250803 ⑱澪標の巻(1)
前回は光源氏が遂に都に帰って来ることになったけれど、それにつけても気になるのは明石の君の事である。彼女とは光源氏が明石の地に移って半年ほど経った頃に結ばれ、その後一年ほどの時間を共に過ごした。そして同時に気に掛かるのは、彼女が身重の身であること。
先ずは明石の巻の最後の所で、光源氏と明石の君との別れがどのように描かれたか。
朗読① 出発が近くなって光源氏は明石の君を訪ね、京に迎えることを決め、
その事を告げる。明石の君の自分の身の卑しさを悲しく思う。
明後日ばかりになりて、例のやうにいたくも更かさで渡りたまへり。さやかにもまだ見たまはぬ容貌など、いとよしよししう気高きさまして、めざましうもありけるかなと見棄てがたく口惜しう思さる。さるべきさまにて迎へむと思しなりぬ。さやうにぞ語らひ慰めたまふ。男の御容貌ありさまは、さらにも言はず、年ごろの御行ひにいたく面痩せたまへるしも、言ふ方なくめでたき御ありさまにて、心苦しげなる気色にうち涙ぐみつつあはれ深く契りたまへるは、ただかばかりを幸ひにても、などかやまざらむとまでぞ見ゆめれど、めでたきにしも、わが身のほどを思ふも尽きせず。波の声、秋の風にはなほ響きことなり。塩焼く煙かすかにたなびきて、とり集めたる所のさまなり。
解説
一寸驚くべきことが書いてある。光源氏と明石の君二人は既に長い期間共に過ごし、その間には子まで出来た。にも拘らずこれまで光源氏は明石の君をさやかにもまだ見たまはぬ容貌など つまり明石の君の顔形をはっきりと見たことはなかったというのである。平安時代の貴族たちの世界は、現在と何が異なるのだろうか。それにしても少し異常な印象である。恐らくそれは明石の君を「源氏物語」の中でもとりわけ慎み深い女性として、描こうとする作者の意図と思っていいであろう。光源氏に対して常に自分から一線を引いて、男に対して顔を見せるようなことはない。思慮深くつつまし気な
性格の女性として明石の君。当然その裏にあるのは、前回に話した明石の君の身分意識の問題がある。都から離れてやって来た貴族である光源氏と、播磨国の国司の娘としての自分自身の立場の違い。身分の隔たりを常に意識する彼女は、子供まで設けながら、光源氏に対してその顔も姿もあるがままにするようなことはこれまでなかった。そしてそうした彼女の振舞い。都の貴婦人にもひけを取らない女の気高さに接して、光源氏は改めて見棄てがたく思ったと今の文章に書かれていた。光源氏は別れに際して明石の君との関係はこれでおしまいという気はなかった。自分が都に帰った後、さるべきさまにて迎へむと思しなりぬ。 然るべき形で都に迎えようと決意したという意味である。そして光源氏はそれをキチンと言葉にして明石の君にも伝えたことに注意しよう。自らの心積もりを
さやうにぞ語らひ慰めたまふ。とあった通りであるが、そのように優しい心使いを見せ優しく慰めている光源氏の様は、
年ごろの御行ひにいたく面痩せたまへるしも、言ふ方なくめでたき御ありさまにて、
年来の勤行でひどく面やつれしているのが却ってご立派に見えて と明石の君の目にも映ったと
ある。
三年の流離の生活の中で光源氏は忙しい都の日常では出来なかった仏道修行を熱心に行い、面痩せ したように見える。つまりさすがにやつれたように見えるのだが、しかしそれが却って
言ふ方なくめでたき御ありさまにて、
めでたき というのは大変な誉め言葉である。少しやつれた印象を与え、面もちが一段と素晴らしく
そうした光源氏が、
心苦しげなる気色にうち涙ぐみつつあはれ深く契りたまへるは と将来のことを約束してくれている。
ここで明石の君はこう思ったと書かれている。ただかばかりを幸ひにても、などかやまざらむ
分かり易く口語訳すれば、もうこれだけで充分。こうして言葉を掛けて頂くだけでも自分の幸せ。幸運だった。何故なら、
わが身のほどを思ふも尽きせず。 ここでも 身のほど という言葉が出てくる。簡単に言えば身分の事である。私は光源氏様とでは釣り合わない身の上。こうして優しく言葉を掛けて頂くだけも幸いです。明石の君はそう考える。光源氏を目の前にして自分がこの人と結ばれて、子を宿していることをどこかで信じられないでいる。
しかし別れの時は近付いてくる。光源氏は明石の君にこんな言葉を贈る。
朗読② 光源氏が聞きたいと思っていた、明石の君の 筝 を一度も聞かせて貰えなかった
ことを恨めしく思う。光源氏が琴を少し弾くと、入道に目られて明石の君は筝を
密やかにかき鳴らす。その風情は真に貴やかである。
この常にゆかしがりたまふ物の音などさらに聞かせたてまつらざりつるを、いみじう恨みたまふ。「さらば、形見にも及ぶばかりの一ことをだに」とのたまひて、京より持ておはしたりし琴の御琴取りに遣はして、心ことなる調べをほのかに搔き鳴らしたまへる、深き夜の澄めるはたとへん方なし。入道、えたへで筝の琴取りてさし入れたり。みづからもいとど涙さへそそのかされて、とどむべき方なきにさそはるるなるべし、忍びやかに調べたるほどいと上衆めきたり。
解説
以前に話したが明石の君は筝の腕前が抜群でそんなことをきっかけとして、父親の入道は娘をお近づきにと光源氏に売り込んだ。それが全ての始まりだった。しかし父親である入道のセ-ルスト-クだけで、実際の彼女の腕前がどの程度なのか。少なくとも読者には分からない。今読んだ文章で実は光源氏も聞かせて貰ったことはなかったと書かれていた。
改めてどんな文章だったかと確認すると、
この常にゆかしがりたまふ物の音などさらに聞かせたてまつらざりつるを
光源氏がいつも聞きたいと思っている筝の音などを、女君が一度もお聞きかせしなかったこと その事を表している。
光源氏が聞きたいと言ってきた筝の音色を、明石の君は さらに聞かせたてまつらざりつる
彼女は決して今日の今日まで聞かせようとはしなかったというのである。しかし今日を逃したらいつになるか分からないと思った光源氏は、思い切った行動に出る。彼は都から持ってきた例の琴を
「さらば、形見にも及ぶばかりの一ことをだに」 と明石の君に告げる。当分は会えない、その再会の時まであなたを偲び、思い出す縁としても筝の琴を聞かせて欲しい。そう言って相手に演奏を促すべく、光源氏自ら琴を弾き鳴らす。
その様子は たとへん方なし。例えようもない程素晴らしかったとある。明石の浦の潮騒、更け行く秋の夜の澄んだ冷たい空気、そして別れを目の前にして次いつ会えるかは分からない男女の一対。
そこに光源氏の琴の音が響く。明石の入道が筝を差し入れると、明石の君も
みづからもいとど涙さへそそのかされて、とどむべき方なきにさそはるるなるべし
さすがに涙を誘われて抑えることが出来ずに、筝をかき鳴らして見せる。その音色は
いと上衆めきたり
何とも気品があって、貴族の女性のような音色だった。
その様子を想像しやすいようにある人を引き合いに出す。
朗読③ 今まで藤壺の筝を類ないものと思っていたが、明石の君の筝は真に見事で奥床しく
優れている。光源氏はこれまでどうして無理にでも聞かせて貰わなかったかと悔やむ。
そして将来を約束する
入道の宮の御琴の音をただ今のまたなきものに思ひきこえたるは、いまめかしうあなめでたと聞く人の心ゆきて、容貌さへ、思ひやらるることは、げにいと限りなき御琴の音なり。これは、あくまで弾き澄まし、心にくくねたき音ぞまされる。
この御心にだに、はじめてあはれになつかしう、まだ耳馴れたまはぬ手など心やましきほどに弾きさしつつ、飽かず思さるるにも、月ごろ、など強ひても聞きならさざりつらむと悔しう思さる。心の限り行く先のたぎりをのみしたまふ。
解説
今の文章の初めに 入道の宮の御琴の音 とあった。出家入道した宮様といったら藤壺である。彼女は賢木の巻の後半で出家してしまった。明石の君の奏でる筝の音は、その藤壺の音色にも劣らなかったというのだから、彼女の技術の高さはどの程度のものか推して知るべしである。音楽ではその
楽器を奏でる人の人生や性格が滲み出るものである。藤壺は先代の帝の女四宮、四番目の娘である。この物語の中で最も身分の高い女性である。この人の音色を光源氏は思い出した。これは明石の君に対する最高の賛辞といって良いであろう。藤壺の筝の音色は いまめかしうあなめでた
何と素晴らしいのだろうと引き付けられ華やかなる色だったと言うが、それに対して明石の君の奏でる筝は心にくくねたき音 奥床しくてもっと聞きたい。もし途中で弾き止めたら、何で止めてしまったのだと聞き手が釣り込まれるような音色だった。最高の生れを誇る藤壺に匹敵し、華やかさだけ欠けるけれども、もっと聞きたいと思わせる奥床しさの点では、明石の君の方が数段勝るのではないか。
光源氏はそう思ったと書くことによって、読者の想像力は刺激され、明石の君の性格、人となりがいよいよ印象付けられる。同じ様な描き方を明石の君に関して紫式部は他でも試みている。この古典講読の時間では今日の為にあえて、その時には取り上げなかったのだが、光源氏が初めて明石の君の屋敷を訪れて、一夜の契りを結ぶ場面。光源氏は初めて明石の君に近付き、その雰囲気、佇まいを身近に感じて、ある人を思い出していたと書かれていた。
同じ明石の巻の一節であるが、光源氏は相手の顔ははっきり見えないが、明石の君に接してどんな印象を持ったと書かれているだろうか。
朗読④ 感じられる様子は、六条御息所によく似ている。
ほのかなるけはひ、伊勢の御息所にいとようおぼえたり。何心もなく打ち解けてゐたりけるを、かうものおぼえふぬに、いとわりなくて近かりける曹氏の内に入りて、いかで固めけるにかいと強きを、しひてもおし立ちたまはぬさまなり。
解説
明石の君の佇まいは、雰囲気はあの六条御息所、今は伊勢の娘の斎宮と一緒にいる彼女を彷彿とさせたというのである。ここでも作者は「源氏物語」において、教養、品格どれをとっても一流である
大臣家の娘、そして東宮妃、六条御息所を持ち出して、明石の君には六条御息所を思わせる所が
あったとすることで、明石の君という女性が様々な理由があって、明石の地で育ったけれど、本来
そのように田舎めいた所にいる女性ではない。光源氏と結ばれることも必ずしも不釣り合いでない。
この女君を 鄙の賤の女 と思ったら一寸違うということを読者に伝えているのである。
さて、つつましさ、奥ゆかしさという点では藤壺に優ると思わせる筝の音を聞いて、光源氏は大層感激したのであるが、光源氏はこう考える。自分は都に帰らねばならない。そうであるなら今までに無理にでも筝を弾かせるべきであった。
もっと早くこの魅力ある音色を聞きたかったと後悔して、ある物を彼女に渡す。これを再び私と会うまでの形見と思っておくれ。それは何であったか。それは彼の分身と言っても良い筝であった。光源氏が須磨の地に流されても携えてきた楽器、それを明石の君に渡す。明石の君も嬉しかったであろう。
さてこの後明石の君にはどんな運命が待っているのであろうか。
こうして光源氏は明石の君のことを気にしつつ都へと旅立つ。
朗読⑤ 二条院で帰りを待っていた紫の上もとても嬉しく思う。多すぎた髪も減っているが
それが却って素晴らしい。
ことなる御逍遥などなくて、急ぎ入りたまひぬ。二条院におはしましつきて、都の人も、御供の人も、夢の心地して行きあひ、よろこび泣きもゆゆしきまでたち騒ぎたり。女君も、かひなきものに思し棄てつる命、うれしう思さるらむかし。いとうつくしげにねびととのほりて、御もの思ひのほどに、ところせかりし御髪の少しへがれたるしもいみじうめでたきにを、いまはかくて見るべきぞかしと御心落ちゐるにつけては、またかの飽かず別れし人の思へりしさま心苦しう思しやらる。
解説
光源氏の都入りはどこか慌ただしげであったのも当然である。彼が一目散に向かったのは、二条院で待つ紫の上の所である。彼女に一刻も早く会いたいので上京を急いだのである。一方の紫の上と同じであった。彼女は光源氏と引き裂かれて生きる甲斐がないと思っていたが、生きていてよかったという思いである。今の場面に かひなきものに思し棄てつる命、うれしう思さるらむかし。
とあるのはその事を記している。久し振りに目にした紫の上、その美貌はいよいよ冴えているという。作者はそこで一寸読者をおやッと驚かせる。
ところせかりし御髪の少しへがれたる とあるのは、髪多くて困ってしまう位だった紫の上。その多過ぎるくらいだった黒髪が、光源氏と別れている間に少し量が減って薄くなっている。心労がそうさせたのである。
しかし語り手は言う。紫の上のそんなところが却って、いみじうめでたき 全く素晴らしいのだという。少し解説を加えると、緑なす黒髪、整えるのが大変なほどたっぷりとした髪は若さの象徴であり、勿論素晴らしいが、それと同じくらいむしろ黒々とした黒髪よりも、少し衰え、量も減った髪こそ前にも
まして素晴らしいとするような独特の価値観。黒髪の例えはその女君が如何に様々に心砕き、苦悩し、自己と真摯に向き合ってきたか。その高い精神性、深い内面性を表すものとして、この物語ではあちこちで掛け替えのないものとされる。これを講師は「源氏物語」が発見した衰えの美、衰弱の美と呼ぶ。この場面の紫の上、彼女の髪もまさにそうである。紫の上はその登場以来、ユラユラと揺れる健康的で若々しくて多すぎる髪を誇ってきた。『この子ときたら、梳かすのも煩わしがって、困ったこと』と、若紫の巻で祖母を困らせていた。それがここに至って初めて、その衰えが書かれた。しかしそれが却って素晴らしいというのは、先に話した光源氏の様と好一対をなしているのに気付いた読者も
いるであろう。
今回の放送の初めの所で話したが、光源氏が明石の地を去る時に、少しやつれ面痩せになった・・・。しかしその風情がそれまでにも増して、何とも美しいと書かれていた。
久し振りにあった紫の上の髪がやや衰え、そこがまた格別に素晴らしいと書かれるのと相通ずるところである。光源氏と紫の上はやはり運命の結びつきの男女と思わせる。
こうして都に帰って光源氏は、権大納言に昇進した。彼は早速次のような事に取り掛かる。ここから澪標の巻に入る。
朗読⑥ 光源氏は夢に出てきた故桐壺院の追善供養をする。
さやかに見えたまひし夢の後は、院の帝御事を心に掛けきこえたまひて、いかでかの沈みたまふらん罪救ひたいまつることをせむと思し嘆きけるを、かく帰りたまひては、その御いそぎしたまふ。神無月に御八講したまふ。世の人なびき仕うまつること昔のやうなり。
解説
須磨明石の地にあって、都を離れている間に出来なかった計画に着手した。自身が都に返り咲いたことを印象付けるデモンステレ-ションにも余念がない。そのような事が今の場面に書かれていたかというとそうではない。彼が都に帰ってきてすぐに行ったことは、あの須磨の浦の暴風雨の中、どうしてこのような所で嘆き、力を落としているのだと、光源氏を強く励まし、手を取ってお前は最愛の息子だ、大丈夫だと厳しく優しく守ってくれた故桐壺院。その父の為に光源氏は追善供養を行ったのである。あの夢の中での再開以来、光源氏は故桐壺院の事を心に掛けていた。父桐壺院の死後、自分は罪を償うのに精一杯で父の事が気になりつつも今日まで何もしてなかったことを悟ったからである。そして追善供養を行ったのが今の場面である。桐壺院は心から光源氏を愛し、光源氏も又父を心から敬愛していた。そうした親子の姿を「源氏物語」は、特に須磨の巻ではっきりと描いている。
こうした光源氏を、兄の朱雀帝も好意的な眼差しで見つめている。この朱雀帝は光源氏をどんな思いで見ているのであろうか。
朗読⑦ 弘徽殿の女御は光源氏が復活することを無念に思っていたが、朱雀帝は古桐壺院の
御遺言を執行したので気分爽やかになり目も全快した。そして常に光源氏に色々と
相談される。近々退位するつもりでもあり、尚侍は心細げである。
大后、御なやみ重くおはしますうちにも、つひにこの人をえ消えずなりなむことと心病み思しけれど、帝は院の御遺言を思ひきこえぬまふ、ものの報いありぬべく思しけるを、なほし立てたまひて、御心地涼しくなむ思しける。時々おこりなやませたまひし御目もさわやぎたまひぬれど、おほかた世にえ長くあるまじう、心細きこととのみ、久しとからぬことを思しつつ、常に召しありて、源氏の君は参りたまふ。世の中のことなども、隔てなくのたまはせつつ、御本意のやうなれば、おほかたの世の人もあいなく嬉しきことに喜びきこえける。
おりゐなむの御心づかひ近くなりぬるにも、尚侍心細げに世を思ひ嘆きたまへる、いとあはれに思されけり。
解説
いくら弘徽殿の女御が睨みを効かせていたとはいえ、朱雀帝は父桐壺院の遺言を守ることが出来ず、心ならずも弟、光源氏を苦境に立たせてしまった。それがようやく自分の傍にいてくれるように出来た。この事を朱雀帝は 御心地涼しくなむ思しける。 心がさっぱりとした。胸のつかえが下りたのである。そして政治的な事を何でも隔てなく意見を求めるようになった。そんな心境になったせいか、あれだけ苦しめられた目の病もすっかり全快した。光源氏もいよいよ政治に精進してということになったかというとそうではなかった。
おりゐなむの御心づかひ近くなりぬるにも、 朱雀帝は帝の位を下りることを決めたということである。誰に譲るのか。
朗読⑧ あくる年に春宮の元服があり11歳。顔は源氏の大納言にそっくり。次の東宮には
承香殿の皇子となった。源氏の大納言は内大臣に昇進した。
あくる年の二月に、春宮御元服のことあり。十一になりたまへど、ほどより大きにおとなしうきよらにて、ただ源氏の大納言の御顔を二つにうつしたらむやうに見えたまふ。いとまばゆきさまで光あひたまへるを、世人めでたきものに聞こゆれど、母宮はいみじうかたはらいたきことに、あいなく御心を尽くしたまふ。内裏にもメデタシと見たてまつりたまひて、世の中譲りきこえたまふべきことなど、なつかしう聞こえ知らせたまふ。
同じ月の二十余日、御国譲りのことにはかなれば、大后思しあわてたり。「かひなきさまながらも、心のどかに御覧ぜらるべきことを思ふなり。」とぞ、聞こえ慰めたまひける。坊には承香殿の皇子ゐたまひぬ。世の中改まりて、ひきかへいまめかしきことども多かり。源氏の大納言、内大臣になりたまふ。
解説
帝位を譲る相手は春宮 光源氏と藤壺との子である。今十一歳。顔は
ただ源氏の大納言の御顔を二つにうつしたらむやうに見えたまふ
光源氏の顔と瓜二つである。この春宮に譲位する。弘徽殿の女御は慌てたが後の祭りである。
新天皇のもとに躍進したのは光源氏である。源氏の大納言、内大臣になりたまふ。
その中で驚くような事件が起きるがそれは次回に。
「コメント」
どんでん返しの光源氏の復権である。いい年になった光源氏の行動は如何に。