230511⑥「梁塵秘抄」:愛と悪態

今回は梁塵秘抄から 我をたのめて 来ぬ男 角三つ生()うたる 鬼になれ さて人に疎まれよ 

霜雪霰 降る水田の鳥となれ さて足冷かれ 池の浮草と なりねかし と揺りかう揺り 揺られ歩()

→「私を頼みに思わせておいて、そのまま来なくなったあの男、角が三本生えた鬼になれ。そして人に疎まれろ。

霜や雪や霰が降る冷たい水田に住む水鳥になれ。さぞ足が冷たいだろう。池の浮草になってしまえ。そうして、あっちへゆらゆらこっちへゆらゆらと、さまよい歩け。」

歌謡とは 今様 後白河院 七五調 

今まで紹介した歌は和歌であったが、今回は歌謡と呼ばれる歌を紹介する。つまり声に出して歌われた歌の事である。

勿論和歌も声を出して歌われる文学ではある。但し和歌は文字だけでも成り立つ。現在私達が歌と言っているのは一寸違う。メロディやリズムを伴う歌う歌、楽器の伴奏があったり、時には歌に合わせて踊ったりするような歌である。

文学史で言う歌謡というと、そういう歌の事を指している。古代から続いていた。今日取り上げる歌謡は、平安時代末期の今様と呼ばれる歌謡を集めた梁塵秘抄である。今様というのは現代風という意味である。梁塵秘抄はとても貴重な書物である。この時代の今様を集めたのはこれだけである。源平の争乱の中を生き抜いた後白河院が作った。平家都落ちの時に裏切ったとか、頼朝から日本一の大天狗とか言われ、色々と逸話の多い人である。若い頃から今様が大好きであった。皇子だから流行の音楽とか芸能をやるのは周囲から歓迎されなかったが、若い時には有力な皇位継承者でなかったので割と自由な立場ではあった。所が兄弟が若死にして、急に皇位を継承することになる。鳥羽天皇の第四子、異母弟の近衛天皇の急死により皇位につき、譲位後は34年間院政を行った。その間常に今様を愛好した。

40歳代に膨大な数の今様を集めた梁塵秘抄をまとめた。今残っているのはその内のごく一部で、566首。歌謡は和歌と違って作者が分からない。当時は文化としては公認されておらず、いわばサブカルチャ-である。

 有名な今様

そんなものを残しておく価値があるのかという疑問があるが、梁塵秘抄の現在まで残っている歌の多くは、仏教に関する歌である。当時の日本人は皆、仏教を信仰しており、枕草子でも説教する僧は美男がいいと言っている。そのように当時仏教は格好の良いものであり、芸能と仏教は密接な関係にあった。梁塵秘抄の仏教的な歌として、こんな歌もある。

仏は常に いませども 現(うつつ)ならぬぞ あはれなる 人の音せぬ 暁に ほのかに夢に 見えたまぬ

→仏は常に実在するが、普段は姿を現していない。それでも一晩中祈っていると、人の声もない静かな明け方に夢の中にあるいは夢のように朧げに姿を現される。

こういう信仰を支えた歌が多いが、仏教とは関係のない歌も少なくない。最も有名なのはこの歌であろう。

遊びをせんとや 生まれけむ 戯れせんと 生まれけん 遊ぶ子どもの 声聞けば 我が身さへこそ揺るがるれ

→人間は遊び戯れる為に生まれてきたような気がする。遊んでいる子供の声を聞いていると自分も楽しくなって体が動き出す。この歌は自分も無邪気で気が浮き浮きしてくるのか、あるいは年老いた人が子供の声によってしみじみと昔を思い出しているのかなと、色々な解釈がある。

今様の職業的な歌い手としては遊女があるが、明らかに遊女が歌ったという思われる歌も幾つもある。だから無邪気な子供たちと罪深い自分とを比べて、悔やんでいるのだという読み方もある。

様々な読み方解釈

古典文学はどんな作品でも多様な読み方があるが、歌謡というのは作者が分からない上に、沢山の人に歌われるもの。

その時々に様々な思いが込められて謡われるものである。だからどの解釈が正しいかというのは難しい。

 梁塵秘抄の中には男女の愛に関する歌も幾つかある。例えば分かり易い歌として

恋ひ恋ひて 邂逅(たまさか)に 逢ひて寝たる夜の 夢は如何見る さしさしきしと たくとこそみれ

→恋しくて恋しくて、その恋しい人とやっと逢えて抱き合った。その夜の夢は何を見よう。きしりと音がするほど抱きしめて、そんな夢を見よう。

平安時代以降の和歌の場合は、言葉をいかに飾るかそのテクニックが大事で、こんなに直接的な歌というのは和歌の世界にはない。この辺が歌謡の歌の魅力でもある。

 

男女の愛に関わる歌にはこんな歌もある。女性の立場から男を責める歌である。その気にさせておいて訪ねてこない男。

この例として百人一首の右大将道綱の母 嘆きつつ 独り寝る世の 明くる間は いかに久しき ものとかは知る がある。

女がそうやっていつも悲しみを堪えていると思ったら大間違い。和歌の世界ではおとなしいが、歌謡の世界では罵倒、罵りの言葉が飛んでくる。

我をたのめて 来ぬ男 角三つ生()うたる 鬼になれ さて人に疎まれよ 

霜雪霰 降る水田の鳥となれ さて足冷かれ 池の浮草と なりねかし と揺りかう揺り 揺られ歩()

あんな男は角が三本生えた鬼になったらいいのよ。そしてみんなに嫌われたらいい。霜や雪や霰が降る真冬の水田を歩く鳥になってしまえばいい。さぞ冷たいでしょう。池の浮き草になったらいい。そうしてあちこち揺られ揺られてどこかに流れて行ったら。縮めて言えば あんたなんかどこかへ行ってしまえ。

この歌にはしみじみとした悲しみ、深い絶望、さらには男への呪いを読むという解釈が多い。私は一寸違うという気がする。もしそうならばこんな歌をその歌を、一体誰がどういう場面で歌うであろうか。そういう気持ちを声に出して歌うだろうか。確かにこの歌は怒っている歌ではあるが、呪い殺してやりたいとかいう深刻な怒りとは一寸違って、例えば夫婦げんかでその場の感情に任せた怒り方である。自分の怒りをその場で発散している。そういう怒り方だと思う。

そしてこの歌は宴会などで、大勢で歌ってもいいではないかと思う。そして一緒に歌唱して、その後ににぎやかな笑いが起きる。

 

作者の分からない歌謡というのは、様々な人に歌われたはずである。同じ歌でも人により時によって、色々と違った思いが歌われたのであろう。同じ歌でも色々な歌い方が出来るし、現代人にも色々な読み方が出来る。それも歌謡の魅力であろう。今日の一言 あんたなんかどっかへ行っちゃえ。

 

「コメント」

後白河法皇は歌謡曲、演歌、浪花節の好きな老獪な大物政治家だった