私の日本語辞典「万葉語の由来をさぐる」                    講師    夛田 一臣(東京大学名誉教授)

                                              聞き手   秋山和平アナウンサ-

151031⑤  万葉語の由来をさぐる

「秋山」

前会の講義で「春 ハル」という言葉があって、それの対比として「秋 アキ」がある。四季の中では春と秋が中心で夏と冬は古代人の意識の中では強くなかったとの話があった。特に冬は死の季節であると同時に春の為の準備の期間なのですね。現代人は四季それぞれを等価値で見過ぎるきらいがある。次の言葉に「マクラ 枕」「ミドリ 緑」「ミヤコ 都」「ムカシ 昔」「ヨ 節・世・代」この中で先生が取り上げてみようと思う語は?

「多田」

ヨというのは、色々な文字が当てられる、面白い言葉である。竹の節を考えると分かりやすい。かぐや姫の話をしたが、

竹の節に光っている所があって、そこにかぐや姫がいた。これが()である。この語は「世」と同源である。節の事を「よ」と言うが、正確に言うと節と節に挟まれた空間が「()」なのである。その世の中にかぐや姫が居た訳で、何かによって前後を区切られた部分がヨ「世・節」なのである。ヨ「世・節」にはヨを支える力があって、その力が時間と共に衰えてくると何かが切り替わり新しい世になって、又力が満ちてくると考えられていた。

「秋山」

世の枕詞に「魂きはる→たまきわる」があるが、やはり霊的な力が込められているのでしょうね。

「秋山」

「ミドリ 緑」はどうでしょうか。

「多田」

ミドリと言うのも面白い言葉です。みどが語根で「瑞々し」のミヅと関係がある。元々色の表現ではない。生命力に満ちた若々しい、新たに誕生したばかりの瑞々しい生命力を称える言葉である。若葉がそうで、若芽が出た所とか、あれはまさに緑である。 

赤ちゃんの事を嬰児(みどりご)といい、生命力を褒め称えている。

「秋山」

「万葉語誌」については、沢山の興味深い言葉が入っているのでもっとお聞きしたいが、ご研究の中でもう一つ伺っておきたいのが「日本霊異記」正式には「日本国現報善悪霊異記」。

「多田」

「日本霊異記」は仏教説話集で、奈良時代の朝野の異聞、ことに因果応報などに関する説話を漢文で書いてある。仏教は国是ではあったが、この作品は国家の側ではなく民間の仏教者、信者達の中で作られたのが面白い。国家は国を統一する意識があるので、仏教を普遍的宗教として民に受け入れさせようとする。一般民衆はどうして仏教を受け入れて

行ったかというと、奈良時代と言うのは個人の生活が切実に問われてくるようになるのが特徴である。これらの救いに

むしろ積極的に仏教を受け入れて行った。

この本は仏教が基本なので、因果応報で報いが主題となっている。正式名に「日本国現報善悪霊異記」となっている現報とは、現世に報いを受ける原因を作って、現世にその報いを受けるということ。この例を細かく沢山書き記してある。

「秋山」

先生の本は現代語訳となっているが、作業は大変だったのでしょうね。

「多田」

万葉集の場合も同じであるが、現代語訳と言うのはこれをどう考えるかという事。現代語として面白可笑しく訳す、分かりやすく訳すなどと色々方法はあるが、言葉の秩序・語感と言うのが古代とはちがうので古代の雰囲気を残しつつ正確に

訳すというのはなかなか難しい。

「秋山」

聖武から桓武にかかる時代に、仏教を中心に書いてあるので様々な人が出てくるがどのような特徴があるのか。

「多田」

仏経説話集なので僧侶を大事にするというのが一番重要な事である。当時僧侶になるには官許を得てなる。これなしで僧侶となったのが私度僧である。僧侶には税金、労役、兵役が免除されるので大勢の僧侶が官許なしに発生することになる。大仏建立に寄与した行基も私度僧であったが、東大寺は行基の力を大いに利用した、私度僧たちの集団の力である。聖武天皇、光明皇后、その背後にいる藤原仲麻呂は仏教を利用することによって新しい国家像を作ろうと考えて

いた。仏教は当時外国から来た新しい文化で、これを利用して国家を作って行こうと積極的に考えていたのである。

「秋山」

その様な国の方針を民間側から支えて行こうとする働きに「日本霊異記」は寄与したのか。

「多田」

大事なことは当時の人達は仏教を受け入れざるを得なくなってきていたという事。色々に生活上の苦痛の救いを仏教に求めようとしていたという事であろう。この時代は日本古来の世界観と仏教の世界観がせめぎ合っている時で、仏教の

側に立つ「日本霊異記」の存在感があるのだ。

「秋山」

「日本霊異記」を読んで感じるのだが、我々は万葉集をぼんやりと文学世界の事としてみているが、万葉集の時代ももっともっと人間が生まれて苦しんでいた時代でもあったのだなと。

「多田」

日本霊異記も万葉集も対象としている時期は重なる。どちらも雄略天皇から始まっている。但し万葉集は前に話したように宮廷貴族の文化の中で生まれた宮廷歌集なのである。日本霊異記はそうではなくて一般の民間の人達の世界、

社会的地位の低い人たちの話が中心である。奈良時代を理解しようとすると、この二つ「万葉集」「日本霊異記」を理解しないといけないことになる。

「秋山」

万葉集の巻1と巻2と言うのに、古事記と共通している話がある。そのことと日本霊異記の出出しの所が何となく古い神代の時代の話みたいなところから始まっている順番になっている。

「多田」

全く歴史観を持って書かれているし、これに仏教的歴史観も付け加わっている。雄略天皇は古代を代表する天皇、これを一番最初に持ってきて、欽明天皇は仏教伝来に関係している、ですから仏教中心にした歴史観、それが日本霊異記の

背景になっている。

「秋山」

先生のこれからの研究のテ-マは?

「多田」

古事記の注釈ではなくて評釈に近いもの、柿本人麻呂の伝記研究をする予定。

 

「コメント」

やっと終了、自分にお疲れ様と言いたい。ただでさえ分かりにくい話を、いっちょかみの秋山アナウンサ-が余計な事を知ったかぶりをして更に分かりにくくする。 NHKにはこのような事情を理解する人はいないのか。

この手の話に対談形式はそぐわない。当初のテ-マにだまされた一つの例でもある。もっと万葉集の話と歌が出ると思った。