251228㊴若菜下の巻(2)
今回は若菜下の巻の二回目。前回遂に冷泉帝が退位し、それまで春宮だった人が新しいて天皇として即位したことを話した。
その新しい天皇の后が光源氏の娘である。それまでは東宮の女御と呼ばれていたが、夫が天皇になったので彼女が生んだ皇子が春宮となった。喜び事は続く。となると当然ではあるが、新しい天皇の后を育てた母親の存在感も大きくなる。つまり紫の上の存在感が増す。六条院内での位置づけ、
女三宮との関係性にも変化が現れる。それはこんな風に描かれる。
朗読① 女三宮のことは兄の今上帝も心に留めているが、しかし対の上の勢いにはとても
勝ることは出来ない。
姫宮の御事は、帝、御心とどめて思ひきこえたまふ。おほかたの世にも、あまねくもてかしづかれたまふを、対の上の御勢ひにはえまさりたまはず。
解説
姫宮 は女三宮のこと。女三宮の父は朱雀院、新しい天皇は母が違うので腹違いの兄である。しかし今の文章にもあったように、女三宮の勢いをもってしても、対の上の御勢ひにはえまさりたまはず。そういうことが明らかになってきたのである。若菜下の巻の中心的話題は、光源氏・紫の上・女三宮三人の関係であることは確かなので、今回は改めて若菜の巻の始まり以来、どのように描かれてきたかを振り返ることから始める。
まずは遡って若菜の巻の始まりの事。女三宮を六条院に迎え入れた時、光源氏はどのように振舞ったか。光源氏はわざわざ女三宮を乗せた車の所まで迎えに出て、車から女三宮を降ろしたのである。女三宮を下にも置かぬ扱いである。
そして光源氏は三日間女三宮の下に通う。
朗読② 三日間は毎晩、光源氏は女三宮の下に通うので、紫の上は初めての経験で胸が
痛む。
三日がほどは、夜離れなく渡りたまふを、年ごろさもならひたまはぬ心地に、忍ぶれど、なほものあはれなり。御衣どもなど、いよいよ薫きしめさせたまふものから、うち眺めてものしたまふけしき、いみじくらうたげにをかし。
解説
こうした話は本年度の放送ではしたことがないが、平安時代の通い婚、その始まりにおいては、男が女の下に通う。そこから結婚生活が始まるのであった。夜になると男は新妻の下に出かけ一夜を共にし、朝を迎える前に帰っていく。これが三日間繰り返されて、その後に今でいう披露宴、平安時代の言い方では 露顕(ところあらわし)が、女方で行われる。そこでは餅が供される。餅は日本人にとって特別な食べ物であった。それを三日夜餅と言って、これで晴れて夫婦になる。こうして、女三宮の下に光源氏は三日間通うのであるが、但し通うと言っても注意すべきは、光源氏は新婚の三日間、同じ六条院の春の町・紫の上と共に住む東の対から、渡殿を通って寝殿の女三宮の下に通うのである。それだけのことに過ぎないのである。
「源氏物語」は人間の心理の描き方が非常に丁寧である。詳細でリアリティに富んでいて、今の私達から見ても全く違和感がなく共感できる所があるので、作品全体もリアルな作品、平安時代の貴族社会をそのまま切り取ったかのように思う人がいるかも知れないがそうではない。ここまでの放送を聞いて、「源氏物語」は現実にはあり得ない、起こりえない、いかにも小説らしい、物語ならではの設定や状況を数多くあちこちに用意している、そのことで現実を超越するドラマチックな展開が初めて可能になる、ということを読者に実感してもらった事だと思う。
例えば、物語の始まりの桐壺の巻で、女御更衣があまたいる中で、帝は位も決して高くない一人の更衣を、あまたいる高い位の家から来た女御達をさしおいて愛してしまう。そこから物語は始まったが、こんなことがいつもあることではない。というよりそんなことがしばしば起こっては、世の中が成り立たない。普通では起こりえない所を描く所からこの物語は始まる。このことを取ってみても、「源氏物語」は平安時代の現実では決してない。現実ではあり得ないことをしばしば描く。
しかし、だからこそ現実を超越した、物語ならではの展開が可能になる。
今話している若菜の巻も同じである。複数の女性を妻とする男性貴族の話ならこの時代いくらでも例がある。
例えば、「源氏物語」の三十年ほど前の作品「蜻蛉日記」を覗いてみても、これは実際にあった出来事。作者と藤原兼家との結婚生活を描いた作品が「蜻蛉日記」であるが作者の夫・藤原兼家には記録に残っているだけで十人の妻がいて、
「蜻蛉日記」の作者も結婚した後も、例えば町の小路の女と新しい関係が生じると、彼・藤原兼家は
そこに通い始める。
しかしそれは当たり前の事と言うべきであるが、兼家は自らの家から「蜻蛉日記」の作者・藤原道綱母が住む道を通り、町の小路に住む女のもとに牛車で通っていく。また別の日には同じく自分の家から作者の家にやってきて、「蜻蛉日記」の作者に口も聞いて貰えずすごすごと帰っていく。そんな結婚生活が「蜻蛉日記」に書かれている。藤原道長の父の兼家という人物、彼は「蜻蛉日記」の作者と町の小路の女を、同じ屋敷に同居させている訳ではない。
それに対して、若菜の巻の光源氏の場合、数十年暮らしてきた紫の上と新しい皇女・女三宮が六条院という狭い空間のもとに同居しており東の対・紫の上のもとから、渡殿を渡った寝殿に住む女三宮のもとに夜に出かけて朝に帰る。夕刻になると紫の上に行ってくるよと言って、数分後には女三宮の所に着き、朝になったらではまたと言って、また目と鼻の先の紫の上の所に帰っていく。それを三日間続けたので、かなり滑稽でもある。しかしこうした現実離れした話題を用意するからこそ、現実には起こりえないドラマチックな展開、話の筋が可能になる。紫の上にしても夫が遠くにいる女の下に出掛けるなら、自分から離れた場所の出来事だから、また諦めるようがあった。しかし今回の女三宮の場合は違う。気にしようとしたら際限がない。こうした悩みを紫の上は味わうことになる。女性として起こりえない世界というのはそうした意味である
紫の上はこの三日間をこのように過ごした。
朗読③ 風が吹いている夜は冷ややかで、寝付かれないのを女房達に気取られはしないかと
身動きもしない。まことに辛そうである。
風うち吹きたる夜のけはひ冷やかにて、ふとも 寝入られたまはぬを、近くさぶらふ人びと、あやしとや聞かむと、うちも身じろきたまはぬも、なほいと苦しげなり。夜深き鶏の声の聞こえたるも、ものあはれなり。
解説
光源氏が女三宮の下に出かけた夜、急に冷気が布団の中にも入り込んでくる。紫の上は一人で様々なことを思って眠れない。近くにいる女房達がどう思うか、それを気にして紫の上は うちも身じろきたまはぬ 寝返りを打つことも我慢している。すると 夜深き鶏の声の聞こえたるも、ものあはれなり。
一番鳥が鳴く時間になった。
この辺で「源氏物語」を読むのを止めて、哀れ、紫の上は北の方の位を失ってしまったと思う人も多いかもしれない。
でも朗読してもらったのは、女三宮が六条院にやってきたばかりの頃の事。その後の展開を見ても、紫の上はもう北の方ではありませんなどということはどこにも書かれていない。作者 紫式部は若菜の巻において、紫の上と女三宮のどちらが北の方であるとは言っていない。そもそも同じ屋敷の中に、どちらも無視できない妻を二人住まわせつつ、その間を行ったり来たりという設定が、常識からいえば現実にはあり得ないことである。そんなあり得ない物語に一般常識を持ち出して、何の意味が
あるのだろうか。それに現実離れしたエピソ-ドとして、こんな話も書かれている。
女三宮と紫の上はライバル同士、光源氏という男を奪い合う二人の女。こういう風に単純に考えて
いないか。
六条院で女三宮が本当に頼りにすべきは紫の上なのである。若菜上の巻にはこんな場面もあった。
実は朱雀院から紫の上にこんな依頼があったのである。
朗読⓸紫の上に朱雀院からお手紙。幼い人が何の弁えもなくそちらにお世話になります。
罪ないものとして大目に見て下さい。あなたとの縁故もあろうかと思って。歌が添えて
あった。
紫の上にも御消息ことにあり。「幼き人の、心地なきさまにて移ろひものすらんを、罪なく思しゆるして、後見たまへ。尋ねたまふべきゆゑもあらむとぞ。
背きにし この世にのこる 心こそ 入る山道の ほだしなりけれ
闇をはるけて聞こゆるも、をこがましくや」とあり。
解説
女三宮の母親は藤壺の女御と呼ばれた人。その人と光源氏の青春時代の憧れの人・あの藤壺の
女御とは腹違いの姉妹。よってその藤壺と女三宮は叔母姪の関係。ということはあの藤壺と女三宮は血が繋がっているのである。さらにあの藤壺と紫の上も血が繋がっている。若紫の巻で話したが、紫の上の父親の兵部卿の宮と、あの藤壺も兄妹なのである。
結論で言えば、あの藤壺と女三宮は叔母姪の関係なのである。あの藤壺と紫の上も叔母と姪。
となると紫の上と女三宮は遠縁であるが、血が繋がっていて従妹同士ということである。それもあって朱雀院は、今の場面で娘の女三宮をあなたに縁がある者なので宜しく頼みますと言ったのである。罪なく思しゆるして、後見たまへ。
つまり女三宮は光源氏と紫の上に後見をしてもらうという訳で、紫の上だって出家した朱雀院からのは直々の依頼を当然無視はできない。
ここまでくると作者・紫式部が現実にはありえない濃密な人間関係に工夫をこらして、作りだしていることがよく分かる。
紫の上から見て女三宮が赤の他人であったら、何の気兼ねも要らない。複雑な人間関係を設置して、登場人物・紫の上は様々なことを考えなければならなかったり、自分の行動が誰にどういう影響を与えるかを考えて苦しまねばならなくなる。紫の上から見て女三宮は従妹であり、朱雀院からは直々の後見の頼みであった。こうしたあらゆる意味で、常識が通用しない、人間関係を作者が工夫して
作り出している訳で、そこにこの時代の常識から言ってとか、一般論で言えばという物差をもってきてもお話にならない。そこに若菜の巻の物語の特徴があるのだと言うことを、時間をかけて丁寧に
説明したので納得出来たと思う。
今は紫の上の存在感が女三宮を凌いでいる。最初に朗読した部分
対の上の御勢ひにはえまさりたまはず。
今や春宮の女御から今上帝の女御となった姫君の母としての紫の上。そうして光源氏の紫の上への愛情はいよいよ勝らざるを得ない。
天皇の女御もこんな風に思っていると書かれている。今回は物語を遡って紫の上関係の文章を読んできたが、またもとに戻って若菜下の巻の文章である。
朗読⑤ 女御は対の上を実母のように仕えていて、実母(明石の君)は影のお世話役として
遜っているがこれが却って結構なことである。
女御の君、ただ、こなたを、まことの御親にもてなしきこえたまひて、御方は隠れ処御後見にて、卑下しものしたまへるしもぞ、なかなか行く先頼もしげにめでたかりける。
解説
今上帝の后となった女御は、実の母・明石の君よりも紫の上に感謝して、ここまで育ててくれた紫の上をこそ大切に母として敬い慕っているのである。こんな文章を読むと、いくら女三宮でも紫の上には
太刀打ちできないことは充分理解できる。
さてこのことを前提に、作者・紫式部は次のような場面を描き出す。ここ数回の放送で何回も話してきたように、光源氏と紫の上が協力して育んできた姫君が、春宮の女御にそして天皇の后になった。
そのお礼に光源氏と紫の上はあの住吉社に向かう。前回の放送で予告しておいた住吉参詣の場面を読む。
朗読⑥ 光源氏も春宮の女御も住吉社に詣でようと思う。明石の入道の箱を開けてみると
沢山の願いが書いてあるが、これなら住吉の神もお聞き入れになるであろうと
思われる。
住吉の御願かつがつはたしたまはむとて、春宮の女御の御祈りに詣でたまはむとて、かの箱開けて御覧ずれば、さまざまのいかめしきことども多かり。年ごとの春秋の神楽に、かならず長き世の祈りを加へたる願ども、げにかかる御勢ひならでは、はたしたまふへきことども思ひおきてざりけり。ただ走り書きたるおもむきの、才々しくはかばかしく、仏神も聞き入れたまふべき言の葉明らかなり。
解説
光源氏一行は住吉社に赴く。晴れてこの日を迎えられたのは、一方では明石の入道の御蔭。彼が若い時に夢を見て、わが一族から天皇と后が生まれるのではないかと思った。その時から春と秋の二回、住吉の神にその実現を願って祈りをささげてきた。しかし入道はもうこの世の人ではない。
それで光源氏が願ほどき、神にお礼に赴く。この度、天皇の女御になったのは、光源氏の娘、春宮になったのは光源氏の孫。光源氏の一家にとってもめでたいことである。
その道中の様子はこんな風である。
朗読⑦
ただ、院の物詣でにて出で立ちたまふ。浦伝ひのもの騒がしかりしほど、そこらの御願ども、みなはたし尽くしたまへけれど、なほ世の中にかくおはしまして、かかるいろいろの栄えを見たままふにつけても、神の御助けは忘れがたくて、対の上も具しきこえさせたまひて、詣でさせたまふ、響き世のつねならず。
解説
今の場面まず、院の物詣で とあった。世の人は明石の入道の存在や、彼が夢に基づいて途方もない願掛けをしたことなど知らないので、あくまで院・光源氏がお礼詣でに来たのだと思っている。
その時光源氏の傍らには紫の上がいる。女三宮は六条院に残っている。さらにこの文章が続く。
朗読⑧ 東宮の女御と紫の上葉同じ車。次は明石の御方と尼君、そして多数のおつきの者
たちの車。夫々が目も眩いばかりに飾り立ててある。
女御殿、対の上は、一つに奉りたり。次の御車には、明石の御方、尼君忍びて乗りたまへり。女御の御乳母、心知りにて乗りたり。方々の副車、上の御方の五つ、女御殿の五つ、明石の御あかれの三つ、目もあやに飾りたる装束ありさま言へばさらなり。さるは、「尼君をば、同じくは、老の波の皺のぶばかりに人めかしくて詣でさせむ」と、院はのたまひけれど、
解説
光源氏の娘・春宮の女御と紫の上が、娘と母として一つの車に乗る。次車には明石の君と明石の尼君、姫君が生まれた時、光源氏によって都から明石に派遣されたあの乳母も功労者として一つの車に乗る。尼君は年老いたので同行できませんと言ったが、光源氏の思い遣りで 尼君をば、同じくは、老の波の皺のぶばかりに人めかしくて詣でさせむ
老いの皺を伸ばす位喜ばせて連れて行こうと、敢えて同行させた。何といってもこの一行の中で、
際立っているのは紫の上の存在感である。
朗読⑨
夜一夜遊び明かしたまふ。二十日の月遥かに澄みて、海の面おもしろく見えわたるに、霜のいとこちたくおきて、松原も色紛ひて、よろづのことそぞろ寒く、おもしろさもあはれさもたち添ひたり。対の上、常の垣根の内ながら、時々につけてこそ、興ある朝夕の遊びに耳ふり目馴れれたまひけれ、御門より外の物見をさをさしたまはず、ましてかく都の外の歩きはまだならひたまはねば、めづらしくをかしく思さる。
住之江の 松に夜ぶかく おく霜は 神のかけたる 木綿の鬘かも
解説
十月の二十日過ぎの事。夜を徹しての歌舞の遊びをする。人々に降り注ぐ月の光、大地に降りた霜、白一色の世界に松原だけが緑の色を添える。対の上にとってはこれまで殆どしたことのない外出。
平安時代の女性がそうであった。紫の上にとっては、何もかもが初めての経験である。若菜の巻の
始まりから七年が経ち、女三宮を迎えてさらに深くなった光源氏の紫の上への愛情。東宮の女御を
立派に育て上げた母としての存在感。
しかし女三宮もこのままでは終わらないはずである。次回はその話をする。パワ-バランスがシ-ソ-ゲ-ムのように動く。読者をハラハラさせて、この物語は進んでいく。
「コメント」
物語の裏の説明が過ぎると、却って興味が減ずる。しかし解説はしなくてはならない、微妙。