歴史再発見「イスラ-を学ぶ~伝統と変化の21世紀」     講師 塩尻 和子(東京国際大学国際交流研究所所長)

150929①イスラ-ムの今

「はじめに」

最近報道などでイスラ-ムに対して厳しい目が向けられるようになった。しかし一方世界中の宗教人口の中ではイスラ-ムだけが突出して信者の数を増加させている。日本でも外国人を中心として10万人のイスラ-ム教徒がいる。数々の問題が有りながら増加を続けるイスラ-ムについて学んでいこう。

どの宗教についても宗教思想と国際政治やその社会の問題とは分けて考えねばならないが、イスラ-ムの場合は特に

どのような問題があろうとも政治や経済やその他の伝統文化の問題であっても、背後に宗教があって宗教がそれらを動かしていると説明をされ、私達もそう受け取っている。しかしそういう目で宗教、特にイスラ-ム見ると、大きな間違いを

犯してしまう恐れがある。世界中で16~20億人に達するイスラ-ム教徒の人達が私達と同じように家族を営み、普通に社会の中で生活している背景について考えることは重要である。

今日、特にいわゆるイスラム国の問題などが大変な危惧を我々に与えているが、この彼らの過激派組織の名称についてはNHKではイスラ-ム教徒に対する影響や正式な国家ではないという事から過激派組織ISという表現を使っているが、

最近ではメディアなどでイスラム国と言う名前が定着してきているので、私は過激派組織IS或いはいわゆるイスラム国という表現を使う事にする。

「イスラ-ム教の発祥」→オスマントルコ

AC610年アラビア半島のメッカという商業都市で誕生。1400年経っているが様々なバッシングを受けてきた。それにもかかわらず信者が増えるという事はどういう事であろうか。イスラ-ム教は発祥当時からユダヤ教やキリスト教に告ぐ第三の宗教であった。その先行する二つの宗教に繋がる伝統を同じくする宗教であると表明した。

イスラ-ム教の教えの中にユダヤ教やキリスト教と一致する部分が沢山あって教義の内容はとても似ている。

アブラハムはユダヤ教キリスト教イスラム教を信じるいわゆる啓典の民の始祖とされ共通である。

●1922年オスマン帝国が滅亡するまでイスラ-ム社会は政治的にも経済的にも世界の中心と言っても過言ではない。

(オスマン帝国→オスマン一世がビザンチン帝国の衰微に乗じてイスラム国家を建設、トルコ革命まで続いた)

今日政治的にも経済的にも弱いので後進国の宗教のイメ-ジであるが、それは1922年以降の事である。

イスラ-ム教の展開」

(信者数の増加)

信者の数は増加して現在では16~20億人といわれ、キリスト教徒の20~22億人に続き2位。5年後には世界最大となろう。元々イスラ-ム教は設立当初から共存と融合を宗として展開していったが690年に預言者ムハンマドがこの宗教を興した時に、これまでアラビア半島に根付いていた頑固な血縁主義、部族主義を廃棄し、人間ならだれでも平等であるという考え方で世界宗教として発展させていった。したがって様々な世界に展開し、そして人種や社会的な地位、様々な

人間の差を乗り越えて同時にそれぞれの地域にあった伝統的文化や固有の社会習慣を容認してきた。いわゆる土着化を推進して瞬く間に世界中に浸透した。基本的な教義さえ守ればイスラ-ム教は伝統的文化を残しても構わない大らかな宗教として展開していった。

アラビア語でイスラ-ム教徒の事をムスリムと言うので私もそう呼ぶことにする。

イスラ-ム教は世界中に急速に広がって今日では主としてアジアに大展開している。インドネシアでは総人口2億5千万人の内、90%と今やイスラ-ム教は中東やアラビア半島の宗教ではなくアジアの宗教と言えるほどにアジアに展開している。最近ヨ-ロッパの若い人でイスラ-ム教信じる人が増えているし、又中東地域からヨ-ロッパに移民するムスリムの数も増えていて、今ヨ-ロッパには5千万人いるといわれている。

(アラブの春)

イスラ-ムは世界では急激に信者が増えているが、一方で宗教人口が増えているにも関わらず、世界中の諸問題を

一手に引き受けている印象である。2001年9月11日のあの同時多発テロ以来、特に中東地域ではアフガニスタン、

イラクなどで紛争が起こり、その解決が出来ないまま次々と事件が起きている。いわゆるイスラム国も大暴れしている。2011年北アフリカ諸国を中心にして、民衆蜂起が起きた。若い人を中心として長い間独裁政権が続いた国々で民主化を要求する運動が活発に展開した。いわゆるアラブの春である。エジプトでは当初成功したがその後うまくいかない。2003年の総選挙で生まれたモルシ-政権が崩壊し軍事政権となっている。アルジェリアは民衆蜂起の優等生と言われ民主的な政権が存在するが政治的経済的に成功しているとは言えない。

●アルジェリア人質事件

アルカイダ系イスラーム武装集団が、アルジェリアイナメナス付近の天然ガス精製プラントにおいて20131月16に引き起こした人質拘束事件、日揮の社員を中心に10人の日本人が死亡した。アルジェリア政府は軍事政権なのでテロ

組織とは交渉しないとして強行制圧、多数の死傷者が出た。

●シリア内戦 大量避難民

今日いわゆるイスラム国と同様に心配なのはシリア内戦。シリアと言うのは第二次世界大戦後に成立した国、元々は

フランスが統治していた国で、現在はいわゆるモザイク国家、様々な宗教、様々な民族が混在する国家である。シリア

内戦も2011年のアラブの春に刺激されて独裁政権を倒すべく民衆が蜂起したが政権が強くて現在も存続している。

当初はアサド政権派のシリア軍と反政権派勢力の民兵との衝突が主たるものであったがジハード主義勢力のアル=ヌスラ戦線とシリア北部のクルド人勢力の間での衝突も起こっている。現在は反政権派勢力間での戦闘、さらに混乱に

乗じ過激派組織ISILやアル=ヌスラ戦線、またペシュメルガを始めとしたシリア北部のクルド人勢力が参戦したほか、

アサド政権の打倒およびISIL掃討のためにアメリカを始めとした多国籍軍もシリア領内に空爆を行っており、内戦は泥沼化している最近ではイスラム国撲滅を理由としてロシアも空爆を始め混乱は更に国際的になってきた。

シリアはシ-ア派の分派であるアラウィン派という小さな宗派(12%)がアサド大統領を支持している。

国民の80%はスンニ-派。内戦での死者は22万人、避難民は300万人と言われ爆発的に増加している。

●エジプト革命

エジプトの国内外において20111より発生した大規模な反政府デモとそれに付随する事件の結果、当時のムバラク

大統領が辞任に至った革命チュニジアにおいて長期政権を倒したジャスミン革命に触発され、約30年の長きにわたり

大統領職にあり独裁政権を維持したムバラクに対する反発が表面化し退陣を要求するデモが繰り返された。この騒乱により、ムバラクは退陣し、政権の長期独裁に終止符が打たれることになった。前述のチュニジアの革命を起因としてアラブ

世界で巻き起こった一連の変革「アラブの春」のうちの一つである。この結果ムスリム同胞団(イスラ-ム宗教的集団)が大統領に選出されたが軍事クーデタ-で倒され、軍事政権となった。アラブの春はうまくいっていないのだ。

●リビア革命

1969以来、41年間というアフリカ諸国最長の政権を維持するカダフィ大佐に対する退陣要求が高まった。一連の

反政府運動は、チュニジアでのジャスミン革命エジプトでのエジプト革命が他のアラブ諸国に波及したアラブの春のうちの一つとして数えられている。この騒乱により、カダフィ大佐は政権の座を追われ、長期独裁に終止符が打たれることになった。内戦終結宣言後リビアでは親カダフィ・IS系組織が台頭し、政府の統治機能が急速に低下、内戦状態が継続しているもともとリビアは、ともすれば反目しあいがちな多数の部族をカダフィが巧みに統制することによって一国家として成立していたのだ。リビアもシリアに並んで今後同行が心配される国の一つである。

●イスラム国

この様な中東の大混乱の中で若者を引き付けるのが過激派の組織であるイスラム国である。現在イラク北部とシリアを中心に軍事的勢力を広げているが、2014年に正式にイスラム国を名乗った。2015年日本人2名を処刑、その後も彼らの残虐な行動形態は変わっていない。このイスラム国に入り込む若者は主としてヨ-ロッパからが多いが何故ヨ-ロッパなのか。就学就職での差別、貧困に苦しんでいる若者は巧妙な勧誘に乗り易いのだ。

●何故このような大混乱の中東になってしまったのか。五つの理由がある。

 ・第一次世界大戦から第二次世界大戦にかけて宗主国(英・仏・独・伊・)から独立した後のそれぞれの国の政治的困難

  の後遺症

・宗教イスラ-ムの問題  信者は皆平等→まとめ役がいない

  カトリックの総本山のような統合する組織を持たない。イスラ-ムという宗教は個々のムスリムに決定権のある宗教

  で、見ようによっては極めて民主的だが何の纏まりも持ちえない。イスラ-ム世界ではいつも誰が取りまとめるのかが

  問題となる。

  ロ-マ法王庁の様な統括組織も、教会のような会員組織もない。日本仏教のような大本山システムもない。このような

  世界を誰が指導するのかというと、ウラマ-(イスラ-ム法学者)である。彼らは決定権を持たない。国家資格もない

  ので極端に言えばだれでもなれる。自分が名乗り、周囲が認めればウラマ-である。

  (イスラ-ム-法学者→伝統的イスラーム的学問を修めた人々。イスラームでは、建前の上では全ての信者は同列と

  される。

  実態としては、礼拝の指導やファトワーの発布などの役割を担うだけで宗教教育における先生にもあたり一般の信者

  にとってウラマーは敬意と尊敬(崇拝ではない)の対象になる。

 ・イスラム社会の不安定な要因や紛争の原因はアフガニスタン空爆から始まった。その前から言うと9・11から始まる。

 欧米の国々がテロの温床としてアフガニスタンを攻撃した。それからイラクを民主化するとしてイラクを攻撃し、今日の

 混乱のままに一斉に手を引いたことによる。その状況の中でイスラ-ムの旗を掲げて過激派集団が力を持ってきたと

 いう事である。

 ・第一次世界大戦から今日までの100年間、欧米の植民地から独立を勝ち取り、元々国境線などなかったところに

  列強が勝手に引いた国境線のままで、今の国々が出来上がった所に諸問題の根がある。宗教、文化、民族は全く考慮

   されていない。

 ・この一連の混乱は以上のような環境への不平不満が積もり積もって所に、アフガニスタン・イラク戦争が起き、又2011年のアラブの春の頓挫、手詰まり状態に対する抵抗運動と考えることが出来る。単に政治的な運動と留めず、

   神の名をかたって聖戦、ジハ-ドと謳って人々を集める過激派集団の存在が混乱を深めている。

 

「コメント」

日本人にとって一番分かりにくいのはイスラムの人々。中世および近代の初期までは日本でも宗教が政治や生活の

中に深く関わっていたが、現代になるとその存在感は薄くなっている。これはキリスト教世界でも同じである。しかし

中近東を中心とする人々はまだまだ宗教が全てに優先しているように思える。後進性なのか、生活環境の厳しさなど

風土性なのか。

もう一つ判らないのはいつも出てくる部族と言う単位。日本でいうとまだ蘇我氏、物部氏が活躍しているのか。

講師が言う様にこの大混乱の原因を作ったのは、旧宗主国特にイギリス・フランス。散々食い物にして後は知らん顔。

日本が中国韓国にした事とは比較にもならない。大英博物館は、まさに植民地収奪の見本市。

しかし今更誰が悪いと言い立てても仕方ない。

大国は全て手を引いて、彼らに任せたらどうだろう。勿論武器は与えないことは勿論

それにしても講師の立ち位置が少し微妙、どこか韓流ならぬイスラム流が匂うが。