2260104㊵若菜下の巻(3) 

今週は若菜下の巻の三回目。前回は光源氏と紫の上と娘の女御との三人が、相揃って住吉社に参詣する場面を読んだ。10月の始め、霜の降りる頃、夜を徹しての音楽、神楽が盛大であった。準太政天皇とその一家の住吉詣で。その中で読者に印象づけられたのは、紫の上の存在感であった。天皇の后となった女御の母として、娘と共に同じ牛車に乗り住吉に向かう。紫の上が都の外に出るのは初めてのことである。物語はこの紫の上の他の追随を許さない六条院の中での確かな地位を描いて終わるのであろうか。そのような形で、光源氏、紫の上、女三宮という若菜の巻の始まりのような関係に決着をつけようとするのであろうか。若菜の巻が開始されて七年ほど、軍配は最終的に紫の上に上がったと。いやそうではない。物語はそう単純に終わるはずはなく、前回の放送でシ-ソ-ゲームという比喩を出したように、紫の上が強力な存在感を出したと思うと、女三宮も改めてその存在感を

示してくる。そうした形での緊張関係が引き続き描きだされていく。

 

光源氏が住吉参詣から都に帰った丁度その頃のことを描いた、次のような場面から解説を始める。

朗読① 入道の帝(朱雀院)は仏道三昧で政治向きには口出しはなさらない。女三宮のことだけ

           は忘れず、今上帝にも力添えを頼む。そして二品(にほん) という高い位になさる。二品(にほん)

          加わって女三宮の威勢がつのるのである。

入道の帝は、御行ひをいみじくしたまひて、内裏(うち)の御事をも聞き入れたまはず。春秋の行幸になむ、むかし思い出でられたまふこともまじりける。姫宮の御事をのみぞ、なほえ思し放たで、この院をば、なほおほかたの御後見(うしろみ)に思ひきこえたまひて、内々の御心寄せあるべく奏せさせたまふ。二品(にほん)になりたまひて、御封(みふ)などまさる。いよいよはなやかに御勢ひ添ふ。

 解説

入道の帝 は、出家して西山で仏道修行に励む朱雀院。朱雀院はこのために世の中のことを顧みる暇もないということであれば良かったが、彼の心にはこの世に思い残す未練がある。

姫宮の御事をのみぞ、なほえ思し放たで、

六条院の光源氏に託した娘・女三宮のこと。これでよいと光源氏に託した女三宮が、それにふさわしい扱いを受けていないという思いが心の中に残っている。春秋に今上帝が父の朱雀院をお見舞いに訪れる。その時にも今上帝の腹違いの妹・女三宮のことを頼むということになる。今上天皇もその

意をくんで、女三宮を 二品(にほん)になりたまひて、御封(みふ)などまさる。

ということになる。これは親王や内親王だけに与えられる特別な位である。

二品(にほん)になりたまひて、御封(みふ)などまさる。いよいよはなやかに御勢ひ添ふ。

こうしてシ-ソ-ゲ-ムは女三宮に傾く。女三宮でも、あの 対の上 の勢いには勝れなかったが、二品(にほん) になって、女三宮の存在に重みは増すのである。女三宮は人を恨んだり、押しのけてやろうという気持ちは全くなく、おっとりとして、まるで手ごたえのない人柄ともいえる。しかし周りの 入道の帝 や 今上帝が放っておかない。紫の上に押されている女三宮に何とか箔をつけようと考えるである。

 

こんな情勢を敏感に感じ取ったのは紫の上であった。女三宮が二品(にほん) になったことを受けて、紫の上は次のように思う

朗読② 時間が経つにつれて盛んになる女三宮の声望であるが、自分は光源氏を頼りにして

          誰にもひけをとっていない。

しかしその愛情もいつかは消える。その前に自分から出家したいと思う。

 対の上、かく年月にそへて方々にまさりたまふ御おぼえに、わが身はただ(ひと)ところの御もてなしに人には劣らねど、あまり年つもりなば、その御心ばへもつひにはおとろへなん、さらむ世を見はてぬさきに心と背きにしがな、とたゆみなく思しわたれど、さかしきやうにや思さむとつつまれて、はかばかしくもえ聞こえたまはず。

 解説

紫の上は呟く。太政天皇(朱雀院)最愛の娘、今上帝の妹、内親王という立場、更にこのたびの 

二品 。この様な女三宮に対して、自分を顧みると一体何があるのか。何もないのではないか。小さい時には母を亡くし、唯一の頼りである父・式部卿宮とは生まれた時から疎遠であった。今頼るのは光源氏の愛だけである。わが身はただ(ひと)ところの御もてなしに人には劣らねど

光源氏が私を大事にしてくれる点については人には劣らないし、誰にも負けない。しかしそれは年が過ぎて行ったら、その御心ばへもつひにはおとろへなん、 そのお心だってどうなってしまうか分からない。いつか衰えてしまうこともあるかもしれない。人の心というものはこの世で最も儚いもの。勿論、紫の上は光源氏を疑っている訳ではない。むしろ紫の上は光源氏が自分に向けている愛情、その

重さを信じている。それならなぜ彼女は不安に(おのの)くのか。現代人にはピンと来ないかもしれないが、

こうした紫の上の心理に平安時代の読者は男も女も共感し、納得した事であろう。例えば古今和歌集にはこんな一首がある。

  色見えで 移ろふものは 世の中の 人の心の 花にぞありける 小野小町

花の色はあっという間に色褪せてしまう。世の人はそうは言うけれども、それよりもずっと儚いものがこの世にはある。

それは人の心の花である。人の心の花というものこそ、この世で最も儚く移ろいやすく色()せるもの。この古今和歌集の一首に限らず、王朝の文学はこの儚く頼りなく色褪せやすいものとしての、人の心というものを繰り返し書き出し、とりわけ「源氏物語」はこのテーマを好んで追いかけようとする。

いつ訪れてもおかしくない光源氏の愛情の衰え。それを見る位ならと、彼女が導き出したのはどのような考えであったろうか。光源氏の愛情も、

あまり年つもりなば、その御心ばへもつひにはおとろへなん、さらむ世を見はてぬさきに心と背きにしがな、

彼女は自らの出家の時を描き始める。前回に、女三宮を世の中全体が敬うようにするが、それでも紫の上を凌ぐことは決してなかったという部分があった。女三宮が現れてかなり時間が経ったが、

結局紫の上は女三宮に負けなかった。若菜の巻上巻で、女三宮を六条院に迎え入れることになったことを、初めて光源氏が告げた時、彼が誓った言葉。

いみじきことありとも、御ため、あるより変はることはさらにあるまじきを、心なおきたまひそよ。

紫の上よ、どんなことがあってもあなたに対して私の思い、愛情が変わることはないから、どうかわたしを信じて下さい。

 

そう光源氏が誓ったことは本当であった。しかしその瞬間に、紫の上の胸に去来したのは次のような思いであった。

朗読③ 女三宮はとても対の上の勢いに勝ることは出来ない。年が経つに従い、光源氏と

          紫の上は仲睦まじさを増す。が、紫の上は仏道修行を、出家をしたいとお願いすること

          がしばしばである。

対の上の御勢ひにはまさりたまはず。年月()るままに、御仲いとうるはしく睦びきこえかはしたまひて、いささか飽かぬことなく、隔ても見えたまはぬものから、「今は、かうおはぞうの住まひならで、

のどやかに行ひをもとなむ思ふ。この世はかばかりと、見はてつる心地する(よわい)にもなりにけり。さりぬべきさまに思しゆるしてよ」とまめやかに聞こえたまふをりをりあるを、

 解説

二人は互いに睦あって暮らす日々である。しかしそうであるからこそ、紫の上はこれまでの生活を捨てて、のどやかに行ひをもとなむ思ふ。 心静かに仏の道に心を寄せる生活に入りたいと思う。この一節が、紫の上が出家を意識した初めである。また文章にはこうもあった。

この世はかばかりと、見はてつる心地する(よわい)にもなりにけり。

この世はもう十分経験したという思い。来世のことを考える年になりましたという心境である。紫の上は三十代後半。彼女はそうした思いをする年齢に達したのである。そして紫の上は、光源氏に真剣に出家を許してほしいと願った。若菜上の巻の第一週の放送で、若菜上の巻以降の物語では、病や

老いや死から、人々は目を背けることは許されないということを言ったが、出家もそれらと密接に関わる。若菜下の巻になると紫の上も、出家を意識するようになる。

しかし光源氏はそれを許すことはない。あるまじくつらき御事なり。(光源氏の返事-続く文章にある)

光源氏は紫の上の申し出を拒む。

 

これで若菜下の巻で紫の上は二回、出家願望思いを抱くのであるが、前回との違いは、女三宮は 二品 に昇進して明らかに振舞いも変わった。六条院世界に変化が生じた。どんな風であろうか。

朗読⓸ 女三宮は今上帝までが格別に支援されるので、光源氏はそれを懸念してそちらで

      夜を過ごすことが多くなる。  

      紫の上は春宮の下の妹の内親王の世話をして、夜を過ごしている。

内裏の帝さへ、御心寄せことに聞こえたまへば、おろかに聞かれたてまつらんもいとほしくて、渡りたまふこと、やうやう等しきやうになりゆく、さるべきこと、ことわりとは思ひながら、さればよとのみやすからず思されけれど、なほつれなく同じさまにて過ぐしたまふ。春宮の御さしつぎの女一の宮をこなたにとりわきてかしづきたてまつりたまふ。その御あつかひになん、つれづれなる御夜離(よが)れのほども慰めたまひける。いづれも分かず、うつくしくかなしと思ひきこえたまへり。

 解説

朱雀院は勿論、兄の今上帝までも女三宮を心配している。光源氏はこうした意向を意識せざるを得ない。そして女三宮の所を訪れることが多くなる。紫の上は一人の時は、孫の世話で時を過ごす。

孫とは娘の女御が今上帝との間に生まれた最初の子・春宮と二番目の女一の宮。

 

ここで大きな事件が起きる。出家した朱雀院が二品になった女三宮に会いたいとの意向である。

朗読⑤ 朱雀院はもう寿命は終わりに近いが、もう一度女三宮に会いたい。光源氏も

      ごもっともとその準備をする。

朱雀院の、今はむげに世近くなりぬる心地してもの心細きを、さらにこの世のことかへりみじと思ひ()つれど、対面なんいま一たびあらまほしきを、もし恨み残りもこそすれ、ことごとしきさまならで渡りたまふべく聞こえたまひければ、大殿(おとど)も、「げにさるべきことなり。かかる御気色(けしき)なからむにてだに、進み参りたまふべきを、ましてかう待ちきこえたまひけるが心苦しきこと」と、参りたまふべきこと思しまうく。

 解説

朱雀院から六条院にこんな申し出があった。「この世の最後に女三宮に会いたい。」光源氏は恐縮する。朱雀院は光源氏にとって腹違いの兄である。折から朱雀院は五十歳になるので、若菜など調して (続きの文章にある) 長寿の祝いに 若菜 の吸い物を差し上げよう。これでいつまでも若々しくありますようにとお祝いをしようと光源氏は考える。若菜上の巻では、光源氏が四十歳を迎える祝いに、若菜 が玉鬘によって献上された。今度は若菜下の巻では五十の賀で 若菜 が献上される。

これらが 若菜の巻 の由来で、そのための準備が始まる。

 

所が朱雀院は、わが希望を叶えてくれて、西山へ光源氏、女三宮揃ってきてくれるのであれば、この機会にお願いしたいことがあるという。何であろうか。

朗読⑦

宮は、もとより(きん)の御琴をなん習ひたまひけるを、いと若くて院にもひきわかれたてまつりたまひにしかば、おぼつかなく思して、「参りたまはむついでに、かの御(こと)()なむ聞かましき。さりとも(きん)ばかりは弾きとりたまひつらん」と、後言(しりうごと)に聞こえたまひけるを、内裏(うち)にも聞こしめして、「げに、さりとも、けはひことならむかし、院の御前(おまえ)にて、手尽くしたまはむついでに、参り来て聞かばや」などのたまはせけるを、

 解説

朱雀院はこの機会に女三宮の奏でる楽器の演奏を聴きたい。かつて女三宮が習っていたことも随分上達した事であろう。音楽の名人、光源氏に娘を託した甲斐があったというもの。このことが今上帝を通じて六条院に伝えられた。そして今上帝も行幸に行かせてもらおうと。光源氏は女三宮には何の

教えもしてなかったので、大丈夫であろうか。あのおっとりと、何も秀でたところのない女三宮に、人前で演奏を披露できるのであろうか。ここから大慌てでレッスンが始まる。しかしここでは彼女は隠れた才能を発揮して、物語は思わぬ方向に展開していく。

 

「コメント」

 

このころの人は短い人生の中ですべてをやらねばならないので却って忙しいのでは。

思ったほどのんびりしていないな。