210930「『カラマ-ゾフ万歳』、または『続編』を空想する」

ドストエフスキーの最後の小説「カラマ-ゾフの兄弟」の、締め括りとなるカラマ-ゾフ万歳の意味について、更には遂に書かれなかった第二の小説「続カラマ-ゾフの兄弟」について話す。

その前に全4部、12編からなるこの小説の最後の部分を振り返ってみよう。

(「カラマ-ゾフの兄弟」のエピロ-グ)

エピロ-グの主な舞台は、結核で死んだ一人の少年の墓の傍らである。死んだ少年の名前は、

イリョ-シャ。カラマ-ゾフの長男ドミトリ-に、父親が辱められたことから、カラマ-ゾフ一家全体に深い恨みを抱いている少年である。

少年の墓の周りには、主人公アレクセイをはじめとして、10名上の少年たちが集まっている。別れを前に少年達は、熱い言葉で語りあう。

引用。

カラマ-ゾフさん。僕たちは貴方が大好きです。又別の声が叫んだ。僕たち貴方が大好きです。ほかのみんなも繰り返した。少年達の目に涙が光っていた。カラマ-ゾフ万歳。恒例の歓喜の声を上げた。死んだあの子を永遠に覚えておこうと、アリョ-シャは再び、思いを込めて言った。カラマ-ゾフ

万歳とコーリャが叫んだ。僕達、みんな死から蘇って生命を得てお互いに又、イリュ-シャにも会えるって信じていますが、本当なんでしょうか。きっと僕たちは甦りますよ。きっと互いに会って、昔のことを愉快に楽しく語りあうことが出来るでしょうね。アリーシャは笑いながら、答えた。永遠に死ぬまでこうやって、手を取り合って生きていきましょう。

そして少年達はカラマ-ゾフ万歳。長かった小説はこうして幕を閉じる。

この最後の大団円にはまるで、ベート-ベンの交響曲第九番を、聞いているような歓喜と感動が

ある。あのコーリャ少年が、社会主義者となる信念を捨て、キリスト教に帰依したかと疑わせる描写である。私はこの小説を翻訳した時、校正刷りを読む度毎に、強い感動を覚えた。どうしてこれ程と言う位、胸が熱くなった。

 

しかし私が皆さんに、この小説の序文を思いだして欲しいのです。そうなのです、この小説には第二の小説があるという事です。物語は漸く中間点に辿りついた所であり、ゴールいうわけではない。ここにドストエフスキーの冷徹な計算が存在するはずだと思えば、「カラマ-ゾフの兄弟」は、次の様にさりげなく書き出されていた。

引用。「カラマ-ゾフの兄弟」の書き出し  続編へのヒント

アレクセイ・カラマ-ゾフはこの郡の地主、フョードル・カラマ-ゾフの二男として生まれた。父フヨ-ドルは、13年前に悲劇的な謎の死を遂げ、当時はかなり名の知られた人物であった。

第二の小説即ち続編は、まさに父親の死から13年後が舞台となって繰り返される予定であった。その意味で続編の内容を空想するに当たって、「カラマ-ゾフの兄弟」のラストシ-ン、即ちエピロ-グに注目するのが、キーポイントとなる。

(カラマ-ゾフとは何なのだろう)

それではコーリャをはじめとする少年達が、物語の最後にそれぞれの脳裏に、思い浮かべていた

カラマ-ゾフとは何であり、だれを意味していたのか。一言でカラマ-ゾフと言っても、父フヨ-ドル、長男ドミトリ-、次男イワン、三男アリョ-シャと四人が、それぞれ個性的である。

カラマ-ゾフと言うのは、一種のシンボルとして使用された例を思い出してみよう。

父親殺しとして無罪の罪を着せられた、長男ドミトリ-を裁く法廷で、一人の検事はこう叫んだ。「カラマ-ゾフは両極の深淵を同時に見ることが出来る。」この言葉通り、カラマ-ゾフとは、計り知れない魂の代名詞でもある。

いや生命そのものの代名詞と言った方が良いかもしれない。そこには闇もあれば光もある。カオスもあればコスモスもある。つまりカラマ-ゾフとはあらゆる苦難、混沌、闇を乗り越えアレクセイ・カラマ-ゾフの中に、昇華される最も高いヒューマニズムの理想である。いつの日か、科学と人間の魂が、互いに対立することなく、深さと高さを競い合う理想的な形で、一つに溶け合う時代がやってくる。

こんな未来が開かれた時、結核を病んだ少年の復活が可能となる。ではコーリャのいうセリフ「僕たちみんな死から蘇って、生命を得てお互いに、又みんなやイリュ-シャに会えるって、宗教は教えているが、これって本当ですか。」

宗教が人間の物理的復活を約束している訳だが、コ-リャはここでイメージしている宗教は、一体何なのか。日進月歩をとげる科学の力とどう異なるのか。

(復活)

ここで最晩年のドストエフスキーが、強い影響を受けた一人の、キリスト教思想家の存在を思い出して欲しい。その名前はニコライ・フョードル。長くモスクワの図書館で司書を務め乍ら、人間の不死を

巡って、思索を続けた思想家である。彼の思想は一言で纏めるならば、次の様になる。

キリスト教の教えにとって、その真髄とはその父祖の物理的復活である。子供達はありとあらゆる犠牲を払って、父祖の復活に力を注ぐ。そこで復活した父親は、またその父親の復活に努力する。

そして遂には、キリストの復活にまで辿りつくだろう。生命と物理的な不死を、宗教が約束して見せたのである。

この死者の復活の思想こそが、「カラマ-ゾフの兄弟」の続編においても、一つのメインの思想と

なり、プロとコントラのどちらかの側に組する思想となったはずである。
いや、これこそはプロとコントラを統合する屋台骨の思想となったのかのかもしれない。

(カラコ-ゾフとカラマ-ゾフ)

しかしいずれにせよ、カラマ-ゾフ万歳の感動に触れた読者は、神の許しを待って、第二の小説に向かうことになる。

その束の間の間に、読者はふと我に返り、18664カラコ-ゾフによる皇帝暗殺未遂事件に思いを馳せるかもしれない。カラコ-ゾフは皇帝暗殺を目論んで、銃殺刑となる。それに対してカラマ-ゾフ家の長男ドミトリ・カラマ-ゾフは父親殺しの嫌疑をかけられ、無実の罪でシベリア流刑となる。

この名前の類似の意味するものは何なのか。

既に述べた様に、1870年に入ってからドストエフスキーの、皇帝への接近はどこか常軌を逸していると思われる。保守派のイデオロ-グとしての活動に没入していく。しかしネチャ-エフ事件(組織内粛清)へのある種の共感を示すように、ドストエフスキーは、革命運動を毛嫌いしている訳ではなく、

むしろ作家の日記の端々で、彼らへの共感の言葉を記していた。

結論から先に言えば、カラマ-ゾフ万歳も実はその様な感触を感じられる。

「カラマ-ゾフの兄弟」の連載が開始された1879年、帝政ロシアは既に屋台骨が、根幹から揺らぎ始めた時期である。

連日のようにテロ事件が起こり、極右派ドストエフスキーも決して安全ではなかった。つまり、カラマ-ゾフ万歳はその危険に対する予防線でもあった可能性がある。

第一の小説を締めくくる壮大なシュプレヒコ-ルとして、カラマ-ゾフ万歳が叫ばれている。しかしその一行は同時に、若い知識人やニヒリストの耳には、皇帝万歳と響く。この二枚舌は、彼の信仰とは別次元にあった。イエスキリストの君臨する時代に、ユダのように振舞うかもしれない。そしてユダの

君臨する時代に、彼はキリストへの愛をささやき続ける、そういう天邪鬼な精神の、彼を捉えている。

いずれにしても彼の叛逆の魂は安らぐことは無かった。そしてここで驚くべき事実が浮上する。

(ドストエフスキーの死)

1881128日、肺動脈出血で没する。皇帝暗殺を目論む、人民の意志派のメンバ-であるバラニコフが、ドストエフスキ-と同じアパ-トをアジトとしていた事実がある。この事をドストエフスキーは知らなかったのか。そして彼らが突然逮捕された時、ドストエフスキーは激ししく動揺したはずである。それが彼の死に繋がったのではないか。

ドストエフスキーは国家の囚人として、自分の二枚舌の囚人として、出口のない人生であった。光明は、ひとえに「カラマ-ゾフの兄弟」の続編を書くことにあった。しかしその重圧に耐える体力は残っていなかった。

(「カラマ-ゾフの兄弟」続編について 書かれなかったものの空想 研究者の引用

ではドストエフスキーが着手することなく終わった、「カラマ-ゾフの兄弟」の続編とはどの様なものになるはずであったか。

これから幾つかの引用を重ねる。

・レオニ-ド・グロスマン  ソビエト時代のドストエフスキ-研究者

最初の数巻の最後の頁から、20年は経過しているはずである。三男アリョ-シャは、ゾシマ長老の

死後還俗している。

もう若者ではなく、リーザとの複雑な心理的ドラマを経験した大人である。長男ドミトリ-は出獄して

帰ってこようとして

いる。ドストエフスキーはアリョ-シャを「カラマ-ゾフの兄弟」の主人公と見做していた。それは革命家の自己犠牲的

な人物像であったからであろう。

熱烈な真理探究者であった彼は、青春時代に宗教とキリストの人格への熱中の時を過ごした。

しかし、修道院から世に出ると、浮世の情熱や苦しみを味わい、リーザと激しくも悩ましいロマンスを

経験する。彼は傷心の果てに、同胞への奉仕の活動に人生の意義を見出していく。彼には活動と

大事業は必要なのである。1970年代の終わりの社会は社会的冬の中で、彼は革命家になる。

そして国内のあらゆる不幸が、消え去るはずの全国民の蜂起と呼ばれる、皇帝暗殺の考えに引き

付けられる。

瞑想的であった修道僧が積極的な政治活動家となる。アレクサンドル二世暗殺計画に加わり、

断頭台に上る。

・ジャ-ナリスト スブ-リン ドストエフスキーの友人

 ドストエフスキーは三男アリョ-シャが主人公となる長編小説を書くつもりであった。彼は主人公を

 修道院から出して、革命家にしようと思っていた。主人公は、政治的犯罪を犯して処罰される。

 そして真理を追求し、当然ながらそういう研究をしている内に、革命家になるはずであった。

・ベスロフスカヤ

 この小説の元の構想からして次の様に考える。長い遍歴の後、父母にも妻にも自らの素性を明かさ

 ず、貧窮のままこの世を去った。神の人アレクセイの物語になるはずであった。

(「カラマ-ゾフの兄弟」第二部の構想についての講師の見解)

これらの解釈には「カラマ-ゾフの兄弟」を支配する二つの原理が影響している。即ちイワンの原理=コントラの思想、アレクセイの原理=プロの原理、果たしてどちらが正しいのか。どちらをドストエフスキーは優先しようとしたのか。

では果たしてレオニ-ド・グロスマンの書いている筋に従って、皇帝暗殺の道にすすむアレクセイの

物語を書くことは可能であったか。そもそも「カラマ-ゾフの兄弟」続編において、アレクサンドル二世暗殺事件を、取り上げる事が可能であったか。少なくとも、人民の意志派革命家グリノビスキ-の役割を、アリョ-シャが担うことが出来ない。

アレクサンドル二世暗殺の後、即位するアレクサンドル三世を、その標的とすることができたであろうか。それは不可能であった。
停滞期と呼ばれる彼の治世に起こった、恐るべき保守化の波を考えれば理解できる。

それどころか、ドストエフスキーの身近に対する、監視体制が復活したこともある。そのような状態で「カラマ-ゾフの兄弟」の続編を自由に執筆することは不可能であった。
こうした歴史の展開、現実の問題血を考え合わせると、ドストエフスキーは全く別の構想で「カラマ-ゾフの兄弟」
第二部に取り掛からねばならなかったはずである。

ではどうするか。考えられる構想の一つとして、出版の当てを考えることなく、手元に置く考えである。

これはスタ-リン時代のソ連の作家たちが行った方法である。しかしそれでも皇帝の暗殺をテーマにとすることが可能とは思われない。皇帝暗殺は、永遠に起こらないという前提でこそ、「カラマ-ゾフの兄弟」の続編は輝かしいものになる。

だから本来であれば、アレクサンドル二世が暗殺される188131日までに第二部を書き終えて居なければならなかった。それは不可能となった訳であるが、少なくとも皇帝暗殺は無かったという前提で、空想してみよう。

(講師の空想)続編

これから空想する続編は「カラマ-ゾフの兄弟」の序文や同時代の証人、そしてドストエフスキーの残したノ-トやメモなどを手掛かりにして、私が考えたものである。

タイトル「カラマ-ゾフの子供達」、荒筋は次の様になる。

ドストエフスキーが私の主人公と呼んだ、アレクセイ・カラマ-ゾフは、イリュ-シャの葬式から間もなく町を出て、モスクワの大学で教誨師の勉強に入る。そして卒業する前に、結婚を約束したこともある少女リーザと結婚する。リーザは第一部にも登場する自虐的な少女である。その少女はある時から、彼の兄イワンを愛するようになる。既にリーザは身重である。父親が誰かはアリョ-シャに明かさなかった。その後アリョ-シャは教義生活に入る。

その内、異端派の一つである古儀式派に加わる。

しかし当局の規制によって、この古儀式派の組織は弱体化させられ、又リーザが生んだ子も亡くなり、その時にその父親がイワンであることが判明する。アレクセイは二重の衝撃の中で、自ら新たな宗教セクト・カラマ-ゾフ派を開く。

そして多くの信者を集め、ゾシマ長老の教えの復活を図る。

一方、クラソ-トキンは革命結社を結成していた。その精神的柱となったのは、前回紹介したニコライ・フョードロフの哲学である。この革命結社のメンバ-は、異端の祖として人望を集めるアリーシャを、組織の長として迎えようとする。

アリ-シャは、訪ねてきたコーシャと、テロか和解かをめぐって議論を戦わせる。そして終わりに、アリーシャはコーシャに無言のキスを与えるのであった。アジトに戻ったコ-シャは同志たちと、作戦を

開始しノブゴロドの近郊で皇帝暗殺の為に、レールに爆薬を仕掛けるが失敗に終る。コーリャは地方に潜伏し、次の手段を画策するが、同志の密告で逮捕される。裁判の結果、コーシャと同志全員に死刑が宣告された。しかし処刑直前に、アレクサンドル二世による恩赦があり、流刑となる。歴史上

はじめて、皇帝暗殺未遂者に対しての恩赦であった。コーシャは20年の刑により、シベリアに送られた。ここにポイントが三つある。

・皇帝暗殺の実行犯はアレクセイ・カラマ-ゾフではないかという事。

 例えばグロスマンのように、ソ連時代の研究者の中には、同時代の回想を手掛かりに日の説を

 取る人は少なくないが、「カラマ-ゾフの兄弟」の序文からはその様な結論が出て来ようがない。

そこにはこう書かれている。私の主人公アレクセイ・カラマ-ゾフは、決して偉大な人物ではない。

仮にアリョ-シャが皇帝暗殺未遂犯となると、歴史に名を留めないはずはない。二つ目は首謀者

コ-リャには、確実に破格の恩赦が下されるということがある。コーリャの年齢は第一の小説では

14歳、その13年後という事は、第二の小説では27歳。

これはドストエフスキーが、ペトラシェフスキ-事件に関わった年齢と同じである。ここでユートピア

社会主義者であった

ドストエフスキ-自身に重ねられることになった。

コ-リャの恩赦によって、帝政権力と革命勢力の、和解の第一歩が成立することになった。

それこそが、ドストエフスキ-が目指したこの小説のゴールにして、スタ-ト地点であったと考える。

両者の和解にとって、最大の障害となるのがそれぞれの思いである。

ゾシマ長老の教えは永遠である。ドストエフスキ-は、最晩年のプーシキン演説でも、次の様に

叫んでいた。

「驕りを捨てなさい。傲慢な人達、何よりもその傲慢さを捨てる事です。」

多くの読者の中には、ドストエフスキーの曖昧な政治的立場を、今一つ分かりにくいと感じる人も

多いであろう。

本音は、プロかコントラか。いやドストエフスキーに本心は無かった。根本から引き裂かれた人間

だったからである。

最終的には彼が絶対的な価値を置いたのは、全ての人間の生命の不滅性という事。逆に言うと、

帝政権力にも、革命家たちにも受け入れられる合意点とは、そこにしかなかったのである。

生命を愛さないという立場からは何も生まれない。思うに「カラマ-ゾフの兄弟」の中で、生命の

絶対性に最も原初的な形で、象徴していたのが、カラマ-ゾフのベースの宝の象徴である父親・フョ

ードル・カラマ-ゾフであった。

ではそのフョードル・カラマ-ゾフが殺されるという事の内に、果たしてドストエフスキ-は、どのような未来を見ていたのか。「カラマ-ゾフの兄弟」続編は書かれることなく終わった。第二の小説によって、永遠の謎を孕むことになった。

私達ドストエフスキ-ファンは、事によると書かれなかったという事実そのものに、感謝しなければならないのかもしれない。

 

「コメント」

やっと終わった。「カラマ-ゾフ万歳」。前にも書いたが、解説付きでも極めて難解。まして当時のロシアを理解していないので更に。しかし中身の薄いものでも兎に角、ドストエフスキ-に触ったのである。私にしては望外のことである。

 

これだけはプリントして、まず読む。亀山先生訳も余力があれば読もう。