250713⑮ 須磨の巻(2)
光源氏は都の人に別れを告げ、須磨に旅立った。それは3月末。旧暦なので春の終わりである。光源氏は船旅で須磨に降り立つ。彼が過ごすことになる住まいはこんな風であると書かれている。
朗読① 荘園の役人を呼んで、家の手入れ。 この地の国守も色々と協力するが、光源氏は
この先どうなるかと案じる。
おはすべき所は、行平の中納言の藻塩たれつつわびける家居ちかきわたりなり。海づらはやや入りて、あはれにすごげなる山中なり。垣のさまよりはじめてめづらかに見たまふ。茅屋も、葦ふれる廊めく屋などをかしうしつらひなしたり。所につけたる御住まい、様変りて、かかるをのならずはをかしうもありなましと、昔の御心のすさび思し出づ。近き所どころの御庄の司召して、さるべきことどもなど、良清朝臣、親しき家司にて、仰せ行ふもあはれなり。時の間に、いと見どころありてしなつせたまふ。水深う遣りなし、植木どもなどして、今は鎮まりたまふ心地現ならず。国守も親しき殿人なれば、忍びて心寄せ仕うまつる。かかる旅所ともなう人騒がしけれども、はかばかしうものをものたまひあはすべき人しなければ、知らぬ国の心地していと埋れいたく、いかで年月を過ぐさましと思しやらる。
解説
今の文章に行平の中納言 とあったのは、在原業平の兄である。古今和歌集に
わくらばに とふ人あらば すまの浦に もしほたれつつ わぶとこたへよ
とあるので、須磨滞在があった様である。光源氏の住居は、その行平がわび住いにした辺りで、須磨の浦と言っても海から離れて山中に構えられた。茅屋 とか 葦ふれる廊めく屋 とあったように、そんな粗末な屋敷で、都の御殿と比べようのない住まいである。光源氏の目には、そんな屋敷も めづらかに見たまふ。 珍しく感じたとある。
光源氏に付き従った家来たちも僅かであったが、その中の一人 良清朝臣 が、ここでは活躍する。近くの御庄 荘園の者どもに命じて、色々に言いつけ取り仕切っているのも感に絶えない事である。水を引いたり植木を植えたり、光源氏が住むのに見苦しくない程度に整備した。
この地の国守も光源氏に縁がある者だったので、内々で味方をして奉仕する。仮の住まいではあるが、色々と人の出入りがあり騒がしいが、相談相手になるような人はいないので、これからどうしようと前途が案じられる。
季節は夏に入り五月雨の頃になる。
朗読② 長雨の頃になると京の事が案じられる。女君(紫の上)、春宮、若君(夕霧)の事を思いやられる。
やうやう事鎮まりゆくに、長雨のころになりて、京の事も思しやらるるに、恋しき人多く、女君の思したりしさま、春宮の御事、若君の何心もなくたまひしなどをはじめ、ここかしこ思ひやりきこえたまふ。
解説
光源氏はこれまで自分の事で精一杯で、忘れていた都の人々の事が自然と懐かしく思い起こされる。彼の胸に浮かんだのはどんな人々であったか。女君の思したりしさま、春宮の御事、若君の何心もなくたまひしなどをはじめ、となった。
先ず初めに思い浮かんだのは、女君(紫の上) の事である。そして我が子 春宮、また今は左大臣家で大きくなっている、葵の上との間に出来た子、夕霧。
ここで平安貴族の常識について話す。この時代、子供の養育に深く関ったのは母方の一族であったから、この子・夕霧は母親・葵上の実家左大臣家で養育されているが、その子が今どうしているかと案じている。こうして見ると、光源氏が一番心配しているのは、実家との縁が希薄で、光源氏以外頼るべき人がいない、天涯孤独な紫の上、そして二人の子供たちなのである。その後に藤壺や朧月夜の事を思って歌を作ったりしているが、彼女たちは中宮であり、尚侍の君であり、そして大人である、その前に寄る辺のない紫の上や、幼い子供たちの事を思いやっているのである。
案じている紫の上はどんな日々を過ごしているのであろうか。
朗読③ 二条院の女君(紫の上)は、別れを悲しんで起き上がることも出来ない。僧都に頼んで
祈祷をして貰う。
二条院の君は、そのままに起きも上がりたまはず、尽きせぬさまに思しこがるれば、さぶらふ人々もこしらへわびつつ心細う思ひあへり。もてならしたまひし御調度ども、弾きならしたまひし御琴、脱ぎ捨てたまへる御衣の匂ひなどにつけても、今はと世に亡からむ人のやうにのみ思したれば、かつはゆゆしうて、少納言は、僧都に御祈祷のことなど聞こゆ。
二方に御修法などせさせたまふ。かつは、かく思し嘆く御心しづめたまひて、思ひなき世にあらせたてまつりたまへ、と心苦しきままに祈り申したまふ。
解説
今の場面で紫の上が 二条院の君 と呼ばれている。光源氏は紫の上に二条院を託した。二条院の君とは、二条院の主人が彼女であるかのような印象を与える呼び方であるが、その紫の上は光源氏のいない二条院で、光源氏を思って起き上がることも出来ず伏している。お付きの女房達も、声の掛けようもない位だとあった。光源氏の愛用の品々、脱ぎ捨てた衣類に手を触れたり、その着物に残る香り、そうしたものに接するにつけ懐かしさが募る。今の場面の少し後には、
出で入りたまひし方 つまり光源氏が出入りしていた辺りや、 寄りゐたまひし真木柱 、光源氏が良くもたれかかっていた柱。そんなものを目にするだけで胸が一杯になってしまうとも描かれている。
二条院にはここかしこに光源氏の面影が一杯で、語り手も紫の上こんな風に批評している。
馴れ睦びきこえ、父母にもなりて生ほし立てならはしたまへれば、恋しう思ひきこえたまへることわりなり。
光源氏という人はある時は父親、またある時は母となって、ここまで慈しみ育ててきたので、恋しくお慕いしているのも無理からぬことであると、語り手は言う。当然紫の上は涙の毎日を過ごしていると想像されるが、紫式部の書いたように正確に読むと、この辺りの場面で紫の上は涙を流していない。ここまでの間に泣いて涙が枯れ果てたということなのか、既に二条院の君と呼ばれた紫の上は、女主として涙を見せないで気丈に振る舞っているのか。作者は紫の上に安直な涙を流させていないことによって、読者の想像力を刺激しているのである。そんな紫の上を案じて見つめているのは誰であろうか。それは少納言・乳母である。若紫の巻の北山で、光源氏が初めて紫の上に出合って以来、紫の上に付き従っている女性である。若紫の巻を扱った際にも、乳母というのはこの時代、実の母親以上の絆で結ばれていると言ったが、母親代わりと言ってもいい少納言は、紫の上を案じて紫の上の数少ない血縁・北山の僧都に祈りを捧げるようにお願いしている。僧都は紫の上の祖母の姉弟である。先程朗読した文章に、二方に御修法などせさせたまふ とあったように、二つの事を仏にお願いをする。一つは当然光源氏の安泰、もう一つは紫の上の事である。つまり光源氏が無事に都に帰ってきてくれることと、紫の上の幸せである。乳母は自分でも、
思ひなき世にあらせたてまつりたまへ、と心苦しきままに祈り申したまふ。
ご安心な世の中にさせて上げて下さいませと、紫の上が御いたわしいのでと密かにお祈りをする。
その姿は本当の母親のようである。
次に物語が描くのは藤壺である。
朗読④ 今の藤壺の心境を綴られている。必ずしも光源氏に冷たい訳ではなかった。ひとえに
春宮の為である。
入道の宮にも、春宮の御事により、思し嘆くさまいとさらなり。御宿世のほどを思すには、いかが浅く思されん。年ごろは、ただもの聞こえなどのつましさに、すこし情けある気色見せば、それにつけて人の咎め出づることもこそとのみ、ひとへに思し忍びつつ、あはれをも御覧じすぐし、すくすくしうもてなしたまひしを、かばかりにうき世の人言なれど、かけても此の方には言ひ出づることなくてやみぬるばかりの人の御おもむけも、あながちなりし心のひく方にまかせず、かつはめやすくもて隠しつるぞかし,あはれに恋しうもいかが思し出でざらむ。
解説
今の文章に書かれていたのはおおよそこんな事である。藤壺は光源氏のことも心配ではあるが、宮中で孤立している春宮が、光源氏という後見役を失って今後どうなってしまうのだろう。右大臣家の勢力に吞み込まれてしまうことになりはしないか、などと悩むのである。それと同時に読者は ああやっぱり と言ったことも、後半に書かれている。
講義をしている時に時々質問がある。「源氏物語」を読んでいると、光源氏が藤壺を愛したことは分かるが、反対に藤壺が光源氏を愛していることは余り書かれていない。相思相愛ではないのではないか。しかしそんな単純なものではないことが今の場面でよく分かる。つまりこう書かれている。これまで藤壺は長きにわたってこう考えてきた。光源氏に対して少しでも情け、思い遣り、愛情を少しでも見せてしまったら、それにつけて人の咎め出づることもこそとのみ、
それを目ざとい人があれ、これはおかしい、ひょっとすると藤壺と光源氏の間には何かあるのでは とやがて評判になって、噂が広まりでもしたらと藤壺は不安に思っている。部壺は一番に すくすくしうもてなしたまひしを、 光源氏の思いが表に現れないように注意に注意を重ね、光源氏からの情けを見て見ぬ振り、まるで分からない顔をして毅然と振る舞うようにしてきたということである。そのような努力の甲斐もあって、そんな評判はどこにもない。誰の御蔭かというと、自分自身が努力したのは勿論、光源氏も又 かつはめやすくもて隠しあはれに恋しうもいかが思し出でざらむ。つるぞかし ここ一番の時に、秘めた思いが世間の人に気付かれぬようにちゃんと抑えてくれて、そればかりか都を離れるという決断までしてくれた。そのお御蔭で、無事に日々を過ごすことが出来ている。そう思うと改めて光源氏の事があはれに恋しうもいかが思し出でざらむ。この辺りを意訳する。
都と須磨、こうして離れてみると光源氏に対して、有難たかった、恋しい事と思われてならないとある。ここは藤壺が光源氏に恋しいという言葉を使う見過ごすことのできない場面である。やはり藤壺は光源氏の事を恋しく思っていることが分かる。
さて朧月夜は,あの一件以来どうしているのだろうか。こんな風に書かれている。
朗読⑤ 笑い者になっていたが右大臣が色々取りなして、参内できるようになった。そして
光源氏の事を忘れられないのである。
尚侍の君は、人笑へにいみじう思しくづほるるを、大臣いとかなしうしたまふ君にて、切に宮にも内裏にも奏したまひければ、限りある女御、御息所にもおはせず、公ざまの宮仕と思しなほり、またかの憎かりしゆゑこそ厳しきことも出で来しか、赦されたまひて、参りたまふべきにつけても、なほ心にしみにし方ぞあはれにおぼえたまひける。
解説
宮仕 という言葉が出てきた。結局朧月夜は朱雀帝のもとに出仕することになった。父親の右大臣が可愛い娘の事だから、弘徽殿の女御の許しを得てそうしたのである。勿論ここは彼女が 尚侍の君 という立場が大きく関わっている。
正式な帝の后の立場であったら、入内前に他の男と通じていたというのは、スキャンダルで許されることではない。しかし彼女はそうではなく、あくまで彼女は 尚侍の君 として、参内するのだという理屈である。尚侍の君 というのは、一寸特殊な立場にいる女性であることは既に説明した。表向きは帝の側近、女性官僚でありながら、寵愛を受ける存在でもある。それが許されたのは朱雀帝がどうしても、朧月夜を忘れられないということであった。
朧月夜の心の中には、光源氏への思いが焼き付いて離れない。その事が分かっていて、朱雀帝は朧月夜を参内させたのである。その辺りの心の機微が物語にはこんな風に書かれている。
朗読⑥ 七月に参内する。帝は陰口も気にせず傍に侍らせられる。しかし彼女の思いは
光源氏にある。
七月になりて参りたまふ。いみじかりし御思ひのなごりなれば、人の謗りも知ろしめされず、例の上につとさぶらはせたまひて、よろづに恨みかつはあはれに契らせたまふ、御さま容貌もいとなまめかしうきよらなれど、思ひ出づることのみ多かる心の中ぞかたじけなき。
解説
前の文章に 心にしみにし方ぞ 心に沁みついて消えない御方 というのは言うまでもなく光源氏の事である。そんな朧月夜が七月に宮中に参内してくると、朱雀帝は つとさぶらはせたまひて、 周りからどういわれようと惚れた弱みであはれに契らせたまふ、 とも書いてある。あなたの事を思っているよということである。それに対して朧月夜も、帝の心が寛大で優しいのは身に染みて分かる。しかし
そのお顔は 御さま容貌もいとなまめかしうきよらなれど、
帝のご様子は優雅で美しいのは言うまでもない。しかし彼女の心は 思ひ出づることのみ多かる心の中ぞかたじけなき。
思い出すのは光源氏の事ばかりである自分を顧みて、申し訳なく思うがどうしようもない。
朱雀帝はそうした朧月夜を責めようとはしない。心優しい人である。そんな朱雀帝はこんなことを考えて居る。
朗読⑦ 管弦の遊びの折に帝は、あの人(光源氏の事)がいないと物足りない、亡き院の
お言葉に背いていると仰る。
御遊びのついでに、「その人のなきこそいとさうざうしけれ。いかにましてさ思う人多からむ。何ごとも光なき心地するかな。」とのたまはせて、「院の思しのたまはせし御心を違へつるかな。罪得らむかし。」とて涙ぐませたまふに、え念じたまはず。
解説
院の思しのたまはせし御心を違へつるかな。
亡き院が死の床で、私が亡くなったら春宮の事を宜しく頼むぞ。そなたが光源氏の身の上を護ってやれと心配しておられた。それが何たることか。光源氏は今は都におらず、今の世はむしろ亡き院が危惧した方に向かっている。自分自身が要所要所を押さえ、愁いを抱く人のいないように隅々に目を光らせることが出来ているかというと、それには程遠い。
朱雀帝自身はこんな風にもらす。
朗読⑧ 子供が生まれないのは残念だ。また 春宮 に不都合な事が起きているのは気がか
りだ。
帝の威光に背く人がいるので、今は後見役の光源氏の事が思い出される。
「今まで御子たちのなきこそさうざうしけれ、春宮を院ののたまはせしさまに思へど、よからぬことども出で来めれば心苦しう」など、世を御心のほかにまつりごちなしたまふ人のあるに、若き御心の強きところなきほどにて、いとほしとおぼしたることも多かり。
解説
天皇親政という言葉があるが、天皇自ら政治を行う事。そんなことが全く出来ていなくて、帝自身の思いとは別に、まつりごちなしたまふ人のあるに、 これらの人々がほしいままに政治を操っている。
それは自分の母の弘徽殿の女御であり、その父の右大臣であり、今の状況が望ましものでないことは分かっている。しかし、そうした人たちに何も言えない自分。朱雀帝という人は今の文章にも書かれていた 若き御心の強きところなきほどにて 若くて勉強不足の上にお優しいことにより、言うべきことを強く示すことが出来ない御方なのである。それが朧月夜という人を大目に見てしまう事になる位の事なら良いのだが、政治に対しても同様ということになると話が違ってくる。光源氏が都を去り、左大臣も引退状況の今、朝廷はこんな状態であった。
さて都がこんな状態であることを、光源氏は当然知らない。人気のないこの須磨の浦で、彼はどのように毎日を過ごしていたかというと、先ずは仏道修行だった。若くして肉親と死別を重ねた彼はその事の影響もあったのか、彼は若くから仏道に深い関心を寄せていた。しかしながら都にあっては、本格的な修行は出来なかった。また紅葉の賀の巻、花の宴の巻の絶頂期にあって、周囲からもチヤホヤされていた彼が、無常を説く仏道にどこまで深い理解を持つことが出来たであろうか。しかし今は違う。二条院を後にする際にも、我が家を訪れる人のまるでないことに、世の儚さを身に滲みて感じるようになった光源氏。時間は無限にある。弘徽殿の女御や右大臣家の人々に睨まれるのを恐れて、
こんな時に須磨まで彼を訪れようと思うような物好きな人々もいないので、彼は自ずと自ら今までしたくとも出来なかった仏道修行に打ち込む。
同時に彼が熱心に取り組んだのが画を描くことであった。それはこんな風に語られる。
朗読⑨ 綾などに絵を描き屏風にする。海山のありさまも上手に描く。
めづらしきさまなる唐の綾などにさまざまの絵どもを書きすさびたまへる、屏風の面どもなど、いとめでたく見どころあり。人々の語りきこえし海山のありさまを、はるかに思しやりしを、御目に近くては、げに及ばぬ磯のたたずまひ、二なく書き集めたまへり。
解説
生まれ育った平安京とはまるで違う須磨の風景。彼は海山の風景を熱心に描く。こうして夏が過ぎ、秋が訪れ、厳しい冬を越し、この須磨にも春が巡ってきた。光源氏も少ない家来たちも須磨で新年を迎える。光源氏が植えた若木の桜が花を付ける。その花を愛でながら光源氏の心の内は複雑である。数年前にこんなに頼りない桜の花ではなくて、宮中の紫宸殿で帝のもと花の宴が催され、その見事な桜を愛でたのは昨年の事のように思われる。その時に朱雀帝は私の作った漢詩を大層気に入られた。人々は私の一挙手一投足に注目し、宴の花を褒め称えた。あの時の私は本当の私だったのだろうか。全てが夢の中の出来事であったような気がする。いくら仏道修行が捗っても、裏の山で柴をたく煙を目にして、ああこんなものは都にいた生涯目にすることはなかったかも知れないと思う。筆を取って絵を描こうとしても、こんな時間が永遠に続くとしたらと思うと、思わず涙が流れる。そんな須磨の日常であるが、そんな彼の所に訪れる人がいる。
弘徽殿の女御たちの目を恐れて、人々の便りも途絶え勝ち、そんな中でも世間の聞こえを気にしないでやってきてくれる人は、左大臣の息子の三位の中将、元の頭中将である。彼は都でそれなりの昇進をして今では三位の中将になっているが、彼が須磨までやってきてくれた。光源氏の永遠のライバル、気骨のある人、何と友情のある人物であることか。
失意の時の友こそ、真の友とか。まさかの時の友こそ真の友。今の頭中将はそう言う人であった。一年振りの再会に光源氏は思わず涙する。これは名場面であるし作者の超越技巧も素晴らしいが、時間の関係で省略する。
その内容は講師が説明。頭中将との再会にくつろぎ、次のような歌を作る。
朗読⑩ 光源氏の歌
雲ちかく 飛びかふ鶴も そらに見よ われは春日の くもりなき身ぞ
解説
空飛ぶ鶴よ 我が心には一片の曇りもない。悪いことはなにもしていないのにかかわらず、何故だろうこの身は。
この歌を聞いて頭中将は都に帰って行った。再び静寂を取り戻した須磨のわび住まいであるが、
そうした光源氏に三月が又やって来た。光源氏が都を離れて一年。この地の暮らしは何時まで続くのであろうか。
光源氏は周囲の人に促されて、浜辺でお祓いを行う。平安時代には三月の丑の日に水辺で祓を行う。光源氏は浜辺に出て天に向かって叫ぶかのように詠った。
朗読⑪
八百よろづ 神もあはれと 思ふらむ 犯せる罪の それとなければ
解説
私には犯した罪もないにも関わらず、こんな辺境の地で辛い目を見ることになった。それを神は哀れんでくださってであろう。内容としては、先に頭中将の前で歌った
雲ちかく 飛びかふ鶴も そらに見よ われは春日の くもりなき身ぞ
と重なる。しかし今回は歌いかけた相手が違う。八百万の神に向かって呼びかけた光源氏は、天地神明に誓って、犯せる罪のない人なのか。彼は藤壺との間に不義を犯した。その結果生まれたのが今の春宮である。
それは罪ではないのか。友人の頭中将はこんなことは何も知らないので、彼に向かって言うのはまだ良いのかも知れないが、天に八百万の神に向かって、罪を犯していないのに何でこんな目にあうのかと訴えるが如き、この歌には違和感を感じる。光源氏はそんなことを神に向かって言って良いのか。その瞬間である。一天俄かにかき曇り、うち掛ける大雨、海は逆巻き、光源氏はほうほうの態で屋敷に辿り着く。高潮まで襲ってきた。その天変地異は、八百万の神が光源氏に対して、御前は何を言うか、犯した罪があるではないかと怒りを示したのである。天罰である。
その夜、彼はこんな夢を見る。
朗読⑫ 眠っていると何者かがやってきて、光源氏は呼ばれているのになぜ来ないのかと探し
ている。竜王が呼んでいるのかと思い、気味悪くなる。
君もいささか寝入りたまへれば、そのさまとも看ぬ人来て、「など、宮より召しあるには参りたまはぬ」とて、たどり歩くと見るに、おどろきて、さは海の中の竜王の、いといたうものめでするものにて、見入れたるなりけりと思すに、いとものむつかしう、この住まひたへがたく思しなりぬ。
解説
この天変地異は、海の竜王が私を見込んで海に引きずり込もうとしているのか。怪しいものが夢に出てくるので光源氏はそう思った。その夢は正しいのだろうか。全ては謎のままこの巻は閉じられ、次の巻では、光源氏の前に思いもかけなかったものが姿を現す。謎を残したまま、須磨の巻は閉じられた。
「コメント」
急展開である。ただ華やかな平安貴族の描写だけではない。犯した罪の問題である。極めて興味深い。