211218紫式部日記⑬「五十日の祝いと若紫」

若宮敦成親王誕生から50日目、五十日(いか)の祝の場面である。藤原公任の「この辺りに若紫の侍ろうや」という、有名な言葉は、ここに出ている。漢字で五十日を、いかと発音する。

伊勢神宮の川を、五十()鈴川と呼ぶ。

 

「朗読1」  五十日の祝の開始である。

御五十日は、霜月の朔日の日。例の、人々のしたてまうのぼりつどひたる御前の有様、絵にかきたる物合の所にぞ、いとよう似てはべりし。

「現代語訳」

誕生後五十日のお祝いは、111日であった。例の如く、女房達が着飾って参上し集まった、中宮様の前の有様は、絵にかいた物合わせによく似ていた。

「講師」

源氏物語の柏木の巻には、薫の五十日の祝が語られている。生まれた後で、母親の女三宮は出家する。実の父である柏木は死去する。両親の悲劇と引き換えに、五十日の祝が催された。我が子でない薫を見つめる光源氏の目は、複雑であった。

五十日の祝は、父親又は祖父が、餅を赤ちゃんの口に含ませることである。

 

「朗読2」女房の綺麗所が並んでいる。酔っ払いも出てきて、困っているとそれを収めてくれる

     人もいる。

大納言の君、宰相の君、小少将の君、宮の内侍とてゐたまへり。右の大臣よりて、御几帳のほころび引きたちみだれたまふ。さだすぎたりとつきしろふも知らず。扇をとり、たはぶれごとのはしたなきも

多かり。大夫、かはらけとりて、そなたに出でたまへり。美濃山うたひて、御遊び、さまばかりなれど、いとおもしろし。

「現代語訳」

大納言の君、宰相の君、小少将の君、宮の内侍、などの中宮の信頼厚き女房達が座っておられる。

右大臣(藤原顕光 兼遠の息子 無能で有名 道長に権力を奪われる)がおられて、御几帳の引きちぎって酔って悪戯をなさる。いい年をしてと、」皆で突き合っているのに、女房の扇を取り上げて、みっともない冗談を仰る。中宮の大夫(藤原斉信 ただのぶ)が、盃を持って、お出でになって、催馬楽の美濃山を歌ったりして、ほんの形だけどもこうして、酔っ払いを収めてしまった。

 

「朗読3」右大将藤原実資がいたが、これは立派。歌を歌わされる。

そのつぎの間の、東の柱もとに、右大将よりて、衣の褄、袖ぐち、かぞへたまへるけしき、人よりことなり。酔ひのまぎれをあなづりきこえ、また誰とかはなと思ひばべりて、はかなきことどもいふに、いみじくざれいまめく人よりも、けにいと恥づかしげにこそおはすべかめりしか。さかづきの順のくるを、大将はおぢたまへど、例のことならひの、千年万年にて過ぎぬ。

「現代語訳」

その次の間の柱の下に、右大将(藤原実資)が女房達の衣装を観察していらっしゃるところは、他の人とはとても違う。私は酔って分からないだろうと、気を許して右大将に話しかけてみた所、当世風の人よりも、一段と立派でおられた。祝杯の順番が回ってきて、素今日の歌を詠唱するのを、右大将は

嫌がっておられたが、言い古された昔からの祝歌で済ませられた。

藤原実資  藤原北家嫡流 一流の学識人 道長に対向して批判的立場を通した>

 

「朗読4」皆が酔っ払って、女房にふざけかかっている様子。

左衛門の督、「あなかしこ、このわたりに、わかむらさきやさぶらふ」と、うかがひたまふ。源氏に似るべき人も見えたまはぬに、かの上は、まいていかでものしたまはむと、聞きたり。「三位の亮、かはらけ取れ」などあるに、侍従の宰相立ちて、内の大臣のおはすれば、下より出でたるを見て、大臣酔ひ泣きしたまふ。権中納言、すみの間の柱もとによりて、兵部のおもとひこしろひ、聞きにくきたはぶれ声も、殿のたまはす。

「現代語訳」

左衛門の督(藤原公任)が、「失礼ですが、この辺に若紫はいらっしゃいますか。と、几帳の間からお覗きになる。源氏の君に似ていそうな人もいないのに、ましてあの紫の上などがどうしてここにいらっしゃるものですか。と思って、私は聞き流した。「三位の亮(中宮職の職の幹部、藤原実成)、盃を受けよ」と道長様が仰るので、三位の亮は立って、父の内大臣がいらっしゃるので、遠慮して前を通らず、

下手から道長様の前に出るのを見て、父の内大臣は感激して、酔い泣きする。権中納言(藤原隆家)は、女房の兵部のおもとの袖を引っ張っているし、道長様もふざけ声を出したりしておられる。

 

「朗読5」酷くなったので、小宰相の君と避難開始。道長に捕まって、歌を歌わされる。

おそろしかるべき夜御酔ひなんめりと見て、ことはつるままに、宰相の君にいひあはせて、隠れなむとするに、東面に、殿の君達、宰相の中将などを入りて、さわがしければ、二人御帳のうしろに居かすくれたるを、とりはらはせたまひて、二人ながらとらへ据えさせたまへり。「和歌ひとつづつ仕うまつれ。さらば許さむ。とのたまはす。いとはしくおそろしければ聞こゆ。

 いかにいかが かぞへやるべき゜ 八千歳(ヤチトせ)の あまり久しき 君が御代をば

「あはれ、仕うまつれるかな」と、ふたたびばかりず誦せさせたまひて、いと疾うのたまはせたる、

 あしたづの よはひしあらば 君が代の 千年の数も かぞへとりてむ

さばかり酔ひたまへる御心地にも、おぼしけることのさまなれば、いとあはれに、ことわるなり。げにかくもてはやしきこえたまふにこそは、よろずかざりもまさらせたまふめれ。ちよもあくまじき行く末の、
和ならぬ心地にだに、思ひつづけらる。

「現代語訳」

なんだか恐ろしい夜になりそうな今夜の酔っ払いの様子を見て、宴が終わると、小宰相の君と申し合わせて、隠れてしまおうとすると、目的の東西の間には公達が入り込んで騒がしい。そこで二人は

御帳台の後ろに座って隠れていると、道長様が几帳を取り払って、二人一緒に袖を捉えられて、そこに座らせられた。「お祝い手の歌を一首ずつ歌えば許そう」と仰る。うるさくもあり、恐ろしくもあっので歌を詠む。

 幾千年にも余る余りに長い若宮様の御代を、どのようにして数得ることが出来るだろう、出来ないことです。→五十日(いか)の祝のいかを盛り込んでいる。

あれほど酔っておられる状況でも、歌がいつも気にかけておられる、若宮のことなので、本当にその心も尤もに思われる。このように道長様が若宮を大切に扱われるので、全ての栄光も、続くのであろう。

千年でも足りないほどの末永い若宮の将来の栄が、私のような数に入らない人間にも、大切に思われるのである。

「講師」

若宮の敦成親王は、後一条天皇として即位、しかし29歳で崩御。

 

「コメント」

 

天皇がいないと無礼講の様子。酔っ払いは日本の伝統、最近はとてもよくなったが。藤原時代が日本の原点を作ったともいえる。