250628⑬「第九段(東下り その1八橋、蔦の道)
今日から第九段 東下りを2回に分けて読む。今回は八橋のかきつばたの場面と、宇津の山の蔦の道の場面を読む。「伊勢物語」の中でも特に有名で、美術作品にも好んで描かれている。まず、八橋の場面を読む。
朗読①
むかし、男ありけり。この男、身をえうなきものに思ひなして、京にはあらじ、あづまの方に住むべき国もとめにとてゆきけり。もとより友とする人、ひとりふたりしていきけり。道知れる人もなくて、まどひいきけり。三河の国八橋といふ所にいたりぬ。そこを八橋といひけるは、水ゆく河のくもでなれば、橋を八つわたせるによりてなむ、八橋といひける。その沢のほとりの木のかげにおりゐて、かれいひ食ひけり。その沢にかきつばたいとおもしろく咲きたり。それを見て、ある人のいはく、「かきつばた、といふ五文字を句のかみにすゑて、旅の心をよめ」といひければ、よめる。
から衣 きつつなれにし つましあれば はるばるきぬる たびをしぞ思ふ
とよめりければ、みな人、かれいひの上に涙おとしてほとびにけり。
解説
まず現在なされている解釈を説明する。
むかし、男ありけり。昔、ある男がいました。ここには在原業平の姿が重ね合わせられている。
この男、身をえうなきものな思ひなして えう は、要 を当て、世の中にとって必要のない人間とするのが定説である。
用 という字を当て、世の中に受け入れられず、用いられない人間という解釈をする説もある。また、益 、役 を充てる説もある。思ひなして は、自分の強い意志で思い切るというニュアンスである。男は都の宮廷社会には全く必要とされない存在であることを痛感した。ならばもう都にはいたくない。ここにも男の強い決意が感じられる。広い世間のどこかには、自分を必要としている人がきっといる
だろうと男は思ったのである。
もとより友とする人、ひとりふたりしていきけり。友 は、友人と取るのが普通である。前回、荷田春満が、従者、供と解釈していることを紹介したが少数説である。
道知れる人もなくて、まどひいきけり。業平の友人も初めての東下りである。案内役がいないので、何度も道を間違えながら、東を目指したのである。
三河の国八橋といふ所にいたりぬ。男と友人達は三河国に到着した。現在の愛知県の東部である。八橋は愛知県知立市にある。無量寿寺の境内には、八橋かきつばた園があり、業平の銅像も立っている。
そこを八橋といひけるは、水ゆく河のくもでなれば、橋を八つわたせるによりてなむ、八橋といひける。
語り手が、八橋という地名の由来を説明している。くもで は、蜘蛛の手足。手足は八本あり、八という数字は古来、数が多いことの例えである。蜘蛛の足のように川の流れがあちこちに別れ分流しているので、八橋という地名が付いたというのである。現在の逢妻川に面した場所である。
その沢のほとりの木のかげにおりゐて、かれいひ食ひけり。おりゐて とあるので、男たちは馬から
降りて座った。かれいひ は、蒸した米を乾燥させたもので、旅の携帯食である。水やお湯を注いで、ふやかして食べる。かれ は、乾燥させた、いひ は米粒のこと。
その沢にかきつばたいとおもしろく咲きたり。八橋の池には、かきつばた の花がとても美しく咲いていた。アヤメ科の植物である。古くは かきつはた と濁らずに発音していたそうである。かきつばた は漢字では、燕子花と書く。室町と時代の謡曲 かきつばた では、杜若と書く。かきつばた の花は、水辺に群生する。尾形光琳が描いた「燕子花屏風」でも沢山の かきつばた の花が咲き誇っている。
それを見て、ある人のいはく、ある人 は、とある人という説ともその場にいる人という説がある。ここでは友人の一人であろう。かきつばた の花に感動した友人が、男に向かって提案した。
「かきつばた、といふ五文字を句のかみにすゑて、旅の心をよめ」和歌は五七五七七の五句からなる。この五句の夫々の頭に、か き つ ば た の字を置いて、意味の通る和歌を詠め、なおかつ歌のテ-マを旅人の旅情とするようにというリクエストである。友人は、主人公の男が和歌の名手であると知っているからこそ、こんな難題を要求したのである。
といひければ、よめる。主人公の男は、たちどころに友人の要求に応えた。
から衣 きつつなれにし つましあれば はるばるきぬる たびをしぞ思ふ この歌の各句の最初の字は、
か き つ ば た となる。この様な歌の技巧を折句という。たびをしぞ思ふ で終わっている様に、旅の心を詠んでいる。
高度な技巧なので、ややもすると言葉同士の繋がりが失われがちである。それで業平は衣、衣服に関係する言葉を多く用いて、歌の凝縮力を高めた。から衣 は、着る に掛かる枕詞である。なれにし の なれ は、着ている服の糊が取れて、ヨレヨレになることと、慣れ親しむ との掛詞である。つま は 衣の裾の つま と、妻 との掛詞。はるばる の はる は、衣に糊をつけてピンとさせる、張る を掛けている。旅に出た当初は糊が訊いていた衣が、長旅の内にヨレヨレになり、身に馴染んできた。都に愛する妻を残してきたので、はるばる遠くまで旅をしてきたとしみじみ思う。この二つを重ね合わせている。しかも かきつばた が折句になっているので、都に残っている妻が かきつばた ように美しいことが読者には想像できる。
とよめりければ、みな人、かれいひの上に涙おとしてほとびにけり。この場面を描いた美術作品もある。業平はさすがに立派な服装であるが、友人たちはヨレヨレを通り越して服が綻びている。ペーソスが漂う。友人たちも都に愛する人を残したきたのであろう。思わず熱い涙が、かれいひの上 にこぼれ落ちた。ふやかす必要がなくて食べられる状態になったのである。これはユーモアである。
私は佐藤八郎の「さんまの歌」を思いだす。
朗読②
さんま さんま
そが上に青き蜜柑の酸をしたたらせて
さんまを食うはその男がふる里のならひなり。
そのならひをあやしみなつかしみて女は
いくたびか青き蜜柑をもぎて夕餉にむかひけむ。
さんま、さんま
さんま苦いか塩っぱいか
そが上に熱き涙をしたたらせて
さんまを食ふはいづこの里のならひぞや。
あはれ
けにそは問はまほしくをかし。
解説
佐藤八郎「さんまの歌」の第ニ連と第五連である。悲しみをユーモアで包み込んで歌う切なさ。杜若とさんまは、時代を越えて男の悲しみを歌っている。
それでは、この場面がそれまでどのように詠まれて来たという歴史を振り返る。
まず鎌倉時代の「和歌知顕集」である。
身をえうなきもの の えう については、衛府である。近衛などの司を意味すると言っている。業平は衛府の高い身分、司が得られず衛府がない状態である。
次に「冷泉家流伊勢物語抄」を取り上げる。業平は東下りはしていないと言う立場である。独自の
解釈を取り上げる。
むかし、男ありけり。 これは在原業平の物語である。
この男、身をえうなきものに思ひなして、世の中にとっても天皇にとっても、業平は必要のない人間だという説もある。
けれども「和歌知顕集」で言ってるように、衛府なし、近衛府などの取りあげられたことを意味している。業平は紀有常、平定文とともに、東山にある藤原良房の屋敷に閉じ込められた。彼らは 、ひとりふたり と書かれている。
三河の国八橋といふ所にいたりぬ。三河の国 に行ったということは、業平が東山で三人の后のことを心の中で思ったということである。川を流れている水は、人間の心のシンボルである。謹慎中の業平が、心の中で恋しく思い出したのは、二条后、染殿后、四条后の三人である。四条后とは「伊勢物語」第七十九段に登場する、兄在原行平の娘で、清和天皇の皇子を生んだ文子の事である。
そこを八橋といひけるは 水ゆく河のくもでなれば、橋を八つわたせるによりてなむ、八橋といひける。
八橋に到着したとあるのは、業平が三人の后の他にも心の中で、紀有常の娘や小野小町など、八人の女を忘れがたく思っている比喩である。
その沢のほとりの木のかげにおりゐて、木のかげ は、業平が権力者である良房の庇護を受けていること。おりゐて は、良房に預け置かれたことを意味している。
かれいひ食ひけり。 業平は良房の屋敷で朝晩、食事を与えられていた。
その沢 沢 は、潤沢という意味で、良房が大樹の様に富み栄えていることを意味している。
かきつばたいとおもしろく咲きたり。 かきつばた は、愛する女性の形見のこと。業平は三人の后や八人の女性を思っているが、二条后を一番愛していた。
それを見て、ある人のいはく この ある人 は業平の友人、僧正遍照のことである。遍照は、東山に蟄居している業平を慰めるために訪ねて来てくれた。
とよめりければ、みな人、かれいひの上に涙おとしてほとびにけり。
この ほとびにけり は業平が潤ったということ。業平を励ますために僧正遍照が差し入れを沢山持参したので、業平の生活が豊かになったということ。
業平は東に下っていない という立場から、三河国と八橋についてそれなりの説明をしていた。象徴主義的な解釈であるといえる。杜若が二条后のシンボルであり、業平が最も愛した女性であるというのが、重要なポイントである。
次に室町時代の一条兼良は、業平は東下りをしたという立場である。
身をえうなきもの については、用 という字だという。世の中に用いられないわが身という解釈である。この解釈がずっと受け継がれていく。八橋 については、具体的に説明している。
朗読③
みからぬ八橋は、ふけのようなる所に、いと枠のようなるものをして、その上に板のなる物を敷きて、あなたこなたに渡せる橋なり。今の世には、枠のようなるもの、三つばかりある。昔は八つありけんかし。蜘蛛の手は八つあるものなれば、蜘蛛手とは言えるにや
一条兼良の「愚見抄」の説明である。訳す。泥の深い田んぼ・低湿地を、 ふけ という。そこに、糸をまきとる時に使う糸枠のような物を置き、その上に板を並べて敷き、橋の代わりにする。今は三つばかり残っているが、昔は八つだったという。橋は八つあり、蜘蛛の足も八本なので、八橋というようになったのだろう。
一条兼良は、この様に言っている。室町時代に橋が三つ残っていたというのが面白い。
一条兼良の後は、連歌師の宗祇になる。平城天皇の孫でありながら、さしたる地位をなどなく、あまつさえ流罪となったのでは、業平は無用の人間であるという解釈である。登場人物に感情移入する宗祇は、木の陰に座って かれいひ を食べる時の淋しさに同情している。また、業平の歌の第五句 たびをしぞ思ふ に,どう思っているかに旅情があると述べている。
明治時代に「明星」に掲載された「伊勢物語評伝」という座談会で、与謝野鉄幹はこの様に言及している。
たびをしぞ思ふ の、し は強め。ぞ は、思ふ の間を読者の主観で補って読ませる技法であると言っている。宗祇の旅情と通じている。
細川幽斎の「闕疑抄」も、世間無用の人という解釈である。最後の 涙おとしてほとびにけり。は、
ちと、俳諧態にいへり と指摘している。ユ-モラスな場面だと指摘している。
契沖の「勢語憶断」には、かれいひ の場面を詠んだ藤原清輔の歌をあげている。
旅づとに もてるかれいひ ほろほろと 涙ぞ落つる 都おもへば
旅づとに は、旅の土産という意味もあるが、ここでは旅に持参する携行品という意味である。確かに「伊勢物語」の本歌取りである。
これまで解釈の歴史を辿って来たが、えうなきもの の解釈は、衛府なし の他は 無用という解釈が殆どである。
江戸時代には、無益という説も登場するが、要 の解釈は現代になって登場した説である。現在では 要 を充てるのが当たり前になっているが、それほど簡単な問題はなかったのである。
から衣 の歌は「古今和歌集」の巻九 羇旅の部に入っている。詞書である。
朗読④
東の方へ友とする人ひとりふたりいざなひていきけり。みかはの国八橋といふ所にいたれりけるに、その川のほとりにかきつばたいとおもしろく咲けりけるを見て、木のかげにおりゐて、かきつはた といふ五文字を句のかしらにすゑて旅の心をよまむとてよめる 在原業平朝臣
から衣 きつつなれにし つましあれば はるばるきぬる 旅をしぞ思ふ
解説
業平の方から友人を誘い、東を目指している。また友人が、かきつはた の五文字を折り込んで、歌を詠め と勧めたのではなく、業平本人が詠みたいと思って詠んでいる。その場にいたものが涙を
こぼして、かれいひ がふやけこことも書かれていない。「伊勢物語」を読んだ後だと、「古今和歌集」の方は淡々として、いささか物足りなく感じられる。
友とする人ひとりふたりいざなひて の部分がうまく機能していない。友人が歌を詠むように勧めたり、感動して泣いたりする「伊勢物語」の書き方は巧みだと感じる。これが物語の力である。
それでは宇津の山の場面に進む。私はこの場面を読む度に、俵屋宗達が書いた「蔦の細道図屏風」を思い出す。緑青色が見事である。また「伊勢物語」の本文では夏の季節なので青葉だが、蔦の細道の紅葉を赤く描いた美術作品もあり、それにも感動する。
朗読⑤
ゆきゆきて駿河の国にいたりぬ。宇津の山にいたりて、わが入らむとする道はいと暗う細きに、蔦かへでは茂り、もの心細く、すずろなるめを見ることと思ふに、修行者あひたり。「かかる道は、いかでかいまする。」といふをみれば、見し人なりけり。京に、そのひとの御もとにとて、文かきてつく。
駿河なる うつのやまべに うつつにも 夢にも人に あはぬなりけり
解説
まず現在なされている解釈から説明する。
ゆきゆきて駿河の国にいたりぬ。都から見て三河国の次は遠江国。そこでの出来事は省略されている。遠江国の次は駿河国である。
宇津の山にいたりて、宇津のや峠ともいう。東海道の難所である。後に秀吉が小田原攻めの際に
道筋を変更した。
蔦かへでは茂り、もの心細く、すずろなるめを見ることと思ふに 思ふに の主語は男、即ち業平の面影の漂う男である。
自分が今から分け入っていこうとしている山道は、とても暗く細いのである。しかも夏のこととて、蔦や楓が正面に生い茂って道を塞いでいる。男は心細く感じた。もの は無性にという意味である。男は命の不安さえ感じている。どうして自分はこんなに辛い目に合うのだろうかと男は絶望的になる。すずろ は そぞろ と同じで、とても訳もなく、理由なく というニュアンスである。もの心細く、の もの と同じである。
修行者あひたり。 寺に留まらず、各地を托鉢しながら行脚して修行する僧侶のことである。文脈としては、男が 、修行者 に出会ったと書きたいところで、実際にそのように取る説もある。多数説では 、修行者 と解釈する。
「かかる道は、いかでかいまする。」といふをみれば、 男は自分の不安と戦っているので、修行僧 に気付かない。
修行者 の方から先に話しかけてきた。いまする は 行く 来る の尊敬語である。「こんなに淋しい道をあなたはどうしておいでになったのですか」
見し人なりけり。 なりけり は、発見や驚きを表す語法である。そう話しかけられて、男は気付いた。その 修行僧 は顔見知りだったのである。
京に、そのひとの御もとにとて、文かきてつく。 男は東国に向かい、 修行僧 は東国から都へ向かっている。男はあの方に届けてくださいと手紙を言付けた。そのひとの御もとに と 御 がついているので、男が手紙を書いた相手は身分の高い女性であると分かる。この場面を描いた美術作品の中には、人物を描かず背中に背負う行李と手紙だけを描くことがある。行李は 修行僧 が背負っていたつづら籠である。手紙は男が 修行僧 に手渡した結び文である。
駿河なる うつのやまべに うつつにも 夢にも人に あはぬなりけり 男が女性に贈った歌である。
都を遠く離れて駿河の 宇津の山 まで、旅をして来ました。宇津の山 の 宇津 は、うつつ 現実 という言葉を連想させる。私とあなたは 現 現実 には会えなくなったが、夢の中にすらあなたは
現れてくれない。相手が自分のことを強く思っていれば、相手が自分の夢の中に現れるという俗信があった。男は都に残った女の自分への愛が消えたのかと不安を感じている。
それでは現在の解釈に落ち着く以前の解釈の歴史を振り返る。最も古い鎌倉時代の「和歌知顕集」から見ていく。
まず驚くのは、蔦かへで は蔦 と かへで ではなく、蔦かへで という一つの植物名だという。紅葉が美しい かへでのような葉を持つ蔦であるとする。そして業平が出会った 修行僧 の実名は僧正遍照であるという。僧正遍照は、業平と同じ六歌仙の一人だから、ここで名前を出したのであろうか。
次に東下りはなかったと、独自の解釈をした「冷泉家流伊勢物語抄」を見てみる。「伊勢物語」本文と「冷泉家流伊勢物語抄」の解釈を並べて説明する。
ゆきゆきて駿河の国にいたりぬ。業平は東山にある藤原良房の別荘に蟄居していたが、稀に外出することがあった。駿河守の藤原高経の屋敷に出かけたことを、駿河の国にいたりぬ。と書いたのである。この高経は、国経や基経の弟であり、二条后即ち藤原高子の兄である。業平と親しかった高経は、駿河守に任命されても都に留まっていた。
宇津の山にいたりて、 宇津 は、空しいことである。山は恋の山という言葉にあるように、恋の比喩。つまり宇津の山 は、業平の二条后への空しい恋のことである。わが入らむとする道はいと暗う細きに 業平があんなに二条后を恋慕っても二人は会えず、業平の心の闇は深くなるばかりであった。
蔦かへでは茂り、蔦 は、大木のような天皇や関白などの第一人者に縋りついて、立身出世しようとする貴族たちの比喩。
内裏には天皇にまとわりつく貴族たちが沢山いるので、業平が二条后に会う道は塞がれていた。
もの心細く、すずろなるめを見ること 業平は二条后と会えずに辛く感じた。
修行者あひたり。この 修行僧 は、藤原清経の事である。清経は二条后の弟で、出家して僧正遍照の弟子となり連雀法師と名乗っていた。
「かかる道は、いかでかいまする。」 清経は業平に忠告した。「業平よ、二条后との恋は不毛であるのに、何故やめないのか」
京に、そのひとの御もとにとて、文かきてつく。業平は清経から助言された二条后への思いは断ちがたかった。二条后の弟である清経に后への手紙を言付けた。
駿河なる うつのやまべに うつつにも 夢にも人に あはぬなりけり
駿河 は、駿河守の屋敷。うつのやま は、空しい恋の比喩。弟に姉への手紙を言付けるのは「源氏物語」空蝉の巻や、夢の浮橋 の巻でも用いられている手法である。物語としてはそれなりに筋の通った解釈である。「冷泉家流伊勢物語抄」は、「伊勢物語」の本文をもとにして。別の物語、例えば「源氏物語」の模倣作を創作しているのである。そういう姿勢は合理主義者である一条兼良の認める所ではない。修行者 とあれば 修行者、その人とあれば その人 である。
具体的な人名を当てはめる事は許さない。一条兼良は僧正遍照や清経などの人物名を当てはめる説や、業平が手紙を言付けた先を二条后とする説も否定している。何の根拠もないからである。
では戦国時代の宗祇はどのように鑑賞したのであろうか。宗祇の弟子に牡丹花肖柏と島田宗長がいるが、島田宗長は名前が示しているように、東海道島田宿の出身である。つまり 宇津の山 のすぐ近くである。宋長が宗祇の教えを書き留めたのが「宗長聞書」である。これを読む。
朗読⑥
宇津の山 に至りぬ。所の様は物語の表に現れはべるなり。なお心をやりて見るべし。わが入らんとする、限りなく山深き道の、木草茂りたる心を吟味して心得べし。
解説
宗祇の教えを宗長は深く頷きながら聞いたであろう。
細川幽斎の「闕疑抄」には、取り立てて注目すべき点はない。
荷田春満の「童子問」は意外なことであるが、蔦かへでは は 葉っぱが茂ると読む説が正しいという。この辺りは言語感覚の問題であろう。確かに 蔦かへで、は茂り という解釈を聞くとはっとする。葉が茂って閉塞感が伝わってくる。
今回は 八橋 と 宇津の山 の場面を読んできた。室町時代の謡曲「かきつばた」は金春禅竹の作とする説が有力である。世阿弥の娘婿である。八橋を訪れた諸国一見の僧が、かきつばたの花を見る。謡曲「杜若」の一節である。
朗読⑦
急ぎ候ふ間、程なう三河の国に着きて候。又これなる沢辺に杜若の今を盛と見えて候。立ちよりながめばやと思ひ候。げにや光陰ととどまらず。春過ぎ夏も来て。草木心なしとは申せども、時を忘れぬ花の色。かほよ花とも申すらん。あら美しの杜若やな。
解説
顔の良い花と書いて、かほよ花 である。この場面に杜若の精が現れる。杜若の精 は唐衣を着て冠を被っている。業平の冠と二条后の唐衣である。業平が杜若の花を見て、二条后を思い出したという解釈に基づいている。又謡曲「杜若」には、業平が極楽の歌舞の菩薩・歌や舞の菩薩の化身であると書かれている。これは鎌倉時代の「和歌知顕集」の説である。謡曲「杜若」は鎌倉時代の解釈を基盤としていた。だからこそ、私は「和歌知顕集」や「冷泉家流伊勢物語抄」などの解釈を詳しく紹介して
いるのである。
「コメント」
解釈の歴史は少しくどくて、場合によってはナンセンスでもあったので難儀だなと思っていた。がここまで来て、現在の解釈に至るまでに必要なことであったと気付かされた。こんな講義は
素人の私には普通は聞けない。HAPPY。