250420③ 若紫の巻 (1)

今回と次回で若紫の巻を読む。こんな文章から始まる。

朗読①光源氏は瘧病(わらはやみ)に罹り、はかばかしくないので、北山の所に行く。

瘧病(わらはやみ)にわづらひたまひて、よろづにまじなひ、加持などまゐらせたまへどしるしなくて、あまたたびおこりたまひければ、ある人、「北山になむ、なにがし寺といふ所にかしこき行ひ人はべる。去年のなつも世におこりて、人々まじなひわづらひしを、やがてとどむるたぐひあまたはべりき。ししこらかしつる時は、うたてはべるを、()くこそこころみさせたまはめ」など聞こゆれば」

 解説

光源氏は瘧病(わらはやみ)に罹った。今のマラリヤと説明される。色々なまじないをしてもなかなか良くならない。平安京の北、北山なにがし寺で、とある祈祷をするがいるということで、 光源氏は北山に赴く。若紫の巻 では舞台が平安京から郊外に移る。季節は春で3月の末。都は既に花盛りを過ぎているが、山に入ってくるにつれ、山の桜はまだ盛りで、光源氏は新鮮な印象を受ける。私たちも一緒になって春の北山、霞を分けて桜を楽しむ趣きである。

 

朗読②京の花、盛りはみな過ぎにけり。であるが山は今が盛りであった。

やや深う入る所なりれり。三月のつごもりなれば、京の花、盛りはみな過ぎにけり。山の桜はまだ盛りにて、入りもておはするままに、霞のたたずまひもをかしう見れば、かかるありさまもならひたまはず、ところせき御身にて、めづらしう思されけり。寺のさまもいとあはれなり。

 解説

それ程病気の深刻な様子はない。むしろ初めて見る景色を、今の場面でもあったようにめづらしう 感じた光源氏は、

寺のさまもいとあはれなり。あちこちを散策して精力的な印象を与える。高い山のことなので、加持祈祷を受ける傍ら、あちこちを見下ろしてその風光明媚さを楽しむ光源氏であった。彼らの視線の先に、僧房・僧侶が住む建物が見える。

 

風景の描写である。

朗読③その近くのここは高い所なので見下ろすと、すっきりとした僧房が見える。だれが住んでいるのか。

すこし立ち出でつつ見わたしたまへば、高き所にて、ここかしこ、僧房どもあらはに見おろさるる、ただこのつづら折りの下に、同じ小柴なれど、うるはしうしわたして、きよげなる屋、廊などつづけて、木立いとよしあるは、「何人の住むにか」と問ひたまへば、

 解説

つづら折りの下に 小柴垣 

 小柴垣  は木を編んで垣根にしたものであるが、それをきちんとこしらえてある。

きよげなる 僧房が目に留まる。誰が住んでいるのだろうと質問される。

目を凝らすとそこには子供たちがいて、女の人の姿も見える。僧侶の住まいなのでまさかこんな所に女の人を住まわせていることはあり得ないだろうとなる。

 

次の場面を読む。

朗読④

清げなる童などあまた出で来て、閼伽(あか)奉り、花折りなどするもあらはに見ゆ。「かしこに(おみな)こそありれれ。、「僧都は、よもさやうには据ゑたまはじを」、「いかなる人ならむ」と口々言ふ。下りてのぞくもあり。「をかしげなる女子(おみなご)ども、若き人、童べなん見ゆる」と言ふ。

 解説

子供たちが沢山出たり入ったりして、仏様に閼伽(あか) の水を差し上げたり、女の人も見える。
供人たちはどうした事であろうと口々に言う。僧侶の住まいなのでまさかこんな所に女の人を住まわせていることはあり得ないだろうという

この話はこれで一旦おしまいにする。しかしこれが後の展開の伏線となっている。光源氏は自らの祈祷を受けつつも、都と違って時間がゆっくりと流れているので、ついつい退屈なので例の建物に足が向く。先にも話題になった女の姿が見えたと家来たちが言った建物である。柴で編まれた垣根の前、用心して家来は最小限とした。惟光という腹心だけを連れて行く。この惟光という人物は乳母子(めのとご)である。途中だが

  乳母子について説明する

この時代身分ある人は、生みの親が何から何まで世話して大きくなるということはなかった。周りに世話をする女がいる。その中にも大切なのは乳母(めのと)と呼ばれる女性で母親代わり。場合によっては、母親以上の絆で結ばれることもある

一方、その乳母の本当の子、産んだ子が乳母子(めのとご)である。今の場合で言えば惟光である。

その乳母子と主人とは子供の時から一緒に育つ。普通の主と家来ということを越えて、兄弟のような信頼関係で繋がるのである。それが乳母子というもので、光源氏の場合は惟光である。

 

さて光源氏は惟光と一緒に垣根の前に立つ。家の中を覗くと、その西側に女の姿が見えたが尼さんであった。

その状況の描写である。

朗読⑤光源氏が覘くと、尼さんが御経をあげている。痩せてはいるが顔はふっくらとしていて、切り揃えた髪が美しい。

一日もいと長きにつれづれなれば、夕暮れのいたう霞みたるにまぎれて、かの小柴垣のもとに立ち出でたまふ。人々は帰したまひて、惟光朝臣とのぞきたまへば、ただこの西面にしも、持仏すゑたてまつりて行ふ尼なりけり。簾すこし上げて、花奉るめり。中の柱に寄りゐて、脇息の上に経を置きて、いとなやましげに読みゐたる尼君、ただ人と見えず。四十余ばかりにて、いと白うあてに痩せたれど、つらつきふくらかに、まみのほど、髪のうつくしげにそがれたる末も、なかなか長きよりもこよなういまめかしきものかな、とあはれに見たまふ。

 解説

その尼さんは仏様に花を差し上げたりしながら、一生懸命にお経を読んでいる。40歳位だろうか。肌が白くて痩せてはいるが、つらつきふくらかに、 顔はふっくらとしていて、髪を切り揃えた所はむしろ長い髪の女性よりも魅力的に見える。

そしてこの後、尼さんの姿よりも、光源氏と読者の目をくぎ付けにする人物が登場する。いよいよ未来の若紫の登場である。

朗読⑥走ってきた女の子は周りの子とは違って、成人後の美貌はさぞかしと思われる顔立ちであった。若紫の登場。

きよげなる大人二人ばかり、さては童べぞ出で入り遊ぶ。中に、十ばかりやあらむと見えて、白き衣、山吹などの萎えたる着て走り来たる女子(おまなご)、あまた見えつる子どもに似るべうもあらず、いみじく()ひ先見えてうつくしげなる容貌(かたち)なり。髪は扇をひろげたるやうにゆらゆらとして、顔はいと赤くすりなして立てり。

 解説

有名な場面である。小さな少女が突然、光源氏の目の前に走って飛び込んできた。勿論光源氏達が垣間見ているとは知らないのであるが、山吹の着物を着て走り込んできたのである。その子に光源氏の目は釘付けになる。平安時代の身分ある女性が走るなどと言うことはなかった。走ってきた勢いで髪の毛がゆらゆらと揺れている。

髪は扇をひろげたるやうにゆらゆらとして、 とあった。息が上がっているのだろう。

顔はいと赤くすりなして立てり。顔をひどく赤くして立っている。

 

その後の状況を見てみよう。

朗読⑦「飼っていた雀の子を犬君が逃がしたの」と大人たちに泣きながら真っ赤になって

         訴えている。

「何ごとぞや。童べと腹立ちたまへるか」とて、尼君の見上げたるに、すこしおぼえたるところあれば、子なめりと見たまふ。「雀の子を(いぬ)()が逃がしつる、(ふせ)()の中に()めたりつるもの」とて、いと口惜しと思へり。このゐたる大人、「例の、心なしのかかるわざをしてさいなまるこそいと心づきなけれ。いづ方へかまかりぬる、いとをかしうやうやうなりつるものを、烏などもこそ見つくれ」とて立ちて行く。髪ゆるやかにいと長く、めやすき人なめり。少納言の乳母(めのと)とぞ人言ふめるは、この子の後見(うしろみ)なるべし。

 解説

「何ごとぞや。童べと腹立ちたまへるか」

何事ですか。また喧嘩でもしたの。尼君はそんな風に聞いている。その顔は

すこしおぼえたるところあれば その子は尼君にすこし似ている所がある。

おぼえたる は、記憶があるの意味ではなくて、似ているという意味である。よく使われる言葉である。

二人は親子かなと光源氏は思った。その尼君が 腹立ちたまへるか 「喧嘩でもしたのかい」 と問いかけるのに対して、少女はこんな風に答える。「雀の子を(いぬ)()が逃がしつる、(ふせ)()の中に()めたりつるもの」

有名なシーンとセリフである。「雀の子を(いぬ)()が逃がしたの、(ふせ)()で飼っていたのに」それが悔しくて、真っ赤になって泣いているのである。

「例の、心なしのかかるわざをしてさいなまるこそいと心づききなけれ。いづ方へかまかりぬる、いとをかしうやうやうなりつるものを、烏などもこそ見つくれ」

「あのいたずら者が悪さをしてお叱りを受けるのは良くない事です。雀は可愛くなってきていたのに、(からす)にでも見つけられたら大変です」

とて立ちて行く。髪ゆるやかにいと長く、めやすき人なめり。少納言の乳母(めのと)とぞ人言ふめるは、この子の後見(うしろみ)なるべし。

と立ち上がってきた女の人は、長い立派な髪を持った成人女性であった。その人を周りは少納言の乳母(めのと) と呼んでいるのが聞こえる。この子の世話役であろう。

 

この一連の場面は何と斬新な事であろうか。走って登場するヒロインというだけではない。平安時代の物語に登場するのは、大人で身分も教養もある立派な人たちである。この場面の子供が時間の経過とともにゆっくりと成長し、立派な姫君女君なっていく。こうした描き方は紫式部以前にはなかったのである。紫式部はこの物語を長く支えていく、最も大切なヒロインに、他の誰とも違う特別で斬新な登場シーンを用意したのである。

 

子供の時から描くことで、私たち読者と光源氏は一緒になって、この子の成長の過程を見守っていくことになる。

さて視点を変えて、そうした彼女・紫の上の個性的外見を見てみよう。

朗読⑧

つらつきいとらうだけにて、眉のわたりうちけぶり、いはけなくかいやりたる額つき、髪ざしいみじううつくし。ねびゆかむさまゆかしき人かな、と目とまりたまふ。さるは、限りなう心を尽くしきこゆる人にいとよう似たてまつれるがまもらるるなりけり、と思ふにも涙が落つる。尼君、髪をかき撫でつつ、「(けず)ることをうるさがりたまへて、をかしの(ぐし)や。いとはかなうものしたまふこそ、あはれにうしろめたけれ。かばかりになれば、いとかからぬ人もあるものを。

 解説

つらつきいとらうだけにて、眉のわたりうちけぶり、いはけなくかいやりたる額つき、髪ざしいみじううつくし。

顔付は真にいじらしく、眉のあたりもほんのりと美しく、あどけなくかきあげている額の様子、髪の生え際が可愛らしい。

尼君、髪をかき撫でつつ、「(けず)ることをうるさがりたまへて

尼君は「この子と来たら髪を()かすことが大嫌いで、髪質はいいのに髪はボサボサ。」と嘆く。こんな女の子が物語に書かれたことがあっただろうか。全く個性的である。

 

この辺で光源氏に目を向けよう。普通だったらそのような子供に誰が注意を向けるであろうか。しかし光源氏は違った。ここが普通の人と光源氏の違いである。そんな彼女を見て、光源氏は

いみじく()ひ先見えてうつくしげなる容貌(かたち)なり。

将来の限りない可能性を感じたのであった。やがて素晴らしい人に成長していくであろうと期待したということである。  この後物語を読んでいく内に、私達はこうした光源氏の姿を度々見ることになる。それはどういう姿かと言えば、彼は表面的なもの、上辺のものに騙されない。その物事の本質、ここで言えば着飾ったものに隠されたその人の本質を見抜くのである。それがあってこその主人公であり、光源氏なのである。ここの光源氏の洗練とは程遠い、一人の子供の中に、特別な物を感じ取った。それは光源氏ならではの感受性と云って良い。将来この子を磨いていったら、どんなに素晴らしいものになることかと思ったのである。実はこの少女は光源氏の憧れの人・藤壺の血縁であった。彼女の姪がこの紫の上であるということ。

 

人間関係を整理しておこう。

光源氏の義理の母であり、父・桐壺帝の后である藤壺は、先代の第四宮、先の帝の四番目の娘であった。先の帝には藤壺以外にも子供がいて、それが兵部卿宮である。先代の天皇の子であるので、藤壺と兵部卿宮とは兄妹である。その兵部卿宮と一人の女性との間に生まれたのが、紫の上であった。藤壺と紫の上は叔母と姪の関係である。

この娘に目が釘付けの光源氏は、どうしてだろうと思う。そして、ああそうなんだ、藤壺に似ているからだと気付く。今読んだ言葉に    限りなう心を尽くしきこゆる人にいとよう似たてまつれるが   という一節があった。

限りなう心を尽くしきこゆる人 限りなく心を尽くしてお慕いしている人 いとよう似たてまつれる→藤壺によく似ていると気付く。後では単に二が似ているだけではなく、今言ったように叔母と姪であると聞かされることになる。

 

人間関係の説明は以上であるが、そこでこんな風に言われるのである。光源氏への批難。光源氏がいくら恋い慕っても、藤壺は父・桐壺帝の后であり義理の母である。そこでこの少女が藤壺の姪であることを突き止めて、我が物にしたいと考えたというものである。光源氏はひどい人だ。今日の放送を注意深く聞いた人は、そういう風に単純な話ではないことに気付いたであろう。この少女、紫の上が藤壺の姪であることを、光源氏はまだ知らない。彼がその事を知ったのはもっと後のことである。光源氏はこの少女が藤壺の姪だから、その代わりに引き取ろうと考えた訳ではない。順番は逆で、

まず初めに光源氏はこの少女に将来どんな人になっていくのだろうと可能性と未来を感じ、その後に理性が働いて、この子は藤壺に似ていると気付き、やがて叔母と姪の関係であることを知る。

結論で言えば紫の上は藤壺の身代わりではないのである。この後この少女は事情があって光る君に引き取られることになるが、世間で誤解されているような犯罪に近い様なやり方では全くなかった。

 

彼女が光源氏のもとにやって来るには次のような経緯があった。一口に言えば彼女の複雑な家庭環境の問題である。その事について説明する。先程紫の上の父親は兵部卿宮と呼ばれる人物、その妹が藤壺だということは説明した。では何故この少女はこんな風に尼君と生活しているのか。尼君の弟である僧侶が、光源氏に語った言葉に耳を傾けよう。

朗読⑨大納言の娘に兵部卿宮が通っていた。しかし娘一人を残して10年前に亡くなった。

        今は祖母、尼君が忘れ形見の娘のお世話をしている。

()せてこの十余年にやなりはべりぬらん。故大納言、内裏(うち)に奉らむなどかしこういつきはべりしを、その本意(ほい)のごとくもものしはべらで過ぎはべりしかば、ただこの尼君ひとりもてあつかひはべりしほどに、いかなる人のしわざにか、兵部卿宮なむ忍びて語たらひつきたまへりけるを、もとの北の方やむごとなくなどして、安からぬこと多くて、明け暮れものを思ひてなん亡くなりはべりし。もの思ひに病づものとめに近く見たまへし」など申したまふ。

 解説

()せてこの十余年にやなりはべりぬらん。

紫の上の母が亡くなって、10年位になるかと僧侶は思い出している様子である。その後に話されたのが、紫の上の父の兵部卿宮には紫の上の母とは違う別の奥さんがいたと言う。しかもその女性が、今読んだ文章でも北の方と呼ばれたので、本妻であった。その北の方は夫の兵部卿宮が別の女性に通い、そこに子供・紫の上を生んだことが許せなかった。陰に陽に圧力が加えられる。日々に悩むことになって、結局紫の上の母は

明け暮れものを思ひてなん亡くなりはべりし。 ということになる。

そういう訳で母は亡くなり、父には別の家庭があるので、紫の上は祖母の尼君の下で育てられてきた。その尼君は出家者だし、体の具合も余り良さそうではない。いつまで紫の上を守ってやれるだろうと心配していた。光源氏にも紫の上のそうした生い立ちの事が次第に明らかになった。その紫の上に光源氏は強く引き付けられることになる。どうしてであろう。読者の中には次のことに気付いた人がいるかも知れない。

紫の上の生い立ちを改めて確認してみると、彼女が置かれた環境は光源氏にそっくりである。彼もまた、母の桐壺更衣、父の桐壷帝の二人の間に生まれたが、母は父帝の后・弘徽殿の女御からの圧迫によって早くに亡くなってしまう。そうなると頼るのは桐壺更衣の母・祖母だけとなる。その人もやがてこの世を去る。このことは前回で話した。

光源氏と紫の上の幼少時の環境は驚く程似ている。というより作者紫の上が意図的に重なるように描いたのである。それはこの二人が出会うべくして出会った、特別な二人、運命の男女であることを私達に物語っている。

 

紫の上は鏡に写し出されたもう一人の光源氏なのである。それに似たことを、光源氏は後程尼君に訴える。

実は私も年端も行かない時に、身より頼りを失ったのですと。その一節を読む。

朗読⑩光源氏の紫の上を引き取りたいとの申し出に、尼君は自分はどうしようもないので宜しくお願いしますという。

言ふかひなきほどの(よわい)にて、睦ましかるべき人にも立ちおくれはべりにければ、あやしう浮きたるやうにて年月をこそ重ねはべれ。同じさまにものしたまふなるを、たぐひになさせたまへといと聞こえまほしきを、かかるをりはべりがたくてなむ、思されんところをも憚らず、うち出ではべりぬる」と聞こえたまへば、

 解説

言ふかひなきほどの(よわい)にて、   私のまだ小さい時に

睦ましかるべき人にも立ちおくれはべりにければ、   仲睦まじく懐き慕うべき家族に、別れてしまって

そんな私と紫の上はまるで

同じさまにものしたまふなるを、  同じ様な境遇でいらっしゃる。ぜひ紫の上を私に託して欲しいと、光源氏は尼君に頼む。和歌、書、音楽を教えて、その才能を磨いてみせると言わんばかりである。光源氏が少女趣味の訳でも、その場の思い付きで、いい加減にその場限りを申し出た訳でもない。光る君は尼君に 思されんところをも憚らず、紫の上の引き取りを思い切って申し出た。その根っこには光源氏の紫の上への共感がある。そうであるからこそ、私達読者も紫の上を私に託して欲しいと申し出た光源氏に共感できるのである。

 

実は最後の最後に紫の上を光源氏に託したいと言ったのは尼君の方である。尼君は遺言のようにこの様に言う。詳しくは次回で取り上げるが、その一節を読む。

朗読⑪光源氏が紫の上を託して欲しいと言ってから尼君は病む。そしてむしろ尼君の方が

        紫の上のことを頼む。

のたまはすることの筋、たまさかにも思し召し変らぬやうはべらず、かくわりなき(よわい)過ぎべりて、かならず数まへさせたまへ。いみじう心細げに見たまへおくなん。願ひはべる道の(ほだし)に思ひたまへられぬべき」など聞こえたまへり。

 解説

光源氏からの申し出があってからの言。尼君からこの様な依頼があった。

のたまはすることの筋  

以前に光源氏が紫の上を託してくださいと言ったこと

たまさかにも思し召し変らぬやうはべらず、かくわりなき(よわい)過ぎべりて、かならず数まへさせたまへ

あなたのそのお気持ちが変わらずにいるのだったら、どうかこの子をあなたに託したい。この様に私は年を取ってしまってこのままではこの子の行く末が気掛かりで、その事が往生の障りになるかも知れません。などと仰る。

 

尼君からすれば自分が死んだとき、孫・紫の上が兵部卿宮の家に引き取られてしまうのは、どうしても心配なのである。当然であろう。亡き娘の夫・兵部卿宮に不信感があるのである。自分の生い立ちも紫の上のように孤独であったという光源氏の方が良いのではないか この人にこそ託すべきと思った。

 

若紫の巻は光源氏と紫の上という、よく似た生い立ちを持った年の離れた運命の男女を語って印象的である。

今日は若紫の巻の前半中心に、光源氏と紫の上について話した。

若紫の巻にはもう一つ、驚くべき事件が語られているが次回に話す。

 

「コメント」

 

少女趣味のおっさんかと思っていたが、違うということなのでそう信じる。