230504⑤「源氏物語」:亡き妻を思う

今日は源氏物語から 大空を かよふまぼろし 夢にだに 見え来ぬ魂(たま)の 行方たずねよ →もう一度逢いたい という一言を紹介する。源氏物語といえば、日本文学の代表とか世界最古の長編小説など高い評価があるが、その割には全巻通読した人は少ない。大長編54帖の中身を細かく知っている人も少ない。源氏物語というのは光源氏の恋物語なんだろうとか言う理解で間違っていないが、そう単純ではない。

今回取り上げるのは年老いた光源氏が、最も愛した紫の上に先立たれて悲しむ場面であるが、まずはそこまでのあらすじを追いかけてみる。54帖で三部構成となっており

第一部   光源氏の誕生から栄華を極めていくまでの40年

第二部   その後光源氏が亡くなるまで

第三部   光源氏死後、子孫たちの模様

 

源氏物語のあらすじ

源氏物語が有名な割には、その書き出しは枕草子の 春はあけぼの、平家物語の 祇園精舎の鐘の声、ほど有名ではないが、

いづれの御時(おおんとき)にか 女御、更衣あまた候(さぶら)ひ給ひける中に いちやむごとなき際にはあらぬが すぐれて時めき給ふありけり。 

→どの天皇のご治世であっか、女御、更衣が沢山お仕えしていた中に、それほど高貴な身分ではない方で、帝のご寵愛を受けておられる方があった。

 光源氏の誕生 桐壺更衣の死去

この帝は桐壺帝である。帝に寵愛されたのは桐壺の更衣。そしてその間に生まれたのが光源氏である。身分制社会だから、高貴な女性が帝に寵愛されるのは問題ないが、そうでもない場合には周囲の人の妬みをかう。

源氏物語はこの状況を、唐土(もろこし)にも かかることの起こりにこそ 世も乱れ悪しかりけれ と語っている。→中国でもこうしたことが原因で世の中が乱れた と言っている。これは唐の詩人白楽天の長編の漢詩 長恨歌(ちょうごんか)に出てくる。この作品は唐の9代皇帝 玄宗皇帝と楊貴妃の物語。玄宗皇帝は余り家柄の良くない楊貴妃を寵愛した。
その為に大暴乱がおきる。あんなことにもなりかねないという批判にさらされ、桐壺の更衣は思い悩みながら亡くなる。

 藤壺中宮の登場 不義の子誕生

帝は落胆するが、その後藤壺という中宮を愛する。藤壺は多分桐壺に似ていたのであろう。光源氏は自分の母である桐壺に似た藤壺に憧れる。これが光源氏の女性遍歴のスタートとなる。そして成長した光源氏はこの藤壺と密通して不義の子を宿してしまう。生まれて見ると光源氏とそっくりであった。これが後の冷泉帝である。

 紫の上の登場

光源氏は藤壺の中宮の兄の子(藤壺の姪)である、可愛い少女の紫の上を見つける。第三回枕草子で触れたが、雀の子を逃がしたと怒っている女の子である。若紫の巻の一場面である。そして母が亡くなり祖母に育てられていた若紫を引き取って育てることにした。

 須磨、明石での謹慎 

さて光源氏の父の桐壺帝が位を朱雀帝に譲って亡くなる。そこで力を握ったのが、朱雀帝の母である弘徽殿の女房とその一族。光源氏を目の敵にする。その頃光源氏は紫の上を育てながら、様々な女性と契りを重ねていたが、その一人に朧月夜という女性がいる。彼女は新たな天皇である朱雀帝に愛されていたが、光源氏との関係が続いて露見してしまう。これによって光源氏は都を追われて、須磨や明石で謹慎生活となる。その間に明石の御方と結ばれて、明石の入道という有力な後援者を得る。

 謹慎の解除 朱雀帝の冷泉帝への譲位

都では政変が起きる。朱雀帝の夢の中に今は亡き桐壺帝が出て来て、光源氏を追放したことを叱る。そして朱雀帝は病勝ちになり、さらに朱雀帝の母方の祖父で後見役であった太政大臣が亡くなる。こうしたことが重なって朱雀帝はとうとう光源氏を都に戻すことにする。そして何事も光源氏と相談するようになり、ついには冷泉帝に譲位する。

冷泉帝は桐壺帝と藤壺の子ということになっているが、実は光源氏の子である。その冷泉帝が天皇になる事で、光源氏は天皇の実の父となった。そして即位した冷泉帝は出生の秘密を知って、光源氏を大切に扱う。光源氏は天皇の後見役となったのである。

 六条院の建設 四方四季

光源氏は六条院という四町の邸宅を作る。その四方にそれぞれの季節を具体的に描く四季の庭が具体化される。東南が春、東北が夏、西南が秋、西北が冬。ここに主だった婦人たちと子女を住まわせた。これは四方四季といって東西南北四つの角に、四つの季節が同時に存在する、つまり時間を超越した理想郷のイメージである。こういう四方四季のイメ-ジは、例えば御伽草子で、浦島太郎が行った竜宮城がそうであったとか、様々な物語で語られるものである。

光源氏は実質的に地上の王となって、理想郷の主となったのである。だから源氏物語はここで終わっても良かったのである。

 女三宮の登場 朱雀院の頼みで娘・女三宮を妻として受け入れる

貴い血筋を受けた光源氏が一時は追放されて苦労して、しかし結局は王のようなものになって栄華を手にするというのは、物語の類型である。光源氏も美しい女性たちに囲まれていつまでも暮らしましたと、ハッピ-エンドで終わらせるはずであった。

しかし源氏物語はここで終わらないで、生身の人間としてのその後の苦しみを描いている。そこで女三宮という女性が登場。朱雀院は譲位して朱雀院となっていて、この朱雀院の三女が女三宮で母は藤壺中宮の妹・藤壺女御。紫の上は藤壺中宮の兄の娘。関係がややこしい。朱雀院は三女の女三宮を愛していた。自分が病になっていよいよ出家することになって、この娘のことが心配になってくる。信頼できる相手と結婚させて幸せにしたいと思う。そこで朱雀院が選んだのは光源氏であった。光源氏もさすがに悩むが朱雀院の頼みであること、又かって愛した藤壺中宮の親族であることで心が動いてしまう。結局これを妻として受け入れることとする。

 紫の上は傷つく

女三宮は天皇の娘なので身分が高い。受け入れると正妻ということになる。紫の上は愛されていることで実質的には正妻であるが、親の身分はさほど高くないので正妻ではなかった。そういう立場にある紫の上としては、光源氏が正妻として受け入れたことで傷つく。

 光源氏も傷つく 柏木と女三宮の子・薫の誕生

それは女三宮と柏木の密通問題である。柏木は、かって光源氏のライバルであった頭の中将の息子で、光源氏の子である夕霧の友達である。つまり光源氏より一世代若い男である訳であるが、これがある日憧れの女三宮を垣間見てしまう。これは女三宮が飼っていた猫が簾を落としたので、中にいた姿を見られたのである。そして夢中になってしまう。

そして密通となり子供が誕生する。薫である。この秘密は光源氏に知られてしまう。かって光源氏が藤壺中宮と密通して冷泉帝を産ませたのと同じ状況になった。薫を抱く光源氏という場面は、源氏物語絵巻にも残っていて有名である。

光源氏はある日の宴で寄った酔ったふりをして、柏木をじっと見つめて「人間はいつか年を取るのだよ。君だっていつまでも若い訳ではないよ」と嫌味を言う。これはつまり全部分かっているよということである。これを聞いた柏木はばれたと思って寝込んでしまう。光源氏は大きく傷ついたのである。

 紫の上の病そして死  光源氏の衰え

老いはえ逃れられぬ業なり 源氏物語若狭下の光源氏の言葉。どうすることもできない自分自身の老いをかみしめた言葉である。自分自身も大きく傷ついたのである。そして紫の上はこの前後から病気になる。一時は危篤状態となるが何とか一命を取り留めるが、出家を強く希望するようになる。光源氏はそれを許さなかったが、紫の上は仏の供養の為に書き写させていた法華経千部を、供養するなど来世の準備を進めていく。

そして おくと見る ほどではかなき ともすれば 風に乱るる 萩の上露→私の命は、風に乱れる萩の上露のようにはかないものです という歌を歌って露が消えるように亡くなってしまう。その後光源氏は悲しみに暮れ、紫の上を偲んで詩を作る。数えきれないほどの多くの女性遍歴を重ねてきた光源氏だが、やはり最も愛していたのは紫の上だった。

最愛の妻を失ってもはや光源氏は紫上への追慕と回想に明け暮れていく。

 

幻の巻 源氏物語54帖の内の41帖。出家を前にした光源氏の心情を子規の移ろいの中で描く。

光源氏は紫の上と過ごした日々を回想する。それは必ずしも甘い思い出だけではない。女性遍歴で苦しめてきたからである。その時紫の上は恨めしそうにしていたが、彼女はとても良く出来た人だったので、激しく嫉妬するようなことはなかったが、やはり辛かったのだ。紫の上を傷つけた光源氏の悔恨は深かった。そして10月の時雨勝ちの時に詠んだのが本日の一言である。

大空を かよふまぼろし 夢だにも 見え来ぬ魂(たま)の行方たずねよ

巻の題となっている幻とは何だろう。幻というとあの幻を見る事かと思ってしまうが、ここで言っているのは幻を見せる中国の道教の導師の事である。それが大空を通うというのは、長恨歌によるものである。物語の冒頭で唐の世の乱れの例として引かれていた玄宗皇帝の物語である。彼は楊貴妃をとても寵愛していたが、その為に国が乱れてしまい、反乱軍に追われて都を落ち延びる。もう楊貴妃を殺さなければ付いていかないという兵士たちの声によって、やむを得ず楊貴妃が目の前で殺されるのを黙認する。反乱はどうにか鎮圧され玄宗皇帝は都に戻るが、楊貴妃のいない日々に耐えられず何とかしてもう一度会いたいと思う。そこで幻、つまり道教の僧に頼んで冥界・死後の世界を訪ねてもらうのである。

導師は幻となって大空を飛んで冥界に行って、仙人になっていた楊貴妃にあう。そこで楊貴妃から伝言を託される。

それは以前7月7日の夜中に二人だけになった時に、あなたはこういいましたね。「天にあれば比翼の鳥、地にあれば連理の枝となろう」というのが伝言であった。

比翼の鳥→二羽の鳥だけど、片方の鳥は左、片方の鳥は右にしか翼が無い。二羽合体しなければ飛べないという鳥。

連理の枝→二つの木の枝が、根が別々だけど枝は一つにくっついているという木。二人一体となって離れない男女の例えである。玄宗皇帝がこういったことは誰も知らないことだから、の伝言は楊貴妃に会ってきた証拠という訳である。

この物語は当時の日本人に良く知られていた。源氏物語は日本文学の代表なので、純日本文化と考えられがちであるが、こういう中国文学と深い影響を受けて成り立っていることも忘れてはならない。

 

そこで光源氏は大空を飛んでいくという導師が楊貴妃を訪ねた様に、紫の上の魂の行方を訪ねて下さい。私はもう一度あの人に会いたいのだけど、あの人の魂は夢にさえ出て来てくれないのだと読んだのである。

 

当時の人は会いたいと思うと夢に出てくるという考え方だったが、紫の上は夢にも出て来てくれなかったのである。

一世を風靡した貴公子光源氏の晩年としては余りにも淋しい歌だが、この歌の後まもなく物語から姿を消していく。その死の場面などは描かれていない。

 光源氏の死

源氏物語はその後として匂宮、宇治十帖を残しているが、それはもう光源氏よりははるか年下の薫や匂宮の世代の物語である。光源氏は幻の巻と匂宮の間の8年間の間に、亡くなったと見られている。幻の巻で52歳であったのが、その後何年生きていたのかは分からないが、光源氏は物語の中で最後に残したのは、亡き紫の上にもう一度会いたいとひたすら思いを募らせる姿であった。それは神話や昔話のような類型的なハッヒ-エンドではなくて、現実の世界の生身の人間が老い衰えていく姿であった。源氏物語はそんな風に人間を描き出した物語なのである。

 

今回は源氏物語から 大空を かよふまぼろし 夢だにも 見え来ぬ魂(たま)の行方たずねよ という歌、縮めて言えば もう一度会いたい という一言を紹介した。

 

「コメント」

 

華やかさで読者を沸かせておいて、でも人間って厳しいのよ とちゃんと釘を刺している。