文学の世界「鴨長明と方丈記~波乱の生涯を追う」            

                                    講師 浅見 和彦(成蹊大学名誉教授)

 

161229⑬「長明の執着

仏教では、愛執・愛着の愛というのは、執着を起こす原因であって、忌避すべきものであるとする。

否定し、遠ざけなさいと言っている。長明の説話集「発心集」の中にも執着心の例を挙げ、その結末を述べている。

●ミカンの木の話

 ある坊さんの家に立派な実のなるミカンの木があった。隣りに老婆が住んでいて重病で明日をも

 知れぬ重体。

 最後にミカンを食べたいと言うが、坊さんは断る。これに怒った老婆は「物惜しみする奴は許せ

 ない。今まで極楽往生を願って精進してきたが、この願いも捨てた。その代り、虫になってみかんを

 食い尽くしてやると言って死んだ。実がなったので、坊さんが剥いてみると、どれも虫が沢山いて

 食べられない。到頭、木を切り倒したという。

  結局、みかんへの執着心がこんなことを呼び起こしたのだと言っている。

●貴船神社の女

 御所に勤める女がいて、ある男と付き合っていた。この男が地方転勤になるので、一緒に行こう」と

  言われ、御所も辞めて、出発予定の日を待っていた。所が、その日になっても男は来ない。調べて

  みると、その日に正妻と一緒に出発したと分かる。逆上した女は貴船神社に向かう。貴船神社は、

  愛に人生を狂わせられた人が、復讐を祈りに行く所である。そして、男を奪ったその正妻を呪う祈願

  をする。その結果、正妻は死ぬこととなる。

 

 (かな)()>  五徳(ごとく)のこと  能にこの話がある。

男に捨てられた女が、毎晩貴船神社に参篭して、恨みを晴らそうとする。川に身を沈めて、呪いの

言葉を100回唱える。

そして鬼に変身した女は、五徳(ごとく)逆さに被り、男と今の女の所に行く。取りついて殺そうとするが、

陰陽師安倍清明のお蔭で目的を達せず、女は次の時だといって消える。とても怖い話。

 

長明は人間の心の闇を熟知していたのであろう。これを防ぐには、「執着・愛執の基の愛を断つべきである」という。

そして、その例を挙げている。

 ・ある坊さんが大変高価な水差しを持っていた。ある時、縁側に置きっぱなしで出かけた。途中で

    とても気になって急いで帰ってきた。そして、その水差しを庭の岩に投げつけて割ってしまった。

    執着の心を砕いたという事だ。

・ある坊さんが紅梅の名木を持っていた。誰かが、この木に悪さをするのではと心配ばかりしていた。

 そこで、斧でその木を切り倒してしまった。

 

長明自身はどのように言っているのか。方丈記より

三界はただ心一つ。心が安穏でないのであれば、どんな宝も意味がなく、宮殿楼閣もなんの楽しみにもならない。

今、私はこの寂しい住まい、方丈の住まいをこよなく愛している。時として、都に出て、己の身の貧しさを恥じることがあるといっても、ここに帰ってくれば、人々が俗塵に心を乱していることを憐れにさえ

思う。仏陀の教えによれば、何事にも執着するなという。」「静かなる暁、この理を考え続けて、

私自身、心を問うのには、世をのがれて、山林に住むのは、心を修めて、仏道を修行しようというのである。しかるに翌考えると、姿は法師でも心の中は濁りに染まりきっている。

ただただ、阿弥陀仏の名を二三回唱えてばかりである。時に、建暦2年(1212年)、弥生(3月)の

末日ごろ、桑門の蓮胤(長明の法名)、外山の庵にて、これを書きとどめる。

この様にして、方丈記は終わる。

 

この部分「ただ阿弥陀様の念仏を二三回唱えるだけ」という分の、解釈について昔から諸説ある。

紹介する。

・迷える長明は、阿弥陀仏を唱えることによって悟りの世界に入った。

・悟りきれない自分を、正直に告白したのだ。

・解決不能な難問(人間の生き方)の前に、長明は、結論が出ないので仕方なく、阿弥陀仏を唱える」ことで、この作品を終えようとした。

「講師の見解」

悟りきれない自分を認めた長明は、しかしそのままではいけない、一心に阿弥陀仏にすがり祈らなければならないと考えたのだと思う。

  

「長明の人生」

・下賀茂神社禰宜の次男として、幸せな幼年期

・父の早世により、一転してみなし子となる。一族の中に相容れられず、疎まれる。

・和歌・音楽に精進する。後鳥羽上皇に認められ和歌所寄人となり、歌人として認められる。

・念願であった下賀茂神社摂社河合神社の禰宜就任が、同族の反対で実現せず落胆。

・和歌所を辞し、大原で隠遁生活に入る。ここから方丈の庵の生活となる。

長明は生まれ故郷の下賀茂神社の賀茂の里を忘れなかった。随所にそのことを文章に残している。

神社には清い小川が流れている。そばには鴨川、高野川もある。川に対する特別な思いがあった。

方丈記の序章が「行く川の流れ・・・・」あるのは、将にそれである。

 

「コメント」

今回の講義は、方丈記のエッセンス・ダイジェスト。何となくこんなものかという事は分かったけれど、時間はかかっても全段聞いて見たかった。思うのは、和歌・音楽では一流と認められたのに、下鴨神社禰宜就任が出来なかったことで、俄に隠遁生活。この動機が、俗人の私にはもう一つ

納得できない。神官が駄目なら、法師になるというのも。

それに経済的にはどうなっていたのか。どこか、会社を早期退職して好き勝手にやっている人を

想像してしまう。それでも62歳まで、一人での庵住まい、ものすごい体力。