250511⑥ 紅葉の巻 (2)
今日は紅葉賀の巻の後半について話す。前回は光源氏と紫の上の、平安時代でもあり得ない父と娘・兄と妹のような生活が二条院でどんな風になされたかについて少し話したところで終わった。今回はその続き。光源氏と紫の上の世界を初めて覗いてみる所から始める。
朗読① 姫は気立てが良く器量良しで光源氏に懐く。邸内の人には身分は明かしてない。
娘を引き取った様である。
幼き人は、見ついたふままに、いと良き心ざま容貌にて、何心もなく睦れまとはしきこえたまふ。しばし殿の内のひとにも誰と知らせじ、と思して、なほ離れたる対に御しつらひ二なくして、我も明け暮れ入りおはして、よろづの御事どもを教えきこえたまふ。手本書きて習はせなどしつつ、ただほかなりける御むすめを迎へたまへらむやうにぞ思したる。
解説
この時代、書はとても大切な教養であった。
手本書きて習はせなどしつつ、
光源氏が手本を書いてあげる。さあ書きなさい、これを手本にして。紫の上は素直に筆を取る。
語り手はこんな二人の様子を ただほかなりける御むすめを迎へたまへらむやうにぞ思したる。
それまで事情があって別に暮らして居た離れ離れの娘を、ようやく迎えることが出来た父親のように、光源氏は嬉しくてたまらないようだと語る。
更に続きの場面を読む。
朗読②
姫君は、なほ時々思ひ出できこえたまふ時、尼君を恋ひきこえたまふをり多かり。君のおはするほどは紛らはしたまふを、夜などは、時々こそとまりたまへ、ここかしこの御暇なくて、暮るれば出でたまふを、慕ひきこえたまふをりなどあるを、いとろうたく思ひきこえたまへり。ニ三日内裏にさぶらひ大殿にもおはするをのは、いといたく屈しなどしたまへば、心苦しうて、母なき子持たらむ心地して、歩きも静心なくおぼえたまふ。僧都は、かくなむと聞きたまひて、あやしきものからうれしとなむ思ほしける。
解説
光源氏に大切にされながら紫の上は、尼君を恋ひきこえたまふをり多かり。つまり、尼君・亡くなった祖母の事を悲しく思い出すこともあった。尼君を忘れることはないが、昔を思い出すことは時々というので、裏返すと光源氏と一緒にいると、悲しい生い立ち、母、祖母も亡くなってしまったということも忘れていられる。紛らはしたまふ というのは、そういう事である。所が光源氏が仕事で一緒にいてやれなかったり、他の女性、例えば葵の上などは無視できない[M1] 、暮るれば出でたまふを、日暮れには出かけることがある。そういう時には光源氏が恋しくなって、慕ひきこえたまふをりなどあるを、と
場面には書いてあった。しかし彼女は大層利発な子なので、直接に不満を漏らすということはない。
いとろうたく思ひきこえたまへり。ただただしょんぼりしているということである。それを見ると心苦しくて光源氏は母なき子持たらむ心地して、母親がなく、父が頼りの子を持ったような気がして、光源氏はあちこちの女性の所にまめに通うことは出来なくなった。そうなると更に紫の上は光源氏を独り占めである。ふたり過ごす時間が長ければ長い程、彼女は様々な事を吸収していく。そしてあっという間に紫の上は一人前の女性に成長していったという、おとぎ話などによくあるご都合主義な描き方を紫式部はしない。
光源氏に様々な事を教わり教養を身につけ、自らを磨いていく一方で、紫の上は人形遊びに夢中である。光源氏が宮中の大事な儀式に出掛けようとして紫の上のいる西の対を覗いてみると
朗読③ 光源氏が姫の部屋を覗くと、人形遊びを忙しくしている。
男君は、朝拝に参りたまふとて、さしのぞきたまへり。「今日よりは、おとなしなりたまへりや」とてうち笑みたまへる、いとめでたく愛敬づきたまへり。いつしか雛をしすゑてそそきゐたまへる、三尺の御厨子一具に品々しつらひすゑて、また、小さき屋ども作り集めて奉りたまへるを、ところせきまで遊びひろげたまへり。
解説
いつしか雛をしすゑてそそきゐたまへる、三尺の御厨子一具に品々しつらひすゑて、また、小さき屋ども作り集めて奉りたまへるを、ところせきまで遊びひろげたまへり。
光源氏が部屋を覗くと、いつの間にか人形を並べ立てて、三尺の御厨子 に様々な道具を並べ立てて、また小さき屋ども 小さな御殿を一杯に広げて遊んでいる。
そして光源氏が宮中に向かうのを女房達が見送る。すると紫の上の一緒になって
朗読④ まだお人形遊びをしていると、乳母の少納言が十を越した人は人形遊びなどしないものですと言う。
姫君も立ち出でて見たてまつりたまひて、雛の中の源氏の君つくろひたてて、内裏に参らせなどしたまふ。「今年だにすこしおとなびさせたまへ。十あまりぬる人は、雛遊びは忌みはべるものを、かく御男などまうけたてまつりたまひては、あるべかしうしめやかにてこそ、見えたてまつらせたまはめ、御髪まゐるほどをだに、ものうくせさせたまふなど、少納言聞こゆ。
解説
雛の中の源氏の君つくろひたてて、内裏に参らせなどしたまふ。
人形の中の光源氏を参内させなどしている。そんな遊びばかりに夢中の紫の上に乳母の少納言から小言がある。
十あまりぬる人は、雛遊びは忌みはべるものを、
十を過ぎた方が何時までもお人形遊びですかと、乳母の少納言は渋い顔であるが、こんな風にして紫の上はゆっくりゆっくり成長していくのである。
さてこの様な穏やかな時間が流れる光源氏と紫の上の世界。二条院の西の対の世界であるが、そうした微笑ましい空間を醸し出した物語は、一転して今度は緊張した経過を語り始める。若紫の巻を思い出して欲しい。光源氏と藤壺が一夜の契りを結んだ。その事によって藤壺は懐妊。ここまで話してきたように、少女の紫の上が着実に成長していく。
それは物語の中でそれだけ時間が流れていることを示している。そうすると次のような事が問題になって来る。藤壺の懐妊のこと。それと同時に新しい命が成長している。その事を語る緊張感みなぎる場面を読む。
朗読⑤
この御事の、十二月もすぎにしが心もとなきに、この月はさりとも宮人も待ちきこえ、内裏にもさる御心まうけどもある。つれなくてたちぬ。御物の怪にやと世人も聞こえ騒ぐを、宮いとわびしう、このことにより身のいたづらになりぬべきことと思し嘆くに、御心地もいと苦しくてなやみたまふ。中将の君は、いとど思ひあはせて、御修法など、さとはなくて所どころにせさせたまふ。
解説
出産が十二月を過ぎたのを人々は気掛かりである。正月にはと待ったがこの月も過ぎた。つれなくてたちぬ。その気配もなくて一月も過ぎた。藤壺は初産だし無事に生まれるだろうか。これは物の怪の仕業だろうか。何か怪しげなものに取り付かれたか、病が潜んでいるのだろうか。そんな周囲の人々の心配と共に、生きた心地がしないのは藤壺である。彼女も困り切っている。
このことにより身のいたづらになりぬべきことと思し嘆くに、
全てが明るみに出ると破滅となると不安に慄く。一方光源氏は
中将の君は、いとど思ひあはせて、御修法など、さとはなくて所どころにせさせたまふ。
光源氏はあああの時に藤壺は懐妊したのだ。お腹の子は自分の子だと確信する。そして御修法など 祈祷を事情を明かさずに寺々にさせる。
そうした中に皇子が誕生する。
朗読⑥ 皇子誕生する。
世の中の定めなきにつけても、かくはかなくてやみなむと、とり集めて嘆きたまふに、二月十余日のほどに、男皇子生まれたまひぬれば、なごりなく内裏にも宮人も喜びきこえたまふ。
解説
二月の半ば過ぎに男皇子誕生。周辺は喜びに湧きたつ。
その中で藤壺だけは沈鬱な表情をしている。そうした事情を知らない桐壺帝は早く宮中に参内するようにと矢の催促。産後の肥立ちだけではなく、藤壺の心中は複雑で参内の気にならない。さてそうなると動き出すのは光源氏である。
藤壺のいる里の三条宮に行き、何とか赤子を見たいと桐壺帝が待ちかねているので、先ずは私が拝見して報告しますと言って近づこうとするが、取り付く島がない。藤壺が拒んだのには次のような事情があった。
朗読⑦ 皇子は光源氏生き写しである。世の人に気付かれぬ筈はないとわが身の情けなさを
思う。
さるは、いとあさましう目づらかなる写し取りたまへるさま、違うべくもあらず。あやしかりつるほどのあやまりをまさに人の思ひ咎めじや、さらぬはかなきことをだに疵求むる世に、いかなる名のつひに漏り出づべきにか、と思しつづくるに、身のみぞいと心憂き。
解説
この皇子は周囲の人が驚くほどに光源氏そのまま写し取った様にそっくりであった。光源氏が父親なので当たり前であるが、しかしそうなると簡単に光源氏に会わせるわけにはいかない。藤壺からすると遠ざけておきたい。
時は過ぎて夏となる。藤壺は宮中に赤子と一緒に帰る。
朗読⑧ 若宮は四月に参内し大きく育って起き上がったりする。光源氏に似ているのを帝は優れている者は似るのだと。
四月に内裏に参りたまふ。ほどよりは大きにおよすけたまひて、やうやう起きかへりなどしたまふ。あさましきまで紛れどころなき御顔つきを、思しよらぬことにしあれば、また並びなきどちはげに通ひたまへるにこそは思ほしけり。
解説
四月に、生まれたばかりの皇子が宮中に参内する。
ほどよりは大きにおよすけたまひて、
普通よりは大きくなってと、帝は成長を楽しみにされる。そしてこの子は、あさましきまで紛れどころなき御顔つきをと、あさまし が何度も使われる。この言葉は現代にも残っているが、ニュアンスが違って、驚きあきれるということである。
あきれるほどこの子は、光源氏に似ているということ。それを見て桐壺帝はこんなことを考える。
朗読⑨ 帝は光源氏を東宮に出来なかったことを不憫に思っている。皇子は疵のない玉と大事
にされるので、藤壺は申し訳なく気が晴れる時がない。
源氏の君を限りなきものに思しめしながら、世の中の人のゆるしきこゆまじかりしによりて、坊にもえ据ゑたてまつらずなりにしを、あかず口惜しう、ただ人にてかたじけなき御ありさま容貌にねびもておはするを御覧ずるままに、心苦しく思しめすを、かうやむごとなき御腹に、同じ光にてさし出でたまへれば、瑕なき玉と思ほしかしづくに、宮はいかなるにつけても、胸の隙なくやすからずものを思ほす。
解説
帝はかつて最愛の皇子・光源氏を、世の中の人のゆるしきこゆまじかりしによりて、世間の人がそれを許さないと思ったので、坊・東宮にしてやれなかった。高麗人の観相や様々な理由があったが、何といっても光源氏の母・桐壺更衣の身分の低さであった。しかし今度は違う。今度の母親は藤壺・先代の帝の娘、第四皇女である。今度こそこの子を
かうやむごとなき御腹に、同じ光にてさし出でたまへれば
今度は尊い身分の母親の下で皇子は誕生したので、当然東宮ということになるでしょう。今は弘徽殿の女御の子が東宮についているので、その次の東宮にと、かうやむごとなき御腹に、同じ光にてさし出でたまへれば生まれたばかりの子を瑕なき玉と思ほしかしづくに、のように桐壺帝は大切に思う。
折から光源氏も宮中にいた。
朗読⑩帝は皇子を抱いて、光源氏に似ている皇子がとても可愛いと仰るので、複雑な気持ちで
涙が出そうになる。
例の、中将の君、こなたにて御遊びなどしたまふに、抱き出でたてまつらせたまひて、「皇子たちあまたあれど、そこをのみみなむかかるほどより明け暮れ見し。されば思ひわたさるるににやあらむ、いとよくこそおぼえたれ。いと小さきほどは、みなかくのみあるわざにやあらむ」とて、いもじくうつくしと思ひきこえさせたまへり。中将の君、面の色かはる心地して、恐ろしうも、かたじけなくも、うれしくも、あはれにも、かたがたうつろふ心地して、涙落ちぬべし。
解説
初めの所に こなたにて御遊びなどしたまふに とあった。遊び というのは、当時は詩を作ったり管弦をしたりということである。そこに桐壺帝が皇子を抱いてやってきて、光源氏に話しかける。
「皇子たちあまたあれど、そこをのみみなむかかるほどより明け暮れ見し。
私には子供は沢山いたが、しかしそなたを幼い時から朝に夕に大切に思い見ていたものだ。
おぼえ は記憶の事ではなく、似ているということである。「随分この子はお前の小さい時によく似ている。
いと小さきほどは、みなかくのみあるわざにやあらむ」とて、
小さい内というのは、みんなこうしたものであろうか。
勿論そんなことはない。最愛の后・藤壺が生んだ皇子。それだけで嬉しいのに最愛の光源氏に瓜二つ。だから更に可愛い訳である。この様な桐壺帝に光源氏はどう思ったのであろうか。
中将の君、面の色かはる心地して、恐ろしうも、かたじけなくも、うれしくも、あはれにも、かたがたうつろふ心地して、涙落ちぬべし。
さすがの光源氏も桐壺帝にそういわれて、思わず顔色が変わったという。光源氏は桐壺帝を裏切っているのである。
光源氏は答える言葉が見つからない。
こんなに感情を表す言葉が次々と繰り出される場面は他にはない。恐ろしうも、かたじけなくも、までは良い。自然な感情の発露であるが、うれしくも、あはれにも、 あなたとこの子は似ていると言われて、光源氏は素直に嬉しかった。そして あはれにも、心が激しく揺さぶられること。初めて子を持ち、その子が自分によく似ていると言われて理屈抜きに喜ぶ親としての感情と云って良いであろう。その声を掛けてきたのは父であり天皇である桐壺帝なのである。しかもその人を裏切っているのである。この為に光源氏の感情も揺れ動く。そして思わず涙が零れることになる。どんな涙であろうか。
その場に居たたまれなくなった光源氏は宮中から逃げるように二条院に帰る。
二条院に着いた光源氏は藤壺に歌を送ったりするが、彼の心は鎮まらず、紫の上のいる西の対に渡る。
朗読⑪ 出かける光源氏に抗議をしている紫の上であるが、一緒に合奏をしていると昔のように戻っていく。
つくづくと臥したるにも、やる方なき心地すれば、例の、慰めには、西の対にぞ渡のたまふ。しどけなくふくだみたまへる鬢ぐき、あざれたる袿姿にて、笛をなつかしう吹きすさびつつ、のぞきたまへれば、女君、ありつる花の露にぬれたる心地して添ひ臥したまへるさま、うつくしうらうたげなり。愛敬こぼるるやうにて、おはしながらとくも渡りたまはぬ、なま恨めしかりければ、例ならず背きたまへるなるべし。
解説
紫の上はそこにいるが今までとは一寸違う。どこが違うのか。待ちかねた光源氏が二条院に帰ってきてくれたが、なぜすぐに私の所に来てくれなかったのかと背を向けている紫の上。今までだったら、どうして早く西の対に来てくれなかったの といったのに、所が今日は何も言わず臥して、その事で光源氏に抗議をするかのようである。これは初めての事である。
その事を思うと、紫の上はもう少女という存在ではないのであろうか。
それと足並みを揃えて変化があった。これまで彼女は姫君と呼ばれて来たが、今は女君となっている。一人前の女性として光源氏の妻であるかの印象である。このまま大人の女性として描かれていくのであろうか。違うようである。
光源氏は琴を取り寄せて、紫の上に「さあ弾きなさい」という。自分は笛を取り出して二人の合奏である。それが終わると今度は絵を見せて一緒に楽しんでいる。そんなことをしている中に、紫の上の心は自然に慰められていつもと同じ様に打ち解けていく。兄と妹、父と娘の関係に戻っていく。
しかしそんな関係も変化していく。
朗読⑫ 光源氏が出掛けようとすると、紫の上は心細くなってふさぎ込んでしまう。
大殿油まゐりて、絵どもなど御覧ずるに、出でたまふべしとありつれば、人々声つくりきこえて、「雨降りはべりぬべし」など言ふに、姫君、例の、心細くて屈したまへり。絵も見さして、うつぶしておはすれば、いとらうたくて、御髪のいとめでたくこぼれかかりたるをかき撫でて、「ほかなるほどは恋しくやある」とのたまへば、うなづきたまふ。
解説
光源氏に背を向けて抗議をするかのような態度をしていた彼女は、もう女君と呼ばれていた。その紫の上に光源氏は寄り添ってやり、二人で合奏を楽しみ絵を眺めている。そんなことをしている間に、いつもの呼ばれ方、姫君に戻っている。
紫の上を姫君と読んだり、女君と読んだりまたもう一度姫君に戻したりして、少女と大人の間を行きつ戻りつしながら紫の上は成長していく様を、呼び方で巧みに描いている。
夜が近付いてきた。従者たちが「雨降りはべりぬべし」など言ふに、今晩は雨が降りそうだ と言い始める。とこかにお出掛けになるのなら今ですよ と言った催促なのである。濡れるのは嫌なので早く出かけましょうと言うのである。紫の上はそうした声で、また光源氏が出掛けるのだと思って、心細くて屈したまへり。心細くなってふさぎ込んでしまう。絵を見るのも止めてうつ伏せになってしまう。光源氏はこういう紫の上が、いとらうたくて、 とても可愛らしくて という意味。
御髪のいとめでたくこぼれかかりたるをかき撫でて、
御髪 のふさふさと零れかかっているのを掻き撫でて。最初に出合ったシ-ンの髪の状態から、ふさふさと成長した姿が描かれている。
「ほかなるほどは恋しくやある」とのたまへば、「私がいないと悲しいのかと」と尋ねると、うなづきたまふ。
つられて光源氏もこんな風に言う。我も、一日見たてまつらぬはいと苦しうこそ 私も会わない日が一日でもあると苦しい位だよ。言葉を掛けて慰めていると、紫の上はこんな振舞いを見せる。
朗読⑬ 話している内に膝で寝込んでしまった。一緒に食事をしたが、こんないじらしい人を
置いて出かけられるものでないと思わずにはいられない。
こまごまと語らひきこえたまへば、さすがに恥ずかしうてともかくも答へきこえたまはず。やがて御膝によりかかりて寝入りたまひぬれば、いと心苦しうて、「今宵は出でずなりぬ」とのたまへば、みな立ちて、御膳などこなたにまゐらせたり。
姫君起こしたてまつりたまひて、「出でずなりぬ」と聞こえたまへば、慰みて起きたまへり。もろともに物などまゐる。いとはかなげにすさびて、「さらば寝たまひねかし」とあやふげに思ひたまへれば、かかるを見棄てては、いみじき道なりとも、おもむきがたくおぼえたまふ。
解説
光源氏の優しい言葉を聞いている間に、いつの間にか光源氏の膝で眠り込んでしまう。暫く考えて居た光源氏は女房達にこう伝える。「今宵は出でずなりぬ」今日は出かけるのはやめにしよう。すると紫の上は嬉しくなって一緒に食事をする。姫君は少し箸をつけて、「ではおやすみなさい」とまだ安心できない面もちでいるのが一丁前でおかしい。
全く可愛らしい紫の上の姿が描かれている。緊張と緩急の場面が巧みに交互に組み合わされた 紅葉賀の巻 である。
光源氏と藤壺の関係は緊張の連続である。そして紫の上と光源氏の関係はそれと対照的にほっとできる会話の世界。
紅葉賀の巻が終わって、次は花宴の巻 である。
「コメント」
大変なことを抱えているのにお気楽な光源氏。