251012少女(おとめ)の巻(2)

この巻は長いし話題も多いので、少し時間をかけて話す。早速前回の続きである。貴族社会は身分社会であるが、夕霧は六位からデビュ-することになった。孫可愛さもあって、どうしてそんな可哀想なことをするのか、一言言ってやらねばといった調子の大宮(祖母)に、光源氏は更に実にびっくりするようなこと、つまり大学入学を告げる。

 

言葉を失った大宮に、光源氏は更にこう語る。

朗読① 私は宮中奥深く育ち、何も世間の事は知らず、いつも父帝のそばで

育った。父帝から習うだけで学ぶに不十分だった。子が親につまらぬ

親に優ることは滅多にないが、子孫の代になって開きが大きくなるの

は気がかりなのでこうしたのです。

みずからは、九重の中に()ひ出ではべりて、世の中のありさまも知りはべらず、夜昼御前にさぶらひて、わずかになむ、はかなき(ふみ)なども習ひはべりし。ただ、かしこき御手より伝へはべりしだに、何ごとも広き心を知らぬほどは、文の(さざえ)

まねぶにも、琴笛の調べにも、()たへず及ばぬところの多くなむはべりける。はかなき親に、かしこき子のまさる(ためし)は、いと(かた)きことになむはべれば、まして次々伝はりつつ、隔たりゆかむほどの行く先、いとうしろめたなきによりなむ、思ひたまへおきてはべる。

 解説

私は幼い時から九重(ここのえ)、宮中で育って、今は亡き父上・桐壺院に様々な事、中国の書、音楽の道など折に触れて手ほどきを頂いた。しかしそれがどこまで本格的な学び、学問であったかというと甚だ心許なく、偉大な父の備えておられたもののどれ程を引き継げたかというと、それは随分目減りしたと言わざるを得ない。そうなると、それを更に私から夕霧に伝えた所でどうなることか。

 

光源氏の一連の言葉の中でその後が振るっている。

はかなき親に、かしこき子のまさる(ためし)は、いと(かた)きこと

一言で言えば、とびか鷹を生む ことはない。更に彼の主張は続く。

朗読②

高き家の子として、官爵(つかさこうぶり)心にかなひ、世の中さかりにおごりならひぬれば、学問などに身を苦しめむことは、いと遠くなむおぼゆべかめる。戯れ遊びを好みて、心のままなる官爵にのぼりぬれば、時に従ふ世人(よひと)の、下には鼻まじろきをしつつ、追従し、気色とりつつ従ふほどは、おのづから人とおぼえてやむごとなきやうなれど、時移り、さるべき人に立ちおくれて、世おとろふる末には、人に軽め侮らるるに、かかりどころなきことになむはべる

 解説

今の場面で光源氏はこんなことを言っている。考えてもみてください。我が息子夕霧は元服を済ませたとはいえ、まだまだ若い。こんな時から地位も身分も思い通りということになったら、驕り高ぶるななどと言うのは無理な話である。学問とか努力とか、そんなことは面倒なこととして、戯れ遊びを好みて、 そして後はどうなることでしょう。周りの連中もご機嫌取りばかりなので、胡麻をすって近づいてくる。それも父親など確かな後ろ立てがあるからこそ。それがなくなった後が、本当の勝負。若い時から自分を磨いてない連中など何の役にも立たない。そうなると世間の人に、人に軽め侮らるる が、せいぜいである。

この考え方は当時の貴族社会の中でいうのは画期的である。そしてこの話を聞いているのが大宮であることに注意をすべきである。彼女は自分の兄の桐壺帝が溺愛していた光源氏のこれまでの人生全てを見ている。桐壺帝が生きているときは良かった。しかし強力な後見、桐壺帝を失ったわが婿・光源氏がどのような苦汁をなめ、ついには都を去るまでに追い詰められた一切を見てきた。

時移り、さるべき人に立ちおくれて、世おとろふる末には、人に軽め侮らるるに、かかりどころなきことになむはべる。

光源氏は、私だっていつまでも生きている訳ではない。夕霧が一人、この世に取り残され時の事を考えているのです。そういわれて大宮は、それはそうだと納得した。

 

読者の中には、このことが過去のあることから来ていると気が付いた人もいるかも知れない。澪標の巻である。

朗読③ 

宿曜(すくよう)に御子三人、帝、后必ず並びて生まれたまふべし。中の劣りは太政大臣にて位を極はむべし と(かん)へ申したりしことさしてかなふなめり。

 解説

光源氏が若い時に受けたという 宿曜(すくよう) 星占い 。それは今の文章に書かれているように、光源氏には三人の子供が生まれ、そのうちの二人は帝と后になるだろう。中の子は太政大臣になるだろうというものであった。まさに、その 中の劣り が太政大臣になるであろうと予言された人こそ夕霧である。光源氏が夕霧に学問を受けさせようと考えたのは、この予言を受けてであろうと考えられる。

この際なので、太政大臣の立場と役割について話す。

左大臣と右大臣は常にいるのに対して、太政大臣はいつもいる訳ではない。常に置くと書いて、常置(じょうち)。左大臣と右大臣は常置。太政大臣は、天皇にとっては師、天下にとっては 範 、そういうことに値する人がいる時だけ任じられるもので、適当な人がいなければ、欠員なのである。つまり非常置で、家柄、人格、教養の全てを有した人物がいる時だけおかれる、これが太政大臣である。大宮の夫が任じられていた。その人が亡くなった後には、光源氏にぜひ太政大臣にとの話があったが、光源氏は拒んだ。薄雲の巻のこと。なぜ就任を断ったか。その理由は書かれていない。が、自分は父・桐壺帝からいささかの学問は授けられたが、本格的な学問は身につけていないと感じていたのである。

はかなき親に、かしこき子のまさる(ためし)は、いと(かた)きことになむ 朗読①

賢明な男が、つまらない親に生まれるといった例は滅多に見られない。つまり

自分自身の学問に不足があると光源氏が語っていたことを思い合わせると、光源氏は太政大臣と

いう職が如何に重いかということが良く分かっていて、自分などとてもと断ったのである。ゆえに 宿曜(すくよう) で太政大臣になると予言された夕霧には、本式の学問を身に付けさせておかねばと考えたのである。その視線の先には夕霧の太政大臣への就任が見据えられている。そう考えると光源氏が何を考えていたかが良く見えてくるし合理的であったし、少なくとも光源氏は夕霧に闇雲に夕霧に大学に行くことを命じたわけではないことが分かる。

 

しかし夕霧にはそんなことを考える理解力はない。なぜ自分だけ六位なのか納得できないが、基本的にはまじめな性格なので、期待に応えて学問を研鑽する。その様子を見てみよう。

朗読⓸ さして辛いこともしないで高い位に昇る人もいるのにと恨みもするが、

まじめな人なので辛抱して勉強しようと思って、四五ヶ月で史記も

読み終えた。

かく苦しからでも、高き位に昇り、世に用ゐらるる人はなくやはある、と思ひきこえたまへど、おほかたの人柄まめやかに、あだめきたるところなくおはすれば、いとよく念じて、いかでさるべき(ふみ)どもとく読み果てて、まじらひもし、世にも出でたらんと思ひて、ただ宿曜(すくよう)のうちに、史記などいふ(ふみ)は読み果てたまひてけり。

 解説

全体で150編、50万語を超える「史記」を、五ヶ月で読破。これは例えば「源氏物語」を、現代語訳でサラサラと呼んだというのとは全く違う読み方である。加賀美さんの朗読と、私の解説を何度も聞いて、何を聞かれてもサラサラと答えられるレベルである。夕霧は「史記」そのものがすっかり頭に中に入ってしまったという読み方である。

 

そのためには夕霧には甘さは禁物。光源氏はこんな風に夕霧に伝える。

朗読⑤ 夕霧は大宮の下にほとんど行かない。行くことで勉強が

出来ないので、月に三度と命じられた。

大宮の御もとにも、をさをさ(もう)でたまはず。夜昼うつくしみて、なほ(ちご)のやうにのみもてあなしきこえたまへれば、かしこにてはえもの習ひたまはじとて、静かなる所に籠めたてまつりたまへるなりけり。一月に三たびばかりを、参りたまへとぞ、許しきこえたまひける。

 解説

大宮は夕霧を (ちご)のやうにのみもてあなしきこえたまへれば 幼子のように扱われるので。これでは勉強が出来ないので、月に三度だけ、大宮の屋敷へ行く許可が出る。そして勉強部屋は彼が育った三条の屋敷ではなく、別にする。光源氏の二条の東院。光源氏しか頼るものがない、かつて関わりのあった女性たちの住む屋敷。そこに夕霧の勉強部屋を用意する。

 

東院に誰が住んでいるかというと

朗読⑥ 光源氏は西の対に住む花散る里に若君のお世話をお願いした。大宮

の命も長くないのでこの後もお世話願いたいと言う。彼女は従う性格

なので大切にお世話をなさる。夕霧はこの方をチラッと見て、顔だちも

優れていないのにこのような方も、父上はお見捨てならならないのだ

と思う。このような気立ての優しい人と一緒になるのも良いことと思う。

殿はこの西の対にぞ聞こえ預けたてまつりたまひける。「大宮の御世の残り少なげなるを、おはせずなりなん後も、かく幼きほどより見馴らして後見(うしろみ)思せ」と聞こえたまへば、ただのたまふままの御心にて、なつかしうあはれに思ひあつかひたてまつりたまふ

ほのかになど見たてまつるにも、容貌(かたち)のまほならずもおはしけるかな、かかる人をも人は思ひ棄てたまはざりけりなど、わがあながちにつらき人の御容貌を心にかけて恋しと思ふもあぢきなしや、心ばへのかやうにやはらかならむ人をこそあひ思はめと思ふ。

 解説

今の場面に 西の対 とあった。二条院の西側の建物にいる人。即ちあの花散る里である。桐壺院の女御の一人であった麗景殿(れいけいでん)の女御の妹である。彼女は身寄りや後見のない人だったので、光源氏に庇護されてこの東院に移り住んでいる。その彼女・花散る里に 預けたてまつりたまひける。 というのは、夕霧の養育はあなたに任せるということ。大宮だってご高齢だ。いつまでもこの世の人ではないのだからという。母親の役を頼むということ。この花散る里という人はどんな人なのかと今まで書かれることはなかった。それがこの 少女(おとめ)の巻 あたりから少しずつ明らかになっていく。光源氏から夕霧の母親という役目を与えられて、彼女は ただのたまふままの御心にて、 とも書かれていた。

なつかしうあはれに思ひあつかひたてまつりたまふ。 ともあった。光源氏に

言われると「はい、承知しました」と、人に逆らうことなく素直な人である。決して

器量よしではないが、それを今の場面で夕霧はチラッと見て、

容貌(かたち)のまほならずもおはしけるかな、 お顔立ちは決して、でもそういう方を父上は大切になさって来たのだとか、

心ばへのかやうにやはらかならむ人をこそあひ思はめと思ふ。

心映えが優しく穏やかな人だ、私もいつかこんな人となどと思う。

こんな風に「源氏物語」はいかにも長編小説らしく世代交代に筆を割き始め、

次の世代が育っていく。

 

所で光源氏を後見として、父親代わりにする女性がいた。あの六条御息所から託された、忘れ形見・斎宮の女御。彼女は今、どうしているのだろう。

朗読⑧

とりと゜りに思し争ひたれど、なほ梅坪ゐたまひぬ。御幸ひの、かくひきかへすぐれたまひけるを、世の人驚ききこゆ。

 解説

色々な意見があったが、結局 梅坪女御が后になった。梅坪 というのは、斎宮女御のこと。そして

今回の結末に、

世の人驚ききこゆ。光源氏は何もしなかったが斎宮女御は后になった。そのことによって光源氏の

人生にも変化が起きる。

 

六条御息所から託された斎院女御が中宮になったので、いよいよ斎院女御に頼りにされるので支えねばならなくなった。そして光源氏は観念した。

朗読⑨ 光源氏は太政大臣に、右大将は内大臣になった。光源氏は政治を

内大臣に譲る。この内大臣は正直な人で心遣いもしっかりしている。政治的に有能な人である。

大臣(おとど)、太政大臣に上がりたまひて、大将、内大臣になりたまひぬ。世の中のことどもまつりごちたまふべく、譲りきこえたまふ。人柄いとすくよかに、きらきらしくて、心用(こころもち)ゐなどもかしこくものしたまふ。学問をたててしたまひければ、(いん)(ふたぎ)には負けたまひしかど、公事(おおやけごと)にかしこくなむ。

 解説

澪標の巻で都に復帰して摂政にという声が上がった時にとてもとてもと断り、

政界を引退していた 致仕(ちじ)大臣(おとど) に政界復帰を願って、彼に太政大臣になって貰い、彼に政は

万事お任せすることにした。

薄雲の巻ではその太政大臣がなくなってしまったので、太政大臣との声があったのをまた断って

いる。松風の巻辺りから光源氏はよく口にしていたが、私は引退して嵯峨野の御堂で仏道修行をしたいといっていた。しかし今回は仕方なく太政大臣就任となる。政治の実務は、世の中のことどもまつりごちたまふべく、譲りきこえたまふ。 と書かれている。

頭の中将、今の内大臣に実務は一切お願いすることとした。政治の実務に通じているので、と言うのが理由であった。

斎宮女御の立后(りつごう)、太政大臣就任という流れの中で、光源氏の権力に恬淡(てんたん)とした姿が印象的である。

実際にこんな人はいないし、そんな人が太政大臣になることもない。作者紫式部は、光源氏を権力欲から一番遠い人にも関わらず、なぜかまたは周りの支えや力添えによって権力の中心に引き寄せられ、高みに押し上げられる人として光源氏を描いている。そのことによって光源氏を脂ぎった精力的であくの強い人物としてではなく、いつまでも青年のような清廉な顔立ちと、淡白さを失わない人物として描き出している。実務は頭の中将、内大臣が引き受けることになっている。次回は少女の巻の最終回。その内大臣が大活躍する。というか、夕霧がひどい目に会うことになる。

 

「コメント」

 

普通ダイジェストで読むと出てこない部分かな。光源氏の人となりが良く分かる所なので、読者には嬉しい。