日曜カルチャ-「正倉院ものがたり~正倉院展はこうして誕生した」     

                                      帝塚山大学文学部教授 西山 厚

 

171022正倉院宝物が過ごした日々」④

正倉院は三つの部分に分かれている。

「北倉」

光明皇后は品々を5回に分けて献納し、その目録が5巻に記されている。

・国家珍宝帳(こっかちんぽうちょう)         聖武天皇遺愛の品々

・種々薬帳(しゅじゅやくちょう)              当時貴重な薬

・屏風花絨帳(びょうぶかせんちょう)       聖武天皇遺愛の屏風

・大小王真跡帳(だいしょうおうしんせきちょう) 中国の名筆 王羲之の書 行方不明

・藤原公真跡屏風帳                藤原不比等の書  行方不明

「中倉」 

シルクロ-ド経由の美術品、蘭奢待、古文書、古跡、公文書、鑑真の手紙・・・・・

「南倉」

東大寺の宝物  大仏開眼の筆(菩提僊那が使った)、仏具、伎楽面

「勅封」   天皇の命で封印し開閉することが許されない倉。 

当初から勅封となり、これによって宝物の散逸が免れた。

 エピソ-ド

「除物(じょもつ)」 一旦献納された物が持ち出される時、持ちだす事を記した付箋が付いているもの

●金銀荘太刀

大仏足元から明治時代に出土した国宝の「金銀荘太刀」(きんぎんそうのたち)二本が、約1250年間にわたり行方不明だった宝剣「陽宝剣」(ようのほうけん)「陰宝剣」(いんのほうけん)とエックス線調査で分かり、同寺と調査した元興寺文化財研究所(奈良)が発表した。
光明皇后が天皇の遺品として東大寺に献納後、正倉院から取り出し、大仏下に埋納したとみられるが、理由は不明。

皇后からの献納品目録「国家珍宝帳」の武器リスト筆頭に記した貴重な宝剣で、正倉院研究の上でも画期的史料といえる。東大寺と正倉院事務所によると、六百数十点の献納物を記載した国家珍宝帳には、今回の宝剣を含め「徐物」(じょもつ)の付箋(ふせん)を張って、リストから外した宝物が7件あるが、所在が判明したのは初めて。

●欧陽詢の書

唐の書家。欧陽詢の楷書は端正で、昭和時代学校の教科書で手本とされた。

正倉院から貸し出されたが、返却なく現在に至る。

●螺鈿(らでん)の鏡 正倉院展の目玉

20面献納されたが盗難にあって、現在3面が展示される。

●蘭奢待(らんじゃたい)  天下一の香木とされる 漢字表記に東 大 寺の字が入っている。

・天下人は切り取ってもいいとされ、今まで三箇所切り取られている。

 足利 義政、織田 信長、明治天皇

・信長は勅使同行の上で、倉を開き切り取った。

沈香樹に樹脂が付着したもの。原産地 ベトナム。

●勅封は正倉院建立以来、破られた事はない。盗難を除いて。これは世界の歴史上、例のない事である。

 「コメント」

いささかタイトルに偽りありの内容の講義。漫談調でだらだら続く。カルチャ-だもの致し方なしか。

聴取者を馬鹿にするなと言いたいところ。