2602014㊹㊷若菜下の巻(7)
今回は若菜下の巻の7回目。若菜の巻上下は12回をかけて話をするが、今回で終わりである。若菜下の巻の話は少し残ってしまうが、その部分は次回の柏木の巻の解説に回す。
さて前回の続きであるが、女三宮はあの日以来、胸を痛めていた。柏木とのことが光源氏に知られてしまうのではないかと。光源氏は何も知らぬ人として、あの一夜以来伏し目勝ちになった女三宮に、いたわりの言葉をかける。しかし、女三宮は返す言葉が見つからない。
彼女は憂鬱な日々を過ごしているが、それは柏木との件が光源氏に知られる心配だけではないようである。実際に体調も思わしくないようで、彼女に何があったのだろう。
朗読① 女三宮は先月から食欲がなく、青ざめている。懐妊である。
姫宮は、あやしかりしことを思し嘆きしより、やがて例のさまにもおはせず、なやましくしたまへど、
おどろおどろしくはあらず、立ちぬる月より物聞こしめさで、いたく青みそこなはれたまふ。
解説
女三宮は先月辺りからげっそり窶れている。年かさの女房達はすぐに気づいた。彼女は懐妊したのである。光源氏は彼女を迎えて7年。光源氏は47歳。生まれてくるのは、これ以上はないという身分であることは間違いない。この上ない喜びと周囲は歓喜に湧くが、読者はその子の父親が光源氏ではないことを知っている。光源氏はそんなことに気付くこともなく女三宮を労わるが、一方の柏木は
どうしているのだろうか。
彼はその後も折に触れ、人々の隙を狙っては女三宮の所に忍んでやってくることはあった。そして文を寄越す。それは乳母の小侍従経由であった。
朗読② 柏木は大層な言葉を連ねて手紙を女三宮に寄せた。小侍従が取次ぐが女三宮は
見たくないという。小侍従がそっと広げたところに光源氏がやってくるので、女三宮は
慌てて御褥の下に隠した。
いみじきことども書きつづけておこせたまへり。対に、あからさまに渡りたまへるほどに、人間なりければ、忍びて見せたてまつる。「むつかしき物見するこそいと心憂けれ。心地のいとどあしきに」とて臥したまへれば、「なほ、ただ。このはしがきのいとほしげにはべるぞや」とてひろげたれば、人の参るにいと苦しくて、御几帳ひき寄せて去りぬ。いとど胸つぶるるに、院入りたまへば、えよく隠したまはで、御褥の下にさしはさみたまひつ。
解説
小侍従に対して女三宮は言う。「むつかしき物見するこそいと心憂けれ。 「嫌なものは見せないでおくれ。気分も悪いので」そう言って顔を背けて伏せる。王朝の女性が拒否の示す時に取る行動である。小侍従には柏木の必死の思いに絆されるところがあるのか、「そうおっしゃらないで。この端書の所には胸を締め付けられることが書いてありますよ」と言って、文を広げて見せる。その時の事。いとど胸つぶるるに、院入りたまへば、 不意に光源氏が女三宮の部屋に入ってくる。
女三宮はあわてて柏木の文を 御褥の下にさしはさみたまひつ。 御褥の下 に咄嗟に隠した。光源氏はその夜、女三宮の所で過ごした。
翌朝、光源氏は二条院に戻ろうとする。かはほり (扇)を失くしたと辺りを探すと、おやと何かを見つける。
朗読③昨日転寝をした辺りを探すと、女三宮の褥の所に手紙があり、それは男の筆跡で
あった。こまごまと書いてあるのは、紛れもなくあの人(柏木)の筆跡である。
昨日うたた寝したまへりし御座のあたりを立ちとまりて見たまふに、御褥のすこしまよひたるつまより、浅緑の薄様なる文の押しまきたる端見ゆるを、何心なく引き出でて御覧ずるに、男の手なり。紙の香などいと艶に、ことさらめきたる書きざまなり。二重ねにこまごまと書きたるを見たまふに、紛るべき方なくその人の手なりけりと見たまひつ。
解説
おや何だろう。昨日女三宮がいた所。そこに美しい紙がある。浅緑の薄様。薄様 というのは、紙の中でも特別なもの。恋文などに使われるごく薄い紙。光源氏は広げて見る。するとあろうことか、
男の手なり これはよく知る人、紛るべき方なくその人の手なりけりと見たまひつ。 柏木の筆跡で
ある。そこに書いてあったのは、柏木の、女三宮への思いである。こうして柏木と女三宮の密通と、
女三宮が宿している子が誰の子かを光源氏が知ることになる。
この場で、光源氏が文を広げて読んでいるのを見ていた人がいた。小侍従である。
朗読⓸
昨日の文の色と見るに、いといみじく胸つぶつぶと鳴る心地す。
解説
小侍従はそれが昨日の手紙と気付くと、胸がどきどきと高鳴った。何もかもが現れて、光源氏が知る所となった。一人何も気づかずにいるのは女三宮。次の文章
宮は、何心なく、まだ大殿籠れり。女三宮は何も気づかずまだお寝みになっている。
ここで女三宮取り巻く人々、小侍従、柏木、光源氏は、三人三洋の振舞いを見せる。それぞれどんな態度に出たのであろうか。まずは小侍従。彼女は女三宮に問いただす。
朗読⑤ 小侍従は「あの文はどこにお置き遊ばされましたか」「人が入ってきたので、褥に
挟んで忘れてしまいました。」
「いづくにかは置かせたまひてし。人々の参りしに、事あり顔に近くさぶらはじと、さばかりの忌をだに、心の鬼に避りはべりしを。入らせたまひしほどは、すこしほど経はべりにしを、隠させたまひつらむとなむ思うたまへし」と聞こゆれば、「いさとよ。見しほどに入りたまひしかば、ふともえ起きあがらでさしはさみしを、忘れにけり。」とのたまふに、いと聞こえむ方なし。
解説
小侍従は、「あの手紙はどこにお置き遊ばされましたか」と聞く。女三宮の答え。
見しほどに入りたまひしかば、ふともえ起きあがらでさしはさみしを、忘れにけり。」
「あの手紙を見ている時に誰か入って来たので、褥に挟んで、そのまま忘れてしまいました。」
それを聞いて小侍従は、女三宮に言う。
朗読⑥ あなたは幼さが抜けきれてない。あの方に蹴鞠の時に姿を見られてしまい、
言い寄ってこられていたが、こんなことになろうとは。これはどちらにも困ったことと、
遠慮なく申しあげる。
すべていはけなき御ありさまにて、ひとにも見えさせたまひければ、年ごろさばかり忘れれがたく、恨み言ひわたしたまひしかど、かくまで思うたまへし御事かは、誰が御ためにもいとほしくはべるべきこと」と憚りもなく聞こゆ。心やすく若くおはすれば、馴れきこえたるなめり。
解説
小侍従は言う。「すべては宮様のせいですよ。あまりにも不用心です。いはけなき 「あなた様はあまりにも幼くて、考えがありません。あんな風に蹴鞠の時に、お姿をお見せになったりするからですよ。目の前にいるのが、内親王ということを忘れてしまったかの馴れきこえたるなめり。ように、憚りもなく聞こゆ。 遠慮会釈なく言い募る小侍従を、語り手は小侍従が幼い時から女三宮と暮らしているので、遠慮も何もなくなってしまったみたいと批評している。
続いて柏木の反応はどうであろうか。柏木は小侍従から一部始終を知らさている。全てを光源氏に
知られてしまったらどうしたらいいだろう。しかし柏木が考えたのは、窮地にある女三宮の事では
なかった。
朗読⑦ 身も凍るような心地して、なんとも言えない気分。今まで目をかけて下さった院から
不届きものとして、憎まれるのは耐えがたい。
朝夕涼みもなきころなれば、身も凍むる心地して、言はた方なくおぼゆ。年ごろ、まめ事にもあだ事にも召しまつはし、参り馴れつるものを、人よりはこまやかに思しとどめたる御気色のあはれになつかしきを、あさましくおほけなきものに心おかれたてまつりては、いかでかは目をも見あはせたてまつらむ、
解説
柏木がまず思ったのは光源氏の事であった。
朝夕涼みもなきころなれば、身も凍むる心地して、夏の暑い季節だというのに、背筋も凍るような心地して、もう目通り頂くことが出来ようか。柏木が思うのは自分と光源氏の間の事ばかりで、女三宮の事は出てこない。自己中心過ぎる。
柏木は女三宮についてこんな風に思う。
朗読⑧
いでや、静やかに心にくきけはひ見えたたまはぬわたりぞや、まづは、かの御簾のはさまも、さるべきことかは、軽々しと大将の思ひたまへる気色見えきかし、など、今ぞ思ひあはする。
解説
何ということであろう。今のところで、柏木は女三宮について思いを巡らしていた。しかしそれは彼女の身を案じて、彼女を守りたいというのではなかった。
静やかに心にくきけはひ見えたたまはぬわたりぞや、
女三宮さまは落ち着いたところが無くて、奥ゆかしさがない。手紙にももっと気を付けるべきと思う。
誰がその手紙を出したのか、手前勝手な話であるが更に言葉を継ぐ。そもそも言わせて貰えば、
御簾が猫のせいで引っ張られた時のこと。
かの御簾のはさまも、さるべきことかは
それで姿が人に見えるなんてことがあってよいものであろうか。
軽々しと大将の思ひたまへる気色見えきかし、など、今ぞ思ひあはする。
大将 (夕霧) が軽々しいと言っていたことはすべてその通りだ。これで柏木という男の底が知れた。窮地にある女三宮を守らねばという心はまるで見えなかった。
こうした言動を具体的に描くことで、作者 紫式部は、柏木という男の本性を巧みに描きとった。残念な男である。女三宮という人は幼くて純粋で世間知らずであり、女三宮という鏡で人々の本性が白日の下に晒される。女三宮をめぐる三人の人々。小侍従、柏木、光源氏。事実を知って光源氏も動揺し、憤った。大事な紫の上を差し置いて、女三宮を大事にと扱ってきたのにと思う。しかしここからが光源氏の光源氏たる所以。
小侍従や柏木が女三宮をなじったのに対して、彼は女三宮と柏木に直接に怒りをぶっつけるなどと
いう行為に出ることはなかった。というのは光源氏の中に次のような思いが去来したからである。
朗読⑨ まことに腹が立つが顔に出すべきでないと思う。故院(桐壺帝)も、あのことを知らぬ
振りをしておいでだったのだろうか。自分の例を思い出して、恋はとても非難出来る
ものではないという気持ちになる。
いと心づきなけれど、また気色にも出だすべきことにもあらずなど思し乱るるにつけて、故院の上も、かく、御心には知ろしめしてや、知らず顔をつくらせたまひけむ、思へば、その世のことこそは、いと恐ろしくあるまじき過ちなりけれ、と近き例を思すにぞ、恋の山路はえもどくまじき御心まじりける。
解説
今回の一件、不愉快極まりないが、それを顔に出してはいけない。
気色にも出だすべきことにもあらず、と光源氏は思っている。我が身を振り返った時、自分だって同じ過ちを犯したではないか。
恋の山路はえもどくまじき御心まじりける。
若い柏木は恋という病に取り付かれたのだ。心の中では二人をすでに許していると言っても良いのではないか。
あの桐壺院は、私と藤壺との関係、冷泉帝の本当の親が光源氏であることを知ったうえで、わざと
知らぬ顔だったのではなかろうか。まさかそんな筈もないが、今となっては・・・・・。
だから私も人を責めることは出来ない。これが光源氏の胸に去来した思いであった。
この文章と場面は、物語全体の中でも、特に大切なくだりである。今の女三宮は子を身籠り、日々
悩ましくしている。光源氏は女三宮に対して、子供が無事に生まれるようにと、僧たちへの加持祈祷を依頼する。
朗読⑩ 女三宮が気分がすぐれず痛々しいのが、光源氏には気掛かり。安産の御祈祷など
申し付ける。 以前と変わらぬお扱いで、却ってこれまで以上かも知れない。
宮は、いとろうたげにてなやみわたりたまふさまのなほいと心苦しく、かく思ひ放ちたまふにつけては、あやにくに、うきに紛れぬ恋しさの苦しく思さるれば、渡りたまひて見たてまつりたまふにつけても、胸いたくいとほしく思さる。御祈祷などさまざまにせさせたまふ。おほかたのことはありしに変らず、なかなかいたはしくやむごとなくもてなしきこゆるさまを増したまふ。
解説
ろうたげ 今までに何回も出てきた。痛々しく守ってやりたいという言葉である。
事の重大さに身を小さくして、身重の体を持て余している女三宮。彼女を見た光源氏は、
なほいと心苦しく、それを心底、気の毒に思った。
そして うきに紛れぬ恋しさの苦しく思さるれば、女三宮に対する愛おしさに抗しきれず、女三宮の部屋にしばしばやってきては、 胸いたくいとほしく思さる。 胸が締め付けられるように女三宮がいたわしい。
そして、もてなしきこゆるさまを増したまふ。女三宮を以前にも増して、いよいよ大事に扱うようになった。
それは母を早々に亡くし、父朱雀院は早々に出家し、身近に頼りになる人のいない、身分だけが異常に高い、世間知らずの、幼さの抜けない女三宮。それは彼女への救いであった。
一方の柏木はどうであったか。朱雀院の五十の賀が開催されることになった。
朗読⑪ 柏木をこの催しの折に参加させないでは引き立たず、また誰もが不審に思うので参上
するように言ったが、病気と称して出てこない。光源氏は何か気兼ねしていると
思って、わざわざ手紙を書く。
衛門督を、かかることのをりもまじらはせざらむは、いとはえなくさうざうしかるべき中に、人、あやしとかたぶきぬべきことなれば、参りたまふべきよしありけるを、重くわづらふよし申して参らず。さるは、そこはかと苦しげなる病にもあらざなるを、思ふ心のあるにやと心苦しく思して、とりわきて御消息遺はす。
解説
音楽に卓越した技と知識を誇る柏木。こうした催しには彼は不可欠。光源氏から是非にお越しをと言葉があったが、彼は病気と称して来ない。光源氏はその理由を分かっている。その上でこう考えた。思ふ心のあるにやと心苦しく思して、
光源氏は、柏木が自分に遠慮し怯え、色々と思ってこられないのだろうと思って、気の毒で可愛そうと思う。そして とりわきて御消息遺はす。わざわざ改めて柏木に手紙を出した。
柏木の父(昔の頭中将)は「ここまでして下さるので出掛けなさい」というので、やっと光源氏の前に姿を現す。催しに参加する子供が沢山集まっている。玉葛の子、夕霧の子、蛍兵部卿宮の子・・・・。
光源氏一族にゆかりのある子供たち。光源氏は「この子供たちに技と心遣いを教えて下さい」と、とのたまふ御気色の、うらなきやうなるものから と次の文章にある。
全く屈託のない光源氏の言葉なので、柏木は
いといと恥づかしさに、顔の色違うらむとおぼえて、御答へもとみにえ聞こえず。とある。
光源氏の裏表のない振舞い。優しい言葉に、身の縮む思いの柏木。子供たちの舞が始まる。この
場面であの有名な言葉が、光源氏によって語られる。それについては随分と誤解されている様子
なので、次回柏木の巻の一部分として解説をする。
「コメント」
この件はこういう始末をつける光源氏。成程ね。何度も言うが紫式部さんすごいですね。