240316⑰「七夕の歌」

今回は七夕の歌と題し、七夕の歌ばかりを並べた部分を読む。50首の後で纏めの歌が一首置かれているので51首である。全部を読めないので省略するが、配列順に説明する。

さて七夕の歌は恋歌である。彦星と織姫。牽牛と織女は一年に一日しか会えないが、宇宙が存在する限り、永遠に会い続けることが出来る。

 

七夕と言えば、白楽天の「長恨歌(ちょうごんか)」が思い合わされる。

「長恨歌」の最後、七夕に関する部分を読む。

朗読① 

七月七日長生殿   七月七日長生殿

夜半無人私語時   夜半 人無く私語する時

在天願作比翼鳥   天に在りては願はくは比翼の鳥となり

在地願為連理枝   地に在りては願はくは連理の枝と為らん

天長地久有時盡   天長く地久しきも時有りて盡く

此恨綿綿無期   此の恨みは綿綿としてゆる期無から

 解説

有名な「長恨歌」の最後の部分である。これから右京太夫は資盛と自分の悲恋を彦星と織女、玄宗皇帝と楊貴妃になぞらえつつ歌い続ける。

「長恨歌」は、玄宗皇帝と楊貴妃が永遠の愛を約束したが、女が先に死に男が残った。平資盛と右京太夫も永遠の愛を願ったが、こちらの方は男が死に女が一人残された。その恨みを永遠の愛を約束されている、七夕の二人と対比させながら歌うのである。

 

それでは最初の歌、つまりこれから始まる七夕の歌の序に当たる部分を読む。

朗読②

年々(としどし)七夕に歌を詠みて参らせしを、思ひ出づるばかり、少々これを書き付く。

  七夕の 今日やうれしさ 包むらむ 明日の袖こそ かねて知らるれ

 解説

七夕という言葉は、77日に行われる行事を指す場合と、織女を意味する場合とがある。この歌では織姫のことである。七夕の日には、芋の葉においた露を集めた水で墨をすり、梶の葉に和歌を七首書いてお供えする習慣がある。

 現代語訳

私はこれまで毎年、七夕の日には七首ずつ歌を詠んだ。梶の葉の裏に書き記し、彦星と織姫に捧げてきた。

二人は年に一度しか会えないけど、永遠に会い続けることのできる幸福なカップルである。私の記憶に残っている七夕の歌をこれから書き記そう。全部で50首ある。これらの歌が、資盛様と私の愛の永遠を祈念する物であればと願っている。

  七夕の 今日やうれしさ 包むらむ 明日の袖こそ かねて知らるれ

織姫は彦星と会える今日は、袖にも余る嬉しさを抱えている事だろう。けれども別れなければならない明日の朝は、それにも余る悲しさを抱えなければならない。それが予め定められている二人の宿命である。

愛の喜びと悲しみ、その事が七夕の日に入り交じっている事を強く感じられるのである。

 

次の二首を読む。

朗読③

鐘の音も 八声(やこえ)の鳥も 心あれな 今宵ばかりは 物忘れして

契りける ゆゑは知らねど 七夕の 年に一夜ぞ なほもどかしき

 解説

一首目  鐘の音も 八声(やこえ)の鳥も 心あれな 今宵ばかりは 物忘れして

八声(やこえ)の鳥 明け方にけたたましく鳴く鶏のことである。

朝を告げるお寺の鐘の音も、同じく朝を告げるけたたましい鶏の声も、七夕の翌朝だけは、鐘をつくことは忘れて欲しい。愛し合う二人には少しでも長く愛の夢を見させてあげたいから。この歌にタイトルをつけるなら、朝をつげるな とでもなる。右京太夫も資盛と少しでも長く会い続けていたかったのである。

二首目  契りけん ゆゑは知らねど 七夕の 年に一夜ぞ なほもどかしき

歌いだしの 契りけん は、約束した人だろうと意味だが、その主語がはっきりしない。敢えて曖昧にしているのであろう。どうして彦星と織女の二人は、一年に一度しか会わないという約束を交わしたのだろうか。

どちらかが提案しどちらかが承知したのだろうか。そんな提案した方を、私は断固として批判したい。

真実の愛ならばもっと頻繁に会いたいと提案するはずである。何故一年に一日だけなのかと作者は訝しんでいる。

 

朗読④

 さまざまに 思ひやりつつ よそながら ながめかねぬる 星相(ほしあい)の空

 天の河 漕ぎはなれゆく 舟の(うち)の あかぬ涙の 色をしぞ思ふ

 解説

一首目 さまざまに 思ひやりつつ よそながら ながめかねぬる 星相(ほしあい)の空

七夕が他人事でないと歌っている。彦星と織女の愛の来し方行く末に思いを馳せながら、

二つの星が出会う

星相(ほしあい)空 を見上げていると、とても他人事とは思えなくなる。資盛様と私の二人の愛の来し方行く末が、どうしても重ねあわされるからである。

二首目  天の河 漕ぎはなれゆく 舟の(うち)の あかぬ涙の 色をしぞ思ふ

あかぬ涙 の部分は、逢瀬に満足できず、飽きない という意味と、涙の色が赤い事の掛詞である。白い涙が尽きると赤い血の涙があふれてくるという言い伝えがある。この歌は織女が舟に乗って牽牛に会いに行き、翌朝舟に乗って帰ってくるという発想で詠まれている。

 現代語訳

七夕の夜は我が国では彦星が天の川を渡って織女に会いに来ると言われるが、中国の本来の言い伝えでは、織女の方が彦星に会いに行くのである。今朝、一夜だけの逢瀬が終わって、織女が舟に乗って天の河を漕ぎ帰っていく。その舟の中では、これからの会えない日々を思って、織女は赤い血の涙を袖の上にこぼしているだろう。我が国では男の方が河を渡って女に会いに来て、帰っていくと変形されたのである。

 

朗読⑤

  人数に 今日は貸さまし 唐衣 涙に朽ちぬ たもとなりせば

  彦星の 行き合ひの空を ながめても 待つこともなき 我ぞ悲しき

  年を待たぬ 袖だに濡れし しののめに 思ひこそやれ 天の羽衣

  あはれとや 思ひもすると 七夕に 身の嘆きをも 愁へつるかな

 解説

一首目  人数に 今日は貸さまし 唐衣 涙に朽ちぬ たもとなりせば

七夕に自分の着ている衣を供えることを、衣を織女に貸すと言い慣わしているのである。自分も人並みに自分の着物を織女に貸したいのだが、自分の着物の袖は涙で朽ち果てているので、とても貸せないという意味である。

この歌の背景には恋人を失って、泣いてばかりいる作者の悲しみがある。

二首目  彦星の 行き合ひの空を ながめても 待つこともなき 我ぞ悲しき 

行き合ひの空 は、牽牛と織女が出会う空のことである。織女が出掛けて行くのか、牽牛が出掛けて行くのか、二つのパタ-ンがあった。現代語訳する。

彦星が織女に会いに来る 行き合ひの空 を見上げていると、私の心には苦い切なさがこみあげてくる。織女は毎年彦星の訪れを待つことが出来る。けれども私には資盛様の訪れを待つことが出来ない。何故ならば、資盛様はこの世の人ではなく、星の世界へと去ってしまったのだから。

三首目  年を待たぬ 袖だに濡れし しののめに 思ひこそやれ 天の羽衣

この歌にも資盛の思い出が込められている。この しののめ に、彦星と別れなければならない織女が着ている天の羽衣はさぞ涙でびっしょりな事だろう。次に会えるのが一年先なので。思い起こせば、資盛様と私の愛は途絶え勝ちではいながら、都落ちされる以前は一年間も足が遠のいたことはなかった。それでも私の袖は待つ苦しみで濡れそぼっていた。織女の悲しみはいかばかりの大きさである事か。かつて右京太夫のもとに、資盛が通っていた時には、何かと足が途絶え勝ちではあったが、一年間も音沙汰無しということはなかった。それでも私は悲しかったのだから、一年間も待たされる織女の悲しみはどんなに大きな事かと同情しているのである。

四首目  あはれとや 思ひもすると 七夕に 身の嘆きをも 愁へつるかな

身の嘆き

右京太夫が体験した資盛との悲しい恋を指している。織女は別れの悲しみを知る人である。作者の悲しみを理解してくれるのではないかと思ったのである。

 

朗読⑥

  あはれとや 七夕つめも 思ふらむ 逢ふ瀬も待たぬ 身の契りをば

  七夕に 今日や貸すらむ 野辺ごとに 乱れ織るなる 虫の衣を

  いとふらむ 心も知らず 七夕に 涙の袖を 人並みに貸す

一首目  あはれとや 七夕つめも 思ふらむ 逢ふ瀬も待たぬ 身の契りをば

織女は恐らく資盛様との逢瀬が無くなって絶望している私のことを、可哀想だと同情している事だろう。一年に一度しか牽牛に会えない織女から見ても、今の私は可哀想な女に見えるだろうという内容である。

二首目  七夕に 今日や貸すらむ 野辺ごとに 乱れ織るなる 虫の衣を 

この歌で詠まれている虫は、機織(はたおり)り虫である。単にハタオリともいう。キリギリスのことである。キリギリスの鳴き声は、ギッチョンなどとされるが、機を織っている様に聞こえるのでこの名が付いた。七夕の日もハタオリ虫が野辺という野辺で盛大に鳴いている。その鳴き声から考えて、虫たちが野辺で織り上げる衣の総量は膨大であろう。その衣は今日の二人の着物として供えられ、実際に着られているのだろうか。

三首目  いとふらむ 心も知らず 七夕に 涙の袖を 人並みに貸す

いとふらむ の主語は織女である。心も知らず の主語は作者である。作者の供える衣服を織女の方は嫌がっているかも知れないと作者は心配している。世間の人達は七夕の日には、自分の衣服を供えている。

私もそれに倣って自分の衣服を供える。織女は恋人と死別して泣いてばかりいる私の涙で湿った衣服など嫌がっているかも知れない。右京太夫は七夕になると、資盛との日々を思い出すのである。

 

朗読⑦

  なにごとも 変はりはてぬる 世の中に 契りたがはぬ 星相の空

  今日くれば 草葉にかくる 糸よりも ながき契りは たえむものかは

  心とぞ まれに契りし 中なれば 恨みもせじな 逢はぬ絶え間を

一首目

  なにごとも 変はりはてぬる 世の中に 契りたがはぬ 星相の空

永遠に変わらない愛がテーマである。永劫の昔から今も変わらぬ彦星と織女の二つの星は、七夕の夜に会い続けている。二人の愛は変わらず、一年前に交わした再会の約束をどちらかが破ることもない。どんなに愛し会っていても、別れがあって永遠に会い続けることが出来ない人間の世界とは大きく違っている。星の世界が羨ましい。

二首目

  今日くれば 草葉にかくる 糸よりも ながき契りは たえむものかは

笹の葉に掛けて飾る五色の糸を詠んでいる。

今日くれば には、やっと来る  来る と、糸を繰る という意味の 繰る が掛詞になっている。

今日七月七日が来れば、人々は笹の棹に五色の糸を繰りながら掛けて飾り付けをする。その糸は長いけれども、
その糸の長さよりも長いのが、彦星と織女の愛の契りである。この二人の愛が絶える日が来ることは永遠にない。やはり永遠の愛がテーマなのである作者と資盛との愛が突然断ち切られたのと対照的である。

三首目  心とぞ まれに契りし 中なれば 恨みもせじな 逢はぬ絶え間を

星の世界と人間の世界とを対比させている。一年の内七夕の夜の一日だけあうことにしよう。その代わりに私たちの愛は永遠に続くと彦星と織女は固い約束を交わし、今でも続けている。この約束は他人から強制されたのではなく、二人の意思でなされたものである。だから二人は会えないでいる長い空白を、決して恨みに思ったり、相手の心を疑ったりすることはない。それに対して資盛様と私は運命、現実の過酷さによって引き裂かれてしまった。空の世界が羨ましい。

歴史の激変によって運命が翻弄され、愛情まで無残に引き裂かれてしまうのが人間の世界なのである。それに対して星の世界では愛し合う男女は、永遠に愛を語り合える。

 

朗読⑧

  うらやまし 恋に堪へたる 星なれや 年に一夜(ひとよ)と 契る心は

  あひにあひて まだむつごとも 尽きじ夜に うたて明けゆく 天の戸ぞ憂き

一首目

  うらやまし 恋に堪へたる 星なれや 年に一夜(ひとよ)と 契る心は

恋に堪へたる この所が分かりにくい。様々な解釈が可能だが、我慢する、こらえる、抑制する という意味と考える。資盛様と別離した後、私は恋心が溢れ出で、抑制できないことに苦しんでいる。所が彦星と織女の二人は年に一夜しか会えないのに、それ以外の日にもどうしても会いたいと恋心を持て余して苦しんでいるという話は聞かない。彼らはどのようにして恋心の爆発を抑制しているのだろうか。

二首目

  あひにあひて まだむつごとも 尽きじ夜に うたて明けゆく 天の戸ぞ憂き

無常な夜明けがテ-マである。

あひにあひて

男女が逢瀬を重ねることである。七夕の二人は一年に一度しか会えないので、一度だけの逢瀬の密度が高いことを意味しているのであろう。

うたて 気に入らないとか、嘆かわしいとかのニュアンスである。

歌の意味は次のようになる。

一年待ちに待って、やっと逢えた彦星と織女は、会っている時間が短く感じられることだろう。話しても話しても話題が尽きることがない二人に、あっという間に夜明けが訪れる。天の戸が開いてくると、二人は別れなければならない。資盛様と私の場合には、何と無慈悲な天の戸だったのだろう。歴史の悲惨さを恨めしく思う。

 

朗読⑨

七夕の 契り嘆きし 身のはては 逢ふ瀬をよそと 聞きわたりつつ

ながむれば 心も尽きて 星相の 空に満ちぬる 身の思ひかな

この二首の背景には右京太夫と資盛との引き裂かれた愛がある。

一首目

七夕の 契り嘆きし 身のはては 逢ふ瀬をよそと 聞きわたりつつ

七夕の 契り嘆きし は、一年に一度しか会えない牽牛と織女を、作者が可愛そうに思ったという意味である。

 現代語訳

織女は年に一夜だけしか会うことは出来ない。そのような関係に私はかつて心から同情したものであった。その頃私は資盛様と付き合っていた。彼の訪れは彦星ほどではないが、途絶え勝ちだったので、織女の悲しみが我がことのように可哀想に思われた。所が資盛様と私は永のお別れをする運命だった。そうなると私達は一年に一度はおろか、一生に一度も会えなくなった。一年に一度の織女の逢瀬を、今の私は自分の境涯とは無縁の幸せなものだと見ている。織女に同情したばかりに、織女よりも何倍も悲惨な運命に作者は泣くことになった。

二首目

ながむれば 心も尽きて 星相の 空に満ちぬる 身の思ひかな

「古今和歌集」に 我が恋は 虚しき空に満ちぬらし 思ひやれども 行く方も無し 読み人知らず がある。

その歌の本歌取りである。

身の思ひ は、わが身の思い、即ち右京太夫の嘆きという意味である。単なる星空を詠んでいるのではなく、自分の強い悲しみを七夕の星空に投影しているので、読者の心に迫る歌になったのである。

 現代語訳

「古今和歌集」の歌のように、私の心もまた、七夕の空を見つめ続けている内に、私の体から遊離して大空に吸われていく。到頭、空中(そらじゅう)を一杯に満たしてしまった。だから今夜の空はこんなに悲しい色に染まっているのだ。

 

朗読⑩

七夕の 逢ひみる宵の 秋風に 物思ふ袖の 露払はなむ

秋ごとに 別れしころと 思ひ出づる 心の内を 星は見るらむ

七夕に 心照らして 嘆くとも かかる思ひを えしも語らぬ

一首目  七夕の 逢ひみる宵の 秋風に 物思ふ袖の 露払はなむ 

秋風に激しく吹いてほしいと願っている歌である。

露払はなむ は、秋風に向かって涙の露を払って欲しいと頼んでいるのである。

現代語訳

七夕の夜には彦星と織女は会い見ることが出来る。二人の衣の袖は他の日は会えない辛さの為にこぼれる涙で濡れていても、この日ばかりは濡れていないだろう。所が私は資盛様と会えなくなって久しい。だから七夕の宵も私の袖は涙で濡れている。秋風よ、もっと激しく吹いて、袖の涙の露を一気に吹き飛ばして欲しい。

二首目  秋ごとに 別れしころと 思ひ出づる 心の内を 星は見るらむ

この歌は平家一門の都落ちが7月だったことを踏まえている。7月は右京太夫にとって残酷な月なのである。

 現代語訳

平家一門の都落ちは寿永2年 1183年の7月下旬であった。その日から私は資盛様と会えていない。それ以来

7月になり七夕が巡ってくると、私は7月は残酷な月だと悲しくなる。彦星と織女は空の上から私達を襲った運命を哀れに思ってくれているだろうか。

三首目  七夕に 心交わして 嘆くとも かかる思ひを えしも語らぬ

えしも語らぬ え~ず はとてもできないというニュアンス。とても得ることは出来ない。深すぎる悲しみはとても言葉には出来ないというのである。

七夕に 心交わして

誰と誰とが心を通わせているのか。様々に解釈できるところである。私は次のように解釈した。

彦星と織女の二人が置かれている境遇に、心から同情しているし彦星と織女の方でも、過酷な運命によって引き裂かれた私達に同情してくれていると思う。けれどもいざ星と語り合って心を慰めようとしても、資盛様と私を襲った出来事を言葉にして語る事には、大きな抵抗感がある。深すぎる悲しみは言葉にはならない。

 

「建礼門院右京太夫集」の七夕の歌は、作者の切ない人生が重ねられている点に魅力がある。

朗読⑪

世の中は 見しにもあらず なりぬるに 面変りせぬ 星相の空

重ねても なほや露けき ほどもなく 袖別かるべき 天の羽衣

一首目  世の中は 見しにもあらず なりぬるに 面変りせぬ 星相の空

自然は変わらないのに、人は変わることがテ-マである。人の世は大昔と今では一変した。でも彦星と織女が年に一度会う星の世界は、昔も今も変わらない。

二首目  重ねても なほや露けき ほどもなく 袖別かるべき 天の羽衣

男女の別れの切なさがテーマである。

天の羽衣 は、織女が着ていた衣のことである。

袖別かるべき は、夜に男と女がそれぞれの服を、布団代わりに一緒に掛けておいたのを、
朝になり自分の服を着てわかれることである。これを後朝(きぬぎぬ)の別れという。

 現代語訳

織女は七夕の夜、彦星と袖を重ねて共寝していても、心の中は喜びだけでなく、不安が同居している。
楽しい話をしている間にも、刻一刻と別れの朝が近づいてくる。衣を脱いで布団代わりにして共寝していた二人は、朝それぞれの服を着て別れなければならない。後朝の別れは、地上の恋人たちだけでなく、七夕の二人にも訪れるのである。不安の種は最初は小さいのだが、あっという間に根付き成長して大きくなり、ついには織女の心を支配して涙をこぼさせるに至る。

 

顧みると右京太夫と資盛との別れは突然だった。予感も予兆もなかった。突如として断ち切られた男女の絆が、右京太夫には不条理の悲劇だと感じられたことである。

 

七夕を巡る連作50首の最後の2首を読む。

朗読⑫

  たぐひなき 嘆きに沈む 人ぞとて この言の葉を 星やいとわむ

  よしやまた 慰めかはせ 七夕よ かかる思ひに まよふ心を

一首目  たぐひなき 嘆きに沈む 人ぞとて この言の葉を 星やいわはむ

自分は不吉な女だということをテーマにしている。

私は今年も梶の葉に歌を書いて、織女に手向けるつもりだが、織女からは、あの人は途方もない不幸を心に抱え込んで嘆いている忌まわしい女と思われ、歌を捧げることを忌避されてしまうのではないかと、密かに恐れている。

二首目 よしやまた 慰めかはせ 七夕よ かかる思ひに まよふ心を 

50首の七夕の歌の最後である。

慰めかはせ の意味がもう一つはっきりしない。彦星と織女が慰めあうのか、彦星と織女の二人と作者が慰めあうのか。織女と作者が慰めあうのか。三つの解釈が可能である。但し牽牛と織女の二人に向かって、作者はこれからもお幸せに、私と資盛様の二人は不幸だったが、私たちの分もあなた達は仲良くと呼びかけているではないかと思う。そういう解釈に沿って訳す。

 現代語訳

今年も又、七夕の日が巡ってきた。私は会えない苦しみで心の中は乱れに乱れているが、慰めあう相手はこの世には誰もいない。せめて彦星と織女の二人は、お互いでお互いを慰めあって下さい。

 

50首の後に全体を統括する歌がある。

朗読⑬

この度ばかりやとのみ思ひても、また数積もれば、

  いつまでか 七つの歌を 書きつけむ 知らばや告げよ 天の彦星

 現代語訳

資盛様と死別した後は、嘆きの余り一日も生きていられないような心境になり、絶えず死と向かい合ってきた。七夕の日に、歌を供えるのも今年が最後だろうと、何度も思った。けれども私は死ななかった。死ねずに今年もまた、梶の葉を用意して歌を七首書きつけている。毎年七首ずつ七夕に寄せる恋の歌が増え続けている。

  いつまでか 七つの歌を 書きつけむ 知らばや告げよ 天の彦星

私は一体いつまで七夕の歌を、七夕の日に詠み続けるのだろうか。もしも私の運命、寿命を知っているのであれば教えてください。天界の彦星よ、そして星の世界へと去っていった資盛様よ。

 

七夕に寄せる連作を書き記すことで、作者は心の整理がついたのであろう。やがて後鳥羽天皇の宮中に、
二度目の宮仕えをすることになる。「長恨歌」は、七夕の思い出を書き記した後、終わってしまう。玄宗皇帝の人生もここで終わってしまう。もしこの後があるならばこの世ではなく、あの世で楊貴妃と巡り会えるかどうかということである。右京太夫も来世で資盛と巡り会うことを、けれども彼女は少しでも長く生き続け、亡き資盛様の鎮魂、追悼する役割を果たし続けようとするのであった。

 

「コメント」

 

資盛との事も一応けりがついて、次の人生に取り掛かる段階なのだろうか。こういう境遇の人は沢山いたのであろうが、これをネタに和歌集、散文集を書けたのである。