250426 ④「伊勢物語の章段の配列」
「伊勢物語」は一人の作者が短い時間で完成したものではない。長い時間をかけて少しずつ内容が追加されて、現在のような125段の作品として完成したと考えられる。とは言えども、二条后との愛、伊勢斎宮との愛、東下りの旅などは「伊勢物語」の根幹なので、最初から存在したであろう。それらはどのように配列されているのだろうか。今回は125段の配列順序について考える。
現在私たちが読んでいる「伊勢物語」は定家本と言われる。定家が鎌倉時代の天福2年・1234年に書き記した本文を、室町時代に三條西家で忠実に書き写した写本が現存しており、天福本と言われる。定家本の代表である。定家本は、第一段が 初冠 で、最後の125段が つひにゆく道 である。ところが段の数が125段より多い写本もある。広本系統という。段の数が少ない写本もあり、こちらは略本という。小式部内侍本と言われるものである。
「新編日本古典文学全集」などには、広本の中から定家本と重複しない段を網羅して掲載している。参考までに定家本の「伊勢物語」と異なる段の内容を読んでみよう。
朗読①
むかし、男、すずろなる道をたどりゆくに駿河の国の宇津の山にいたりて、わが入らむとする道はいと暗う細きに、蔦かへでは茂り、もの心細く、すずろなるめを見ることと思うに、修行者あひたり。「かかる道は、いかでかいまする」といふを見れば、見しひとなり。京に、その人の御もとにとて、文かきてつく。
中空に 立ち入る雲の跡も 身のいたずらに なりぬべきかな
となん、つけける。かくて思いゆくに、
駿河なる 宇津の山の うつつにも 身にも一人 あはぬなりけりが
と思いゆきなり。
解説
定家本とは表現が違っている段を、小式部内侍本より紹介した。これは定家本の第九段 東下り の宇津の山 のバリュエ-ションである。最大の違いは、定家本の第九段には存在しない歌が、業平が詠んだ旅の歌として挿入されている点である。
中空に 立ち入る雲の跡も 身のいたずらに なりぬべきかな
空の中ほどに浮かんでいる雲は、気付かない内に跡形もなく消えてしまう。自分もまた、あの雲のようにこの世から消えてしまうのか。
実はこの 中空に の歌は定家本では、第二十一段 おのが世々 に含まれている。そこでは女の詠んだ歌とされる。小式部内侍本では、男である業平の旅の歌になっている。
定家本として、全部で125段の作品として完成するまで、「伊勢物語」には様々なバリュエ-ションが存在していた。
では次に小式部内侍本について説明する。これは定家本の「伊勢物語」が、業平の初冠から始まり、業平の辞世の歌で終わっているのとは全く違う配列をしている。第六十九段の 狩の使 から始まって、第十一段の 空ゆく月 で終わっているとされる。冒頭が 狩の使 なので、 初冠本 と比較して、狩使本 とも呼ばれている。狩使本には、完全な形で現存する写本はなく、全体を復元する試みがなされている・。ただし 狩使本 の存在は、古くから知られていた。第三回講義で「伊勢物語」というタイトルの由来について、様々な説を紹介した。その中で歌人の伊勢が書いたので、「伊勢物語」という説があった。業平の没後に妻であった伊勢が発見し、内容を書き直した上で広めたとする伝承があった。それは 狩の使 から始まっている本であった。その後伊勢は、別の「伊勢物語」を見つけたという伝説を紹介した。
「和歌知顕集」で、伊勢が二度目に「伊勢物語」の清書版を発見する場面を詠む。これは伝説であり、伝承である。すでに最初に見つけた 狩の使本はひろまっているという前提である。
朗読②
伊勢、むかしの人のこと、忘れ果てざりしかば、十歳余りの身技の果てせんと思ひて、忍びて里に出でにけり。業平の書き置きたる文ども、取り集めて願文の紙とせんしけるついでに、見ればあるものの底に、伊勢物語と書きたるものあり。あやしくて取りてみれば、今の 初冠 の本なり。殊にひき作ろひて書きたりければ、これできのききに書きたるものよりしは中書きの本なり。これもまた先のごとく書き改めて、先の本をば書きたる人に毎に請ひて焼き棄てにけれど、自ら惜しみて出でざらし本残り留まりて、狩の使本とは別れたるなり。 ※聞き取り不良で意味不明の部分あり。
解説
「伊勢物語」にはなぜ 初冠 から始まるものと、狩の使 から始まるものの二つがあるのか。初冠本の方が数が多く、狩の使本の方が、数が少ないのは何故か。その疑問に「和歌知顕集」は見事に答えている。伊勢は、宇多天皇の中宮である藤原温子に仕えた。温子は関白藤原基経の娘で、七條の后と呼ばれた。伊勢は温子に仕える女房であるが宇陀天皇の寵愛を受けて、敦実親王を生んだ。「和歌知顕集」の説では、宮中からこっそり里に下がり、かつて夫であった業平の法要の準備をしていたところ、「伊勢物語」の清書本を見つけたとある。最初に見つけて広めた推敲途中の、狩使い本を可能な限り回収したけれども、どうしても世間に残ってしまったというのである。
伝承であろうがよくできた話である。この 狩の使本が、小式部内侍本である。
それでは 狩の使 の段は、「伊勢物語」全体の中で巻頭に据えられるほど重要なのであろうか。
細川幽斎は「伊勢物語闕疑抄」で、定家の考えを代弁している。
朗読③
狩の使 に伊勢へ下向、よりてこの間ありと言うは、おおきにふうふつのことなり。この物語の肝心にあらず。それゆえが、初段に 春日の里に、しるよしして、狩にいにけり と書き、西の対、夜の月をみて 月やあらぬ春は昔の という名歌を詠じ、また東国下向のことにつけて、富士山の雪、武蔵野の煙など、様々この物語の名望なり。狩の使 の事ばかりは幽玄の美なり。これを思うに、狩の使 に下ること肝心とは心得がたし。
解説
幽斎は定家の考えを推測している。「伊勢物語」第六十九段 狩の使 を重視して、これを冒頭に位置しているから、「伊勢物語」というタイトルがついたという説は不確かな説である。この物語の肝心、本質を捉えていない。第一段 初冠の扱い、その後に語られる二条の后との悲恋、東下りの旅で見た情景などは有名な箇所であり、「伊勢物語」の「伊勢物語」たる所以である。ところが 狩の使 の話は曖昧で、捉えどころがない。「伊勢物語」の中で 狩の使 が最重要であるとは思えない。
「闕疑抄」はさらに 狩の使本にも言及している。
朗読④
またある説に、後人があまつさえ 狩の使 のことを肝心と言い募るべきために、この物語の端に書きたる本あり。言語同断、曲事の議なり。これ、伊行が説なり。伊行は世尊寺の先祖なり。建礼門院右京大夫の父なり。一切経を書きたるものにて、能書すぐれ、夜鶴庭訓抄 などを作し、また歌道の名を賞せられたるものなれど、この説は誤れり。これを用いずと書かれたり。
解説
狩の使本 を細川幽斎が解説している部分である。第六十九段の 狩の使 が、「伊勢物語」の中で最も重要であると主張せんが為に、冒頭に位置させた「伊勢物語」の写本がある。これはとんでもないことである。狩の使 を重視するのは、藤原伊行の説である。彼は藤原行成の子孫であり、世尊寺家という書道の家柄の初代である。歌人として名高い建礼門院右京大夫の父親でもある。和歌も高く評価されていたが、この 狩の使 を重視する立場は間違っている。定家卿も、狩の使 説は採用しないと断言している。
「伊勢物語」は、定家の定めた伊勢物語の本文で、定家が配列した順序で読んでいくのが良い
というのが、細川幽斎の結論である。私達も定家本で、即ち現在出版されているほとんどすべての「伊勢物語」の章段番号に従って一段ずつ読んでいく。定家本の配列に従うと、「伊勢物語」はどういう風に見えてくるだろうか。定家本は125段である。第一段が初冠で、在原業平の公式な人生の出発点である。最後の第百二十五段 つひにゆく道 が、業平の臨終を描いている。この中間は、時間の経過通りにはなっていない。初冠 は元服のことだとする説と、叙爵すなわち貴族社会に加わったことだとする説とがある。叙爵説に立つと、業平は従五位下に任じたのは、25歳の時。一方、第二十三段 筒井筒 は、幼馴染の二人を業平と紀有常の娘だと考えると、叙爵するはるか昔の幼年時代を描いている。この様に「伊勢物語」の配列は、必ずしも業平の年齢順にはなっていない。また、百十四段 芹河行幸 で、光孝天皇の伏見への行幸が描かれているが、これは業平の没後のことである。
「伊勢物語」は業平の一代記とする体裁を最初と最後で取っているが、厳密にはそうではない。
「伊勢物語」のおおよその流れを見てみよう。第一段 初冠 は奈良の春日の里で、男は二人姉妹を見て心を動かされる。
大和の国は 第二十三段 筒井筒 でも舞台になっている。また、第一段の二人姉妹は第四十一段の 紫 などにも登場する。姉は身分ある男と結婚し、妹は身分の低い貧しい男と結婚したという設定である。第一段と第二十三段はかなり離れている。第一段と第四十一段も離れている。けれども読者は、それらの段が地下水脈で結ばれていると感じる。
そしてこれらの登場人物は同じなのだと思うようになる。それが例えば、業平、紀有常の女、その妹という人名の当てはめになったりする。大切なのは女の名前ではない。大和の国という名称、そして男とその妻、その妹という人物関係が「伊勢物語」では繰り返し現れるという事実なのである。
「伊勢物語」は第一段の後、清和天皇の女御で二条后と呼ばれた藤原高子と業平の悲恋が語られる。第三段 ひじき藻、第五段 関守、そして第六段 芥河 の夫々一部を読む。
朗読⑤
第三段 ひじき藻 二条の后の、まだ帝にも仕うまつりたまはで、ただ人にておはしましける時のことなり。
第五段 関守 二条の后に忍びてまいりけるを、世の聞えありければ、兄たちの守らせたまひけるとぞ。
第六段 芥河
これは二条の后の、いとこの女御の御もとに、仕うまつるやうにてゐたまへりけるを、かたちのいとめでたくおはしければ、盗みて負ひていでたりけるを、御兄、堀川の大臣、太郎国経の大納言、まだ下臈にて、内裏に参りたまふに、いみじう泣く人あるを聞きつけて、とどめてとりかへしたまうてけり。それをかく鬼とはいふなりけり。まだいと若うて、后のただにほはしける時とや。
解説
業平と二条后との愛を語る段を紹介した。「伊勢物語」の最初のクライマックスは、天皇の后が臣下と密通するという秘密の恋であった。伝説では業平と高子の間に、陽成天皇が生まれたとされる。紫式部は「伊勢物語」のこの辺りを愛読していたのか。そして桐壺帝の女御である藤壺が臣下の光源氏と過ちをおかし罪の子を作り、冷泉帝として即位させるという「源氏物語」のストーリ-を着想したので
あろう。
「伊勢物語」は第七段 かへる浪 からは旅がモチ-フとなる。恋愛の挫折によって、貴公子が都を離れ旅立つというストーリ-である。東下り と言われるが、男は関東を経て陸奥まで足を延ばす。第九段 東下り、第十段 たのむの雁、第十四段 くたかけ それぞれの一部を読む。
朗読⑥
第九段 東下り
むかし、男ありけり。その男、身をえうなきものに思ひなして、京にはあらじ、あづまの方にすむべき国もとめにとてゆきけり。もとより友とする人、ひとりふたりしていきけり。
第十段 たのむの雁
むかし、男、武蔵の国までまどひ歩きけり。
第十四段 くたかけ
むかし、男、陸奥の国にすずろにゆきいたりにけり。
解説
旅の物語をいくつか紹介した。この 東下り は、第十五段 しのぶ山 まで続く。紫式部はこのあたりの旅のモチーフを熟読して、光源氏の須磨・明石への旅を発想したのであろう。第十三段 武蔵鐙 は、都から武蔵国まで流離ってきた男には都に妻がいるから、武蔵国の女との三角関係がテーマである。光源氏は都に紫の上を残していながら、明石で明石の君と結ばれた。これも、「伊勢物語」から浮かんだ発想なのであろう。
第十六段 紀の有常 では、男はいつの間にか都に戻ってきている。旅のテ-マは終わったのだ。
ここから暫くは都における日常生活が描かれる。数人の女性との恋の遍歴が中心であるが、中には友情をテーマとする段もある。
第十六段に紀有常が登場する。有常は第三十八段 恋といふ 、第八十二段 渚の院 にも登場する。紀有常は第三十八段 恋といふ 、第八十二段 渚の院 にも登場する。業平の妻の父親であると同時に、業平の親友という位置付けである。そうすると読者は少し先まで遡って、第九段の 東下り を思い出す。
もとより友とする人、ひとりふたりしていきけり。
業平の最大の友は紀有常なので、ひとりふたり の中には 紀有常が含まれるのではないかと気付くのである。「伊勢物語」は基本的に配列順に読んでいくものであるが、時にはある種の気付きによって以前に遡ることも可能である。
さて業平は、様々な恋を体験する。第十九段 天雲のよそ はある女性に宮仕えしていた男が、同じようにその女性に仕えていた女房と深い仲になり、やがて別れたという話である。
現代ならさしづめ社内恋愛であろうか。平安時代の宮仕えは、現代女性の社会活動の先駆的形態でもあった。交際が順調な時はよいが別れた後も顔を合わせねばならず、男も女も辛いことである。
第二十一段 おのが世々 には、男の愛が信じられずに自分から家を出て男との愛を解消する女が登場する。「伊勢物語」を読み進めると、このタイプの女性が複数の段に登場することが分かる。
例えば第六十段 花橘 や第六十二段 こけるから である。
これらの段の女性像を確認しておこう。
朗読⑦
第二十一段 おのが世々
むかし、男女、いとかしこく思ひかはして、こと心なかりけり。さるを、いかなることかありけむ、いささかなることにつけて、世の中を憂しと思ひて、いでていなむと思ひて、かかる歌をなむよみて、物に書きつけける。
第六十段 花橘
むかし、男ありけり。宮仕へいそがしく、心もまめならざりけるほどの家刀自、まめに思はむといふ人につきて、人の国へいにけり。
第六十二段 こけるから
むかし、年ごろ訪れざりける女、心かしこくやあらざりけむ、はかなき人の言につきて、人の国なりける人につかはれて、もと見し人の前にいで来て、もの食はせなどしけり。
解説
これらの段には女性の実名は書いてない。けれども「伊勢物語」のあちこちに散見する、男を見限って去る女や家を出ていく女は、共通する一人の女性の姿を読者に強く意識させる。彼女に、例えば小野小町という名前を当てはめてもよい。
心の軽い女といってもよい。その反対は心の重い女である。紫式部は「伊勢物語」に何度も登場する心の軽い女の話を読んでいる内に、それとは反対の心の重い女を書きたいと思ったのであろう。
それは花散る里と末摘花である。
彼女たちは美しくもなく和歌に秀でているわけでもない。けれども須磨明石に去った光源氏を待ち続けた。どんなことがあっても男を信じ続け、最後には幸せを手に入れる。花散る里と末摘花は小野小町の裏返しである。
第三十九段 源の至 は、蛍の光で女の姿を見ようとした色好みの男が登場する。この段は「源氏物語」の蛍の巻の発想を紫式部に与えた。
第六十三段 つくも髪 では、老女が若い貴公子を好きになり契りを結ぶ。この段は「源氏物語」に登場する源典侍という老女連想させる。
この様に紫式部は「伊勢物語」から沢山のアイディアを引き出した。紫式部はよほど「伊勢物語」が好きだったのである。
第六十五段 在原なりける男 は「伊勢物語」全百二十五段の中でも屈指の長編である。そして二条后 藤原高子との愛をテ-マとしている。第七十六段 小塩の山 にも二条后が登場する。「伊勢物語」で最も大きな扱いを受けている女性は、何より二条后である。
第六十九段 狩の使 から第七十二段大淀の松 までは舞台を都から伊勢国に転じて、伊勢斎宮と業平との秘密の関係が語られる。斎宮は都に戻り出家して尼になる。尼となった遭遇を語る第百二段 世のうきこと と、第百四段 賀茂の祭 は、斎宮の懐旧談である。神に仕える斎宮と男との情交はタブ-である。そのタブ-への挑戦が斎宮章段の魅力であろう。
第六十九段 狩の使 の冒頭と末尾を読む。
朗読⑧
冒頭
むかし、男ありけり。その男、伊勢の国に狩の使にいきけるに、かの伊勢の斎宮なりける人の親、
「常の使よりは、この人よくいたはれ」といひやれりければ、親の言なりければ、いとねむごろにいたはりけり。
末尾
斎宮は水の尾の御時、文徳天皇の御女、惟喬の親王の妹。
解説
斎宮は文徳天皇の皇女である恬子内親王。母は紀静子、業平の妻の父である紀有常の妹が、紀静子である。斎宮である恬子内親王に母の静子から、業平の便宜を図ってやりなさいと言われ、道ならぬ関係になった。東下りは目的のないさすらいの旅であった。業平が伊勢国を訪れたのは、勅使として派遣された公務である。業平はどんな旅でも恋をやめなかった。なお、業平は第六十段 花橘 では勅使として九州の宇佐八幡宮に遣わされていた。第六十一段 染河 では筑紫のことが書かれているのも、宇佐への使いと同じころであろう。
「源氏物語」では六条御息所が娘の斎宮とともに伊勢国に下向している。帰京して六条御息所は死去するが、元斎宮であった娘は光源氏の養女となり、冷泉帝に入内して 秋好む中宮と呼ばれる。光源氏も彼女に興味を感じたが、辛うじて恋を思いとどまった。
第六十九段の 狩の使 の、神を恐れぬ恋は、「源氏物語」にかなり変形されて利用されている。また業平と斎宮は一度の契りで男子をもうけたと言われている。これは柏木が光源氏の正妻である 女三宮 と最初で最後の契りで、子供が宿ったという若菜下の巻に影響を与えている。
第七十六段 小塩の山 は、「伊勢物語」の折り返し点となる重要な段である。この段で業平は翁と呼ばれている。永遠の貴公子である業平も、到頭 翁と呼ばれる年齢になった。これまで青春の文学であった「伊勢物語」は、老人の文学に足を踏み入れた。「源氏物語」で言えば、光源氏が40歳を迎えた 若菜上の巻のような位置付けである。第八十一段 塩竃 は、源融が営んだ賀茂川院が舞台であるが、業平はここでも翁と呼ばれている。第八十二段 渚の院 からは、惟喬親王をめぐるエピソ-ドが続く。弟の清和天皇との皇位継承の争いに敗れた惟喬親王の寂しい人生を描いている。
これは敗者の文学である。政治的敗者の惟喬親王を描く場面に、歌人である業平が加わることで悲劇性は一層加わった。政治的権力には無縁な風流、文学、みやび、美意識、それが業平たちの生きる世界であった。
第八十四段 去らぬ別れ は、業平と母の伊都内親王の親子関係を描いている。母と子の強い心の絆が感動的である。年老いた母にいつか訪れる命の尽きる時が永遠に来ないで欲しいという気持ちは、現代人にも理解できる。思えば、光源氏は幼くして母の桐壷更衣と死別しているので、老いた母親の姿を知らない。宇治十条の 薫 は若く見える母親の女三宮をみて、この母親が生きている内に自分は出家できないと考えている。
物語文学は人間関係を描くものであるが、その大部分は男と女の恋愛遍歴である。その中にあって「伊勢物語」は業平と紀有常の友人関係も、業平と伊都内親王の親子関係も描いている。惟喬親王と業平の関係は主従関係である。強いて言えば「伊勢物語」には師弟関係が希薄かも知れない。惟喬親王が登場する段が終わった後は、単発的に様々なエピソ-ドが続く。
第八十七段 布引の滝 では、男が摂津国芦屋の里を遊び歩いている。芦屋の里に業平の所領があったからともいわれている。
遡るが第六十七段 花の林 では、男が和泉国を逍遥している。第百六段 龍田河 でも、大和国を逍遙している。
「伊勢物語」では多くの地名が登場する。東下りの傷心の旅。勅使としての派遣、そして遊興としての旅である。男の足跡は、北は陸奥から南は九州まで伸びている。
第八十一段 塩竃 では、男が全国を移動してきたと書いてある。その一節を読む。
朗読⑨
陸奥の国にいきたりけるに、あやしくおもしろき所々多かりけり。わがみかど六十余国のなかに、塩竃といふ所に似たる所なかりけり。
解説
わがみかど は、天皇の司る我が国、日本国のすべてという意味である。「伊勢物語」の主人公である むかし男 は、全国を移動したのである。「伊勢物語」の終わり近くの第百十五段 みやこしま と、第百十六段 はまびさし では、再び男が陸奥国まで旅したことが書かれている。旅の文学としての「伊勢物語」のスタイルは最後まで一貫している。
第百十九段 形見 は男の退場が近づいていることが暗示される。一節を読む。
朗読⑩
むかし、女の、あだなる男の形見とておきたる物どもわ見て、
かたみこそ 今はあたなれ これなくは 忘るる時も あらましものを
解説
形見 は、業平の「伊勢物語」からの退場を予告する言葉である。
第百二十四段 われとひとしき人 は、死を目前にした男の心の中を覗き込んでいる。
朗読⑪
むかし 、男、いかなりけることを思ひけるをりにかよめる。
思ふ事 いはでぞただに やみぬべき われとひとしき 人にしなければ
解説
ここでは「伊勢物語」の生きてきた男の絶望が示されているのだろうか。自分の心は自分にしかわからない。だから沈黙を守ろう。それとも死を目前にして、心に湧きあがってくる無限の思い、それを言葉ではなく心で読者に汲み取ってほしいと訴えているのだろうか。業平と親しい人などこの世に存在するはずはない。けれども定家本「伊勢物語」をここまで読んできた読者には、業平の心がしっかりと伝わっている。
そして「伊勢物語」は第百二十五段 つひにゆく道 を迎える。
朗読⑫
むかし、男、わづらひて、心地死ぬべへくおぼえければ、
つひにゆく 道とはかねて 聞きしかど きのふけふとは 思はざりしを
解説
業平は880年に亡くなった歴史上の人物である。「伊勢物語」の各段は短いうえに、相互に連携はない。但し恋に失敗した男が、遠く 東下り の旅に出る。いつの間にか、都に戻ってきて様々なタイプの女性と恋をする。中でも天皇の后である二条后との悲恋、幼馴染の紀有常の女との結婚、男の愛情を信じられない、色好みの小野小町との恋愛ゲ-ム、伊勢の大神宮に仕える恬子内親王との恋などが印象的である。第百二十五段で、「伊勢物語」は終了する。そこから「源氏物語」への扉が開かれたのである。
「コメント」
まず全体を俯瞰してから始まるこのスタイル、とてもいい。全体像がまず理解できる。
本を あとがき から読む?