230525⑧「徒然草」:偽善は悪にまさる

85段 狂人の真似とて大路を走らば 即ち狂人なり 縮めて言えば 思うことよりすることが大切

 吉田という姓は間違い 人となりが不明

兼好法師の徒然草は有名である。吉田兼好と思っている人も多いが、最近の研究では兼好が生きているうちに、吉田兼好と呼ばれていた事はなくて、そもそも吉田なる系図は後に作られた偽物であるということになって、吉田兼好とは言わない。正しい姓は分からないので、兼好又は兼好法師と呼ぶのが通説になっている。

前回話した鴨長明は出自も生没も、方丈記の製作状況も分かっているが、兼好の場合は家柄等も生没年も正確には分かっていない。ただ大まかに兼好は13世紀後半から14世紀前半、鎌倉時代の

後期から南北朝前期までの人である。

徒然草は鎌倉時代末期1330年前後位に書かれていると見られている。

兼好は生きている時代には、徒然草の作者というよりは、むしろ歌詠みとしてそれなりに有名であったが、高い家柄の人ではなかったと思われる。没後じわじわと有名になっていって、江戸時代には

ベストセラ-になっていく。徒然草はやはり序段が有名である。

 徒然草の冒頭

つれづれなるままに 日暮らし 硯にむかひて 心にうつりゆくよしなしごとを そこはかとなく書きつくれば あやしうこそものぐるほしけれ

「することもなく手持無沙汰なのにまかせて 一日中硯に向かって 心に浮かんでは消えていく他愛のないことを 取り留めもなく書きつけていると熱中して 気が変になってくる」

 長明と兼好の比較

この章段は短い方であるが、全体としてはそんなに長くない文章を全部で243段並べている。内容は真面目な教訓もあれば、笑い話のような逸話もある。新鮮な美意識を見せたかと思うと、一寸した豆知識を書き留めているものもあって多様である。色々な章段があるが、今回は前回読んだ方丈記と比べる視点から、一部の章段を取り上げる。

前回読んだように方丈記の長明は、自分を極めて厳しく責め立てていた。鴨長明は方丈記を書いた時は58歳、当時としてはかなり高齢であったが、自分に対する厳しい追及は若々しいものであった。それに対して兼好が徒然草を書いた頃は、そう高齢ではなかったと思われるが、しかしその精神は長明よりは成熟しているように感じられる。

長明は、外面は素晴らしく賢い聖のように見せているのに、内面は全然駄目ではないかと、自分自身を批判している。

折角方丈の庵に住んでいるのに、心が仏教の方に向かっていないではないか。こんなことでは方丈の庵に住む意味がないではないかというのである。そういう悩みを記しているのが方丈記である。

 兼好の仏道修行の考え方 58段

しかし徒然草には方丈記と対極的というべき認識を示す所がある。58段。この段は本当に私たちは修行する気があれば、どんな所に住んでも修行できるという意見への批判から始まる。兼好は仏道修行をするためにはやはり俗世間から離れた方が良いという。人間は環境に左右されてしまうので、環境を整えた方が修行し易いという。そして出家して世間から離れても、時には俗世間の欲望に引き摺られてしまうこともあるだろうが、それでも俗世間にいた時よりは良くなるはずである。少しでも良く成ればそれでいいではないかという。長明は浄明居士別名維摩居士という、方丈の庵に住んだ大先輩のような高い理想を目標に置いて、自分はそれとは違い過ぎると自省する。
折角俗世間から離れたのに、自分の現状は違い過ぎると反省する。何にもならないと悩んでいるのに対して、兼好は
理想に遠くても、前よりは少し良く成れば、それは良いことではないかと言っている。

発想が対照的である。そういう考え方を示している39段を見てみよう。

 39段 浄土宗を開いた法然上人の逸話 少しでもよくなればいいではないか

或る人 法然上人に 念仏の時 睡にをかされて 行を怠り侍る事 いかがして この障りを止め侍らん と申しければ 目の醒めたらんほど 念仏し給え と答へられたりける いと尊かりけり

また 往生は 一定と思へば一定 不定と思へば不定なり と言はれけり これも尊し

また 疑ひなか゜らも 念仏すれば 往生す とも言はれけり これまた 尊し

ある人が念仏している時に眠ってしまって、念仏業を成し遂げることが出来なかった。どうしたらよいでしょうか と問うた。この時代の日本人にとって、念仏というのは疑う余地なく貴い有難いものであった。その有難い念仏をしている時に居眠りをしてしまった。今度こそと思ってもまた居眠りしてしまう。こんなダメ人間の私はどうしたらいいでしょうと問うた。所が法然上人は、目が覚めたら念仏をしたらいいではないか。途中で居眠りをしてもそれまでに念仏した功徳はあるはずである。起きてからまた念仏したらいいのだ といった。

これを長明流に悪く考えてしまうと、私は格好だけは念仏者だけど実は居眠りをしている。こんないい加減な自分に、念仏などする資格などあるのだろうかと悩むようになる。しかし法然はそんな風には考えない。自分が出来る範囲でできることをやればいいのだ、それで少しでも良くなるのならそれでいいのだと考えるのである。

法然上人が本当にこんなことを言ったかどうかは分からないが、この話は兼好が勝手に作ったのかもしれない。

兼好の感覚というのは、高い理想を目指して、現実とのギャップに悩むよりも、現実が少しでも良く成ればそれでいいという考えである。

自分の心が純粋かどうか、理想に近づいているかどうかを考えることにはあまり意味はない。内面は少しだらしなくても、少しでも多く念仏すればいいじゃないかということである。

 

長明の著作には、発心集という説話集もある。そこでは純粋さを追い求める人々の姿が描かれている。心の中を阿弥陀仏への信仰、極楽往生への願いで一杯にする、不純なものを一切取り除いて

100%純粋な心でなければ、極楽へは往生できないのだと考えているのである。平安時代から鎌倉時代にかけて、長明に限らずそういう純粋さを追い求める人々は多くいた。

しかし兼好の発想は、そういう人たちとは明らかに違っている。人間の心なんて、どんなに頑張っても純粋さを保つことは難しいので、気にしても仕方ないという。それよりも少しでもましなことをすることの方が大事と考えているのである。そういう考え方を示した章段として85段を読んでみよう。

 

85段

人の心すなほならねば 偽りなかにしもあらず されども おのづから 正直の人 などかなからん 己れすなほならねど 人の賢を見て羨むは 尋常なり 至りて愚かなる人は たまたま賢なる人を見てこれを憎む 大きなる利を得んがために 少しきの利を受けず 偽り飾りて名を立てんとす と謗(そし)る 己れが心に違へるによりてこの嘲りをなすにて知りぬ この人は 下愚(かぐ)の性移るべからず 偽りて小利をも辞すべからず 仮にも賢を学ぶべからず 狂人の真似とて大路を走らば 即ち狂人なり 悪人の真似とて人を殺さば 悪人なり ()を学ぶは驥の類ひ (しゅん)を学ぶは舜の徒なり 偽りても賢を学ばんを 賢といふべし

人の心というのは素直でないから、殆どの人には偽りが含まれている。しかし本当に正直な人だって、偶にはいる。これは正直な人、純粋な人もいると主張したいわけではない。人の心の純粋さなど問題にしても仕方ないと言っている。自分が素直でないくせに、人が賢いのを見て羨むのは良くあることである。とても愚かな人は、数少ない賢人の善行を見ると、それを憎んで次のように言う。あいつは偽善者だ。大きな利が欲しいので小さな利を捨てて、売名行為をしているのだ。結局、自分が得をしたいだけなのだと悪口を言う。こういうことを言う人は今でもいる。兼好はこういう人が大嫌い。

自分がそういう善行が出来ないからといって、人の善行を馬鹿にする人は、手の施しようのない大バカ者である。そういう奴は自分では何もできない、小さな利益を捨てる偽善さえできないのだ。一寸だけ賢人の真似をする程度の事も出来ない。学ぶという言葉は元々、真似をするという真似ぶという言葉と同じである。だから賢い人の真似をすることを学ぶという。こういう人の悪口ばかり言っている奴は、そういう賢人の真似をすることもできない最低の奴だと、激烈に罵倒している。

徒然草は人を滑稽に描いたり、からかったりするような記述は時々あるが、正面からこんなに怒っているのはない。例え動機が不純な偽善であっても、良いことをすればよい結果を生むこともあるが、人の善行に対して動機不純だとか言って冷笑する奴は、自分自身では偽善的な善行をすることさえ出来ないのだという。

兼好はそもそも純粋な心というのは余り求めないが、まして良いことをしている他人に向かって心が不純とか言って、攻撃するのは愚の骨頂だというのである。

この後に続くのが本日の一言。

頭のおかしい奴の真似だと言って都大路を走ったとしたら、その人は頭のおかしい奴そのものだ という。走るということについては解説が必要だが、当時多少とも身分のある都人の感覚では、牛車でゆっくり動くのが基本で、歩くのも当然ゆっくりである。都大路を走るなんてとんでもないことである。

いくら狂人の真似と言っても、それは狂人と同じことだという。続く言葉の方が分かり易いかもしれない。悪人の真似をしているだけだと言って、人を殺してしまったらそれはもう悪人なのである。内面がどうであろうと動機が何であろうと、人の価値というのは実際に何をしたのか、やったことによって決まるのだという訳である。

思うことより、やることが大事ということである。

これまでは悪い類の話であったが、次は良い方向の事でこういう話になる。

() 中国の故事で一日に千里走るという名馬の事。それの真似をする馬は名馬になる。漢民族最初の王朝の夏には堯・舜という名君がいて、最も理想的な時代だと言われている。それを目指すものはその仲間と成れる。

だから不純でもいいから、賢人の真似をしたら賢人になれるのである という。

例え人真似に過ぎなくても、心が不純であっても、良いものを真似する方が良いのだ。

自分は浄明居士の恰好を真似するのに、心は濁り切っていると悩む長明に聞かせてやりたいものである。

兼好みたいな言い方をすれば、浄明居士を真似するものが浄明居士の仲間だということで、少しでも近づければいいのだという。

 長明と兼好

自分の心を見つめて純粋さを追及する長明と、心の純粋さなどには拘らず、現実に少しでも良くなることを目指す兼好。この二人の対照的な考え方というのは、どちらが正しいというものでもない。

兼好の考え方の方が現実的で、生きていく上では楽だと思うがしかし、心なんて不純でいいのだと居直ってしまい、下手をすると自分を見つめ内省する力が弱くなってしまう恐れがある。あるいは向上心が足りなくなってしまうかもしれない。

 

現代の読者にとって今から78百年前の鎌倉時代に、二通りの考え方が提示されているから、

こういう対照的な二つの考え方が昔からあるのだということを知って置くことが大事である。

そしてそれをヒントとして自分の抱える問題に対処していけるであろう。

今回は徒然草85段より狂人の真似とて大路を走らば 即ち狂人なり という一言。→思うことよりすることが大事。

 

「コメント」

私は長明が好きだな。思うことが叶わなくて徐々に拗ねていき、やがて仏道修行と屁理屈を付けて隠遁してしまう。しかし俗世間への興味は尽きず、あちこち歩きまわる。兼好は最初から斜に構えていて、少し尊大。

でも現実には兼好方式で健康に生きたい。ただし兼好の生い立ちが分からないのは惜しい。