240302⑮「星の夜の哀れ」

今回は前回に引き続き、作者が琵琶湖畔の西岸にある比叡坂本に滞在している時の思い出を読む。比叡山の東からの登り口である。作者が夜空の星を詠んだ歌も紹介する。この歌を歌人建礼門院右京大夫の最高傑作であると評価する人もいる。都を離れて旅の空で見た星の美しさである。まず比叡坂本で作者が目にした自然を二つほど読む。

朗読① 風に鳴る 鳴子 を歌っている

風に従ひて、鳴子の音のするも、すぞろにもの悲し。

  ありし世に あらず鳴子の 音聞けば 過ぎにしことぞ いとぞかなしき

 解説

風に従ひて、鳴子の音のするも、

風が吹くとそれにつれて、鳴子が音を立てる。鳴子は「源氏物語」では引板(ひた)と書いて読む。浮舟も比叡山の西の麓の小野で目にしている。

すぞろにもの悲し。

なんとなくではなく、無性にというニュアンスである。もの悲し  もの も、訳もなく心の底から湧き上がってくる情念を表す接頭語である。

  ありし世に あらず鳴子の 音聞けば 過ぎにしことぞ いとぞかなしき

鳴子  鳴る が ありし世 が、ありし世でなくなるという意味 となる との掛詞である。この掛詞を使うために、引板(ひた) という言葉を使わなかったのである。

 現代語訳

比叡坂本での一こま。風がない時には音もしないのに、風が吹くとそれにつれて鳴子、引板が鳴り始める。弱い風の時にはそっと、強い風の時には盛大に鳴りわたる。それが鳴子本来の音なのだろう。聞いていると何故か悲しくなってくる。

   ありし世に あらず鳴子の 音聞けば 過ぎにしことぞ いとぞかなしき

鳴子の音は風次第で様々に変化する。変化するのは人の世も同じ。昔の世の中と、今の世の中では全く違ってしまった。かつて平家一門が栄えていた頃には、資盛様も私も幸福に暮らして居た。今では資盛様はこの世の人ではなく、私も

絶望を心に抱えて打ち萎れている。毎日のように胸を高鳴らして生きていた昔が懐かしい。

 

因みに  ありし世に あらず鳴る という掛詞は 和歌でも時折使われる。但し ありし世に あらず鳴る とか 

ありし世に あらずなるみ などという地名との掛詞が普通である。この歌のように、鳴子の掛詞は珍しい。作者が比叡坂本で目にした実際の情景を詠んだ歌なのである。

 

次に実際に見た空の雲を詠っている。都から離れた旅先で目にした自然を和歌に詠んだのである。

朗読② 空の雲を詠っている

遥かに都の方をながむれば、はるばると隔てたる雲居にも、

 わが心 浮き立つままに ながむれば いづくを雲の はてとしもなし

 解説

遥かに都の方をながむれば、

ここから遠く都の方角をぼんやりと眺めやると、雲が行き来している空は果てしなく広く感じられる。

はるばると隔てたる雲居にも、

その遠くの、さらに遠くが都の上空なのだろうと思われた。

  わが心 浮き立つままに ながむれば いづくを雲の はてとしもなし

わが心 浮き立つ  浮き が空に浮いている雲と、生きているのが辛いという意味の 憂き との掛詞である。

歌の意味は次のようになる。

私の心は絶えず揺れ動いている。雲が大空を絶えず動き回るように、揺れ動く心を持った私が揺れ動く雲を眺めていると、空の輪郭も境界も少しずつ溶けてなくなってしまう。だから雲の果ても私には見分けることが出来ない。だととすれば、私の心の果てはどこにあるのだろうか。

 

右京大夫が歌で用いていた 雲の はて という言葉が印象的である。

これとよく似た歌には 「後撰和歌集」詠み人知らずに

  思ひ出づる 時ぞ悲しき 世の中に 空行く雲の 果てを知らねば

 

さていよいよ、星の歌である。

朗読③ 待望の星の歌である

十二月(しわす)一日(ついたち)ごろなりしやらむ。夜に入りて、雨とも雪ともなくうち散りて、村雲騒がしく、人へ肉盛りはてぬものから、むらむら星うち消えしたり。引き(かず)き臥したる衣を、更けぬるほど、丑二つばかりにやと思ふほとせに、引き退けて、空を見上げたれば、ことに晴れて、浅葱(あさぎ)色なるに、光ことごとしき星の大きなるが、むらもなく出でたる、なのめならずおもしろくて、花の紙に箔をうち散らしたるによう似たり。今宵初めて見そめたる心地す。先々も星月夜見なれたることなれど、これは折からにや、ことなる心地するにつけても、ただ物のみ覚ゆ。

  月をこそ ながめなれしか 星の夜の 深きあはれを 今宵知りぬる

 解説

古典文学には月を詠んだ歌は沢山ある。それに対して星を詠んだ歌は少ない。尤も七夕の歌はかなり詠われている。
また枕草子にも、
 星は(すばる) という有名な散文がある。けれども叙景歌として、名も無き星々の美しさを詠んだ歌は少ない。

この歌を詠んだのが、右京太夫の旅の最大の成果だったのかも知れない。

十二月(しわす)一日(ついたち)ごろなりしやらむ。

旧暦12月の月初だっただろうか。新月の頃である。ここでは月初なので、空に月は出ていない。

夜に入りて、雨とも雪ともなくうち散りて

月が無いので夜空は真っ暗である。暗い空から雨か雪かよく分からない何かが降っていた。うち散りて、とあるので土砂降りではない。降るか降らないかその境目である。

むらむら星うち消えしたり。

但しずっと曇っている訳ではなく、時々星が点々と見えたりした。けれどすぐに雲に隠れて見えなくなる。

引き(かず)き臥したる衣を、更けぬるほど、丑二つばかりにやと思ふほとせに、引き退けて

作者は旅の宿所で着ている服を脱いで、布団代わりに体に被せて横になった。この宿所からお寺や神社に出掛けていた。夜が更けて今は、丑二つ位だろうかと思われる時刻に目が覚めた。丑二つは、草木も眠る丑三つ時 の少し前、

午前2時半頃。作者は体に被せている服を引き退け起き上がった。空を見上げると、まさに冬の星座が煌めいていたのである。雨や雪が降ったり、雲が掛かったり晴れたりしていたのが、今はすっかり晴れている。無論月の光はない。その為、空の色は全体的に浅葱色に見えた。緑がかった薄い藍色である。

光ことごとしき星の大きなるが、むらもなく出でたる、なのめならずおもしろくて、

その浅葱色の夜空には、キラキラ輝く大きな星々が空一面に、しかも均一に光っていた。その光景は作者の心に大きな感動を巻き起こした。

花の紙に箔をうち散らしたるによう似たり。

花の紙 は、(はなだ)(いろ)の紙である。(はなだ) は 花色ともいうが、薄い藍色である。正確には先程出てきた浅葱色と藍色の中間である。 は、金箔銀箔の箔である。縹色の大きな紙に、金箔や銀箔を一面に散らしたかのような夜空だったのである。星の一つ一つが、金箔銀箔に例えられている。

今宵初めて見そめたる心地す。

作者はこれほど美しい星空を、生まれて初めて見た様に思った。この時彼女は、冬の星空の美しさを発見したのである。それは日本文学が星空の美しさを発見した時でもあった。

先々も星月夜見なれたることなれど、これは折からにや、ことなる心地するにつけても、ただ物のみ覚ゆ。

これまでも作者は、星空を目にした経験がなかった訳ではない。星月夜 とは、星が月のように明るく見える夜空のことである。

これは折からにや

恋人の資盛様が亡くなって哀しんでいる時期であったので ということであろう。また都を離れた旅先であったからでもあろう。

ことなる心地する

これまで見なれていた星空とは、全く別の物に見えて心から感動したのである。その気持ちが歌になった。

  月をこそ ながめなれしか 星の夜の 深きあはれを 今宵知りぬる

こそ  しか 係り結びである。自分は余りにも月にばかり心を奪われていた。星空の美しさに、今宵初めて気付いたことだ。この名場面を現代語訳する。

 現代語訳

あれは12月になったばかりの夜だった。新月で空には月の光もなかった。雨だろうか雪だろうか、よく分からないけど、空からは冷たいものが落ちていた。雲がいくつも重なって激しく動いた。その雲は空全体を覆い隠すことはなかったけれど、転々となっている星々は見えつ隠れしていた。私は昼間来ていた衣を頭から被って、横になり臥していた。

かなり夜が更けて恐らく午前2時半頃に、ふと目が覚めた。布団の代わりに被っていた衣を引き退けて、何気なく空を見上げた。するとそこには思いもよらぬ光景が広がっていた。雲一つない夜空であった。無論月の初めなので、月は出ていない。浅葱色の夜空一杯に、キラキラと光り輝くばかりの星がちりばめられていた。縹色つまり薄い藍色の紙の上に、金箔や銀箔をふんだんに散らした光景とよく似ている。星の美しさには、この夜に初めて気付いたように思う。これまでにも星が月のように明るく夜空で輝く光景は、何度も見たことがあった。けれども資盛様との悲しい別れがあって、その悲しさを心に抱いて生きて行く決心をしたからこそ、星月夜のあはれに衝撃を受けたのではないだろうか。

また資盛様の菩提を弔う気持ちもあって、比叡坂本に来ているという場所柄も感動に与っているだろう。星空を眺めている私の心には、

異様な感情が湧き上がってきた。それにつけても、亡き資盛様のことを思った。

   月をこそ ながめなれしか 星の夜の 深きあはれを 今宵知りぬる

私はこれまで悲しいことがあると、夜空の月を見上げて月に向かって悲しみを訴え、それによって心が癒されるのが常であった。今夜私は満天の星を眺めることによっても、悲しみが癒されるのだと知った。沢山の星の中の、どのひとつの星が、あの人の魂が天界に上がったものなのだろうか。

 

新村(しんむら)(いずる) という国語学者がいる。「広辞苑」の編集者として著名である。新村出 に「南蛮更紗」という自筆本がある。

大正13年。この本に「星夜賛美」の女性歌人という文章がある。ここで建礼門院右京のこの歌が絶賛されている。余韻を含ませた筆致は幾度読んでも飽きない。かくの如く、星夜を賛美した叙景、抒情を兼ね備わった文字は、国文学史上の絶唱と言っても過言ではあるまいと絶賛している。なおこの歌は、叙景歌に優れた歌が多いという定説がある勅撰和歌集の「玉葉和歌集」に選ばれている。

 

この歌と次の歌を詠もう。

朗読④ 「玉葉和歌集」に選ばれた歌

闇なる夜、夏の光ことにあざやかにて、晴れた空は花の色なるが、今宵見初めたる心地して、いと

面白くおぼえければ 

建礼門院右京太夫  

月をこそ ながめなれしか 星の夜の 深きあはれを 今宵知りぬる

夜の心を 永福門院

  暗き夜の 山松風は さわげども  梢の空に 星ぞのどけき

 

「玉葉和歌集」である。永福門院は伏見天皇の中宮で、我が国屈指の女流歌人として知られている。その永福門院にも、
星の歌があった。「玉葉和歌集」では、永福門院の歌の一つ前に、右京太夫の星の歌を置くことで、右京太夫の歌の方が永福門院の歌より先であることを示しているのだろう。右京太夫の星の歌に触れた文芸批評家に加藤周一もいる。

加藤周一は「日本文学史序説」という本で、この歌に触れている。社会を失った時に自然を見出したと褒めている。平家一門の全滅は、右京太夫が生きていた社会が消滅したことを意味している。けれども彼女は自分の生きる世界を失ったのではなかった。月の光がなくとも、夜空には星の光があることに気付いたからである。新しい自然を発見することで、右京太夫は新しい社会を見付ける第一歩とした。

 

さて比叡坂本で旅の日々を過ごす作者は、亡き資盛の菩提を弔う祈りの日々を過ごしている。

朗読⑤ 日吉に参る時の輿に、横風で雪が積もる様子

日吉に参るに、雪はかき暗し、輿の前板にこちたく積もりて、通夜したるあけぼのに、宿へ出ずる道すがら、簾を上げたれば、袖にもふところにも、横雪にて入りて、袖の上は、払へどもやがてむらむら氷るが、おもしろきにも、見せばやと思ふ人のなき、あはれなり。

  なにごとを 祈りかすべき わが袖の 氷はとけむ かたもあらじを

 解説

日吉に参るに、

比叡山の守護神である。そこにお詣りした時の事だった。

雪はかき暗し、輿の前板にこちたく積もりて

雪は真っ暗にして、降りしきっている。作者が乗っている輿の前板にも、うず高く雪が積もっている。

通夜したるあけぼのに、宿へ出ずる道すがら、

日吉神社で夜通しおこもりしてから、宿所に朝早く退出する道中のことである。

簾を上げたれば、袖にもふところにも、横雪にて入りて、

乗っている輿の簾を上げて、外の景色を見ようとした所、どっと強い風が横から吹き付けて来たのである。袖だけでなく衣の隙間から雪が吹き込んでくる。真横から吹き付けるので、横雪である。横雪という言葉は、「源氏物語」野分の巻などにもあるが、横雪の用例は余りない。日本国語大辞典と広辞苑の横雪の用例は、建礼門院右京太夫のこの箇所である。古典和歌を網羅している「新編国歌大観」で調べても横雨の用例はあるが、横雪の用例は右京太夫以外には見付けられなかった。この横雪も社会を失った右京太夫が、発見した新しい世界だったのだろう。作者は横雪と言うしかない激しい雪に直面したのである。

袖の上は、払へどもやがてむらむら氷るが、おもしろきにも

やがて はすぐに、そのままという意味である。袖の上には払っても払っても、新たに雪が降りかかる。それが寒さの為にすぐに氷るのである。しかもその氷り方がまばらで、まるで夜空に散らばっている星の様なのである。

右京太夫は氷っていく雪を見ていて飽きなかった。

見せばやと思ふ人のなき、あはれなり。

自分が面白いと思うものは、愛する人と一緒に眺めたいというのが、右京太夫の心である。けれども資盛はこの世の人ではない。この不思議な情景を見せられないし、二人で語り合うことも出来ないのである。それが悲しくてならない。

  なにごとを 祈りかすべき わが袖の 氷はとけむ かたもあらじを

私は何を祈ってきたのだろうか。そしてそれは正しい願いだったのだろうか。そもそも私は神仏に向かって何を祈るべきなのであろうか。死んだ人が蘇ることはない。私の袖で氷った雪はいつの日にか溶ける。けれども私の中の氷結した悲しみは、私が生きている限り溶けることはない。

 

作者が発見した新しい自然は、新しい社会、新しい世界でもあったが、愛する資盛の存在しない世界でもあった。作者は資盛のいない世界の存在を認めた上で、生きて行く覚悟を固めようとして旅に出ている。資盛の命は失われても、美しい自然の中に資盛は生きているのかも知れない。けれども資盛の死がもたらした喪失感は余りにも大きかったので、作者は新しい生き方を見付けることがそう簡単には出来ない。

 

朗読⑥ 夜空を眺めて、色々と思う

よもすがらながむるに、かき曇り、また晴れのき、一方ならぬ雲のけしきにも、

  大空は 晴れも曇りも 定めなき 身の憂きことぞ いつもかはらじ

 解説

晴れのき  空が晴れて雲や霞がなくなることである。「新古今和歌集」の歌人に好まれたようで、西行、慈円、定家たちに 晴れのく という言葉を使った歌がある。

 現代語訳

雪の次には雲の歌を記そう。眠れぬ夜が続いていた。私は夜通し空を眺めては、時間をやり過ごしていた。すると夜空というものの真実が、私にも分ってきた。雲が掛かって全体が暗くなったかと思うと、雲の塊はさっと遠ざかっていく。変転極まりないというか、絶えず姿を変え続けているのである。

  大空は 晴れも曇りも 定めなきを 身の憂きことぞ いつもかはらじ

夜空というものは、昼の空も同じなのであろうが、常にその姿を変えている。空を漂う星を観察し続けた私は、空が無常であることを、身にしみて痛感した。そして私の視点は、悲しいまでに愚かな私には空を見ている私自身の心の中に向かっていく。悲しいまでに愚かな私には変化がない。進歩も成長もない。私は生きるのが辛い人間としてこれまでも生きてきたし、これからも生きて行くのだろう。

 

歌の三句目は6音で字余りになっている。作者のあふれ出る情念の結果であろう。比叡坂本に滞在していた作者だったが、都に戻ることになった。旅が終わろうとしている。

朗読⑦ 志賀から都に帰っていく。 そしてまた資盛を思う

まだ夜をこめて都のうちへ出ずる道は志賀の浦なるに、入江に氷しつつ、寄せくる波の返らぬ心地して、薄雪積もりて、見わたしたれば白妙なり。

  うらやまし 志賀の浦じの 氷とぢ 返らぬ波も また返りなむ

 解説

まだ夜をこめて都のうちへ

まだ夜が明けないでいる状態である。比叡坂本から都へ戻る日になったので、まだ暗いうちに宿所を後にした。

志賀の浦なるに、入江に氷しつつ、寄せくる波の返らぬ心地して、

都への道は琵琶湖の西の湖岸、志賀の浦を通っていくので、どうしても湖畔の景色が目に入る。入江は冬の寒さの為に、凍結していた。岸辺にうち寄せる波があっても、すぐに凍結してしまいそうで、寄せてきた元の場所には戻れそうにない。

薄雪積もりて、見わたしたれば白妙なり。

その凍った湖面の上に、雪が降り積もっていく。周りは見渡す限り真っ白であった。

うらやまし 志賀の浦じの 氷とぢ 返らぬ波も また返りなむ  

琵琶湖の西岸は湖面が氷っている。だから岸辺に打ち寄せる波もなく、帰っていく波もない。けれども春になれば湖面を覆っていた氷は溶け、打ち寄せる波は元来た方面に戻っていくだろう。ああうらやましい。一度死んだあの人は二度と、この世に戻ってくることはないのだ。

 

季節は春夏秋冬と移ろうが、冬の次にはまた、春が訪れる。所が人間にも誕生、幼少期、老年期、死去というものがあるが、死んだ人間が蘇ることはない。その事が悲しいのである。次に建礼門院右京太夫集の中でも、講師が好きな場面である。

 朗読⑧ この荒い近江の海にあの人はいるのだろうかな

海の(おもて)は、深緑くろぐろと恐ろしげに荒れたるに、ほどなき見わたしの向ひに、うるはしき舟路にて、空はあなたのはたにひとつにて、(くも)()に漕ぎ消ゆる小舟の、よそめに波風の荒くなつかしからぬけしきにて、木草もなき浜辺に、堪へがたく風は強きに、いかにぞ、波に入りにし人の、かかるわたりにあると、思ひのほかに聞きたらば、いかに住み憂きわたりなりとも、とどまりこそせめなどさへ案ぜられて、

  恋ひしのぶ 人に近江の 海ならば 荒き波にも たちまじらまし

  解説

幻想的な雰囲気が濃厚に漂っている。画家のベックマンに「死の島」という作品がある。彼が暗い水辺に浮かぶ島に向かって、進んでいくのが描かれている。私はこの場面をはじめて詠んだ時に、その絵を思い出し、死の浜辺というタイトルをつけたいと思った。

海の(おもて)は、深緑くろぐろと恐ろしげに荒れたるに、

海は琵琶湖のことである。琵琶湖のことを近江の海とか、(にお)の海 という。琵琶湖の湖面の水は深緑色で黒々としていた。風が激しいのか、波が高く立ち荒れている。
ほどなき見わたしの向ひに、うるはしき舟路にて、

作者がいる琵琶湖のほとりからそう遠くない場所に、うるはしき舟路 舟が通った跡に出来る水脈(みお)(波の筋)が奇麗に見えている。

空はあなたのはたにひとつにて、(くも)()に漕ぎ消ゆる小舟の

くっきりと残っている舟の通った跡の筋を目で辿っていくと、遠くの湖と空が一つになる地点に小さな舟が見えたのである。

まるで水面から離れて雲の中に進んで行くように思えた。

よそめに波風の荒くなつかしからぬけしきにて、

よそめ は、見るともなしに見ていると 位のニュアンスである。なつかし は、心惹かれることである。ここは なつかしからぬ なので、恐ろしいので心惹かれないという意味である。

木草もなき浜辺に、堪へがたく風は強きに、

これは作者がいる岸辺の光景である。風が耐えられない程強く吹いている。

いかにぞ、波に入りにし人の、かかるわたりにあると、思ひのほかに聞きたらば、いかに住み憂きわたりなりとも、とどまりこそせめなどさへ案ぜられて、

遠くの見える小舟が今にも沈んでしまいそうなので、舟が遭難して水に溺れて死んだ人たちの霊魂は、どうなるのだろうかと作者はふと思った。何故ならば、資盛は壇ノ浦の戦いで敗れ、舟から海へと身を投じて死んだからである。船から水の中に入って命を失った人の魂はどこへ行くのだろうか。どこか一つの場所に集まることはないのだろうか。もし、そういう水で命をうしなった人たちの霊魂が、集まる場所がこの世のどこかにあるのだったら、今自分が立っているこの岸辺の様な場所ではあるまいか。そう考えた作者は、もしも琵琶湖のこの辺りには水死者の魂が集まる場所があると聞いたならば、自分はいつまでもここに留まっても良い。この場所で資盛様の菩提を弔い続けようと思った。そして歌を詠む。

    恋ひしのぶ 人に近江の 海ならば 荒き波にも たちまじらまし

地名の 近江 と、人に 会う 事が掛詞になっている。亡き資盛と会いたい、会って話したい という願いである。この幻想的な場面を現代語訳する。

 現代語訳

琵琶湖の表面は深緑色で黒々としている。それだけでも恐ろしいのに、波は高く荒れている。私のいる場所からそれほど遠くない湖の上に、くっきりとした航跡が一筋見えている。その航跡を残した小舟はどこに向かうのだろうかと思って、水脈を目で辿ると、彼方の空が琵琶湖の水面と一つになる辺り、いわばこの世とあの世の境目の辺りに、一艘の小舟が浮かんでいた。

波風が荒いので、小舟がこれから無事に進めるのか、甚だ危ぶまれた。その小舟を見ている私は、木も草も生えていない荒涼蕭々たる冬の浜辺にいる。まともに風を受けると立っている事も出来ない程の強風が吹きつける。私は不思議な思いにとらわれた。ここはこの世とあの世の境目である。生きている人間と死んだ人間とが、巡りあえる場所なのかも知れない。そんなことがあるのだろうか。もしも私が他人から、ここは不思議な場所なので、西の国の海に沈んだ人の魂も、この湖の底に漂っているらしいなどという話を聞いても、真に受けてしまいそうだ。こんなに陰鬱で、とても住むことが出来そうにない場所であっても、亡き資盛様の魂が、この湖底に沈んでいるのならば、ずっとこの岸辺に留まり菩提を祈りつづける生き方をできるだろうかなどと思い続けたものであった。

    恋ひしのぶ 人に近江の 海ならば 荒き波にも たちまじらまし

ここは琵琶湖。つまり近江の海である。その名前の通り、私の恋しいひとと会うことのできる海であるならば、この荒い波の打ち寄せる湖の岸辺にでも住むことが出来るだろう。

いや湖の底に沈んでいる恋しい人に会う為ならば、この荒い波の下にも分け入っていくことさえ怖くはない。

 

琵琶湖で入水して死んだ人たちは少なくない。例えば「源氏物語」の浮舟も、琵琶湖から流れ出した宇治川に入水して死のうとした。

 

コメント

 

作者は立ち直りのきっかけをつかもうとしている。そうか星の歌はなかったのか、今まで。