170615⑪「大きくて野暮から器用で洗練されたへ 80~90年代

 

1970年代を象徴するのが、森 澄雄の次の句である。  (秋の近江 霞誰にも便りせず)

若者を中心とした政治運動が、結局何も変えることが出来ず、無力感・脱力感と共に理念が消滅してしまった後のけだるさのみが残った時代であった。 

「この時代の特徴」

(平畑 静塔)  京大出で医師の俳人 この時代を次のように指摘した。

・この時代の経済繁栄が、女性の進出・俳句愛好家の爆発的増加をもたらした。

・カルチャ-ブ-ムで、俳人たちは教師化し所謂レッスンプロばかりとなる。本物のプロの減少。

・分かり易さ、共感し易さ、軽さと言ったものが求められた。

(辻 桃子)  早大文学部  楠本健吉に師事  「俳句って楽しい」を掲げ、次の様に言っている。

「たかが俳句をやるのに、苦しい・我慢、やり遂げろ、俳句の道は厳しいのだ なんて言われたら

やってられない。そういう指導を受けたら、努力だ・我慢なんて大嫌いな私にはとてもじゃない。」

こういって大喝采を受けた。

(包丁を驟雨に見とれたり)

(ケンタッキ-のおじさんと春 惜しみたり)

こういう主張は、一般の女性にも「私に出も出来るわ」「俳句はこれでいいのだ」「楽しめばいいのだ」「遊びなのだから明るくやればいいのだ」と大受けした。これがまさに1980年代である。

俳句の大衆化現象である。

(加藤 綾子)  2009年に40歳代の俳人だけを集めた「新選21」というアンソロジで次のように言っている。

「たくましく率直に、今一番いいと思う事を、言葉を本気で俳句にしよう。俳句ラブ」 

    調べたがどんな人か分からない??

(桂 信子) 1914年生まれ

戦後最高の女性俳人の一人と言われる。日野 草城に師事。新興俳句に属しながらも、平明で

情感のある作品。こういう人の存在も光る。

 (柔らかき身を月光の中に入れ)

 (ゆるやかに着て人と逢う蛍の夜)

 (ふところに乳房ある憂さ梅雨ながき)

 昔、句会に行くのに、母がいつも一緒だったというエピソ-ド。「女一人で、無頼な男たちの句会に

 行けるものか」

 1980年代は、全く隔世の感のある時代であった。

「1980年代のトピックス」

(飯島春子) 

京都府立第一高女 夫の影響で俳句を始める。明晰・論理的な俳句評論を発表、女性俳人に大きな影響を与えた。この人は美人で論も立ち、句もうまく、感性の鋭い人。森澄雄について、こういって

いる。

「森澄雄と言う人は、師匠の加藤楸邨という、とても大きくて野暮な人から脱出して、美しく洗練された古典の世界へ立ち返った人である。」これは森澄雄だけではなく、俳句の本来あるべき本質を言い

表している。森澄雄は、加藤楸邨という野暮から逃げたのである。 

(加藤楸邨)

苦学しながら句作。水原秋桜子に師事し、戦後は社会運動に参加し様々な作品を発表。カルチャ-センタ-での受講者に次の様に言っている。

「私は中学卒業とともに家庭の事情で代用教員となり、逼迫した生活の中で俳句を始めたのは

32才。既に妻子があった。必死の思いで句作をしてきたのである。しかし貴方たちは、俳句をうまくならなくともよい。ひっしでなくともいい。作れればいいのだ。」→既にレッスンプロ的??

「まとめ」  概括的に言うと、

・1945年~1970代まで  主義主張をして、野暮であることが認められた時代。 

・1980年代~現在  俳句の大衆化、女性化と共に洗練され技巧的。これは文藝全般に共通して

 いる現象である。

 村上 冬樹・吉本 ばなな・大島 弓子(漫画家)に代表される。

 主義主張理念はなくて、嬉しい・悲しい・楽しい・美しいと言った情緒を好み、連綿とした日常生活を

 綴る。「明日のジョ-」「巨人の星」と言った、苦しさに耐えるとか言った根性物なものではなく、

 爽やかで恋愛とスポ-ツとレジャ-が主題である。この時代を象徴するのが、「いい日旅立ち」で

 知られるディスカバ-ジャパン的なもの。オニャンコクラブ的な、誰にでも手の届く、もしかしたら私にも

 と言う手近なものが好まれた。 歌謡曲も、阿久悠の物語性のある歌詞から、物語性のない言葉の

 羅列で意味のない調子のいいものが流行る。

 例は、サザンの歌である。これまでは起承転結があり、出会いがあって別れがあったが、意味のない歌詞がリズムに乗って、英語交じりで乱発されていく。

・俳句で言うと、野暮で主義・主張・理念から、(俳句って楽しい)、俳句ラブとなる。

「俳人の世代交代」 目利きの不在

高柳重信、中村草田男、山本健吉(文芸評論家、俳句に詳しい)、飯田 春子。古い俳句の伝統を

引く人々がいなくなる事で、1980年代の俳句の変化の流れが加速していく。

(飯島 春子)

吟行による写生を基本としつつ、言葉によって構築される緊張度の高い作品。情緒的とされる女性俳人の中にあって、明晰・論理的であった。

(寒晴やあわれ舞子の背の高き)  背が高すぎる舞子を気の毒がっている

(蛍の夜老い放題に老いんとす)

俳句と言うのは目利き(評論家)の存在がとても重要。素養なく、結社でもまれることなく俳句に入ったカルチャ-世代には、こういう人たちがいないと指針が無くなるのである。詰まる所、軽い気持ちで

楽しければいいじゃないのとなってしまう。そして、修練の場であった結社での活動よりは、カルチャ-スクールでのレッスンプロの下での句作が主流となる。

しかし、これは悪い事ばかりではない。すそ野が拡がり、作品の平均点は上がっていく。

しかし、後世に残るような名作は出なくなっていく。 

「俳句甲子園」

毎年松山で8月に開催される、高校生を対象とした俳句コンク-ル。「全国高校俳句選手権大会」

各校、5人が3句ずつ出して、トーナメント方式で対戦。題詠で行う。自作の解説、相手チ-ムへの講評を行う。

(ボウフラの杭を鋭利な雨が打つ)  講師が激賞

この句は、古典にボウフラを杭になぞらえているのを引用して、キチンと状況を詠み込んでいる。

ここで、東京の進学校で有名な開成高校が常勝。彼らは、訓練をして過去の作品、古典、文法、季語を身に着けて参加してくる。そして、トーナメントのディベ-トで圧倒的に勝ち上がっていく。

(ほうれん草抱え月夜野バスを待つ)

(それぞれに花火を待つてゐる呼吸)

(夕焼や千年後には鳥の國)

ここで育った人たちが、俳句界に出てくると又風が変わるかもしれない。しかし、この人達が俳句を

続ける意思、又世に出るには本人の意思と作品を認める技量のある目利きたちの存在が不可欠である。そして、運も。

 

「コメント」

歌は世につれ、世は歌につれ  まさにこの事である。講師は、この変化を良しとはしない雰囲気であるが、私も同感。しかし、又変わっていくであろう。