250504⑤ 紅葉賀の巻 (1)

光源氏はこの巻で青春の絶頂とも言うべき瞬間を迎える。この巻の冒頭部分を読む。

朗読①朱雀院の行幸を、女御更衣は当日見られない。帝は予行演習を清涼殿で行い、

    彼女らが見られるようにした。

朱雀院の行幸は神無月の十日あまりなり。世の常ならずおもしろかるべきたびのことなりければ、御方々(かたがた)物見たまはぬことを口惜(くちお)しがりたまふ。上も、藤壺の見たまはざらむをあかず思さるれば、()(がく)を御前にてせさせたまふ

 解説

平安貴族の常識的なことや基礎知識を話す。今、朱雀院 という言葉が出てきた。これは人の名前ではなく、建物の名前である。そこには桐壺帝の父か兄か、物語には書いてないのではっきりしないが、桐壺帝以前に天皇であった人物が住んでいる。上皇である。その方を名指しするのは畏れ多いので、住んでいる建物の名で遠まわしに指すのである。

それに近いことは今日でもあるし、例えばこれまで出てきた藤壺とか弘徽殿とか呼ばれる人も、それは建物の名である。

さてその上皇、太上天皇を桐壺帝が訪問する。これが朱雀院の行幸 である。行幸 は大和言葉で言えば御幸(みゆき)である。

天皇がどこかに出掛けること。上皇を訪ねるのが神無月の十日過ぎ と決まったのである。

世の常ならずおもしろかるべきたびのことなりければ、

滅多にない事で誰にも興味深い行事なので、上皇に喜んで貰うべく色々な企画がされている。となると一緒に出掛けられない后たちは、見物できないことを残念に思っている。そこで帝は特に藤壺に見せてやりたいものだと、朱雀院の行幸に先駆けて、()(がく) 予行演習を行うことにした。リハーサルである

 

その情景は次の様に描かれている。

朗読②光源氏は青海波(せいがいは)を頭中将と舞うが、並ぶと彼は花の傍の深山(みやま)()(つまらないもの)に見

     える。

源氏の中将は、青海波をぞ舞ひたまひける。片手には大殿の頭中将、容貌(かたち)用意人にはことなるを、立ち並びては、なほ花のかたはらの深山木なり。()(がた)の日影さやかにさしたるに、楽の声まさり、もののおもしろきほどに、同じ舞の足踏(あしぶみ)面持(おももち)、世に見えぬさまなり。

 解説

上皇を訪ねるのは長寿の祝いである。巻の名前 紅葉賀 の賀にそれが表されている。今日では60歳を還暦と言って節目とするが、この時代では40歳。これを長寿の入り口とした。一つの区切りである。40、50、60といった節目に賀宴を催すが、今回はそうした祝いの行幸であった。その為のイベントも準備されていた。桐壺帝の秘蔵っ子・光源氏が青海波を舞うのである。この 青海波(せいがいは) は中国から伝来した舞で二人で舞う。相手は頭中将、光源氏の終生のライバルとなる左大臣家の子息である。

しかし彼にとって気の毒な事が書いてある。

片手には大殿の頭中将、容貌(かたち)用意人にはことなるを、立ち並びては、なほ花のかたはらの深山木なり。

顔形も心持も格別な人である筈なのに、光源氏と立ち並ぶとどうしても 花のかたはらの深山木なり。

花の傍らにある深山の木が並んでいるようなもので、見劣りがしてしまうということである。

さて 試楽 が行われる場所は清涼殿東庭。

()(がた)の日影さやかにさしたるに、楽の声まさり、もののおもしろきほどに、同じ舞の足踏(あしぶみ)面持(おももち)、世に見えぬさまなり。

丁度日が落ちて暮れようとしている。舞を引き立てる楽器の音色も一段と勝さり、同じ舞手でも光源氏の足拍子や面持ちは素晴らしいものであった。

 

しかし光源氏にスポットライトが当たるのはその後である。華やかだった楽の音がピタッと止む。その中に響くのは光源氏の声。

朗読③光源氏の(えい)の声は絶妙で、感動的な舞に皆は涙する。

(えい)などしたまへるは、これやほとけの御迦陵頻伽(かりょうびんが)の声ならむと聞こゆ。おもしろくあはれなるに、帝涙をのごひたまひ、上達部親王(みこ)たちもみな泣きたまひぬ。詠はてて袖うちなほしたまへるに、待ちとりたる楽のにぎははしきに、顔の色あひまさりて、常よりも光ると見えたまふ

 解説

青海波という舞は、音楽が鳴りやむと、舞人が漢詩の一節を朗々と吟ずるという趣向になっている。それが今の場面で

詠などしたまへるは、これやほとけの御迦陵頻伽(かりょうびんが)の声ならむと聞こゆ。 である。

人々は息をのんで見守る。光源氏の声が夕暮れの清涼殿の庭に響く。それは 

これやほとけの迦陵頻伽(かりょうびんが)の声ならむと聞こゆ 

極楽浄土で舞い飛び妙なる声を発するという幻の鳥 迦陵頻伽(かりょうびんが) の美しい声にも負けない素晴らしさであったという。

ある人は恍惚として、ある人は溜息をつくことも忘れ、涙を流す。殊に帝は 帝涙をのごひたまひ、とあった。

漢詩の朗詠が終わって余韻を残している中、光源氏は 詠はてて袖うちなほしたまへるに、 それを合図に鳴りやんでいた楽の音色が再び奏し始めた。そり中心にある光源氏のさまは、顔の色あひまさりて、常よりも光ると見えたまふ。

光源氏の顔の色合いは一入(ひとしお)勝って、光り輝いている。

 

例の弘徽殿の女御であるが、光源氏の素晴らしさは認めざるを得なかった。興奮がさめるのを待って冷静になってから憎まれ口をたたいている。

朗読④春宮の女御(弘徽殿の女御)はそれでも悪口を言っている。藤壺は心の(わだかま)りがなかった

    らと一層思うのだった。

春宮の女御、かくめでたきにつけても、ただならず思して、「神など空にめでつべき容貌(かたち)かな。うたてゆゆし」とのたまふを、若き女房などは、心憂しと耳とどめけり。藤壺は、おほけなき心のなからましかば、ましてめでたく見えましと思すに夢の心地なむしたまひける。

 解説

藤壺の心の中が読者に明かされる。

藤壺は、おほけなき心のなからましかば、ましてめでたく見えましと思すに夢の心地なむしたまひける。

ましかば  まし というのは「源氏物語」によく出てくる大切な表現で、英語のIF。藤壺はこうつぶやいた。

おほけなき心のなからましかば もし自分の心に一転のくもりもないということであれば、

ましてめでたく見えまし 

今日の光源氏を心の底から賞賛できたのに。光源氏の素晴らしさを目の当たりにするにつけ、複雑な思いなのである。

 

さてその後の事である。その夜の宿直(とのい)は藤壺である。桐壺帝は得意顔である。今日は良いことを

藤壺にしてやれたと。

朗読⑤帝は今日の試楽は青海波に尽きるね。本番は色あせてしまう。これは藤壺に見せようと

    準備したと仰る。

宮はやがて宿直(しとのい)なりけり。「今日の()(がく)は、青海波(せいがいは)に事みな尽きぬな。いかが見たまひつる。」と聞こえたぬまへば、あいなう御(いら)へ聞こえにくくて、「ことにはべりつ」とばかり聞こえたまふ。「片手もけしうはあらずこそ見えつれ。舞のさま手づかひなむ家の子はことなる。この世に名を得たる舞の男どもも、げにいとかしこけれど、ここしうなまめいたる筋をえなむ見せぬ。試みの日かく尽くしつれば、紅葉の蔭やさうざうしくと思へ、見せたてまつらんの心にて、用意せさせつる」など聞こえたまふ。

 解説

帝は藤壺に 今日の試楽は、青海波に事みな尽きぬな。 と仰る。今日の催しはあの青海波に止めを刺すな。あれ以上の物はなかった。

いかが見たまひつる。 どう御覧になったかな と帝は聞かれる。

藤壺はあいなう御(いら)へ聞こえにくくて、 何ともご返事のしようがなくて、「ことにはべりつ」 と返事をした。「格別でした」とだけ返事をした。帝は少し不審に思った。

 

その次の日のこと、光源氏から藤壺に手紙が届いた。

朗読⑥光源氏は藤壺に「昨日の私の舞は如何でしたか」という手紙に、和歌を添えて出した。

つとめて中将の君、「いかに御覧じけむ。世に知らぬ乱り心地ながらこそ。

  もの思ふに 立ち舞ふべくも あらぬ身の 袖うちふりし 心知りきや

あなかしこ」とある御返り、

  解説

翌日光源氏は大胆にも藤壺に手紙を書いた。何という事であろうか。手紙には和歌が添えてあった。

   もの思ふに 立ち舞ふべくも あらぬ身の 袖うちふりし 心知りきや  あなかしこ

物思いで心は乱れていましたが、袖を振ったその思いは届きましたか。畏れ多い事ですが。

古代において袖を振る行為は相手への親愛の情を表した。「他の人は私が袖を振ったのを、青海波の決まりの所作と受け止めたろうけれども、そうではなくてあなたへの思いです。その事を分って下さい」という歌である。これを見て藤壺はどう思ったか。

 

藤壺は理性では分かっていたが、あの舞が素晴らしかったので、黙って見逃すことが出来ず歌を返した。

朗読⑦唐の人が袖を振って舞ったというのは知りませんが、感慨深く拝見しまたとの返事を、

    光源氏は何度も読んだ。

目もあやなりし御さま容貌(かたち)に、見たまひ忍ばれずやありけむ、

  「から人の 袖ふることは 遠けれど 立ちゐにつけて あはれとは見き

おほかたには」とあるを、限りなくめづらしう、かやうの方さへたどたどしからず、(ひと)朝廷(みかど)まで思ほしやれる、御后言葉のかねても、とほほ笑まれて、詩経のやうにひきひろげて見ゐたまへり。

 解説 

「青海波は中国伝承の舞。私はその袖を振る所作にどんな意味があるか分かりませんが、私の心は動かされました」という歌である。

あはれ は、喜びにつけ悲しみにつけ、心が大きく動かされた時に発する言葉である。光源氏は返事を貰えるかどうか分からなかったことであったろう。しかし藤壺は返事をしてしまった。

かやうの方さへたどたどしからず、

光源氏は藤壺がこの様なに舞楽のことまで心得ておられて と

(ひと)朝廷(みかど)まで思ほしやれる、御后言葉のかねても、とほほ笑まれて、

遠くの朝廷のことまで思いを馳せていらっしゃるのは、もう既にお后と同格の歌であると顔をほころばせて

詩経のやうにひきひろげて見ゐたまへり。

藤壺の手紙を、尊い()(きょう)(経典)のように広げて見入っていた。

 

紅葉賀の巻は早くも一つの山場が来ている。

さてその後、朱雀院行幸の当日を迎える。これまでは試楽、リハ-サルであった。所が本番の日の様子はどこか淡々として物語は盛り上がりを欠く。紫式部が力を入れて書いたのは本番よりも試楽なのである。当日の場面を読む。

朗読⑧紅葉が散りまごう中で、舞う光源氏はとても美しく見える。とてもこの世の事とは思えない。

木高き紅葉の蔭に、四十人の垣代(かいしろ)いひ知らず吹きたてたる物の()どもにあひたる松風、まことの深山(みやま)おろしと聞こえて吹きまよひ、色々に散りかふ木の葉の中より、青海波のかかやき出でたるさま、いと恐ろしきまで見ゆ。かざしの紅葉いたう散りすきて、顔のにほひにけおろされたる心地すれば、御前(おまえ)なる菊を折りて左大将さしかへたまふ。日暮れかかるほどに、けしきばかりうちしぐれて、空のけしきさへ見知り顔なるに、さるいみじき姿に、菊の色々うつろひえならぬをかざして、今日はまたなき手を尽くしたる(いり)(あや)のほど、そぞろ寒くこの世のことともおぼえず。

 解説

木高き紅葉の蔭に、四十人の垣代(かいしろ)  

青海波の為に楽を奏する楽人の事。それが四十人で円陣を組む。その素晴らしい音に松風が一体となって妙なる音色を奏でる中、

青海波のかかやき出でたるさま、いと恐ろしきまで見ゆ。かざしの紅葉いたう散りすきて、顔のにほひにけおろされたる心地すれば、御前(おまえ)なる菊を折りて左大将さしかへたまふ。

光源氏が登場する。舞の途中で光源氏の頭に(かざ)している紅葉が散ってしまう。それで語り手は紅葉も光源氏の美しさに気押されたのだろうと言う。それを臨機応変に庭先の菊を左大将・頭中将が差し替えると、また一段と素晴らしい。

日暮れかかるほどに、けしきばかりうちしぐれて、

暮れかかる程に時雨がサッと降った。

空のけしきさへ見知り顔なるに、

天も光源氏の素晴らしさに感じ入って,思わず時雨をこぼしたかと思われる程である。この様にして

朱雀院行幸は終わる。

 

物語には日常の時間が戻って来る。光源氏や藤壺の事から離れて、物語全体を眺め直して見よう。この華やかな出来事に隠れて、あの人のことを暫く聞いていないことに気付く。紫の上である。彼女はこのように日々を送っていた。

朗読⑨幼い姫君は良い気立て器量で、懐いている。色々と自ら教える。父親の兵部卿宮は

    この事を知らない。

幼き人は、見ついたまふままに、いとよき心ざま容貌(かたち)にて、何心もなく(むつ)れまとはしきこえたまふ。しばし殿の内の人にも誰と知らせじ、と思して、なほ離れたる(たい)に御しつらひ()なくして、我も明け暮れ入りおはして、よろづの御事どもを教へきこえたまふ。手本書きて習はせなどしつつ、ただほかなりける御むすめを迎へたまへらむやうにぞ思したる。政所(まんどころ)家司(けいし)などをはじめ、ことにわかちて心もとなからず仕うまつらせたまふ。惟光より外の人は、おぼつかなくのみ思ひきこえたり。かの父君も、え知りきこえたまはざりけり。

 解説

幼き人は、見ついたまふままに、いとよき心ざま容貌(かたち)にて、何心もなく(むつ)れまとはしきこえたまふ。

姫君は光源氏に馴染むにつれて、実に良い気立てで器量も良いのがよく分かる。何心もなく は、無邪気であるという事。

惟光より外の人は、おぼつかなくのみ思ひきこえたり。

光源氏はこの姫君が誰なのか、惟光以外には知らせなかった。

かの父君も、え知りきこえたまはざりけり。

父親の兵部卿宮には勿論知らせていない。父宮が突然来て連れて行ってしまったら大変である。亡き尼君もそんなことが起きたら、兵部卿宮の北の方にどんな目にあわされるかと心配していた事である。

 

光源氏は二条院の西の対で紫の上に色々と教え、身に付けさせる。この子の将来・生ひ先 がとても楽しみだとあった。

紫の上は良かったなという展開であるが、一番喜んでいるのは生れた時から知っている人・乳母である。

彼女はこんなことを思っている。

朗読⑩乳母の少納言は、この幸せは故尼君が仏にお祈りしていたご利益(りやく)だろうと感じていた。

少納言は、おぼえずをかしき世を見るかな、これも故尼上の、この御事を思して、御行ひにも祈りきこえたまひし仏の御しるしにやとおぼゆ。

 解説

乳母の少納言は本当に良かったと思う。これも亡き尼君が紫の上様の事を心配して、仏の御しるし 仏のご加護があったのだと思っている。

さてこの後それぞれの事はどのように展開していくだろうか。

 

「コメント」

 

紫式部の術中に(はま)りそうになってきた。嵌ったかな。