250720⑯ 明石の巻(1)
今日から明石の巻に入るが内容としては、前回の続きである。光源氏はその後も又、須磨の地で暴風雨や雷に悩まされている。全てが収まる気配がないというより、その勢いは勝っているようである。オロオロする家来たちに対して、落ちつき払っていた光源氏も、流石に心が挫けそうになる。先日の夢に見たあの怪しげなものは、今も変わらず夢に現れて脅かす。やはり天が光源氏に対して怒りを示しているのだろうか。或いは光源氏が考えていたように、海に住む怪しげなものが、光源氏の美しさを愛でて、彼を海中に引き摺りこもうとしているのであろうか。いずれにせよ光源氏の運命もこれまでという展開であったが、そんな中、あれっと思わせる出来事があった。都の二条院の紫の上から便りの者が、光源氏のもとにやって来た。光源氏が今、暴風雨に難儀していることを、二条院の紫の上は知っているのだろうか。光源氏から紫の上へは何も知らせていない。やって来た使は、持ってきた便りを光源氏に届け、併せてこんなことを話す。
朗読① 都の紫の上からの手紙と歌が届いた。都でも雨が降り続いています、私の袖も涙で
乾く暇もありません。
二条院よりぞ、あながちに、怪しき姿にてそぼち参れる。道交ひにてだに、人が何ぞとだに御覧じわくべくもあらず、まづ追ひ払ひつべき男の賤の男の睦ましうあはれに思さるるも、我ながらかたじけなく屈しにける心のほど思ひ知らる。御文に、「あさましう小止みなき頃のけしきに、いとど空さへ閉づる心地して、ながめやる方なくならむ。
浦風や いかに吹くらむ 思ひやる 袖うちぬらし 波間なきころ
あはれに悲しきことども書き集めたまへり。
解説
ここで新しい事実が光源氏にも我々読者にも知らされる。須磨の地に吹き荒れる暴風雨は、都にも猛威を奮っている。いや話を聞くと都の方がひどいようでもある。今の文章の続きには、夏も近いというのに雹などと言うものが降り、雷が静まらないとある。天変地異は都にも起こっていたのである。と言うと天は、光源氏が藤壺との不義を働いたからといって、怒りを示し罰を与えるべく暴風雨を光源氏に齎し、懲らしめようとしている訳ではなさそうである。もし光源氏に一人に対する罰ならば、須磨にだけに起きるはずだから。須磨だけではなくて世の中全体に天変地異が起きている。
これはどういう事を意味しているのであろうか。しかし、だからと言って雨風が弱まる訳ではなく、いよいよ激しさを増し、遂に雷が屋敷に落ちて廊下が焼け落ちた。家来たちはせめて光源氏だけは守りたいと神仏に祈る。遂に雨風が漸く弱くなって来た。これまで光源氏達は生きた心地がしなかった。
疲れて眠りに落ち、光源氏は夢を見た。思いもかけないものが夢枕に立った。
朗読② 疲れて寄りかかってウトウトしていると、亡き院が「どうしてこんな見苦しい所に
いるのか」と、手を取られる。
終日にいりもみつる雷の騒ぎに、さこそいへ、いたう困じたまひにければ、心にもあらずうちまどろみたまふ。かたじけなき御座所なれば、ただ寄りゐたまへるに、故院ただおはしまししさまながら立ちたまひて、「などかあやしき所にはものするぞ」とて、御手を取りて引き立てたまふ。
解説
夢に現れたのは光源氏の父・亡き桐壺院であった。桐壺院はこの世の人ではない、超越的存在である。故に院は色々な事を知っている。人々をあの世から見通しているのである。そうした桐壺院が光源氏に申し伝えることがあるとしたら、恐らく藤壺の事である。生前は全く知らなかったことだけど、
よくも私を欺いていたな。我が息子の裏切りに、桐壺院は叱責し咎めるべく光源氏の夢に現れたのであろうか。この一連の嵐もその現れであったのか。遂に光源氏は桐壺院から怒りの裁きを受けることになるのであろうか。
しかし実際の物語の展開は予想を裏切るものとなった。こんな展開となる。
朗読③ 光源氏に院は、「すぐここを去れ。この嵐はお前には些細な罪の報いだ」と。そして
内裏に用があると立ち去る。
「住吉の神の導きたまふままに、はや舟出してこの浦を去りね」とのたまはす。いとうれしくて、「かしこき御影に別れたてまつりにしこなた、さまざま悲しきことのみ多くはべれば、今はこの渚に身をや棄てはべりなまし」と聞こえたまへば、 「いとあるまじきこと。これはただいささかなる物の報いなり。我は位に在りし時、過つことなかりしかど、おのづから犯しありければ、その罪を終ふるほど暇なくて、この世をかヘリみざりつれど、いみじき愁へに沈むを見るにたへがたくて、
海に入り、渚に上り、いたく困じにたれど、かかるついでに内裏に奏すべきことあるによりなむ急ぎ上りぬる」とて立ち去りたまひぬ。
解説
この場面にはどんなことが書いてあるのだろう。今の文章の後半で、桐壺院は怒っていた。しかし彼が怒っていたのは、光源氏が藤壺との間に不義を犯したことではなかった。桐壺院はその事には一言も触れていない。光源氏に対して厳しい姿勢を示したのは、目の前の光源氏が父桐壺院の姿を見た途端、今までの気丈さが腰砕けして、もう父君の所に連れて行って頂きたいと願ったからであると書かれている。全てを投げだして死を望んだその事について、何と弱気な と桐壺院は不満の表情を露わにして、更に言葉を重ねる。今回の一連の出来事は大したことではない。御前が気に病むことではない。ただいささかなる物の報いなり。「一寸した罪の報いで、弱気になってはいけない。さあこんな所にいつまでいないで、住吉の神の導きでこの須磨を去るがよい。」それが桐壺院のメッセ-ジであった。
藤壺との件はどうなったのかと首を傾げたくなるが、当の本人が ただいささかなる物の報いなり。 と断言しているので、そうなのであろう。読者には色々と疑問が残るので、作者は桐壺院にこの様に語らせている。
いみじき愁へに沈むを見るにたへがたくて、海に入り、渚に上り、いたく困じにたれど、かかるついでに内裏に奏すべきことあるによりなむ
お前が大層な難儀に苦しんでいるのを見ると、見るに忍びず、海に入り渚に上りここに来た。とても疲れたが、内裏に行き帝に申し上げることがあり行かねばならない。
桐壺院は光源氏の手を取って立ち上がらせる。その姿は不義を咎めるどころか、光源氏を愛でて励まし、常に寄り添ってきた、光源氏を愛してやまない生前の父親と何も変わっていない。同時に今の一連の暴風雨・天変地異の本当の原因が何処にあったか考える重要なヒントであった。
かかるついでに内裏に奏すべきことあるによりなむ急ぎ上りぬる
と桐壺院は語っていた。事実、桐壺院は都に駆け上り、朱雀帝の前に現れる。その様子は次のようであった。
朗読④ 朱雀帝の夢に機嫌の悪い桐壺院が現れ、睨まれる。源氏の君のことも含め色々な事
を仰った。
その年、朝廷に物のさとししきりて、もの騒がしき多かり。三月十三日、雷鳴りひらめき雨風騒がしき夜、帝の御夢に、院の帝、御前の御階の下に立たせたまひて、御気色いとあしうて睨みきこえさせたまひふを、かしこまりておはします。聞こえさせたまふことども多かり。源氏の御事なりけんかし。
解説
桐壺院の亡霊は、須磨の浦でくじけそうになっていた光源氏を強く励ました後、宮中に現れ朱雀帝無言で睨みつけた。憤怒の表情である。久し振りに父に対面した朱雀帝は かしこまりておはします
恐縮して身を縮めていた所からもそう分かるが、物語の語り手はこんな風に言う。
亡き院と今上帝との間のお話なので畏れ多くて、その内容については忖度するしかないが、その日のお話は専ら政治の状況についての話、殊に光源氏が須磨の地で苦しんでいることについてのお叱りとご意見があったのだろう。ここまで来て物事の輪郭がかなり明らかになってきたと思うが、この須磨の地の嵐の意味をもっと明確にしっかり理解するために、ここで多くの人は聞き慣れないであろう、天人相関思想ということについて説明する。
どういう意味かというと、人の世に良い政治が行われている時、天はそれを寿いで順調な季節の移り変わりを齎してくれる。その事によって、政治が人の世の営みが良く行われていることを寿いでくれるのである。しかし政治や人々の行いが乱れていると、天は天変地異や気候変動によってそうした世の乱れに警告を発する。それが天人相関思想という考え方である。
物語で一番の鍵となる場面に、この考え方が深く関わっている。ここでの天人相関思想を踏まえると、須磨の巻以降の天変地異、暴風雨の原因はどこにあったのか。その本質が明るみになって来る。都の紫の上からの手紙には、一連の暴風雨、雷は須磨の浦だけではなく、都に発生していることが書かれている。つまり世の中全般に天変地異が起きているのである。それは今の為政者の政治が正しい物でないことを示し、それをあるべきものに戻すように天が発した警告だったのである。まさに天人相関思想である。にも関わらず朱雀帝はその事に気付かない。というよりは敢えて目を背けようとしている。というのもその取り巻き達、母の弘徽殿の女御をはじめとした人々の考えもある。そこでついに亡き桐壺院の霊の登場となる。桐壺院は厳しい口調で言ったであろう。今の政治は間違っている。あれだけ私が遺言して託し、御前も必ずその事を護ると誓ったあの事、特に光源氏の身に危険が及ぶようなことが起きないようにと。あの約束はどうなったのかと。
その日以来朱雀帝は目を患うことになる。これでは政治を摂ることも出来ない。それから弘徽殿の女御も病に伏せって、今は太政大臣になった元の右大臣に至っては亡くなってしまった。矢継ぎ早に
状況が語られる。
朗読⑤ 帝は院に睨まれた目が悪くなる。元の右大臣、太政大臣は亡くなる。弘徽殿の女御の
体調も悪くなる。
睨みたまひしに見合はせたまふと見しけにや、御目にわづらひたまひてたへがたう悩みたまふ。御つつしみ、内裏にも宮にもかぎりなくせさせたまふ。
太政大臣亡せたまひぬ。理の御齢なれど、次々におのづから騒がしきことあるに、大宮もそこはかとなうわづらひたまひて、ほど弱りたまふやうなる、内裏に思し嘆くことさまざまなり。
解説
つまり桐壺院と天は、光源氏は悪くない。光源氏の苦しみは、だいささかなる物の報いなり。 一寸した罪の報いで大したことはないと、光源氏を励まし勇気付けする一方で、今の都の政治、その中心である朱雀帝と彼を支える右大臣一派に厳しい叱責を浴びせた訳で、桐壺院に言わせれば悪いのは光源氏ではない。彼を都にいられなくした今の政治、自分の遺言を護らなかった朱雀帝こそが諸悪の根源である。そうした強いメッセ-ジである。これは源氏物語の中でも、とても重要な場面である。光源氏の人生を全体で眺めた時に大きな転機となる事件であるし、またこれまで十分に説明しきれなかったことである。今回は時間をかけて説明しているが、ここまでの展開を改めて整理しながら作者・紫式部の立場に立って、物語の論理を考えてみよう。
私達読者はこんな風に考えていた。即ち光源氏は不義を犯しながらも、須磨の巻の最後で天に対して、犯せる罪のそれとなければ これと言って犯した罪のないのだから と訴えた。それに天が怒りを示して、須磨の地に嵐が吹き荒れたのだという風に。しかしそれはその後に読者の意表を突くように、先ずはそう思わせておいてという紫式部一流のトリックである。物語の仕掛けであったことが、
今回明石の巻を読み進めることで明らかになった。つまりその後にどんでん返しが待っているのである。そのどんでん返しを成功させる為に、作者が物語に久し振りに登場させのが、桐壺院である。
彼の口を通じて光源氏にも聊かの報いを受ける程度の過ちはあったが、但しそれは大したことではない。真に責められるべきは都の乱れた政治。それを司る朱雀帝とそれを取り巻く人々であると、桐壺院に言わせる。その事によって桐壺院の遺言を破り政治を歪めている、そうした朱雀帝と弘徽殿の女御たちに、天が遂に怒りを示した。それが天変地異なのだと、紫式部は私達読者の当初の予想をひっくり返して見せたのである。明石の巻におけるこの桐壺院登場の意味は、とても重いのである。何故なら桐壺院は光源氏によって最愛の藤壺を奪われた当事者、直接の被害者だからである。その当事者に、光源氏は悪くない。悪いのは光源氏を追い出した朱雀帝とその取り巻きたちの連中と証言したのである。
光源氏が夢から覚めてすぐの事である。渚に舟が着いて、2~3人が浜に降り立つ。そして光源氏の屋敷にやってくる。その様はこんな様子であった。
朗読⑥ 浜に小さな舟が着いて、「明石から来ました。源氏の君がいらしたらお目に掛かり
仔細をお話ししたい」と言う。
渚に小さやかなる舟寄せて、人ニ三人ばかり、この旅の御宿をさして来。何人ならむと問へば、「明石よの浦より、前の守新発意の、御舟よそひて参れるなり。源少納言さぶらひたまはば、対面して事の心とり申さん」と言ふ。
解説
私共は明石の浜からやって参りました。前の播磨の守からの使いであります。主人は今は出家者として日々を送っていますが、その主人の言葉を持って参りました。
是非、義清様(光源氏の家来)を通して申し上げたいことがあります。こんな海風が強い中、どうやって船を出したのだろうと思い、光源氏は会うように命じると、そのいう事には・・・。
朗読⑦ 使いの者が言うには入道の夢に、舟でこの浦に漕ぎよせよ とあったので、
参りました。もし心当たりがあれば申し上げて下さいと言う。
去ぬる朔日の夢に、さまことなる物の告げ知らすることはべりしかば、信じがたきことと思うたまへしかど、「「十三日にあらたなるしるし見せむ。舟をよそひ設けて、かならず雨風止まばこの浦に寄せよ」とかねて示すことのはべりしかば、
こころみに舟のよそひを設けて待ちはべりしに、いかめしき雨風、雷のおどろかしはべりつれば、他の朝廷にも、夢を信じて国を助くるたぐひ多うはべりけるを、用ゐさせたまはぬまでも、このいましめの日を過ぐさず、このよしを告げ申しはべらんとて、舟出だしはべりつるに、あやしき風細う吹きて、この浦に着きはべりつること、まことに神のしるべ違はずなん。
ここにも、もし知ろ示すことやはべりつらんとてなむ。いと憚り多くはべれど、このよし申したまへ」と言ふ。
解説
先月三月中旬の事であるが、夢に異形の者が現れて知らせることがあると言ったが、信じられないでいた所、さる三月十三日に確かな験を見せるから、舟を用意して雨風が止んだら須磨の浜に必ず舟をさしむけるようにと更なるお告げがあった。その通りに舟を出すと不思議な風が吹いてこの浜に辿り着いた次第です。はっきりしない所もありますが、こちら様にも何かご存知の方もおありかと思って、こうしてやってきました。ついては光源氏様に舟に乗って頂き、明石の浦にお迎えしたいという。光源氏はそうした話を聞いて、夢で桐壺院から一刻も早くこの浦を去るように言われていたので、舟に乗り込む。光源氏と家来は明石に運ばれる。ここから光源氏の人生は大きく急上昇と好転していく。
須磨と明石はごく近いのに、その風景はまるで違っていた。それはこんな風に描かれている。
朗読⑧ 明石の浜は人の往来が多い。入道は立派な舘を持っており、米の倉も備えている。
光源氏はこの浜辺の谿に落ちついた気分で過ごす。
浜のさま、下にいと心ことなり。人しげうみゆるのみなむ、御願日に背きける。入道の領じめたる所どころ、海のつらにも山隠れにも、時々につけて、興をさかすべき渚の苫屋、行ひをして後の世のことを思ひすましつべき山水のつらに、いかめしき堂を建てて三昧を行ひ、この世の設けに、秋の田の実を刈り収め残りの齢積むべき稲の倉町どもなど、をりをり所につけたる見どころありてし集めたり。高潮に怖ぢて、このごろ、むすめたちなどは岡辺の宿に移して住ませければ、子の浜の館に心やすくおはします。
解説
この播磨の国の前国守は、今の場面でも入道と呼ばれていたように、彼は今出家者なのであるが、その彼には残りの人生を仏道修行して暮らすに十分な貯えがありそれを納めた倉があり、修行を行う立派な仏堂もあって ということが書かれている。須磨に比べると明石は浜の様子も格別で、人の姿も数多くあると書かれている。風光明媚な様も勿論、光源氏に用意された屋敷は手入れが行き届いていて風情があった。入道は都で生まれ育った人であり、父は大臣だったという人だから、そうした入道一家と関わりを持つことで光源氏の人生は一変した。入道が用意してくれた浜辺の館は須磨の粗末な住まいに比べて、快適であり60歳前後のこの老人は、光源氏の色々な事をよく知っている。光源氏も仏道に心寄せているので、共通の話題もあった。そしてこの明石の地で待っていたのは、
入道と彼によって齎された豊かで文化的な生活だけではなかった。明石の入道には娘がいた。
むすめたちなどは岡辺の宿に移して住ませければ とあった。
これまでの「源氏物語」にも入道の話はちらと出ていた。この入道が最初に出てくるのは、若紫の巻である。この巻で光源氏は病気療養の為に北山に行った。その北山で初めて光源氏は、都の外のあちこちを眺めたのである。この時家来の義清から、明石の地にとても風変りの男がいて、播磨国の前の国守でありながら、その任期が終わった後も都に戻らず、その地に土着してしまって、仏道修行に励んでいる毎日とか。彼には幸か不幸か一人の娘がいて、その娘の身の上が心に掛かってどうしても仏道に専念できないという話が語られる。それはこのような物語であった。
朗読⑨ 代々の国守などが結婚の申し込みをするが、特別な娘なのだと承知しない。
私が死んだら娘よ海に入って死んでしまえと言う。「きっと海竜王の后にでもなるの
だろうと」とみんなで笑う。
代々の国の司など、用意ことにして、さる心ばへ見すなれど、さらにうけひかず。『わが身のかくいたづらに沈めるだにあるを、この人ひとりにこそあれ、思ふさまことなり。もし我に後れてその志とげず、この思ひおきつる宿世違はば、海に入りね』と、常に遺しおきてはべるなる」と聞こゆれば、君もをかしと聞きたま。人ひと、「海竜王の后になるべきいつき娘ななり」「心高き苦しや」とて笑ふ。
解説
明石の入道はこんな風に語っていると、義清は光源氏に話す。「私はこうして播磨の国の前国守という身に甘んじているけれども、わが娘よ、良く聞け。我ら一族は元は都の高貴な家柄の末であり、この田舎の身に甘んじている訳にはいかない。必ず都の高貴な方の妻となれ、もしそれが出来ないのであれば私が生きている内はいいが、死んだら後は海に入りなさい と今から遺言しているらしいと、
そんな風変わりな男もこの世に居るんですよ、光源氏様、おかしいでしょう。
義清の口を通じて、そんな変わった男の噂話がなされ、皆さんお笑いくださいと若紫の巻で描いたかとその時は思っていた。その時光源氏はそんな可愛い娘を海竜王の后にするつもりかと一緒に笑っていた。その入道が単なる笑い話ではなく、物語の本筋に関わるような形でこうして再登場してきた。物語の本筋、光源氏の人生にも絡みつくように、この一家の話題が浮上してくる。この後入道及び
その娘がどのように関わってくるのであろうか。
「コメント」
話が前後に飛ぶので原文を探すのに大変。しかしその御蔭で話が大きく膨らむし分かり易く楽しい。前年と合わせて勉強すると理解が大きく前進するし楽しい。