251005少女(おとめ)の巻(1)

今回から少女(おとめ)の巻に入る。前回朝顔の巻で宿題を出したので、まずは朝顔の巻について話して、続いて少女(おとめ)の巻に入る。前回最後に話したことはどんなことであったか。朝顔の巻というのは比較的

小さな巻であるが、物語全体としては重要な巻だということは話した。物語や小説の主人公というのは、生身の私たちとはどこかが違う。そうであるからこそ、ヒ-ロ-であり主人公であるが、しかしそれが行き過ぎてしまうと、彼や彼女たちは私たち読者とかけ離れた存在となってしまい、意識し難くなってしまう。光源氏や紫の上にしてもそうである。彼らはどこまでも心優しく、思慮が深く、人の痛みを

引き受け、音楽や芸術の才能も豊かである。

 紫の上について

それが物語の最初の方、例えば紫の上にしても天涯孤独の身の上で、このままだったら継母(ままはは)に引き取られて、孤独な生涯を送ることになったであろう。そうした段階の話ならまだ良いのである。素晴らしい才能や魅力を沢山持っているのに、気の毒にも社会の片隅に追いやられ迫害されそうになって

いる紫の上にも、逆境の中でも、くじけない姿に共感する。しかし物語が進むにつれて、いつまでも

そういう訳にもいかない。前回話したように、今の紫の上はかつての彼女とは違う。光源氏と共に

二条院の女主としての実績と重みがある。光源氏の愛情を独占する人として、他の追随を許さない

存在である。そして彼女は、明石の君から姫君まで手に入れた。

光源氏が都に復帰した澪標の巻以降の物語の中で、こんな風に紫の上は何もかも手に入れたといっても良いであろう。それは彼女の呼ばれ方にも深く関わってくる。紫の上はここ数回の放送で取り上げた薄雲の巻、朝顔の巻の辺りからついに紫の上になり、そのことにも注意しておきたい。どういう

ことであろうか。紫の上というのは、奥方様など一族の女性を指す言葉である。家の家事全般を取り仕切る、さまざまな行事、儀式 そうした事柄の全てをまかせられる存在である。紫の上はまさにここ数回をかけて、薄雲、朝顔の巻あたりから、物語の中で紫の上と呼ばれるようになる。現代語訳された「源氏物語」や映画、漫画、芝居名とでは紫の上と、最初から紫の上は紫の上である。これまでにも、混乱を避けるためにもそうしてきたが、これまでは紫の上は、実は紫の上ではなかったのである。原文で確かめてみよう。

まずは薄雲の巻で、明石の君が生んだ姫君と、紫の上が初めて対面する場面である。

 朗読① 姫君は素直で可愛らしい性格なので、紫の上によくなついた。可愛らしい姫君を

            得たと思うのだった

おほかた心やすくをかしき心ざまなれば、上にいとよくつき睦びきこえたまへれば、いみじううつくしきもの得たりと思しけり。

 解説

今の文章で姫君が(紫の上)に、よくなついたとあった。

 

続いて紫の上のもとに姫君がいて、光源氏は明石の君のいる大堰川の山荘に出かけるところである。これも薄雲の巻。

朗読② 無邪気にはしゃいでいる姫君を、対の上は可愛いと思うと、明石の君への不快感も

          軽くなる。

何事も聞き分かで戯れ歩きたまふ人を、上はうつくしと見たまへば、をちかた人のめざましさもこよなく思しゆるされたり。

 解説

ここでも手元に引き取った姫君との関わりの中で、紫の上 は  と呼ばれていた。彼女が  と呼ばれるためには、やはり姫君の存在が大きかったことがわかる。姫君が二条院にやってきた。

それをもって紫の上は光源氏との間に子を設けることができなかった弱点を克服して、ついに  と呼ばれるにふさわしい存在になったのである。

 

薄雲の巻の次の巻、朝顔の巻に入ると、姫君に関わりなく紫の上は 上 と呼ばれている。

朗読③ 光源氏が前斎院に言い寄っているのが噂となり、紫の上はそれを聞く。そんなことを

           光源氏は隠したりはしまいと思うが・・・

世の中に漏りきこえて、「前斎院、ねむごろに聞こえたまへばなむ、女五の宮などもよろしく思したなり。似げなからぬ御あはひならむ」など言ひけるを、対の上は伝へ聞きたまひて、しばしば、さりとも、さやうならむこともあらば隔てては思したらじ、と思しけれど、

 解説

今の文章は、前回も加賀美さんに朗読してもらった部分だが、朝顔の姫君との噂に、紫の上が不安を覚えるところ。そして彼女はここでは対の上と呼ばれていて、実は紫の上の存在感は簡単には揺るがないことが、対の上という呼び方で表されている。対というのは二条院の西の対、そこが紫の上の部屋である。光源氏と紫の上が結ばれたのは葵の巻の事であるので、現在から10年前である。

出会ってから15年。こうして紫の上は物語第一の女君になったのである。

これを踏まえて先ほどの話に戻る。

朝顔の巻において、紫式部は、そうした呼び名にふさわしい紫の上と、その夫である光源氏に揺さぶりをかけるのである。冷泉帝から帝になってもらえないかと譲位まで(ほの)めかされた光源氏。光源氏は賀茂の斎院を終えた斎院に、けんもほろろに振られ、一方紫の上もまた朝顔の姫君の登場によって大きく嫉妬する。

こういう人間臭い人物がもう一人いる。朝顔の巻の最後にこんな場面が用意されている。

光源氏は色々と話をして紫の上を落ち着かせる。そこで光源氏は今まで関係をもった女君を一人

ずつ挙げていく。まずその中で最初に出たのは誰であろうか。折から京は雪。屋敷に仕える童たちが出て雪転がしをしている。

朗読⓸ 雪がひどく降り積もっているうえに更に降っていて、松と竹の違いが面白い夕暮れに、

          大臣の容貌が輝きを増している。

雪のいたう振り積もりたる上に、今も散りつつ、松と竹とのけぢめをかしう見ゆる夕暮れに、人の御容貌(かたち)も光りまさりて

見ゆ。

 解説 

光源氏は紫の上を色々と釈明し慰めている場面である。雪が降ってきた。

雪化粧した二条院。再び心を通わすようになった紫の上と光源氏。光源氏が御簾を巻き上げてみると、

 

そこにはどんな風景が広がっていたであろうか。

朗読⑤

御簾(みす)()き上げさせたまふ。月は隈なくさし出でて、ひとつ色に見え渡されたるに、しをれたる前栽(せんざい)のかげ心苦しう、鑓水(やりみず)いといたうむせびて、池の氷もえもいはずすごきに、童べおろして雪まろばしせさせたまふ。

 解説

一面の銀世界に降りしきる月の光。そうした風景の中、その人の名を久し振りに口にする。藤壺の事であった。光源氏は言う。亡き藤壺は御所で、雪の山を作らせて興じていたことがあったよ。そこから藤壺が如何に素晴らしい人であったかを、紫の上に話す。

 

朗読⑥ この世にあれほどのお方がおられましょうか。優しく鷹揚であるのに、深いたしなみが

          おありになる。あなたはその宮ゆかりの方でひどく違ってはいないが、少し厄介な所が

          ありますね。

世にまたさばかりのたぐひありなむや。やはらかにおびれたるものから、深うよしづきたるところの並びなくものしたまひしを、君こそは、さいへど紫のゆゑこよなからずものしたまふめれど、すこしわづらはしき気添ひて、かどかどしさのすすみたまへるや苦しからむ。

 解説

藤壺さまは中宮として人をみだりに近づけるなさることはなかったが、そのお姿をじかに拝見することは終生なかった。光源氏は慎重である。紫の上にだって藤壺との関係は明かすことは出来ない。続けて言う。その心配り、配慮が行き届いていて、あんな方はもう二人といらっしゃらない。そこで紫の上を覗き込むようにして、こういう。そういえば、あなたは亡き中宮様の(ゆかり)の方にも関わらず、藤壺さまと違って少し厄介な所があって、きかぬ気が勝ちすぎておられるのは困ったことだ。これはからかいである。直前で朝顔の君とのことは、何も心配することはないと語ったのを受けて、行き過ぎた勘繰りをやめてほしいという言い方である。

紫の上もすっかり光源氏への信頼を取り戻しているので、いじわるなことを言うな という感じである。

こうして光源氏は藤壺中宮を絶賛したのである。

 

 

 朗読⑦ 光源氏は藤壺の事を思いながら(やす)むと、宮がほのかに現れる。「漏らさないと仰った

            のに、話してしまわれたので恥ずかしいことです」と仰る。

入りたまひても、宮の御事を思ひつつ大殿籠れるに、夢ともなくほのかに見たてまつるを、いみじく恨みたまへる御気色(けしき)にて、「漏らさじとのたまひしかど、うき名の隠れなかりければ、恥つ゜かしう。苦しき目を見るにつけても、つらくなむ」と

のたまふ。

 解説

藤壺が光源氏を恨んだのである。藤壺は言う。「漏らさじとのたまひしかど、うき名の隠れなかりければ、恥つ゜かしう。

「私とのことは誰にも漏らさないと仰ったのに、私の名を傷つけるようなことをあなたはなさった。それが恥ずかしくて辛くて恨みます。」

ここで光源氏は目を覚ます。一体何があったのか。光源氏は困惑し動揺する。紫の上との藤壺の話も警戒をして話していた。藤壺とのことも、あくまで中宮と臣下とし言う立場で話している。にも拘らず藤壺は、恥つ゜かしう つらくなむ と恨んだ。どういうことであろうか。読者はああそうかと気付くはずである。そのことについてはこれまで何度も話してきたし、前回もチラッとそのことを言った。家族の数が力である平安時代の男たちは、複数の女性と関わようになる。目の前にいる女性が大切であればあるほど、他の女性と関わりが生じた場合には、自分の関わっている女性の事を積極的に語ろうとする。またそうしたやり方を女性もそれを受け入れていた。朝顔の姫君の事は、それがなかったからこそ紫の上は動揺したのである。紫の上がおかしな妄想に悩まされたのは、光源氏が朝顔の姫君との関係を何も語らなかったからこそ、紫の上が動揺したのである。

要するに話はそれたが、関わっている女性の話を聞かされたら、聞かされた側の女性の勝ち。自分との関係を他の人に話されてしまった方が負け。朝顔の巻の最後の所で、光源氏が絶賛という形で誉めそやしたにも関わらず、藤壺が私とのことは他の人に決して、漏らさじとのたまひしかど、うき名の隠れなかりければ、恥つ゜かしう。と恨んだ、その理由も明らかである。褒めようが何をしようが、自分の事を他の女性に、紫の上に話される事自体が、恥つ゜かし 情けないと言い募る藤壺は、もう中宮としての藤壺ではなく、一人の女性としての気持ちを言っているのである。これが物語に描かれた藤壺の最後の姿であった。そして紫の上の存在感が際立った。上と呼ばれる紫の上。朝顔の巻を上っ面で読むと、紫の上の妻としての立場が、脅かされる巻であると思われるがそうではない。紫の上が疑心暗鬼に苦しみながら、人間臭い姿を見せる。一方で彼女の妻としての確かな地位、物語の中での重要性が様々な形で強調される巻でもある。これで朝顔の巻の解説は終わり。

 

さて、乙女の巻の開幕である。

朗読⑧ 太政大臣の娘・亡き葵の上の生んだ夕霧の元服について、源氏の大臣は最初は

           二条院でと思ったが、祖母の大宮がその晴れ姿を見たいというので、三条の家で式

           をすることにした。出席する方はみな格別な上達部ばかりなので、主人方は準備万端

           整えることになる。

大殿腹の若君の御元服のこと思しいそぐを、二条院にてと思せど、大宮のいとゆかしげにおぼしたるもことわりに心苦しければ、なほやがてかの殿にてせさせたてまつりたまふ。右大将をはじめきこえて、御伯父の殿ばら、みな上達部のやむごとなき御おぼえことにてのみものしたまへば、主人(あるじ)方にも、我も我もとさるべきことどもはとりどりに仕うまつりたまふ。

 解説

政界の第一人者の光源氏の後継者問題である。亡き葵の上との子・夕霧も十歳を超えて、元服を

迎える。男の成人式である。ここで光源氏は家長として驚くべき判断をする。夕霧は母・亡き葵の上を知らない子である。すでに話したように、古代において子の養育に深く関わるのは母親の一族なので、夕霧は母方一族、特に大宮(祖母)から溺愛されて育った。で、この元服の儀式も当初は、光源氏の二条院で行おうと思っていたが、これでは可愛がってきた夕霧の晴れ姿を見ることのできない大宮の事を考慮して、大宮の三条の邸宅で行うことにした。大宮の息子の大将・昔の頭の中将は夕霧の叔父である。夕霧の門出は大変華やかなものになった。そのことが今の文章に書かれていたことで

あるが、問題はその次である。式は華やかでいいものだったと人々が思った瞬間、光源氏はこんなことを考えて世の中を驚かす。

朗読⑨ 光源氏は最初四位にしようと思っていたが、若いのにそうした地位を与えるのも如何

          と思って、六位にした。六位の 浅葱(あさぎ) 色の服であるのを、大宮は不満で心外と思った

          のは尤もでいたわしいことであった。

四位(しい)になしてんと思し、世人(よひと)もさぞあらんと思へるを、まだいときびはなるほどを、わが心にまかせたる世にて、しかゆくりなからんもなかなか目馴(めな)れたることなりと思しとどめつ。浅葱(あさぎ)にて殿上に還りたまふを、大宮は飽かずあさましきことと思したるぞ、ことわりにいとほしかりける。

 解説

この時代、父や祖父が身分ある人でしかるべき役職に就いていると、その子や孫は貴族社会の階段を一歩一歩上がっていくことは免除されて、一足飛びに高いくらいに就くことが出来た。夕霧も光源氏の子であるから、いきなり四位に就くだろうと誰もが思っていた。もちろん光源氏もそのように考えて

いたが、いや待てよ、思しとどめつ。思いとどまって普通のレベルで貴族社会にデビュ-させることに

した。この時代、位によって服装の色が違う。浅葱(あさぎ)にて殿上に還りたまふを、

浅葱(あさぎ) 六位の色の着物を着て殿上に帰った。夕霧自身も自分は四位と思っていたので、がっかりで

ある。四位はもう一つ上がると三位。三位以上を上達部というエリートである。当人は父の命に服しているが、黙っていないのが大宮。元の太政大臣の妻、葵の上の母、桐壺帝の妹。

 

そして六位になってどうするのかというと

朗読⑩ 光源氏の考えである。しばらく大学で学問をさせて役に立つようになったら、

           そのうちに一人前になるでしょう。

思ふやうはべりて、大学の道にしばし習はさむの本意(ほい)はべるにより、いま二三年(ふたとせみとせ)をいたづらの年に思ひなして、おのづから朝廷(おおやけ)にも仕うまつりぬべきほどにならば、いま人となりはべりなむ。

 解説

大学に入れて二三年は勉学に打ち込ませる。そのうちに役に立つようになったら、一人前ということにしましょう。この時代大学に入学するというのは、家柄が良くなかったり出世街道に外れた一族の人であった。家柄で貴族社会を駆け上がっていくことが出来ない人たちが努力するのである。そして家柄の良い人たちに仕えて立身出世していくのである。

わが孫可愛さになんということと不満を言う大宮に、光源氏は更に言う。驚くべきことだが、それは

次回とする。

 

「コメント」

講師の解説がないと、間違いなく 朝顔の巻の理解は出来なかった。