歴史再発見「黄金」から見直す日本史                 加藤 廣 

 

⑩「江戸時代が蕩尽した金 江戸時代(二)」      13年6月4日() 20時30分~ 

 

「貨幣改鋳と財政」  悪化の一途

・「荻原重秀」の貨幣改鋳でふくらませた額は、せいぜい400~500万両程度であったろう。しかしこれも一時しのぎにしかならなかった。原因は・放漫財政・赤字垂れ流しの為。これて益々金は退蔵されてしまうようになる。これにもまして問題は大奥の存在。4千~5千人のきらびやかな遊ぶ女がいた、これはイスラムのハ-レム以上。幕府経費の25%を占めた。度々の改革案もつぶされる。

・田沼意次は、貨幣改鋳で金の含有率を上下させても財政再建に効果がないとして、金を大幅に減じた大判小判を出して

、インフレを助長し武士、百姓が更に困窮。

 

「今迄退蔵された金の行方?」

・初期の金貨の高含有率から多くの金貨は退蔵された。累計で発行された金貨は1300万枚と言われる。これだけの大量の金貨が何故日本で見つからないのか。

    江戸時代貿易赤字の決済として、中国・オランダ・ポルトガルに流失。

    江戸時代後期、世界の銀暴落でオランダに大量流失。金を退蔵していた人と口利きの長崎奉行・オランダ人が

大儲け。 銀価格は下がっているのに相場を知らない幕府は従来の金と銀の交換比率をそのままにしたので。

   この比率は明治初期まで続く。長崎には銀が溢れたので、長崎会所は市民に銀を配布までした。

    幕末の尊皇攘夷等の主張は、政治的心情の違いというよりこの様な屈辱的な取引への憤激から来ていると見るべき。

    更に明治時代に貿易に参加した列強はこのことに気づき彼らも参加していよいよ金流失に拍車がかかる。これに乗じて明治の高官と言われる人々も大儲け。

 

「黄金伝説ジパングの終焉」

・かくして日本の金はなくなり、金本位制も維持できなくなる。

・ここから近代国家に成長しなければならない日本の苦悩が始まる。どのような方策を取ったのか。