250810⑲ 澪標の巻(2)

3年間の流離を経て光源氏は都に帰ってきた。これからは光源氏の時代になるだろう。その点については誰も疑う者はいない。にも拘らず彼はそこで人々を驚かす行動に出たという所まで前回は話した。澪標の巻は三回に分けて話すことを予定している。その第二回目に当たる今回は前回の続きで、果たしてその光源氏の行動とは何であったかを話す。

その事について説明する前におさらいである。前回話したように、朱雀帝は位を降り、春宮(とうぐう)が即位して新しい帝の時代の幕開けである。新しい帝の本当の父親は光源氏である。そして賢木の巻での事、桐壺院が死の床に、春宮(とうぐう)だった冷泉帝を呼び、その場に藤壺と光源氏がいて、光源氏に対して春宮(とうぐう)が即位した暁には政治を支えてやったくれと遺言したので、新天皇・冷泉の光源氏への信頼感は抜群である。世の人々の注目も自然と光源氏の一挙手一投足に集まる。

 

光源氏がどのような政治的手腕を発揮するか期待は大きかったが、そこで彼は思っても見ない行動に出る。その事によって物語世界の人々もそして我々も驚くことになる。先ずはその場面から読もう。

朗読① 光源氏はそのまま政治を執るべきであったが、致仕(ちし)大臣(おとど)に譲るが大臣は承知

          しない。

やがて世の政をしたまふべきなれど、「さやうの事しげき職にはたへずなむ」とて、致仕(ちし)大臣(おとど)摂政したまふべきよし譲りきこえたまふ。「病によりて位を返したてまつりてしを、いよいよ(おい)の積もり添ひて、さかしきことはべらじ」とうけひき申したまはず

 解説

権大納言として都に復帰した光源氏はそのまま内大臣に昇進。やがて世の政をしたまふべきなれど、 と書かれたように、世の中の実権は全て光源氏にと思われたその矢先、光源氏は 致仕(ちし)大臣(おとど)、摂政したまふべきよし譲りきこえたまふ。 とある。天皇に変って政治を司る役目を、致仕(ちし)大臣(おとど) に譲ってしまったのである。この 致仕(ちし)大臣(おとど) というのは、かつての左大臣、光源氏の妻であった葵の上の父である。桐壺の巻で最愛の娘・葵上を、春宮(とうぐう)の誘いを断ってまで光源氏に嫁がせたように、人を見る目は確かであり桐壺帝の信頼も厚く、天皇家を離れて臣下となった光源氏を子供の時から父親のように支えてくれた人物である。左大臣は光源氏が須磨流離の時、右大臣家の人々が自分たちに都合の悪い人々を次々と排除していく、そうした状況の中、この様な世にいてはどんな目にあうか分かったものではない、末恐ろしい事だと、政治の世界から引退してしまっていた。致仕(ちし)大臣(おとど) というのは自ら引退した大臣という意味である。おまけに彼は今や六十三歳。光源氏から摂政として政を是非にと依頼されて逡巡したのは当然である。

 

結局は彼は太政大臣として政界に復帰する。かつての右大臣は太政大臣として復帰したのをきっかけにして、この一族が勢いづく。

朗読② この大臣は世の中が面白くなくて引きこもっていたが、今は戻って華やかになって、

          一門に方々で御子が誕生して源氏の大臣は羨ましく思う。

世の中すさまじきにより、かつは籠りゐたまひしを、とり返しはなやぎたまへば、御子(みこ)どもなど沈むやうにものしたまへるを、みな浮かびたまふ。とりわきて宰相中将、権中納言になりたまふ。かの四の宮の御腹の姫君十二になりたまふを、内裏に参らせむとかしづきたまふ。かの高砂うたひしきみも、かうぶりせさせていと思ふさまなり。腹々に御子どもいとあまた次々()ひ出でつつ、にぎははしげなるを、源氏の大臣(おとど)はうらやみたまふ。

 解説

今の文章で書かれていたことを一口で言うと、この太政大臣の一族は、子供の数が多く、しかも男も女も粒ぞろいということに尽きる。具体的に言うと太政大臣家には嫡男、跡継ぎとして宰相の中将がいる。かつての頭の中将である。彼は光源氏が須磨に退いた際には、光源氏のもとを訪れて、その厚い友情に光源氏も涙を流した。右大臣家の勢力が影を潜めた今、父親の政界復帰によって、彼は権中納言になった。更にはその娘が十二歳になって、入内の準備に余念がない。それでだけではない。頭の中将には弟もいるし、太政大臣は高齢でも、その一族にはそれを継ぐ子どもたち、更には孫の世代まで多士済々。豊かな人材が順調に育っている。

腹々に御子どもいとあまた次々()ひ出でつつ、にぎははしげなるを、

はその事を意味している。それに対して光源氏には子供少なく、持ち駒は少ない。つまり光源氏には葵の上との間の息子・夕霧、一人がいるだけである。

にぎははしげなるを、源氏の大臣(おとど)はうらやみたまふ

大勢の御子が育って賑やかなのを、光源氏は羨ましく思っている。 とある。

この描写をする紫式部には次のような意図があったと言って良い。押さえておきたい事柄は二つである。

まず第一に、紫式部がこの物語の主人公光源氏をどのような人物として描き出そうとしているかという点。即ち紫式部は光源氏を例えば道長のように冷酷でしたたかな性格の政治家で権力志向の人物として描こうとはしていない事が、この澪標の巻の中から分かる。身内の者であろうとも、時と場合によっては容赦なく振り落としていくようなやり方。自分達一族がのし上がっていくためには、他の犠牲もやむなしとするような人物を、紫式部はこの物語の主人公にしようとは思わなかったのである。そうではなくて、かつて自分に味方して寄り添ってくれた人々の事を忘れずに、共感力の高い人物

こそこの物語の主人公に相応しいとする、作者紫式部の主張を確認しておく。そしてもう一つ、見逃したくないのは、もしここで光源氏がかつての左大臣に摂政を譲らず、太政大臣につけることもせずに、自分自身が第一人者になったとして、読者は喜んで読むであろうか。澪標の巻は「源氏物語」全体の中で、まだ十四番目の巻である。この巻で早くも摂政になり、太政大臣になってしまったら、ライバルもいないし追随する人もいないことになってしまう。独り勝ちには当人も読者も退屈してしまうであろう。左大臣家が摂政・太政大臣になって、ライバルになって、光源氏がこれとどういう風に対抗していくかと読者も興味が繋がっていく。

 

作者が光源氏に左大臣家に色々と譲ったことにはこうした意味があった訳で、全くしたたかである。

こうなって初めて次のような場面が描かれることになる。

朗読③ 明石の人はどうしているかと心配で使いを出した。「女の子が生まれました」との

          報告。光源氏は大喜びである。

まことや、かの明石に心苦しげなりしことはいかにと思し忘るる時なければ、(おおやけ)(わたくし)忙しき紛れにえ思すままにもとぶらひたまはざりけるを、三月(つい)(たち)のほど、このころやと思しやるに人知れずあはれにて、御使ありけり。とく帰り参りて「十六日になむ。女にてたひらかにものしたまふ」と告げきこゆ。めづらしきさまにてさへあなるを思すにおろかならず。

などて京に迎へてかかることをせさせざりけむと口惜しう思さる。

 解説

明石の地に残して来た明石の君に女の子が生まれた。光源氏は出産もそろそろでないかと使いを出した。使いの報告には「十六日に女の子が生まれました」

光源氏にとっては初めての女の子の誕生である。めづらしきさまにてさへあなる というのがその事を意味している。

今までの彼には男の子しかいなかった。だから めづらし である。そして光源氏はすぐにこう思う。

などて京に迎へてかかることをせさせざりけむと口惜しう思さる。どうして亰でお産をさせなかったかと残念がるのである。

 

女の子は生れた地が大切で、辺境の明石での出産は将来の(きず)になるかも知れないので残念だったのである。次のような事も関わっていた。というのは光源氏はかつて次のような予言を受けていたというのである。

朗読⓸ 宿曜の占いで、「御子は三人。帝、后、もう一人は太政大臣となる」とあった。

          一つがまずそのようになったことが光源氏には嬉しかった。

宿曜(すくよう)に「御子三人、帝、后、かならず並びて生まれたまふべし。中のお鳥は太政大臣にて位を極むべし」と(かんが)へ申したりしこと、さしてかなふなめり。おほかた、(かみ)なき位にのぼり世をまつりごちたまふべきこと、さばかり賢かりしあまたの相人と゜もの聞こえ集めたるを、年ごろは世のわづらはしさにみな思し()ちつるを、当帝(とうだい)のかく位にかなひたまひぬることを思ひのごとく嬉しと思す。

 解説

 光源氏が若い時に受けていた 宿曜(すくよう) の占い(星占い)では、彼には三人の子供が生まれ、その内の二人は帝と后になるだろう。真ん中の子は気の毒な事に二人には及ばず太政大臣に留まるであろう というものであった。しかしそれは位人臣を極めている地位である。光源氏は今まですっかり忘れていた 宿曜(すくよう) の予言であったが、いい加減な空言ではなかったと思う。

 

彼は急いで明石の地に、母子が必要とするものを届ける。更に光源氏は自分が選んで送ったものは何であろうか。

朗読⑤ あのような田舎ではしっかりした乳母もいないと思って、かつて故院に仕えていた宣旨

          の娘、宮内卿の娘であるが、最近子を産んだ話を聞いて乳母にと頼むと了承した。

          そしてすぐ出立させる。

さる所にはかばかしき人しもありがたからむを思して、故院にさぶらひし宣旨(せんじ)のむすめ、宮内卿の宰相にて亡くなりにし人の子なりしを、母なども()せてかすかなる世に()けるが、はかなきさまにて子産みたりと聞こしめしつけたるを、知るたよりありて事の序にまねびきこえける人召して、さるべきさまにのたまひ契る。何心もなき人にて、明け暮れ人知れぬあばら家にながむる心細さなれば、深うも思ひたどらず、この御あたりのことをひとへにめでたう思ひきこえて、参るべきよし申させたり。いとあはれにかつは思して、出だし立てたまふ。

 解説

乳母というのは生みの母と同じくらい、いやそれ以上に子供に大きな影響を与える特別な存在である。乳を与えるだけではない。生まれた子を一人前に育てるために、あらゆるところに気を配り気を付け、見事に育て上げる、それが身分ある人の乳母には求められる。今回白羽の矢が立ったのは、今の場面に 宮内卿 の娘とあった。彼女は今でこそ母を失い、淋しい生活を送っているが、家柄の点、教養の点でも、また女房達を指図し目配りをして、もしかして将来后になるかも知れない姫君の乳母には申し分ない。その乳母に噛んで含めるように、申し訳ないが辺境の地の明石まで下っておくれと大臣たる光源氏が頼んだ。この女性はかつて桐壺帝の時代に宮仕えをしたことがあるらしい。その後父と母を失って一人侘しく過ごしていたとか。男がいて子をなしたが、その男は頼りにならない。幼い子を抱えていた時に光源氏が乳母にと頼んだのである。乳母はためらったが、了承した。

 

その乳母一行を迎えた明石の入道の喜びは大きかった。そしてその子を育てる責任の大きさを痛感する。一方もう半年も光源氏に会っていない明石の君はこんな様子であった。

朗読⑥ 明石の君も別れてから物思いに沈んでいたが、こうした御心使いで大いに

          慰められた。

子持ちの君も、月ごろものをのみをのみ思ひ沈みて、いとど弱れる心地に、生きたらむともおぼえざりつるを、この御おきての、すこしもの思ひ慰めらるるにぞ(かしら)もたげて、御使(つかい)にも二なきさまの心ざしを尽くす。

 解説

わが子の乳母を寄越して養育に当たるようにとの、御おきて 光源氏の差配をみて光源氏がこの子を本当に大切に思っていてくれると知った子持ちの君(明石の君)は漸く憂いが晴れるのだった。

 

その一方で光源氏は、今回の事、明石の地で関りを持った明石の君との間に女の子が生まれたことを全て紫の上に話す。

朗読⑦ 光源氏は明石の君の事は紫の上に打ち明けていなかった。他から聞いたらと思い

           打ち明ける。「その子をその内に迎えにやってお見せしましょう。憎まないで下さい」と

           いう。そうすると紫の上は顔を赤くした。

女君には、言にあらはしてをさをさ聞こえたまはぬを、聞きあはせたまふこともこそと思して、「さこそあなれ。あやしうねじけたるわざなりや。さもおはせむなりと思ふあたりには心もとなくて、思ひの外に口惜しくなん。女にてあなれば、いとこそものしけれ、尋ね知らでもありぬべきことなれど、さはえ思ひ棄つまじきわざなりや。呼びにやりて見せたつまつらむ。

憎みたまふなよ」と聞こえたまへば、(おもて)うち赤みて、「あやしう、常にかやうなる筋のたまひつくる心のほどこそ、我ながら疎ましけれ。もの憎みはいつならふべきにか」と(えん)じたまへば、いとよくうち笑みて

 解説

現代的には考えられない事であるが、光源氏は明石の君の事とその間に生まれた女の子のことをすっかり話した。生れて欲しい所には生れないで意外な所に生まれるものですね。その内迎えを出してあなたにもお見せしましょう。そして憎まないで下さい」という。紫の上は「嫉妬深いように言われるのは心外」と。

以下は筆者の疑問である。

この部分は、明石の巻で光源氏が帰京してすぐの頃の事で、書かれた場所もかなり遡った頃の事である。何故その事がこう離れた所に書かれているか理解できない。そして女の子が生まれたことは何も書かれていない。ということは、明石の君の事は既に話した。そして女の子が生まれたのでその事を再度話したと理解するのか。

朗読⑧ 光源氏は明石の君のことを紫の上に話す。女君は穏やかならぬ気持になり「君を

          思わず」とさりげない風に恨み言を言う。光源氏はそれを愛らしいと思う。

その人のことどもなど聞こえ出でたまへり。思し出でたる御気色(けしき)浅からず見ゆるを、ただならずや見たてまつりたまふらん、わざとならず、「身をば思わず」などほのめかしたまふぞ、をかしうらうたく思ひきこえたまふ。

 解説

当時の妻は夫の口から他の女の人の関係を話されてほっとするというか、自分の気持ちを確認して心中穏やかでないにせよ、安心する節がある。むしろ世間からの噂で耳に入って来るにも関わらず、夫の口から打ち明けられない事の方が、気をもみ、いらだつのである。そうした男女の在り方をこの後の放送でも取り上げる。この巻では光源氏自身の口から、明石の君の事を説明した後、子供が生まれたことを明らかにして、やがてその子を都に呼び寄せてお見せしょう という。

今回話したような平安時代の男と女の関係と特殊性を理解していないと、ここで光源氏が一切を話し、紫の上もいとおほどかに、うつくしうたをやぎたまへるものから、まことに鷹揚で可愛らしくも柔らかでいらっしゃるものの、流石深い所で執念深く嫉妬している。という部分が理解できないことになる。

子供が少ない光源氏にとって、女の子の誕生は希望の光である。子供好きではあるが、子供を授からなかった紫の上も一刻も早く会いたいと思っている様子である。

 

「コメント」

 

当時の社会状況通念は分かるが、人間の気持ちは基本変っていないと思う。当時の女性は

感情を強いられていたのである。