251130㉟若菜上の巻(3)

前々回から若菜という巻を読み始めている。光源氏が人生の頂点に到達したと言って良い、藤裏葉の巻のその後の世界である。私の前に「源氏物語」の文庫本がある。若菜という巻は非常に長大で「源氏物語」の中でも一番長い巻であることは、その文庫本を眺めて見てもわかる。余りに長いので若菜の巻だけは上下に分かれている。手元の文庫本では90頁を超える。これまで読んできた中でも長い巻というと、最近読んだ巻で言うと、少女の巻は話題も沢山でボリュ-ムたっぷりという印象があったが、それでも文庫本で50頁程度である。これまで一つの巻を二回に分けて話して来た。一方長い巻や重要な巻では二回では解説が出来ないので、三回に分けて話して来た。葵、澪標、少女の巻。若菜の巻はその少女の巻の二倍あるので、上巻だけでも五回で話す。下巻もその程度掛かるであろう。

さてこの長大な巻の解説を、読者は聞いたことがないであろう。女三宮という高い身分の妻が光源氏の下にやってきて、紫上が傷つき苦しい思いをするこの巻のテ-マは、一夫多妻制の社会の悲劇とか、そうした社会の批判とか、そんなことが今まであちこちで言われてきたようであるが、そんなことであったらこんなに大きな長大な巻は必要だったかどうか。

若菜の巻が描き出そうとするのは、もっと複雑で多様で今も昔も変わらない人の世の本質的な部分に関わることである。それがどのような問題、テーマであり、若菜の巻から始まる新しい物語がどのような世界であったのかを、この講義を聞きながら読者にも考えて貰いたい。

さて前回の続きを話す。光源氏が朱雀院の下を訪れる以前には思ってもいなかったことであろうが、なぜ自分の口から女三宮の後見は私がという言葉が出てくることになるのか。しかし死を前にして悩み苦しんでいる朱雀院を見て、光源氏はついにそう言ってしまった。その辺りのこともう一度確認を

する。

 

光源氏は今日、女三宮が六条院にやってくることについて、紫の上にこう説明をする。

朗読① 女三宮のことは最初はお断りしていたが、お目にかかるととてもお断りできなかった。

          あなたはとても不愉快でしょう。でもこれまでとは変わりませんから気にしないで

          ください。でもこうしたことはあの方にはお気の毒なことです。

今はさやうのこともうひうひしく、すさまじく思ひなりにたれば、人づてに気色ばませたまひしには、とかくのがれきこえしを、対面のついでに、心深きさまなることどもをのたまひつづけしには、えすくすくしくも返さひ申さでなむ。深き御山住みに移ろひたまはむほどにこそは、渡したてまつらめ。あぢきなくや思さるべき。いみじきことありとも、御ため、あるより変ることはさらにあるまじきを、心なおきたまひそよ。かの御ためこそ心苦しからめ。

 解説

今の文章では、光源氏はこう語っている。

人づてに気色ばませたまひしには、とかくのがれきこえしを、

人伝(ひとづて)(ほの)めかし、ご依頼があった時には何とか逃れようとしたが、対面して朱雀院のその言葉の一つ一つを伺っているうちに、えすくすくしくも返さひ申さでなむ。きっぱりとお断りすることが出来なくなってしまった と語る光源氏も今は苦渋の表情を浮かべている。紫の上が如何に自分を信頼しているか、信じていてくれるかが分かっているからである。

 

紫の上が光源氏に寄せる信頼についてはこんな風に書かれている。

朗読②

紫の上も、かかる御定めなど、かねてもほの聞きたまひけれど、さしもあらじ、前斎宮をもねむごろに聞こえたまふやうなりしかど、わざとしも、思し遂げずなりにしを、など思して、さることやあるとも問ひきこえたまはず゜、何心もなくておはするに、

 解説

紫の上はかねてより女三宮のことを耳にしていたが、光源氏がそれを受けるなどとは思ってもいなかった。

さしもあらじ、 とはそういう意味である。前斎院の姫君のことがあった時も、私の取越し苦労で結局何もなかったとも書いてあった。それで今回の 何心もなくておはするに、 気にしないご様子なので となる。前斎院朝顔の姫君との一件を経て、光源氏に寄せる信頼は更に強くなったと言って良いで

あろう。また確かに光源氏という人は、紫の上から見て信頼に足る人であった。「源氏物語」描かれているのは光源氏という途方もないプレイボ-イの妻になったが為に、このことに終生悩まされ苦しめられた紫の上という女性の生涯、彼女の苦労の歴史と思っている人は、この講座のリスナ-にはいないはずである。光源氏は須磨、明石と流離した三年間。そして逢いたくて仕方なかった紫の上の下に帰ってきた。その後彼が新しい女性と関係をもったことがあったろうか。斎宮女御はとても素晴らしい女性で光源氏も心惹かれた。

しかし彼はその母・六条御息所の遺言を守って。それ以上近づこうとはしなかった。むしろ後見役と

して冷泉帝に入内させたのである。

更にまたこの放送では取り上げなかった玉葛の巻において光源氏は若い頃の愛人・夕顔の忘れ形見・玉葛、彼女を前にして夕顔そのものと言って良い面差しを称えた。そして若々しい魅力に溢れた彼女に心を揺さぶられ魅了されたが、光源氏はそこでも思い止まる。何故だろうか。いくら玉鬘が魅力的であったとしても、自分には最愛の人・紫の上がいる。

そして玉鬘と別れた。光源氏は世間で言われている以上に自制的で理性的で、紫の上をいかに大切にしてきたか、理解してもらえたであろう。光源氏は若い時に明石の地で明石の君と結ばれた。それを最後に他の女性と関係を持つようなことはなかったことが分かる。世間では「源氏物語」をちゃんと読まないままに、光源氏即ちひどい男、プレイボ-イ、人でなしというイメージが一人歩きしている。

この放送のリスナ-はきっちり理解しているはずである。

今の若菜の巻で読んだように、紫の上はすっかり安心していたし光源氏を信頼してきたし、心安らかに過ごしてきた。光源氏も紫の上を誰よりも大切にし、このことは紫の上にも十分に伝わっていた。

そうしたところに女三宮が突如として登場する。だから紫の上に衝撃を与えないはずはない。紫の上が可哀想、光源氏はひどいではなくて、物語にはどう書かれているか。作者・紫式部は何を書こうと

していたのかを丁寧に確認していく。光源氏から女三宮のことを聞かされた紫の上がどのように受け止めたか。彼女はこんな風に受け止めた。

朗読③ 紫の上は空から降ってきたように思いがけないことで、殿も逃れようがなかったのだ。

          でも自分がぼんやりと物思いにふけっている様子を世間の人に気付かれるようには

          すまい。

心の(うち)にも、かく空より出で来にたるやうなることにて、のがれたまひがたきを、憎くげにも聞こえなさじ、わが心に憚りたまひ、諫むることに従ひたまふべき、おのがどちの心より起これる懸想(けそう)にもあらず、()かるべき方なきものから、をこがましく思ひむすぼほるさま世人に漏りきこえじ

 解説

まず紫の上の心理として、私というものがありながら女三宮を迎え入れるなんて。光源氏は私を裏切った。信じられないというようなことが一切書かれていないことが理解されたか。紫の上はこう言っている。「これは仕方ない。個人の力ではどうしようもないことだ。」今の文章で言うと 

おのがどちの心より起これる懸想(けそう)にもあらず、()かるべき方なきものから、

の部分である。光源氏と女三宮が恋に落ちた訳ではなく、今回のことはそんなことでは全くない。

()かるべき方なきもの ()かる とは川の流れを堰止めるという意味で、止めようがない、避けようがないという意味。つまり今回の出来事は防ぎようがない、どうしようもないこと。光源氏の腹違いの兄で、出家した上皇である朱雀院から直々の申し出があった時、それを断れることかどうか。今回の

ことはこうしたことだと紫の上は言う。

これまでの経緯を思い出してみよう。明石の君と光源氏の関係を聞いた時、紫の上はもっと嫉妬した。面白くないことだという態度を示した。それに対して今回のことは 

かく空より出で来にたるやうなることにて、のがれたまひがたきを

空から降ってきたようなことで、それをとやかく文句を言ったり抵抗しても止めようがない。それは紫の上の言葉であった。

 

紫の上の心の中にあったのは光源氏への(いきどお)りではなくてこう書かれている。

朗読⓸ 紫の上の継母の式部卿の(おお)北の方は私のことをいつも不幸が起きるようにと願って

          いるが、今度のことを耳にしたらどんなにかそれ見たことかと思うだろう。

式部卿の(おお)北の方、つねにうけはしげなることどもをのたまひ出でつつ、あぢきなき大将の御事にてさへ、あやしく恨みそねみたまふなるを、かやうに聞きて、いかにいちじるしく思ひあはせたまはむ、

など、おいらかなる人の御心といへど、いかでかはかばかりの(くま)はなからむ。今はさりともとのみわが身を思ひあがり、うらなくて過ぐしける世の、人笑へならむことを下には思ひつづけたまへど、いとおいらかにのみもてなしたまへり。

 解説

今、私が無様に取り乱し、泣き叫んで大騒ぎしたら、あの継母の北の方に自分をあざけり笑う材料を与えるだけ。

式部卿の(おお)北の方、つねにうけはしげなることどもをのたまひ出でつつ、 紫の上の継母はまだ

だいぶ元気なようである。

紫の上の継母は紫の上に何か不幸なことが起きないか、鵜の目鷹の目で探している。紫の上の幸せが面白くないのである。にも拘らず紫の上が光源氏の最愛の人となったので口惜しくて仕方ないのである。だとしたらこれまでにも増して いとおいらかにのみもてなしたまへり。 何事もないかのように平然としていることが得策。自分の力で事態を変えられない以上、今回のことは 前の文章にある かく空より出で来にたるやうなることにて、 空から降ってくる雨のように、事態を騒ぎ立ててみても何も意味もない。

「源氏物語」の中で最高に高貴な女性が三人いる。その一人が藤壺、光源氏の憧れの人。そしてこれに肩を並べるのがこの女三宮。

 

これから詳しく話していくが、女三宮という人の身分は格別であるが、中身はと言われると一寸返答に困ってしまう。毛並みに教養抜群、世の中のことも良く分かっていて という人ではない。後に六条院にやってきた女三宮を見て、光源氏はこうした印象を抱く。

朗読⑤ 光源氏は姫君は小さくてまだ子供子供している。紫の上の時を思い出すと、あちらは

           気が利いて相手にし甲があった。これでは我を立てることもないだろうが張り合いも

          ないと感じる。

姫君は、げにまだいと小さく片なりにおはする中にも、いといはけなき気色して、ひたみちに若びたまへり。かの紫のゆかり尋ねとりたまへりしをり思し出づるに、かれはされて言ふかひありしを、これは、いといはけなく見えたまへば、よかめり、憎げにおし立ちたることなどはあるまじかめりと思すものから、いとあまりもののはえなき御さまかなと見たてまつりたまふ

 解説

女三宮はそもそも体が小さい。十三歳の女性とはとても思えない。まだいと小さく片なり とあった。

今でも うらなり という言い方がある。うらなり 片なり 十分に生育していないという意味である。

それが光源氏の見た印象であった。

その後の現代語訳。

光源氏は紫の上を引き取った時のことを思い出す。すると十歳ころの紫の上、彼女は光るものがあった。それに対して何と女三宮はただ幼いだけである。その中から光源氏は二つのことを思ったと書いてある。一つはああ良かった、これなら紫の上に対して憎らし気に我を立てるようなことはあるまい。二つ目は、それにしても

いとあまりもののはえなき御さまかな あまりにも張り合いの無い有様ではないか ということ。彼女・女三宮に関してはこんな風に書かれている。六条院にやってきて、改めて光源氏の目に写った

女三宮の様子である。

 

続いて六条院での女三宮の様子である。

朗読⑥ 女宮は痛々しい位幼く見え、お召し物にうずまっている感じ。人見知りもせず

           可愛らしい感じである。

女宮はいとらうたげに幼きさまにて、御しつらひなどのことごとしく、よだけく、うるはしきに、みづからは何心もなくものはかなき御ほどにて、いと御()がちに、身もなくあえかなり。ことに恥ぢなどもしたまはず、ただ(ちご)(おも)(ぎら)ひせぬ心地して、心やすくうつくしきさましたまへり。

 解説

いまの文章にも いとらうたげに幼きさまにて、 とあった。かわいらしくてという意味である。十代の

半ばになると結婚出産をする王朝の姫君たち。その女性は いとらうたげに幼きさまにて という

アンバランス。ご自身は 

みづからは何心もなく 何も考えていない様子である。いと御()がちに、 体が小さいので立派な着物に埋もれてしまっているようである。また人に対して 恥ぢなどもしたまはず、 恥ずかしがったり、

相手を警戒したりせず、臆するところがない。ただそれが ただ(ちご)(おも)(ぎら)ひせぬ心地して、心やすくうつくしきさましたまへり

何も知らない赤ん坊が人見知りしないのと同じだと見える。紫式部は皮肉たっぷりに描いている。こういうプロフィルを聞くだけで、女三宮がどういう人かが分かったであろう。一言でいえば、絶望的な

幼子。何も見えず、何も考えていない。

 

そして一方、紫の上は起きた事態を受け止めるしかない。それは紫の上だけに起きた事ではないことだと注目しよう。

朗読⑦ お輿入れは盛大である。光源氏が出迎えに出て、自ら宮を下ろすのも異例である。

          光源氏は臣籍降下しているから。 滅多にない縁組である。

渡りたまふ儀式いへばさらなり。御送りに、上達部などあまた参りたまふ。かの家司望みたまひし大納言も、やすからず思ひながらさぶらひたまふ。御車寄せたる所に、院渡りたまひて、おろしたてまつりたまふなども、例には(たが)ひたることどもなり。ただ人におはすれば、よろづのこと限りありて、内裏(うち)参りにも似ず、婿の大君といはむにも事(たが)ひて、めづらしき御仲のあはひどもになむ。

 解説

今の場面はハッとさせる場面である。それは女三宮の圧倒的な存在感である。女三宮が六条院に

やってくる。その儀式は格別に重々しい。そしてポイントはここである。光源氏がわざわざ迎えに

出て、女三宮を車から降ろし申し上げた。

御車寄せたる所に、院渡りたまひて、おろしたてまつりたまふ とあった所である。

語り手はそれを 例には(たが)ひたることどもなり。 普段はそんなことはしないのだけど と言い、しかしすぐ後に

ただ人におはすれば、よろづのこと限りありて 所詮、光源氏は ただ人 臣下であるから仕方ない、当然のことと書いている。光源氏は準太政天皇ではなかったのか。それはこの巻では所詮 ただ人 に過ぎないと書かれている。

 

今、牛車から降りるのはこの世の中で尤も高貴な女性だからである。本物の内親王を前にすると、

光源氏は ただ人 になってしまう。そんなことに心を遣っても仕方ないと、紫の上は冷静を保つように務めている。そしてそれは巣光源氏も同様であった。何故なら光源氏、彼は ただ人 にしか過ぎないからである。若菜の巻は一夫多妻の問題だと単純にいい表せるものではない。

それは現代にもある。それは老いである。この放送の最初に言ったように、今の私たちもそれを持ち出されたら、仕方ないと受け入れざるを得ないのは老いである。そしてそれこそが若菜の巻のもう

一つのテ-マ。長大な若菜の巻は一つ二つのことではなく、複数のテーマや主題を私たちの前に出してくる。描き出すのは一夫多妻の社会の悲劇だとかいう単純に言い表されたものではない。いくら

社会が人が変わっても普遍的な命題がそこには描かれるが、永遠のテーマの一つと言って良いかもしれないのが、 老い であり 死 である。

この若菜の巻の冒頭が、朱雀院の病、弘徽殿女御の死 から始まっている。藤裏葉の巻までの

めでたい事柄を覆して、物語全体が病、老い、死 という深刻な主題を描いてゆく。そのことは前々週の放送で話した。その老いが光源氏にも忍び寄る。しかし光源氏の肉体、気力の衰えなどはまるで

書かれていない。彼はいつまでも若々しく美しさにあふれた人として描かれている。がしかし、彼の身にも着実に老いが暗い影を落とし始める。藤裏葉の巻で実年齢が明らかにされたことが印象的で

ある。若菜の巻の一つの重要なテーマは老い。誰にでも平等に訪れる老い。人はただ老いてゆくしかない。藤裏葉の巻で彼の実年齢が明らかにされたことがボディブロ-のように効いてくる。そして周りの人が笑顔で突き付けてくる、それがこの巻の名前・若菜というタイトルと深く関わっている。

 

「コメント」

 

ある人が美男のある人の老いのことを言った言葉が忘れられない。「今までの整った顔が崩れ出すと、かえって見るに堪えない」と。