私の日本語辞典「百人一首から広がる日本語の世界」 吉海 直人 同志社大學教授

 講師の専門は平安・鎌倉の文学、短歌で特に「百人一首」。源氏物語の研究からスタ-ト。

 

③「選歌の基準」   13年1月19日()   

前回、定家の選歌の基準はその人を代表する歌と説明したがもう少し具体的に言うと、例えば紫式部。

 

57番「めぐりあひて 見しやそれとも わかぬ間に 雲がくれにし 夜半の月かな」

 「雲がくれ」とは光源氏がなくなることを意味する。この歌は新古今集に出ていて、源氏物語を代表する物語が背景にある。

 

定家は「源氏知らずは歌詠みにあらず」と言っている。同じように新古今集では、源氏物語/伊勢物語のエピソ-ドが用いられているので知識がないと理解できない。

 

紫式部は歌人としては、全く有名ではないが源氏物語の作者として選ばれている。

 

「夕顔」という言葉は和歌に普通使わない言葉であるが、源氏物語を彷彿とさせる場合はよしとされた。(定家)

 

・万葉集の詠み方/新古今の詠み方

 例えば持統天皇の歌「春すぎて夏来にけらし白妙の衣ほすてふ天のかぐ山」

 「ほしたり」→万葉調   「ほすてふ」→新古今調

 どちらがいいのかとの議論があるが、定家は持統天皇を平安の人として扱い、新古今調。但し戦争中は万葉調を男性的とした。 元歌は「たり」であろう。

 また和歌の読み方は、当初和歌の言葉には神が宿るとして、独特の読み方が生まれた。祝詞を連想すれば良い。 

・持統天皇の絵姿

 十二単は時代的にはおかしいが、平安時代の人として扱っている。カルタには色々な絵姿が有り、飛鳥/奈良時代の絵姿もある。詠み方/絵姿を研究している。持統天皇は着せ替え人形のモデル。 

・教養としての百人一首

 百人一首で遊べるのは、大衆が既に百人一首の歌を知っていたから。江戸時代以降。

 江戸時代では、寺子屋で「いろは」の次に百人一首を教えた。これで字の読み、習字、和歌を覚えた。

 百人一首で歌を覚えたのではない。それなりの人は百人一首は基礎的教養の一部。  

・上の句と下の句

 当初読み札は、上の句しか書いてなかったが徐々に上下(和歌全部)を書くようになった。これで一般に普及した。

 今でも源氏物語カルタ、伊勢物語カルタは上の句しか書いてない。

・嫁入り道具  百人一首

・定家は百人一首を貴族文化のエッセンスとして作った。