251109㉜藤裏葉の巻(2)

本講義は30回以上放送してきたが、講義自体が今回で大きな節目を、締めくくりを迎えるのでよく聞いて頂きたい。

さて前回の続きである。光源氏の娘が東宮妃として入内する。ついてはこの機会に産みの親の明石の君をお世話役、原文の言葉で言えば後見(うしろみ)である。彼女を姫君に添えてはどうかと、紫の上と光源氏の間でまとまった。明石の君に否やのあろうはずがない。四月二十日過ぎ、遂に姫君は入内の日を迎える。傍らには紫の上が寄り添う。前回朗読の文章にも、かくて、御参りは北の方添ひたまふべきを、とあった。一家の北の方としては紫の上と姫君とは、当然車での参内である

朗読① 姫君には紫の上が寄り添って参内するが、実の母は姫の輦車(てぐるま)にも同乗できず、身を

          低めて徒歩でついていく。世間体が悪かろうが自分自身では気にならないが、むしろ

          姫君にとって玉の瑕になるのではと思い、自分のようなものが生きていることを心苦

          しく思う。

その夜は、上添ひて参りたまふに、御輦車(てぐるま)にも、立ちくだりうち歩みなど人わるかるべきを、わがためは思ひ憚らず、ただかく磨きたてたてまつりたまふ玉の(きず)にて、わがかくながらふるを、かつはいみじう心苦しう思ふ。

 解説

明石の君は徒歩で 輦車(てぐるま) につき従う。輦車(てぐるま)にも、立ちくだりうち歩みなど と書かれている。車の後を従うように歩いていくのである。女房風情ですら歩くことはない時代である。明石の君もこんなことは初めてであろう。

人わるかるべきを 全く体裁の悪く、人目が気になること。しかし明石の君は自分のこと、わがためは思ひ憚らず、

いささかも気にしていない。彼女の気持ちは、 

ただかく磨きたてたてまつりたまふ玉の(きず)にて、わがかくながらふるを、かつはいみじう心苦しう思ふ。

ここまで光源氏と紫の上が育てて下さった姫君に私のような者がつき従っていることが、(きず) になりはしないかと、

わがかくながらふるを、かつはいみじう心苦しう思ふ。

自分の様なものが、なぜ今日まで生きながらえてしまったのか。こうして生きながらえているのを心苦しく思うのであった。明石の君はどういう思いで、宮中までの道のりを歩いていたかは理解できたであろう。そうした彼女を明石の上と呼ぶことが今でもよくある。しかしそういうことには大きな問題がある。上 というのはどういう言葉であるのか。どういう人が 上と呼んで貰えるか。それにふさわしいのか。紫の上という呼び方が、物語のずっと後の方まで出てこないということを通じて、すでにこの放送で

解説した。一家の大黒柱、女主となって初めて 上 と呼ばれる。紫の上でも初めから紫の上では

なかった。若紫、姫君、女君。物語の中では長くそのように呼ばれていた。翻って明石の浦に育った

この姫君の産みの母親たる明石の人が物語の中で、上 と呼ばれることはなかった。源氏物語に

明石の上という呼び方は出てこない。作者紫式部が、彼女のことを明石の上と呼ぶことは一度もなかった。彼女はあくまで明石の君であり、六条院に転居してからは、冬の御方である。その彼女を現代語訳の本や解説書は、折々明石の上と呼んでいることは折々誤解を生む。

光源氏と紫の上が磨きに磨きをかけた姫君の産みの親は上にはなれない。明石の君の立場は、

解説で理解できたと思う。

さて彼女のそんな思いとは別に、車列は一路宮中へ。三日後紫の上は姫君を残して宮中を退去する。入れ替わるように姫君の御前に昇るのは明石の君である。まずは紫の上との対面である。

紫の上の方から言葉をかける。

朗読② 紫の上に入れ替わって明石の君が参入する時、初めて二人は対面する。紫の上が

          「長い年月お育てしたので、あなたとは他人行儀な遠慮はいりませんね」という。そして

          二人は打ち解ける。明石の君の様子に紫の上は、光源氏がこの人を大事に思うのは

         尤もなことと目を見張る思いである。

たちかはりて参りたまふ夜、御対面あり。「かくおとなびたまけぢめになん、年月のほども知られはべれば、うとうとしき隔ては残るまじくや」となつかしうのたまひて、物語などしたまふ。これもうちとけぬるばしめなめり。ものなどうち言ひたるけはひなど、むべこそはとめざましう見たまふ。

 解説

紫の上の言葉である。うとうとしき隔ては残るまじくや このように姫君が立派にご成人されたのを見るにつけても長い年月が経ったのである。それを見れば私とあなたの間の隔たりはありませんね。

これが紫の上が明石の君にかけた言葉であった。

これもうちとけぬるばしめなめり。と書いてあるように、二人が逢うのは初めてである。言葉をかけられた明石の君は、紫の上がどのようなことを思い、どのように受け取ったかと思う。今の場面にはっきり書かれているが、紫の上は明石の君の ものなどうち言ひたるけはひなど、むべこそはと むべ というのは現代でも、むべなるかな と言葉が辛うじて残っている。成程、納得だという言い方である。光源氏に愛されるまでになったのも、成程と思わせるような人と葵の上は思ったという訳である。しかし一方で紫の上は、明石の君を めざましう見たまふ。めざまし を、現代語訳するのは難しい。

ここは現代語訳の本ででも分からないであろう。めざまし というのは、目が覚めるほど素晴らしいと手放しでほめる場合に使われる。一方で最初の桐壺の巻でこんな文章があった。桐壺更衣が帝の

寵愛を一身に集める事を、他の女性たちが めざましきものにおとしめ嫉み給ふ。とある。有名な

文章である。ここにも めざまし である。

これは他の女性達は同じ女として女君として、桐壺の君の成功を許しがたいという意味である。紫の上の明石の君に対する めざまし も、こうした二つの感情が入り混じった言葉である。さすがこの人だからこそ、光源氏はこの人を愛したのだと納得して、 めざまし 目が覚めるような水際だった人だと認める一方、心から打ち解ける訳にはいかないも許す訳にはいかないという思いも紫の上は抱いた めざまし の中には入っている。

 

一方明石の君の目に映った紫の上はどうであったろう。

朗読③ 明石の君は紫の上の気高い様子を立派だと感じ入り、光源氏の愛を得たのも尤もな

          ことと思う。それにしてもこんな方と立ち並ぶ私も大したものと思うが、退出する紫の上

     の様子は美々しく我が身と比べてしまう

またいと気高う盛りなる御けしきを、かたみにめでたしと見て、そこらの御中にもすぐれたる御心ざしにて、並びなきさまに定まりたまひけるも、いと道理(ことわり)と思ひ知らるるに、かうまで立ち並びきこゆる契りおろかなりやはと思ふものから、出でたまふ儀式のいとことによそほしく、輦車(てぐるま)などゆるされたまひて、女御の御ありさまに異ならぬを、思ひくらぶるに、さすがなる身のほどなり。

 解説

またいと気高う盛りなる御けしき とあった。今を盛りと咲き誇る大輪の花の如きご様子。多くの女性達の中でも光源氏の愛を独占しているのも、いと道理(ことわり)と思ひ知らるるに、 当然だと明石の君は思った。そしてそんなお方と対面し言葉を交わすことができる自分は一方では、かうまで立ち並びきこゆる契りおろかなりや と明石の君は思った。こんな風に同じ空間を共有し立ち並んでいるので、自分の運命も大したものだと思う。ごく簡単に言えば、紫の上と自分は対等だという思いを抱いた。しかし次の瞬間、こういう思いは崩れる。宮中から退出していく紫の上は、まるで帝の后のような扱いを

受けていると思う。それを目にして、ああ それは所詮錯覚、自分と紫の上との間には大きな隔たりがあるということを痛感した。女御の御ありさまに異ならぬを、思ひくらぶるに、さすがなる身のほどなり。

久し振りに明石の君のキ-ワ-ド 身のほど が出てきた。東宮の女御の母親としての扱いを紫の上が受けている。どう逆立ちしたって敵わない。宮中で車を使うことも許されず、自ら歩いて参上した自分の立場を改めて感じた。紫の上、明石の君 二人とも複雑な感情を抱いた対面であった。互いに

感服する感情と負けてなるものかとの思いが交錯する。紫の上と明石の君の心の動きが丁寧に描かれた、いかにも「源氏物語」ならではの筆遣いである。

 

さて時を少し戻す。紫の上は宮中で時を過ごして六条院に帰っていった。明石の君はついに姫君と

対面する。

朗読⓸ 姫君のお雛様のようにな姿を見るにつけ、明石の君は涙涙。死にたいと悲観していた

     身も、長生きしたいと思う。住吉の神のご加護もあらたかと悟らねばならない。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                    

いとうつくしげに(ひひな)のようなる御ありさまを、夢の心地して見たてまつるにも、涙のみとどまらぬは、ひとつものとぞ見えざりける。年ごろよろづに嘆き沈み、さまざまうき身と思し屈しつる命も延べまほしう、はればれしきにつけて、まことに住吉の神もおろかならず思ひ知らる

 解説

明石の君の眼には姫君はどう映ったであろうか。いとうつくしげに(ひひな)のようなる御ありさま なんて可愛らしいというのが最初の印象。お雛様みたい。これまでのわが一生は苦しいこと、嘆かわしいこと、耐えねばならないことの繰り返し。こうして姫君と再会できて、そして近くに仕えて世話をさせて貰う。もうこれだけで生きていてよかったという思い。そして

年ごろよろづに嘆き沈み、さまざまうき身と思し屈しつる命も延べまほしう、 はどんなことであろうか。

宮中に参内する車の後を徒歩で歩きながら、明石の君は何を考えていたのだろう。産みの親であるにも関わらずなんと救いのない世界であろうか。しかし今の場面でそうした思いが一変したことが分かる。生まれてきてよかった。そして はればれしきにつけて、 とある。 苦しい人生であったが心が

晴れた。住吉の神のあらたかな霊験に頭を下げ、手を合わせている私がいる。

こうして光源氏に関する人がそれぞれいるべき場所に安息している。夫婦となった夕霧と雲居の雁。東宮の女御となった姫君。姫君の母として光源氏の北の方として存在感を増す紫の上。長い苦労の多い人生の果てに、姫君の後見として場所を得た明石の君。

 

物語の大団円も近い喜ばしい予感の中、光源氏が登場する。

朗読⑤

明けむ年四十(よそぢ)になりたまふ、御賀のことを、朝廷(おおやけ)よりはじめたてまつりて、大きなる世のいそぎなり。

その秋、太政天皇なずらふ御位得たまうて、御封(みふ)加はり、年官(つかさ)年爵(こうぶり)などみな添ひたまふ。

 解説

紫式部は全くすごいことを考えた。誰も予想しなかったことである。その年に遂に 

太政天皇なずらふ御位得たまうて

とあった。天皇の位を降りた方が、その後に 太政天皇 になる。太政天皇 になって、上皇とか院とか呼ばれる。天皇の上にあるのが 太政天皇 である。なずらふ は、準ずるということ。彼は天皇を飛び越えて上皇になったのである。驚くべきことである。これは当時の読者も予想していなかった。

何故だろうか。日本の歴史で天皇に即位していない人が太政天皇になるか、それに準ずる立場に

なるということはなかったからである。歴史上に()一条院(いちじょういん)という人がいる。三条天皇の第一皇子で、(あつ)(あきら)親王と呼ばれたのち、彼は東宮にまでなりながら天皇にならなかった。そこには色々な政治的な

駆け引き、政治の実力者・藤原道長との軋轢もあったろうし、敦明親王自身にもいろいろと問題が

あった、様々なことが歴史学者によって明らかにされつつあるが、今は日本歴史から見るしかない。

「源氏物語」を読むために注意しておきたいことは、一つだけある。小一条院、敦明親王は自分が

東宮になって、天皇になることはしない。その見返りに天皇経験者と同じ処遇を与えて欲しい。太政天皇と同様な存在として認めて貰いたいと。

それが認められて、日本の歴史に初めて準太政天皇が登場した。注意したいのはそういう風にして、敦明親王が準太政天皇となった後に、小一条院の尊号が贈られたのは、「源氏物語」が描かれるより後のことである。「源氏物語」の準太政天皇が先で、敦明親王・小一条院の登場の方が後ということが大切である。「源氏物語」は単に歴史上起きたことを後から追いかけ、物語の中に描いているのではなくて、歴史を先取りしているのである。これは驚くべきことである。

 

ここで読者は、はたと気付くことがある。物語の最初の桐壺の巻で、不思議な予言を残した高麗の僧、外国から来た予言者の言葉を思い起こされるからである。

朗読⑥

相人(そうにん)驚きて、あまたたび傾きあやしぶ。「国の親となりて、帝王の上なき位に昇るべき相おはします人の、そなたにて見れば、乱れ憂ふることやあらむ。朝廷(おおやけ)の重鎮となりて、天の下を(たす)くる方にて見れば、またその相(たが)ふべし」と言ふ。

 解説

桐壺の巻で、当時七歳であった光源氏は、外国の僧にこう言われた。「全く不思議なことだ。この子に帝王に昇るべき相、すなわちまごうことなく帝王相が現れている。しかしこの人が帝王に昇ったら、

乱れ憂ふることやあらむ。 国の乱れ、この子の苦しみが起きる。しかし臣下となって国を支える地位に甘んじているかと言えば、そこに収まっているような器ではない。つまり帝王なら帝王、臣下な臣下というのではなくて、帝王でも臣下でもなく、そうした未来が光源氏の顔に見える。放送の時に、この

場面を覚えておいて下さいと言った。あの謎に満ちた言葉は、この結果を見据えた伏線であったのである。今、光源氏は準太政天皇。帝でも、臣下でもない位になったのである。物語の最初・桐壺の巻と三十三番目の藤裏葉の巻は響き合っている。物語の大団円を迎える準備をしている。光源氏に

関わる人々が、収まるべきところに収まっている。この三十三番目の藤裏葉の巻までを、「源氏物語」の第一部と呼んで、これ以降の物語と区別して考えることが多く行われているのはこうしたことによる。藤裏葉の巻で光源氏が準太政天皇に就いたことを以て、一旦「源氏物語」は御終い、大団円というのは次のような事からも考えられる。さっき朗読した 

その秋、太政天皇なずらふ御位得たまうて

という一節。そこにはもう一つ驚くべきことが書かれていた。何だろう。これまでの物語では一度も知られていないこと。

最後の最後で紫式部はそのことに触れたのであると思われる事柄。光源氏は年が明けたら四十になるという事実。今この時点で三十九ということ。これはこれまでの物語の中で一度も知らされなかった衝撃的な事実である。これまで物語の中で光源氏の年齢は書かれていなかった。例外は桐壺の巻。三歳で母親が亡くなったとか、十二歳で元服などと書かれていたが、それ以後は一度も書かれていないのが光源氏の年齢である。そしてこの巻で初めて光源氏の年齢が明かされた。作者・紫式部が光源氏の人生に一区切りをつけようとしているのである。

年が明けたら光源氏は四十歳になる。これは当時の人々にとっては非常に大きな意味を持った年齢である。節目である。ここからは長寿の入口。光源氏も初老となって老境に差し掛かっている。

明けむ年四十(よそぢ)になりたまふ、御賀のことを、朝廷(おおやけ)よりはじめたてまつりて、大きなる世のいそぎなり。 とあった。

御賀 四十の祝いの宴をどういう具合にするか、天皇・冷泉帝をはじめ、世を挙げて準備が行われつつあると書かれている。このように藤裏葉の巻は光源氏の頂点を描き出して、大団円を迎えようと

している。

 

これを一つのもう一つ飾り立てるべく、藤裏葉の巻の最後に、物語が用意したのは六条院行幸の

場面である。今上帝・冷泉帝と太政天皇である朱雀院の二人が、六条院に行幸することになった。

これで三人の帝王がそろい踏みというおめでたい場面である。

朗読⑦

神無月の二十日あまりのほどに、六条院に行幸あり。紅葉の盛りにて、興あるべきたびの行幸なるに、朱雀院にも御消息ありて、院さへ渡りおはしますべければ、世にめづらしくありがたきことにて、世人(よびと)も心をおどろかす。(あるじ)の院方も、御心を尽くし、目もあやなる御心まうけをせさせたまふ。

巳の刻に行幸ありて、まづ馬場殿に、左右の(つかさ)の御馬牽き並べて、左右の近衛立ち添ひたる作法、五月(さつき)(せち)にあやめわかれず通ひたり。(ひつじ)下るほどに、南の寝殿に移りおはします。道のほどの反橋(そりばし)、渡殿には錦を敷き、あらはなるべき所には軟障(なんしょう)をひき、いつくしうしなさせたまへり。東の池に舟ども()けて、御厨子所(みづしどころ)の鵜飼の(をさ)、院の鵜飼を召し並べて、鵜をおろさせたまへり。

 解説

十一月の末、紅葉の盛りである。それぞれの町を繋ぐ橋などには 錦 を、道路には 軟障(なんしょう) を敷く。庭の池に舟を浮かべ、鵜飼をする趣向である。松風の巻で光源氏が郊外の桂の院で宴を催し、そこで鵜飼を催した。そこで鵜飼というのは、古代において天皇と密接な関係がある。当時は臣下であった光源氏が、鵜飼をしたというのは当時すでに臣下という立場を越えて、すでに郊外で悠々自適する帝王のような姿を見せていると話した。その時、光源氏が一瞬見せた帝王と見まごう姿。今光源氏は準太政天皇として実際に六条院の池に鵜飼を催し、帝王の姿を示している。物語の中でもこれまでにない優雅な宴が始まる。招かれた人々の中心にいるのは、天空に輝く満月の如き人、準太政天皇光源氏。

藤裏葉の巻、「源氏物語」の第一部はここに幕を下ろす。

 

「コメント」

共感を呼ぶのは明石の君の参内の場面、なんとも哀切極まりない。それと圧巻は光源氏の

準太政天皇。紫式部の才には驚くばかり。