るべきは入れて、車どもにみな入れさせ、引きたる軟障なども放ち、立てたるものども、みしみしと取り払うに

「現代語訳」

香を盛って、数珠を手に持ってお経を置いたりしているのを見て、「ああ、恐ろしい。まさかここまでと思わなかった。とても、近付き難い様子だなあ。もしとかして寺を出る気になっているかと思って、来てみたが、これでは連れ帰るとバチが当たりそうだ。道綱どうだ、こんな状態をどう思うか」と兼家が聞くと、「とても辛いことですが、どうしようもありません」
と答えて俯いている。「可哀そう」にと言い、「それでは、どちらにせよお前の心次第だ。母上が寺を出るつもりならば、
車を寄せなさい」と言い終わらない内に、あの子は走り回って散らばっている物をどんどん取っていく包や袋に入れて、車に積んで、引き回してある几帳などもどんどん取り外す。

 

「朗読3」あれよあれよで寺を出る準備が出来てしまって、作者は茫然。兼家はしてやったりで得意満面。

ここちあきれて、あれか人かにてあれば、人は目をくはせつつ、いとよく笑みてまぼりゐたるべし。「このこと、かくすれば出でたまひぬべきにこそあめれ。仏にことのよし申しちまへ。例の作法なる」とて、天下の猿楽言を言ひののしらるめれど、ゆめにものも言はれず、涙のみ浮けれど、念じかへしてあるに、車寄せていと久しくなりぬ。

「現代語訳」

私は茫然としていると、あの人はちらちらと私を見て、笑みを湛えて様子を見ている。「こうなってしまったのだから、ここを出発しなければなりません。仏さまにこの事を申し上げるのは作法です。て言って、色々と冗談をさんざん言われたが言葉も返せず、涙だけが出るが、それを堪えている内に、車を寄せてからだいぶ時間が経ってしまった。

 

「朗読4」あっと云う間に夜になり、あの人は「後は任せた」と言って帰ってしまう。道綱が急かす

      ので私の帰るしかない。

申の時ばかりにものせしを、火ともすほどになりにけり。つれなくて動かねば、「よしよし、われは出でなむ。きんじにまかす。」とて立ち出でぬれば、「とくとく」と手を取りて、泣きぬばかりに言へば、いふかひもなく出づるここちぞ、さらにわれにもあらぬ。

「現代語訳

あの人は申の時(午後4)頃にやってきたが、もう火を点す頃になっていた。私が動こうとしないので、あの人は「まあいい。私は帰る。あとは任せる」と言って出て行ってしまうと、
道綱は「早く早く」と手を取って、泣かんばかりに言うので、仕方なく出ていく間は夢うつつであった。

 

朗読5」留守中の詰まらない報告を聞いて、あの人が妹に「世を捨てて寺の籠ろうという人に、

     詰まらない報告する人がいますね」と、妹と笑っていて、私も可笑しかったが、

     知らん顔していた。

ここちも苦しければ、几帳さし隔ててうち臥すところに、ここにある人、ひようと寄り来ていふ、「撫子の種取らむとしはべりかど、根もなくなりにけり、呉竹も、一筋たおれてはべりし。つくろはせしかど」など言ふ。ただいま言はでもありぬべきことかと思へば、いらへもせであるに、眠るかと思ひし人、いとよく聞きつけて、このひとつ車にてものしつる人の障子を隔ててあるに、「聞いたまふや。ここに事あり。この世を背きて家を出でて菩提を求むる人に、ただいまここなる人々が言ふを聞けば、撫子はなでおはしたりや、呉竹はたてたりや、とは言ふものか」と語れば、聞く人いみじう笑ふ。あさましうをかしけれど、つゆばかり笑ふ気色みも見せず。

「現代語訳」

気持ちも悪いので、あの人とは几帳を隔てて横になっていると、侍女が来て「撫子の種を採ろうとしたが、枯れて根も無くなっていました。呉竹も一本倒れました。手入れはしました。」などという。今言わなくともいいのにと思って、返事もしないでいると、寐ているかと思っていたあの人が、これを聞いて、同じ車で帰ってきた妹は襖を隔てて寝ていたが、それに向かって、「聞きましたか。大事です。この世を棄てて仏に仕えようとした人に、撫子は大事に育てたとか、呉竹は立てたちか、こんなことを話題にするかね。」と語ると、聞いていた妹はひどく笑っている。私も余りの事におかしく思ったけれど、笑う様子は少しも見せなかった。

 

「コメント」

 

鳴滝での一騒動も、ある意味、作者の狙い通りに行ったのかもしれない。それを察した兼家が、息子満綱をうまく使ったのかも。ともあれ、一件落着。兼家の反省は皆無なので、延々と

続く作者の愚痴は。