211016紫式部日記④「八月と九月の情景」

中宮彰子の出産が近づく、土御門邸の情景を読む。緊張が高まりつつある。貴族たちが、出産に雛えて待機している。

「朗読1

八月二十余日のほどよりは、上達部、殿上人ども、さるべきぱみな宿直がちにて、橋の上、対の簀子などに、みなうたた寝をしつつ、はかなうあそび明かす。琴、笛の音などには、たどたどしき若人たちの、読経あらそひ、今様うたどもも、ところにつけては、をかりかりけり。宮の大夫、左の宰相の中将、兵衛の督、美濃の少将などして、遊びたまふ夜もあり。

わざとの御遊びは、殿おぼすようやあらむ、せさせたまはず。年ごろ、里居したる人々の、中絶えを思ひおこしつつ、まゐりつどふけはひ、さわがしうて、そのころはしめやかなることなし。

「現代語訳」出産近しと、関係者が大勢集まってくる。本来、邪魔なだけなのに。

八月二十日余りの頃には、上達部、殿上人などで、お邸に伺うべき人々は、宿直することが多くなった。渡殿の橋の上や、縁側などに、仮寝しながら、管弦の遊びなどしている。管弦に長じていない若い人々は、読経したり、今様歌など、こうした所では、相応しいものであった。中宮は、色々な人々と興じることも夜もあった。表立った管弦のお遊びは、道長様のお考えもあって、催しにはならない。ここ

数年実家に戻っていた昔の女房達が、ご無沙汰を思い出して集まってくる様子は、騒がしい。落ち着いてしんみりしたこともない。

「講師」

蜻蛉日記や、更級日記より、情景描写の文体が素晴らしく、場面が目に浮かぶ。

 

「朗読2」小宰相の昼寝の場面。とても可愛らしくて、美しくて物語の様であった。

二十六日、御薫物あはせはてて、人々にもくばらせたまふ。まろがしゐたる人々、あまたつどひゐたり。うえよりおるる途に、弁の宰相の君の戸口をさしのぞきたれば、昼寝したまへるほどなりけり。萩、紫苑、いろいろの衣に、濃きがうちめ心ことなるを上に着て、顔はひき入れて、硯の筥に枕して、臥したまへる額つき、いとらうたげになまめかし。

絵にかきたるものの姫君の心地すれば、口おほひを引きやりて、「物語の女の地もしたまへるかな」といふに、見あけて、「もの狂ほしの御さまや、寐たる人を心なくおどろかすものか」とて、すこし起き上がりたまへる顔の、うち赤みたまへるなど、こまやかにをかしうこそはべりしか。
おほかたもよき人の、をりからに、またこよなくまさるわざなりけり。

「現代語訳」

二十六日、薫物の調合が終わってから、中宮様は女房達にも配られた。調合した人々も、頂こうと数集まった。中宮様の御前から部屋に帰る時、弁の宰相の部屋を覗いたら、丁度昼寝をしておられた。萩や紫苑など色々な内着に、濃い紅のつややかな打衣を上に着て、顔は着物の中に入れて、硯の箱を枕に寝ておられる。

その額がとても可愛らしく、美しい。まるで物語のお姫様のように思われたので、口元を覆っている袖を除けて、「物語の中の女君のような雰囲気ですね」というと、宰相の君は目を開けて、「気でも違ったのですか。寝ている人を思いやりもなく起こすなんて」と言って、すこし起き上がったその顔が、少し

赤くなっている所など、本当に美しいものであった。

普段でも美しい人が、時が時だけに、とりわけ、美しく見えたものである。

「講師」

源氏物語にも、昼寝の場面がしばしば出てくる。

 

「朗読3」老いを除くと言われる、菊の着せ綿を、道長の北の方より頂いて、歌を作った。

九日、菊の綿を、兵部のおもとの持てきて、「これ、殿の上の、とりわきて。いとよう老のごひ捨てたまへと、のたまはせつる」とあれば、

菊の露わかゆばかりにそでふれて花のあるじに千代はゆづらむ

とて、かへしたてまつらむとするほどに、「あなたに帰り渡らせたまひぬ」とあれば、ようなさにとどめつ。

「現代語訳」

九日、菊の着せ綿を、兵部のおもとが持ってきて、「これを、道長様の北の方が特別にあなたにですって。よくよく老いをふき取って捨てなさいと仰っていますよ」と言うので

この菊の露には、わたしはほんの少し触れて、この露で伸びると言われる千代の齢は、菊の花の主の貴方様に、

お譲りいたします

と詠んで、着せ綿をお返ししようとするうちに、「北の方はお帰りになりました」という事なので、

そのままにした。

「講師」

菊の着せ綿は老いを除くとされ、8日の夜に菊の花に綿を被せておいて、9日の朝に、取り込んだものを言う。

不老長寿の儀式。

道長の北の方 倫子  紫式部は遠縁

 

「朗読4」いよいよ、中宮は産気づかれた。

その夜さリ、御前にまゐりたれば、月をかしきほどにて、はしに、御簾の下より、裳の裾などほころび出づるほどほどに、小少将の君、大納言の君など、さぶらひたまふ。御火取に、ひと日の薫物とうでて、こころみさせたまふ。

御前の有様のをかしさ、蔦の色の心もとなきなど、口ぐちきこえさするに、例よりもなやましき御けしきにおはしませば、御加持どももまゐるかたなり、さわがしき心地して入りぬ。

ひとの呼べば、局に下りて、暫しと思ひしかど寝にけり。夜中ばかりより、さわぎたちてののしる。

「現代語訳」

その晩、中宮様の御前に参上したら、月が綺麗な時で、お部屋の御簾の下から裳の裾などがこぼれ出るほどで、色々な方々が控えていらっしゃる。香炉に先日の薫物を焚いて、試していらっしゃる。庭の植え込みの具合や、蔦がまだ色づかないなどと、口々に申し上げていると、中宮様はいつもよりお苦しそうな気配なので、ちょうど加持祈祷の時でもあるので、中宮の前に行った。

その内に人が呼んでいるというので、自分の部屋に下がって、一寸と思い横になったら寝込んでしまった。夜中になって、産気づかれたというので、大声で騒いでいる。

 

「朗読5」産気づかれて、周囲はその準備で大騒ぎ。産屋の準備、加持祈祷。

十日の、まだほのぼのとするに、御しつらひかる、白き御帳にうつらせたまふ。殿よりはじめたてまつりて、君達、四位五井ども、たちさわぎて、御帳のかたびらかけ、御座どももてちがふほど、いとさわがし。日ひと日、いと心もとなげに、おきふし暮らさせたまひつ。

御物の怪どもかりうつし、かぎりなくさわぎののしる。月ごろ、そこらさぶらひつる殿のうちの僧をば、さらにもいはず、山々寺々をたづねて、験者といふかぎりは残るなくまゐりつどひ、三世の仏もいかに翔りたまふらむと思ひやらる。陰陽師とて、世にあるかぎり召し集めて、八百万の神も耳ふりたてぬは

あらじと見えきこゆ。御誦経の使ひ、たちさわぎくらし、その夜も明けぬ。

「現代語訳」

十日のまだほのぼのと明けようとする頃に、中宮様の御座所が模様替えになる。白木の御帳の移らける。道長様をはじめとして、お子様たちが騒ぎながら御帳台の帷子をかけたり、御座のものを運んだりまことに騒がしい。

中宮様は一日中、とても不安そうで、寝たり起きたりされている。修験僧は中宮様より、ついている物の怪を乗り移られて、調伏しようと大声で祈っている。ここにいる僧たちは言うまでもなく、あちこちの寺々を訪ねて、修験僧と言う修験僧はすべて集め、三世の仏さまも空を飛び廻っておられるかと思われる。陰陽師もありとあらゆるものを集めて、八百万の神も、耳を振り立てて聞かぬわけはあるまいと思われる。

各地の寺々に、御誦経の使者が出発の騒ぎの中でその夜も明けた。

 

「講師」

三世 前世・現世・来世

源氏物語では、紫の上の出産に六条御息所の生霊にとり殺された。当時は、不幸は物の怪などの仕業とされ、餓死祈祷で追い払った。

 

「コメント」

全くの大騒ぎ。中宮の物の怪を、憑座の少女に乗り移らせる祈祷がされている。少女が可哀そう。出産は古来大変だが、天皇のお子となると、それぞれの思惑が入交り、全く別格の騒ぎとなる。