250427④ 若紫の巻 (2)

前回は光源氏が病の療養の為に訪れた北山で、紫の上に出合った。その場面を中心に話した。勿論現在は紫の上という名前ではないが。上 というのは、奥様、奥方様というべき女性のことである。この少女が紫の上と呼ばれるのはずっと後の事である。便宜上、紫の上としておく。

さて無邪気な少女に光源氏は無限の可能性を感じ、引き取らせてもらいたいと尼君に伝えた。しかしすぐに叶う筈もない。断られたところでこの話は一旦終わって、別の話題となる。

 

光源氏が北山から帰ってきたその頃のことであるが、今から話すことは光源氏の人生にとって、紫の上との出会いに劣らず大きな転機となる大事件である。その場面を読む。

朗読①藤壺は体調を崩し里に下がる。光源氏は王命婦に藤壺との取り持ちを迫り、何とか

        逢瀬が出来る

藤壺の宮、なやみたまふことありて、まかでたまへり。上のおぼつかながり嘆ききこえたまふ気色(けしき)も、いといとほしう見たてまつりながら、かかるをりだにと心もあくがれまどひて、いづくにもいづくにもまうでたまはず、内裏(うち)にても里にても、昼はつれづれとながめ暮らして、暮るれば王命婦(おうみょうぶ)を責め歩きたまふ。いかがたばかりけむ、いとわりなくて見たてまつるほどさへ、(うつつ)とはおぼえぬぞわびしきや。

 解説

藤壺が久し振りに物語に登場する。彼女が体の不調を訴えて、宮中から退出するということであった。桐壺の巻で話したように体の不調の時には、后たちは別の場所に移らねばならない。光源氏は

いづくにもいづくにもまうでたまはず、内裏(うち)にても里にても、昼はつれづれとながめ暮らして、暮るれば王命婦(おうみょうぶ)を責め歩きたまふ。

どちらにも行かず、宮中に会っても自宅にあっても、昼は物思いに耽り、夜になると藤壺付の王命婦(おうみょうぶ) に藤壺への取り持ちを迫る。光源氏の屋敷は母の桐壷更衣が住んでいた二条院である。藤壺が里に下った折が、自分の思いを訴える機会だと思ったのである。そこで王命婦に取次を頼むのである。そして王命婦は光源氏に負けて、ある日藤壺のもとに手引きする。そして光源氏と藤壺は契りを結ぶこととなる。

 

しかしその辺りの具体的経緯に関して、物語が語ることはない。去っていく場面で二人は歌を詠み交わす。

朗読②短い夜が明け、二人は歌を詠み交わす。

何ごとをかは聞こえつくしたまはむ、くらぶの山に宿(やどり)もとらまほしげなれど、あやにくなる短夜(みじかよ)にて、あさましうなかなかなり

  見てもまた あふよまれなる 夢の(うち)に やがてまぎるる わが身ともがな

とむせかへりたまふさまも、さすがにいみじければ、

  世がたりに 人や伝へんたぐひなく うき身を醒めぬ 夢になしても

思し乱れたるさまも、いとことわりにかたじけなし。

 解説

何ごとをかは聞こえつくしたまはむ、

かは は、反語である。訳す時にひっくり返る。例えば百人一首に 次の歌がある。

  なげきつつ ひとりぬる夜の あくるまは いかにひさしき ものとかはする 右大将道綱の母

どんなに久しいものと知っていますか 知らないでしょう の意味である。高校の授業を懐かしく思いだす人もいるだろう。存分にお話出来たろうか。いや出来なかったということである。

あやにくなる短夜(みじかよ)にて、

生憎の短夜(みじかよ)で、あっという間に夜が明けてしまう。光源氏は別れに歌を詠んだ。

  見てもまた あふよまれなる 夢の(うち)に やがてまぎるる わが身ともがな

こうして会えたけれども次がいつになるか分からない。会うことは二度とないかもしれない。いっそ、この夢に紛れ込んでしまいたい。もがな は~したいの意味である。

藤壺はそれに対してどう答えたのか。光源氏の振舞いが余りにも強引で許せないと思ったら、歌を帰さなかったも知れない。しかし次の歌を返したので、藤壺の心が完全に閉ざされている訳ではない。

さりとて寄りそっている訳でもない。

  世がたりに 人や伝へんたぐひなく うき身を醒めぬ 夢になしても

光源氏がこの様な瞬間が永遠に続けば良いと訴えたのに対して、藤壺は早くも世間の目を気にしている。

この事が世間に知れたら人々の語り草になってしまう、どうしようと、光源氏に比べて理性的である。光源氏は取り付く島もなく二条院に帰る。物語の中で二人の逢う瀬は最初で最後である。

 

しかし驚くべきことが起きる。

朗読③藤壺は体調が悪いので参内もせずにいるが、懐妊の様子。その事を奏上しなかった

         のは意外な事である。

宮もなほいと心憂き身なりけりと思し嘆くに、なやましさもまさりたまひて、とく参りたまふべき御使しきれど思しも立たず。誠に御心地例のやうにもおはしまさぬはいかなるにかと、人知れずおぼすこともありければ、心憂く、いかならむとのみ思し乱る。暑きほどはいとど起きも上がりたまはず。三月になりたまへば、いとしるきほどにて、人々見たてまつりとがむるに、あさましき御宿世(すくせ)のほど心憂し。人は思ひよらぬことなれば、この月まで奏せさせたまはざりけることと驚ききこゆ。

 解説

宮もなほいと心憂き身なりけりと思し嘆くに、なやましさもまさりたまひて

藤壺はどうした事かと悩んでいる。なやましさ この なやむ は、現在は心のことに使う。心の中に悩んでいることがあるという風に。しかし源氏物語に出てくる なやむ という言葉は肉体的な不調を表す言葉である。つまり藤壺はいよいよ体調不良が続いている。桐壺帝は一刻も早く宮中に帰るようにと、使いがしきりであるが藤壺はその気になれない。

暑きほどはいとど起きも上がりたまはず。

暑い内は起き上がることも出来ない程になった。光源氏とのことが大きな心労になったのであろうか。どうもそうではない。

三月になりたまへば、いとしるきほどにて

しるき は、はっきりしているという意味。藤壺は懐妊していて、その兆候がはっきりしてきた。光源氏の子であることが明らかになった瞬間である。余りのことに情けなく思われる。懐妊の事を奏上されなかったことに人々は意外な事と思う。

 

しかしいつまでも里帰りしている訳にもいかないので、七月になって宮中に参内する。その時の様子を読む。

朗読④藤壺の参内を桐壺帝はおおいに喜ぶ。

七月になりてぞ参りたまひける。めづらしうあはれにて、いとどしき御思ひのほど限りなし。すこしふくらかになりたまひて、うちなやみ(おも)()せたまへる。はた、げに似るものなくめでたし。例の、明け暮れこなたにのみおはしまして、御遊びもやうやうをかしき空なれば、源氏の君もいとまなく召しまつはしつつ、御琴笛などさまざまに仕うまつらせたまふ。

 解説

桐壺帝は懐妊をおおいに喜ぶ。藤壺は少しふっくらとして面やつれしているのも美しく見える。桐壺帝は源氏の君も傍に召して、管弦の遊びもなさる。

 

この話は一旦ここで納めて別の話題に転じていく。

朗読⑤例の尼君は体調が回復したので都に戻っていた。光源氏は麗のこともあるので尼君を

         訪ねたりしていた。

かの山寺の人は、よろしうなりて出でたまひにけり。今日の御住み処尋ねて、時々の御消息(しょうそこ)などあり。同じ様にのみあるもことわりなるうちに、この月ごろは、ありしにまさるもの思ひに、ことごとなくて過ぎゆく秋の末つ方、いともの心細くて嘆きたまふ。月のをかしき夜、忍びたる所にからうじて思ひたちたまへるに、時雨めいてうちそそぐ。

 解説

この頃、物語にもう一つの出来事があった。光源氏は久し振りに、春に北山であった尼君とその孫娘に便りをする。

かの山寺の人は、よろしうなりて出でたまひにけり。

一旦体調が良くなった尼君。尼君は体調を持ち直して、北山を出て都の屋敷に帰ってきていた。しかし秋にはまた体調が悪くなった。彼女は自分にもしものことがあったらと、紫の上のことをかねてから案じていた。光源氏はそうした尼君の所を訪れる。例の返事は前の通りなのは当然であろう。この幾月かは、藤壺恋しさの物思いに時が過ぎていく。秋も末の頃、光源氏は通っている所に出掛ける。

時雨がぱらついている。

 

今度は尼君の方から次のような申し出があった。

朗読⑥体調がとても悪いので、取次の女房の伝言である。紫の上のことを宜しくお願いします

        との事であった。

「乱り心地は、いつともなくのみはべるが、限りのさまになりはべりて、いとかたじけなく立ち寄らせたまへるに、みづから聞こえさせぬこと。のたまはすることの筋、たまさかにも思しめし変わらぬやうはべらば、かくわりなき(よわい)過ぎはべりて、かならず数まへさせたまへ。いみじう心細げに見たまへおくなん。願ひはべる道の(ほだし)に思ひたまへられぬべき」など聞こえたまへり。

 解説 尼君の言葉である。

乱り心地は、いつともなくのみはべるが、限りのさまになりはべりて、いとかたじけなく立ち寄らせたまへるに、みづから聞こえさせぬこと。

気分が優れないのはいつものことですが、この様にいよいよということになって、畏れ多くもお立ち寄りになったのに、直接ご返事も出来ずに。

のたまはすることの筋、たまさかにも思しめし変わらぬやうはべらば、かくわりなき(よわい)過ぎはべりて、かならず数まへさせたまへ。

「いつかあなたが仰ったこと。いつかこの娘を引き取らせて頂きたいということ、その事が今も変わらなければ、紫の上がたわいない年頃を過ぎたら、是非あなたの人数に加えて下さい。」紫の上を託したいということである。

 

その後の光源氏の行動の描写である。

朗読⑦ 光源氏が尼君に手紙を出したら、僧都より尼君は亡くなったとの返事なので、丁寧

          にお見舞いをする。

山里人にも、ひさしうおとづれたまはざりけるを、思し出でて、ふりはへ遣はしたりければ、僧都の返り事のみあり。「立ちぬる月の二十日の程になむつひにむなしく見たまへなして、世間の道理なれど、悲しび思ひたまふる」などあるを見たまふに、世の中の儚さもあはれに、うしろめたげに思へりし人もいかならむ。幼きほどに恋ひやすらむ、御息所(みやすどころ)に後れたてまつりしなど、はかばかしからねど思ひ出でて、浅からずとぶらひたまへり。少納言、ゆゑなからず御返りなど聞こえたり。

 解説

山里人  尼君のことである。

山里人にも、ひさしうおとづれたまはざりけるを、思し出でて、ふりはへ遣はしたりければ、僧都の返り事のみあり。

光源氏は尼君にご無沙汰だったので見舞いの使者を遣わしたことへの、姉弟の僧都の返事である。

「立ちぬる月の二十日の程になむつひにむなしく見たまへなして、世間の道理なれど、悲しび思ひたまふる」などあるを見たまふに

「先月の二十日頃に遂に亡くなりました。道理とはいえ悲しい事です。」とあるのを見て、

世の中の儚さもあはれに、うしろめたげに思へりし人もいかならむ。幼きほどに恋ひやすらむ、

儚さも悲しく、また亡くなった人が気掛かりに思っていた人はどうしているだろう、幼いので尼君を恋い悲しんでいるでは

御息所(みやすどころ)に後れたてまつりしなど、はかばかしからねど思ひ出でて、浅からずとぶらひたまへり。

光源氏は自分の母・御息所が亡くなった時の事など思い出して、丁寧にお見舞いをする。

少納言、ゆゑなからず御返りなど聞こえたり。

光源氏に紫の上の乳母・少納言は、心得た返事をした。

 

紫の上も尼君を失くしてどんなに不安だろう。光源氏は乳母と話す。

朗読⑧乳母少納言は尼君の遺言を伝え、兵部卿宮の屋敷に行けばひどい目に会うであろうと

         いう。

「宮に渡したてまつらむとはべるめるを、故姫君のいと情なくうきものに思ひきこえたまへりしに、いとむげに(ちご)ならぬ(よわい)、またはかばかしう人のおもむけをも見知りたまはず、中空(なかぞら)なる御ほどにて、あまたものしたまふなる中の(あなづ)らはしきひとにてや交じりたまはんなど、過ぎたまひぬるも、世とともに思し嘆きつるも、

 解説

紫の上を幼い時から見てきた乳母・少納言はこういった。私は紫の上のことを案じている。父宮・兵部卿宮に引き取られることになるのであろうが、亡き紫の上の母上が思いやりのないひどい方と仰っていたあちらの方々のお屋敷に行けば、

(あなづ)らはしきひとにてや交じりたまはんなど、過ぎたまひぬるも、世とともに思し嘆きつるも、

実の子ではないと侮られるのではないかと、尼君も心配なさっていました。過ぎたまひぬるも、亡くなった尼君のこと。この様にして亡き尼君の意向が遺言として伝えられた。

そして尼君の49日が過ぎた頃、父宮・兵部卿宮は紫の上を迎えに行くらしいということも知らされた。

 

それを聞いた光源氏は行動を起こす。自ら紫の上を迎えに行く場面である。

朗読⑨まだ暗い内に二条院に着き、光源氏は姫君を抱いて車から下ろす。帰りたいのなら

         帰っても良いと冗談を言う。

二条院は近ければ、まだ明うもならぬほどにおはして、西の対に御車寄せて下りたまふ。若君をば、いと軽らかにかき抱きて下ろしたまふ。少納言、「なほいと夢の心地しはべるを、いかにしはべるべきことにか」とやすらへば、「そは心ななり。御みづから渡したてまつりつれば、帰りなむとあらば送りせむかし」とのたまふに、笑ひて下りぬ。

 解説

二条院は元々桐壷更衣の実家だった所である。そこの西の対 に迎えることにした。紫の上はここに長く住むことになる。

若君をば、いと軽らかにかき抱きて下ろしたまふ。

光源氏は紫の上を軽々と抱いて車から下ろし、乳母の少納言に軽口をたたいている。そんな風に言われて少納言は笑って下りた。この頃の女性が人前で笑うのは異例のことである。母親代わりの

少納言も心からほっとしている様子である。

 

しかし不安なのは紫の上である。

朗読⑩光源氏は参内もせずに紫の上の面倒を見ている。

君はニ三日内裏へも参りたまはで、この人をなつけ語らひきこえたまふ。やがて(ほん)にと思すにや、手習、絵などさまざまにかきつつ見せたてまつりたまふ。いみじうをかしげにかき集めたまへり。「武蔵野といへばかこたれぬ」と紫の紙に書いたまへる。墨つきのいとことなるを取りて見ゐたまへり。

 解説

光源氏は紫の上の相手をしている。様々な絵などを出して見せている。
次には筆を取って歌を書いてやる。あなたも書きなさいという。

 

ものおじしていた紫の上であったが、促すと紫の上は和歌を書いた。

朗読⑪さあ書きなさいと言うと、書けませんという。将来性を感じる字を書く。人形などで一緒に

        遊ぶ。

「いで君も書いたまへ」とあれば、「まだようは書かず」とて、見上げたまへるが何心なくうつくしげなれば、うちほほ笑みて、「よからねど、むげに書かぬこそわろけれ。教へきこえむかし」とのたまへば、うちそばみて書いたふ手つき、筆とりたまへるさまの幼げなるも、らうたうのみおぼゆれば、心ながら妖しと思す。「書きそこなひつ」と恥じて隠したまふを、せめて見たまへば、

  かこつべき ゆゑを知らねば おぼつかない いかなる草のゆかりなるらん

と、いと若けれど、()ひ先見えてふくよかに書いたまへり。故尼君のにぞ似たりける。いまめかしき手本習はば、いとよう書いたまひてむと見たまふ。(ひひな)など、わざと()ども作りつづけて、もろともに遊びつつ、こよなきもの思ひの紛らはしなり。

 解説

紫の上の筆跡は ()ひ先見えてふくよかに 将来が期待され、ふくよかに書いている。古風な尼君の書き方だが、今風に習ったらもっと上手になるだろう。実際、この後、紫の上は仮名文字の上手に成長していく。

(ひひな)など、わざと()ども作りつづけて、

人形とその家を用意して、一緒に遊ぶ。こうした生活をすることで、紫の上の緊張もほぐれていく過程を物語に描く。

 

「コメント」

 

紫の上が光源氏の所に来る事実は知っていたが、背景とその経過の詳しい事は初めて知った。