260222㊼横笛の巻

前回の続きで柏木の巻の後半から話を始める。あまりの突然のことであったが、女三宮は父朱雀院によって出家させられてしまう。六条院にやってきたのは13~14歳くらいであったので、今は22歳くらい。若い身空でこれから人生がまだまだ続くというときに果たして尼として人生を全うできるのか。

生まれたばかりの子はどうなってしまうのか。様々な事が私たち読者の頭をよぎるが、さすがの光源氏も目の前の出来事に思いがけない事態の連続に動揺して涙を禁じ得ない。

 

朱雀院は西山に去った。女三宮は茫然としている。そこに響くのは「ああ、うまくいった」と満足げに

笑う誰かの声。

朗読① 物の怪が出てきて「紫の上では失敗したが、この宮ではうまく取り付いた。これで立ち

     去ろう」と言って笑う。

()()の御加持(かぢ)に、御(もの)()出で来て、「かうぞあるよ。いとかしこう取り返しつと、一人をば思したしたりしが、いとねたかりしかば、このわたりにさりげなくてなむ日ごろそぶらひつる。今は帰りなむ」とてうち笑ふ。

 解説

その声の主、僧の加持祈祷で姿を現した怪しげなものが高笑いして問わず語りをする。物の怪はこういう。

「かうぞあるよ。 してやったり、してやったり。あの日あの時そなたが大切に思う人の命を奪い取ってやろうと思ったが、うまくいかずなんとも癪に障る。あの時からずって私は、この周りを彷徨っていた。ああしてやったり。

今は帰りなむ」とてうち笑ふ。  さあもう帰るとしようといって笑う。光源氏の愛する人の命を一度は奪い損ねた。もう少しだったのに息を吹き返してしまった。物の怪はそう語っていたが、その愛する人とは若菜の巻下巻の女楽の後に、一時絶命し今は二条院に病を養う紫の上の事である。となると、「あの時はしくじったが遂にやった。光源氏よ。そなたのもう一人の大切な妻を出家させてやった」と

いう物の怪の正体はまたしてもあの六条御息所。光源氏への執念、妄執だけが残ったと語った六条御息所。光源氏と紫の上が女楽の後に、これまでの人生を振り返り様々な女君たちのことを語る。

その中で自分のことが噂にされた。それが何よりも恨めしくて、紫の上を光源氏から奪い取ってやろうと思ったと語っている。その際は駆け付けた者から「紫の上様、ご落命」と聞いて、慌てて六条院に

帰ってきた光源氏の処置や僧侶たちの御祈祷によって紫の上の命を守り通したのであったが、しかしそれですべてが終わった訳ではなかった。六条御息所の死霊はその後も光源氏に近付きたいが、

彼には仏の加護があるので近付けない。若菜下の巻の彼女はそう語っていた。

 

若菜下の巻の解説をした時にはそこに触れていなかったのでここで話す。

朗読② この人・女三宮が憎いという訳ではないが、あなた(光源氏)は仏の守護が強く近づけ

     ないのです。

この人を、深く憎しと思ひきこゆることはなけれど、まもり強く、いと御あたり遠き心地してえ近づき参らず、御声をだにほのかに聞きはべる。

 解説 

今回の柏木の巻で、光源氏のもう一人の重要な妻である女三宮。お産を終わったばかりの女三宮を、六条御息所の死霊は出家させた。「してやったり、さあ帰ろう」どこへ帰るのであろうか。彼女は笑い声と共にかき消える。またしてもあの六条御息所の死霊の仕業であったのか。女三宮の出家直前に次のようなやり取りがあったことを、前回までの放送で確認した。西山から突如六条院に姿を現した朱雀院。「父上、どうかわたしを尼にしてください。」涙交じりに懇願する女三宮。聞き入れそうな

朱雀院に光源氏は、「早まってはいけません」と諭すように言っていた。「邪気、(よこしま)なものが取り付いて、人にそんな風に言わせて、口走らせる。そうしたことが世にあるといわれていますので、宮を出家させるなどということは考え直してください。」光源氏の言うことが的中したのである。全ては後の祭りであった。作家のストーリ-テラ-振りに感心するしかないが。

 

話は変わって柏木のこと。このことは柏木の耳にも入る。見舞いに訪れた夕霧に後事を託す。勿論

女三宮の事は言う訳にはいかない。柏木の口から出たのはまず夕霧の父、光源氏の事であった。

朗読③ 六条院にいささか不都合があって恐縮して病みついてしまった。今度朱雀院の御賀の

     試楽の呼び出しがあったのでお目にかかったが、お許しになっていないようなので

     こうして落ち着かなくなっているのです。

六条院にいささかなる事の(たが)い目ありて、月ごろ心の中に、かしこまり申すことなむはべりしを、いと本意なう、世の中心細う思ひなりて、病づきぬとおぼえはべりしに、召しありて、院の御賀の學所(がくそ)の試み日参りて、御気色を賜りしに、なほゆるされぬ御心ばへあるさまに御()(じり)を見たてまつりはべりて、いとど世にながらへむことも憚り多うおぼえなりはべりて、あぢきなう思ひたまへしに心の騒ぎそめて、かく静まらずなりぬるになむ。

 解説

柏木はこんなことを言っている。「友よ聞いてもらいたい。実はあなたの父上との間には 

いささかなる事の(たが)い目 行き違いがあって、心の中では恐縮しお詫び申し上げてきた。しかしそれにも関わらず私は病になった。あの(わらべ)(まい)の試楽の折、参上したがやはりお許しを頂けていないのだと、()(じり)を見たてまつりはべりて、そしてこういう結果となった。

柏木は夕霧はこんな風に語るが、ここで前回話したことが改めてはっきりした。柏木も試楽の折に

光源氏から、睨みつけられた とはまったく言っていない。あくまで目をチラッと配されただけであった。ただそれだけでも、

いとど世にながらへむことも憚り多うおぼえなりはべりて、自分は世に永らえてはいけないのだと、

あの日思った。柏木は夕霧にこう話す。

 

そしてこう言葉を繋ぐ。

朗読④ 何かのついでにとりなしを頼むと言っている内に柏木は苦しみが増していく。

事のついではべらば、御耳とどめて、よろしう(あき)らめ申させたまへ。()からむ後にも、この勘事(かうじ)ゆるされたらむなむ、御徳にはべるべき」などのたまふままに、

 解説

今柏木が話したことを一口で言えば、「夕霧よ、六条院様に許しを請うて下さい。取りなしてほしい。」それに対し夕霧はこういう。「柏木よ、誤解しているのではないか。」

67年前の六条院での蹴鞠の時、御簾が上がったのを咳払いで知らせたのは夕霧であった。その時柏木は女三宮を見てしまったのだろう。

 

それで何が起きたのだと思う夕霧であったが、懇願する友人柏木に色々と聞くわけにもいかない。

夕霧は柏木にこんな風に言った。

朗読⑤夕霧は「君は何を気にしているのか。六条院にはそのような気色はなく、むしろ心配を

    されている。悩みがあったらなぜもっと早く言ってくれなかったのか。今となってはどう

    しようもないという。

「いかなる御心の鬼にかは。さらにさようなる御気色もなく、かく(おも)りたまへるよしをも聞きおどろき嘆きたまふこと、限りなう口惜しがり申したまふめりしか。など、かく申すあるにては、今まで残いたまひつらむ。こなたかなた(あき)らめ申すべかりけるものを、いまは、言ふかひなしや」とて、とり返さまほしう悲しく思さる。

 解説

心の鬼 は良心の呵責 などと訳されているが、適切ではない。考えすぎ、勘違いをしているのではないか、そうに違いない が正しい。夕霧は言う。「いや、柏木よ。何か気をまわし過ぎて勘違いをしているのではないか。そうに違いない。父上、六条院にはそのような様子はまるでない。むしろ柏木が

病んでいることを、

かく(おも)りたまへるよしをも聞きおどろき嘆きたまふこと、限りなう口惜しがり申したまふめりしか。

驚き、心の底から心配し何もしてやれぬことを口惜しがっておいでの様子。むしろそんな風に思って

いると知ったら、どうして私に話してくれなかったのだと、夕霧は柏木に、いまは、言ふかひなしや」とて、とり返さまほしう悲しく思さる。  今となってはもうどうにもならない ということ。

 

そして柏木は、君だから頼みたいことがあると言う。

朗読⑥ 柏木は、「一条にお住まいの宮(柏木の妻、女二宮)を見舞って欲しい」というが、気分

     が悪くなって「もうお帰り下さい」と手まねで言う

一条にものしたまふ宮、事にふれてとぶらひきこえたまへ。心苦しきさまにて、院などにも聞こしめされたまはむを、つくろひたまへ」などのたまふ。言はまほしきことは多かるべけれど、心地せむ方なくなりにければ、「出でさせたまひね」と、手かききこえたまふ。

 解説

一条にものしたまふ宮、 柏木の妻、女二宮。女三宮の腹違いの姉。「折に触れて見舞ってやって欲しい。」父は朱雀院、母は一条御息所と呼ばれる。父・朱雀院は出家し、頼るのは母しかないのでよろしく頼むという。   「出でさせたまひね」 もうお帰り下さいと手まねで言う。

 

次の文章にある。泡の消え入るやうにて()せたまひぬ。それから間もなくであった。柏木は命を落とした。気の毒なのは一人残された子供。光源氏はその子を抱き上げる。自分の人生の終わりを自覚しつつ、複雑な思いを抱いてこう思う。

朗読⑦ 光源氏が「私の残り少ない人生になって、今から育っていこうとする故か」といって

     子を抱き上げる。とても可愛らしい。帝の血筋か王族らしく気品がある。よく見ると柏木

     によく似ている。柏木の儚い人生を思って涙を流す。

「あはれ、残り少なき世に()ひ出づべき人にこそ」とて、(いだ)きとりたまへば、いと心やすくうち笑みて、つぶつぶと肥えて白ううつくし。大将などの(ちご)()ひほのかに思し出づるには似たまはず。女御の御宮たち、はた、父帝の御方ざまに、(おう)()づきて気高うこそおはしませ、ことにすぐれてめでたうしもおはせず。この君、いとあてなるに添へて愛敬(あいぎょう)づき、まみのかをりて、()がちなるなどをいとあはれと見たまふ。思ひなしにや、なほいとようおぼえたりしかし。ただ今ながら、まなこゐののどかに、恥づかしきさまもやう離れて、かをりをかしき顔ざまなり。

 解説

光源氏は今のような思いを一人かみしめる。「私の人生も残り少ない。そんな折に命を授かったこの子。人は皆、この子は光源氏と女三宮の子と思っている。その子を抱くとなんとも可愛らしい。夕霧の子供の頃を思い出そうとするが、これほど可愛らしかったとは思えない。娘の女御が生んだ宮たち、光源氏の孫たちの父は天皇なので、

(おう)()づきて気高うこそおはしませ、 皇族らしく気高く高貴ではあるが、

ことにすぐれてめでたうしもおはせず。 格別優れて美しい訳でもない。柏木の子の方が優れているように見える。

光源氏の美に対する目は確かであり、そして何よりも公平なのである。父は死んで母は出家した不幸な運命を背負わされたこの子を光源氏は祝福している。しかし一方では、

思ひなしにや、なほいとようおぼえたりしかし。思いなしか、柏木に似ている。どのあたりなのか、

まなこゐののどかに、恥づかしきさまもやう離れて、かをりをかしき顔ざまなり。

この子は何といっても、目の辺りが柏木を思わせる。

 

朗読⑧ 「柏木は何と儚い運命だったか」と光源氏は涙を流す。

あはれ、はかなかりける人の契りかなとみたまふに、おほかたの世の定めなさも思しつづけられて、涙のほろほろとこぼれぬるを、今日は事忌(こといみ)すべき日をとおし拭い隠したまふ

 解説

こんなにかわいい子を胸に抱けなかったとは、あはれ、はかなかりける人の契りかな 何とあわれな柏木の運命かと思う。この日この子が生まれて、五十の賀。いか と呼ぶが、この日に涙は禁物なのである。

 

実は柏木は物語から退場したわけではない。ここからは物語の文脈に沿って話をする。

彼の友人夕霧はある日、友人の遺言を守って彼がこの世に残した妻・朱雀院の子の女二宮を訪れる。母と娘の女二人でひっそりと暮らしている一条院へ。柏木の死から一年以上たっている。

朗読⑨

秋の(ゆうべ)のもののあはれなるに、一条宮を思ひやりきこえたまひて渡りたまへり。うちとけしめやかに御琴どもなど弾きたまふほどなるべし。深くもえとりやらで、やがてその南の(ひさし)に入れたてまつりたまへり。端つ方なりける人のゐざり入りつるけはひどもしるく、(きぬ)の音なひも、おほかたの匂ひ(こう)ばしく、心にくきほどなり。

 解説

世間の視線を常に集めていた柏木が生きていた頃は、華やかだったこの一条の宮。それが今は

世間から忘れ去られてしまったかのよう。秋の一日、夕霧が行ってみると屋敷の中から琴の音。夕霧は(ひさし)に案内されるが、そこここに衣擦れの音や香りが漂っている。

 

そこに残された琴を引き寄せると、

朗読⑩

和琴を引き寄せたまへれば、(りち)に調べられて、いとよく弾きならしたる、(ひと)()にしみてなつかしうおぼゆ。かやうなるあたりに、思ひのままなるすき心ある人は、静むることなくて、さまあしきけはひをもあらはし、さるまじき名をも立つるぞかし、など思ひつづけつつ掻き鳴らしたまふ。故(きみ)の常に弾きたまひし琴なりけり。

 解説

和琴を引き寄せると良く調律されて、女のよい香りがする。好きものだったら気持ちが抑えられずけしからぬ振舞いに及ぶかもしれないなと思いつつ、琴を弾く。この後に続く夕霧と女二宮との話とは、

この講座では省略する。何かの機会に話すことにする。

さて夕霧は 掻き鳴らしたまふ。故(きみ)の常に弾きたまひし琴なりけり。 これは亡き夕霧の琴ではないかということになる。

母一条御息所、娘の女二宮そして夕霧の心に柏木への思いが現れる。母・一条御息所と夕霧の間でしめやかな語らいの時がある。

 

そして辞去しようとすると、御息所は今日のお礼にと品物を取り出す。

朗読⑪ 贈り物に笛を添えて差し上げる。「古い(いわ)れのある物ですが、ここで埋もれるのも

     可哀想なので、よい音色お吹きになるのを聞きたいので」

御贈物に笛を添えて奉りたまふ。「これになむ、まことに古きことも伝はるべく聞きおきはべりしを、かかる蓬生(よもぎふ)に埋もるるもあはれに見たまふるを、御先駆(さき)に競はん声なむ、よそながらもいぶかしうはべる」と聞こえたまへば

 解説

このようなものが私たちの所にあってもと言って母・御息所は夕霧に差し出したのは横笛。笛は男の物なので、このままではこの笛が埋もれてしまう。あなたに使って貰いたいというので、手に取ってみると、先の琴と同様に柏木が「私でもこの笛は充分に吹きこなすことは出来ない。この名器はこの人ならという人に伝えたいものだ」と生前の柏木が漏らしていたあの笛ではないか。夕霧は御息所から預かった笛を少し吹いてみて、懐に収める。

 

雲居の雁が待つ屋敷に帰る。その夜、こんな夢を見る。

朗読⑫ 夢に柏木が(うちき)姿(すがた)で笛を取ってみている。そしてこの笛はあなたではなく、私の子孫に

     伝えて欲しいという

すこし寝入りたまへる夢に、かの衛門督(えもんのかみ)、ただありしさまの(うちき)姿にて、かたはらにゐて、この笛を取りて見る。夢の中にも、亡き人のわづらはしうこの声をたずねて来たるとおもふに、

 「笛竹に 吹きよる風に ことならば 末の世ながき 音に伝へなむ

思ふ方(こと)にはべりき」

 解説

夕霧の夢に柏木が現れた。あの時の袿姿の彼は、笛を手に取って見ている。無念そうにこう語りかける。「この笛は伝えたかったのはあなたではない。末長い私の子孫に伝えたい。」光源氏だけが知っている人。あの男の子である。そんなことはどうしたら出来るのであろうか。光源氏は夕霧にも本当のことは話してないことだ。その子は五十の賀・いか の祝いをしたばかりの子に届くのか。

さて横笛の行方は。

 

「コメント」

 

女三宮が出家し、柏木が死んでも物語は終わらない。いよいよ興味深くなる、もはや光源氏が主役ではないのか。