250817⑳ 澪標の巻(3)
今回は澪標の巻の三回目。澪標の巻も「源氏物語」全体と光源氏の人生を見わたした時、様々な
出来事が描かれる重要な巻であるので、三回に分けて話してきたが今回で終わりとする。
さて前回の放送では半ばから後半にかけては、主として光源氏が都に帰ってきてからの政治状況についての話をした。都に帰って来たのは昨年の秋、それからもう少しで一年が経つ。彼はこうして自らが都の地を再び踏み、無事に日々を暮らしていることが出来ている、その御礼参りに住吉社に参詣することにした。住吉大社である。本当は昨年の七月、明石の地から都に帰ってくる際に住吉大社に立ち寄っても良かったのであるが、その際には一刻も早く都に帰りたかった。紫の上の事も気になる。
住吉の神には改めてお礼に参りますと使いだけ派遣して、光源氏は一路二条院へと急いでいたが、あれから一年。光源氏はあらためて住吉大社に詣でるが、その様子は次の様に描かれる。
朗読① 秋に住吉にご参詣になる。盛んなお出掛けなので上達部以下殿上人も我も我もと
お供をする。
その秋、住吉に詣でたまふ。願どもはたしたまふべけれれば、いかめしき御歩きにて、世の中ゆすりて、上達部、殿上人、我も我もと仕うまつりたまふ。
その様子はこんな風である。
朗読② 松原の深緑の中に様々な色の袍が見える。家来の 良清 も赤の衣装で華やかで
ある。馬や鞍も飾り整え大した見物である。
松原の深緑なるに、花紅葉をこき散らしたると見ゆる袍衣の濃き薄き数知らず。六位の中にも蔵人は青色しるく見えて、かの賀茂の瑞垣恨みし右近将監も靫負になりて、ことごとしげなる随身具したる蔵人なり。良清も同じ佐にて、ひとよりことにもの思ひなき気色にて、おどろおどろしき赤衣姿いときよげなり。すべて見し人々ひきかへ華やかに、何ごと思ふらむと見えてうち散りたるに、若やかなる上達部、殿上人の我も我もと思ひいどみ、馬、鞍などまで飾りをととのへ磨きたまへるは、いみじき見物に田舎人も思へり。
解説
深緑の松原に紅葉散り敷く、秋の住吉大社。そこに内大臣の光源氏が威風堂々姿を現す。須磨から明石へと3年間の流離。今はこうして都へ帰ることが出来たけれども、思えば全て住吉大社の御導きとご加護によるもの。須磨の浦の暴風雨に命を落としかけた時、夢に現れた亡き桐壺院が 住吉の神の御導きのままに と光源氏に伝え、それを信じて彼は明石の地に移ったのである。光源氏と共に流離の日々で、辛酸をなめた人々も皆出世して、今の文章にも
良清も同じ佐にて、ひとよりことにもの思ひなき気色にて、おどろおどろしき赤衣姿いときよげなり。
すべて見し人々ひきかへ華やかに、 とある。
人々は出世して、良清も誇らしげに付き従っていた。全て明石で見知った人たちが、華やかな様子である。
華やかな車列、馬や鞍まで贅を尽くした人々の行列には、周りの田舎の民も大したものだと驚くしかないが、この住吉大社で思いもかけなかったことが起きる。
朗読③ 光源氏(内大臣)が詣でている時、折も折 明石の君も参詣した。舟を着けると大騒ぎ
なので、どなたの御参詣かと聞くと、光源氏(内大臣)だという。その威勢を見るに
つけても、わが身の程を情けなく思う。
をりしもかの明石の人、年ごとの例の事にて詣づるを、去年今年はさはることありて怠りけるかしこまりとり重ねて思ひ立ちけり。舟にて詣でたり。岸にさし着くるほどに見れば、ののしりて詣でたまふ人けはひ渚に満ちて、いつくしき神宝を持てつづけたり。楽人十列など装束をととのへ容貌を選びたり。「誰が詣でたまへるぞ」と問ふめれば、「内大臣の御願はたし詣でたまふを知らぬ人もありけり」とて、はかなきほどの下衆だに心地よげにうち笑ふ。げに、あさましう、月日もこそあれ、なかなか、この御ありさまをはるかに見るも、身のほど口惜しうおぼゆ。
解説
その時丁度、明石の君も住吉にお詣りに来ていた。明石の浦からは舟旅である。明石の入道は毎年住吉への参詣を行ってきたと言っていた。明石の人々住吉大社とは、光源氏以上に深い関りを持っていた。明石の君は出産があって参詣できなかったので久し振りの参詣である。舟を岸に漕ぎよせようとすると、いつに増して渚に人が大勢いる。土地の人に尋ねるとこんな答えが返ってきた。時の内大臣 光源氏が久し振りに来ているのだと。そんなことも知らないのかと下衆 に笑われ、光源氏がどこにいるかと探し、そして俯いて、彼女が人生の中で繰り返し使う言葉、身の程、自分の分際、光源氏とのどうにもならない自分との隔たりを思い知らされるのであった。その隔たりを
身のほど口惜しうおぼゆ。 その隔たりを口惜しく噛みしめざるを得ないのである。
しかしこのまま帰るのもどうかと思って、明石の君は今日は祓をするだけにしようと思う。
全てを知った光源氏から文が届けられ、そこには愛情あふれた歌が書かれていた。嬉しかったが、彼女はその事以上に心が複雑であった。翌日光源氏が都に帰ったのを待って、明石の君は住吉大社に参詣をして帰って行った。光源氏の文には、都にあなたを迎えたいと思っていることが書かれていた。そして光源氏は明石の君を迎えるために二条院の東側に新しい屋敷の建築を進めているのだが、明石の君は今の光源氏の素晴らしい出世を目の当たりにして、心が挫けそうになる。
さて二人の関係はどうなるのであろうか。次の場面は変わる。
朗読④ そういえば、帝の譲位により斎宮も変わったので、六条御息所も都に帰った。光源氏
は何事につけてもお見舞いをする。しかし出向くことはない。
まことや、かの斎宮もかはりたまひにしかば、御息所のぼりたまひて後、変らぬさまに何ごともとぶらひきこえたまふことは、ありがたきまで情けを尽くしたまへど、昔だにつれなかりし御心ばへのなかなかならむ名残は見じ、と思ひ放ちたまへれば、渡りたまひなどすることはことになし。
解説
まことや、 そういえば、あの方についても話さなければならなかったという感じの前置きと共に語りだしたのは六条御息所の事であった。御息所は娘の斎宮の就任に付いて、伊勢に下っていた。そこから5年の時が流れていた。新しい天皇が即位したので、斎宮も交代する。都に帰ってきてからの御息所は、娘と共に六条の屋敷で静かに暮らしている。光源氏もそこに行くことは敢えてしなかったのであるが、そうも言っていられないことが起きた。御息所が病に倒れたのである。
朗読⑤ 御息所のご趣味が良いのは変わりなく、心慰む日々を過ごしていた。しかし病になり、
遂には出家された。
なほ、かの六条の古宮をいとよく修理しつくろひたりければ、みやびかにて住みたまひけり。よしづきたまへること古りがたくて、よき女房など多く、すいたる人の集ひ所にて、ものさびしきやうなれど、心やれるさまにて経たまふほどに、にはかに重くわづらひたまひて、もののいと心細く思されければ、
罪深き所に年経つるもいみじう思して、尼になりたまひぬ。
解説
御息所はあの六条の旧邸を修理して優雅に暮らしていた。伊勢にいる時は神に仕える身なので仏教を遠ざける毎日であった。これから仏道修行をしようと思っていた所で、御息所は病になる。そして
慌ただしく出家して尼になってしまった。光源氏は今後良き語り相手と思っていたが、病の報に驚いて見舞いに行く。
朗読⑥ 御息所は枕元に光源氏は座を作り、自分は脇息にもたれる。そして斎宮の今後の事
を御頼みをされる。
近き御枕上に御座よそひて、脇息におしかかりて御返りなど聞こえたまふも、いたう弱りたまへるけはひなれば、絶えぬ心ざしのほどはえ見えたてまつらでやと口惜しうて、いみじう泣いたまふ。かくまでも思しとどめたりけるを、女もよろづにあはれに思して、斎宮の御事をぞ聞こえたまふ。
解説
御息所は寝ている訳にはいかないので、体を起こして脇息に寄りかかって応対する。この様な状況に光源氏は涙が止まらない。そして御息所が静かに語ったのは自分の娘の行く末だった。早くに父を
亡くし母の自分も病気であるので、娘の前斎宮の事を頼んだのである。光源氏は答える。何も心配しないで宜しい。何でも面倒を見ます。
これに対して御息所は予想に反する言葉を返した。
朗読⑦ 御息所は言う。母親を亡くした娘は不憫なものです。また世話人から愛人めいて
扱われるのも気掛かり。そうした色恋の憂き目を見ないようにさせたい。
「まことにうち頼むべき親などにて見ゆづる人だに、女親に離れぬるは、いとあはれなることにこそはべるめれ。まして、思ほし人めかさむにつけても、あぢきなき方やうちまじり、人に心もおかれたまはむ。うたてある思ひやりごとなれど、かけてさようの世づいたる筋に思しよるな。うき身をつみはべるにも、女は思ひの外ににてもの思ひを添ふるものになむはべりければ、いかでさる方をもて離れて見たてまつらむと思うたまふる。」など聞こえたまへば、
解説
娘のことをお願いしたと言ってもくれぐれも前斎宮を、 思ほし人めかさむ ことが無いように。要するに光源氏の愛人のようなことにしないようにということ。かけてさようの世づいたる筋に思しよるな
世間でいう男女関係に娘のことをすることはなりませんということ。そう御息所に言われて光源氏は返す言葉がない。自分も変わったので大丈夫ですと言って、光源氏は屋敷を後にする。その後も見舞が日々送られるが、七日後亡くなった。父を失い母を亡くし気の毒なのは前斎宮である。色々と考えて光源氏は冷泉帝に入内させようと思う。当時のル-ルとして天皇家の女性は同じ天皇家の男性と結婚するか、一生独身かの選択であった。この光源氏の考えはごく自然な事であった。前に話したように光源氏は頭の中将などに比べて家族、特に子供の数が圧倒的に少ない。政治的な手駒が少ない。そのハンディを前斎宮を利用して挽回しようと考えた。自分が前斎宮の親代わりとして冷泉帝に入内させれば、存在感も十分示せるし名案と思ったのである。これは東宮の后であった六条御息所の気持ちにも沿うものであった。
しかしその実現には問題があった。前斎宮には、前天皇の朱雀院が大変な興味を示していたのである。
朗読⑧ 朱雀院は伊勢下向の折りの美しい斎宮を忘れがたく、自分の所にと。かつては
御息所にも仰ったのである。
院にも、かの下りたまひし大極殿のいつかしかりし儀式に、ゆゆしきまで見えたまひし御容貌を、忘れがたう思しおきければ、「参りたまひて、斎院な御はらからの宮々おはしますたぐひにて、さぶらひたまへ」と、御息所にも聞こえたまひき。
解説
斎宮は伊勢に下る際に、宮中に参上して帝から櫛を授かる。それを 別れの櫛の儀 という。あの日以降、朱雀帝は退位しているので朱雀院であるが、あの日から斎宮の事が心にあって退位した身であるが、前斎宮を我がもとに是非との言葉がかねてよりあった。光源氏からすれば朱雀院は兄である。しかし今回は光源氏の気持ちはそうはなれない。今の帝に入内させることこそ意味がある。
そして御息所自身が生前どうしても気の進まないことだと折々に言っていた。
その理由はこう書かれている。
朗読⑨ 御息所は、院には歴とした方々がいらっしゃるのに、後見もいない身ではと遠慮して
いたが、院の意向は強い。
されど、やむごとなき人々さぶらひたまふに、数々なる御後見もなくてやと思しつつみ、上はいとあつしうおはしますも恐ろしう、またもの思ひや加へたまはん、と憚り過ぐしたまひしを、今はまして誰かは仕うまつらむと人々思ひたゆるを、ねむごろに院には思しのたまはせけり。
解説
六条御息所は院から熱心な要請にも拘わらず、朱雀院に輿入れさせることに賛成しなかったので
その事は終わったと思っていたが、朱雀院は御息所が亡くなった後にも強く申し入れてくる。そして
こうした事情を光源氏も聞いていた。
そしてこれを処理することになった光源氏は困ってある人に相談することになる。藤壺である。
藤壺は今上帝冷泉帝の母である。それに前斎宮は、父は元春宮で天皇家の血を引く女性で藤壺と同様である。藤壺は先代の女四宮である。どちらも天皇家の娘として血が繋がっているのである。
藤壺の答えはどうであったか。
朗読⑩ 母の六条御息所の遺言を口実にして、院の思し召しには気が附かなかった振りをして
入内させては如何。院は今は仏道修行に熱心でこのことを申しあげてもお咎めは
ないでしょう と藤壺は言う。
「いとよう思しよりけるを。院にも思さむことは、げにかたじけなういとほしかるべけれど、かの御遺言をかこちて知らず顔に参らせたてまつりたまへかし。いまはた、さやうの事わざとも思しとどめず、御行ひがちになりたまひて、かう聞こえたまふを、深うしも思し咎めじと思ひたまふる」
解説
藤壺の言葉は実に小気味よい。光源氏とは対照的であるが、藤壺の態度は即決である。これといった后のいない冷泉帝。我が息子である天皇に前斎宮を入内させるのは何よりの事。よくぞ思いついて頂きました。朱雀院には気の毒かも知れないが、是非そのように進めて下さい。藤壺がそのように
言うのには理由があった。「源氏物語」はこうした所がきちんと作られていて、登場人物の言動がどれも場当たり的ではない。成程この人がこういう発言をするのは当たり前だと思わせるに十分な設定が、随所に施されている。ここもそうである。
藤壺は前斎宮と冷泉帝、この二人は女の方が十歳以上年上である。その年齢の差を光源氏は気にしていたが、しかし藤壺にしては自分もここの所、病気勝ちである。また出家もしている。これでは
いつも側にいて冷泉帝を補佐するわけにはいかない。年上の前斎宮の方が頼もしい。藤壺はそうう。思えば「源氏物語」の最初から登場している女君たち、第一世代の葵の上、六条御息所は亡くなり、弘徽殿女御は不調を訴えている。そうであれば藤壺の体調が良くないのも不自然ではない。明石の君、紫の上、前斎宮と女君たちへの入れ替わりも時期であるのか。この状況下で藤壺が前斎宮の
入内を願うのはごく自然である。この藤壺の合理的な賛成によって入内は決まった。この事によって宮廷社会にはあらたな波乱が起きることになる。
「コメント」
ある時期の主役、六条御息所も亡くなり、もう娘の時代になってきた。いつまでもやっているのは光源氏。しかしよくもこうも波瀾万丈に展開できるものではある。