22041213人の合議制と梶原景時の失脚」②

1199年源頼朝の死で、頼家が家督を継ぎ二代将軍となる。3ヶ月後、有力御家人による13人の合議制が敷かれる。

吾妻鏡では、頼家の判断能力不足から合議制は正しかったとあるが実態を見てみよう。

梶原景時は石田三成だ

源頼朝と上総介広常の間には、政治的な大きな違いがあったという話はした。梶原景時が、頼朝の死の年の内に、失脚する。これをどうとらえるか。妙な例え話かも知れないが、梶原景時は石田三成なのではと思う。秀吉の没後、一年後に、秀吉を追うように滅亡させられる。秀吉の遺志を受け継いだ前田利家が亡くなった晩に、加藤清正・福島正紀らは石田討伐で挙兵する。これに徳川家康も介入する。石田三成は五奉行の地位を失い、政治的に失脚する。

では何で加藤らは立ちあがったか。単に石田が嫌いであったという事ではなく、実は朝鮮出兵に不満があったのだ。

勿論秀吉の決断であるが、実際の差配は石田三成が行った。その結果、前線部隊は大苦労をした。実は秀吉の二度にわたる朝鮮出兵に不満があったのだ。秀吉への不満なのだ。三成は秀吉の忠実な代理人。秀吉への不満のはけ口となったのである。

御兼任達の源頼朝への不満→梶原景時が失脚

これと同じようなことが、源頼朝が亡くなった年に起きて梶原景時が失脚し滅亡している。梶原景時は、義経を讒言したことで有名である。それは室町時代の物語「義経記」によって、敵役となってしまっている。

梶原景時の評価は、当時の朝廷の資料では、二代将軍頼家の第一の家来という事になっている。

要するに、頼朝、頼家に最も忠実な御家人であったのだ。当時の普通の義家人は学がない、しかし梶原景時と北条時政は、見事な字を書いている。梶原景時は文武両道で、源頼朝に信頼されていた。

それで梶原景時が失脚をするというのは、実は梶原景時が本当の意味で批判の対象ではなく、源頼朝に対する不満のはけ口となったのではと考える。

それでは御家人たちは何で源頼朝に不満を持っていたかというと、これは前回で話したように、源頼朝は朝廷との交渉を重視する。これに対して、御家人代表の上総介は、どうして源頼朝は朝廷だ朝廷だとばかり、気にするのだ。我々は関東でやっていこうではないかという路線である。そして御家人たちは明らかに、上総介を支持していたのである。

源頼朝は最終的には、娘の大姫を後鳥羽上皇の妃にしようと画策していた。御家人たちは、冷ややかに見ていた。

しかし正面切って批判は出来ない。だから忠実な家来である梶原景時に批判が集中したというのが真相であろう。

13人の合議制のスタ-ト 北条時政の発案

1199年に源頼朝が亡くなって、息子の頼家が家督相続する。頼家が相続して、三か月後に、有力御家人による13人の合議制が姿を現す。そして、13人の合議制を作るので、元服していた頼家の訴訟の裁断を禁止するとした。

吾妻鏡には、頼家には決定を下すことが出来なかったので、13人の合議制は正しかったとされているが、実態は?

此処で、この13人の合議制を一体誰が何の目的でつくったのか。

私は北条時政が中心になって作ったと思う。北条時政が頼朝時代の後半にどういう立場であったかというと、実は乾されていたのだ。政治的に大きな力を振るうことは出来なかった。それではその時代誰が政治的行動をしていたのか、それは源頼朝自身であった。源頼朝が文官たちを使って、決定をしていた。行ってみれば中国の皇帝と官僚の如くである。

専制的な振る舞いであった。そして、頼朝を支えたのが大江広元をはじめとする京下りの官人たちであった。そこに関与できたのは、梶原景時で、御家人は少なかった。北条は除外されていた。義父というだけ。

更に頼家の代になると、頼家の奥方の父は比企能員なので、北条時宗と比企能員は同格になってしまう。

北条氏にとって、幕府の中で大きな力を持とうとすると、これは頼家の力を削ぐしかない。また北条氏は兵員動員力も少ない、要するに軍事力が弱いのである。普通の御家人は300人、上総介は一時2万人、北条氏は50人程度で、お話にもならない。軍事的には貧弱。

北条氏としては、御家人の中でずる賢く立ち回るしかない。実際、時政も義時もまことにずる賢い。それは力がないから仕方ないのである。

源頼朝時代の猴半では、北条時政は活躍していない。これは何とかしなくてはならない状況であった。

北条は頼家の力を削ぐことに注力→比企氏の勢力増大を抑えるために

頼家が将軍となった。頼家は北条政子の子供ではあるが、当時の風習として、乳母が育てることになっている。

頼朝の乳母であった比企氏である。二代続きの乳母という事になる。こうして頼家は比企氏の家で育つことになる。

そして、比企氏の娘との間に一万丸という世継ぎが誕生する。

こうした状況になると、頼家が存分に活躍すると、比企氏の力が増大していく。それを何とかしたい。

だから頼家の活動範囲を狭めたい。という事で、北条時政が考え出したのが、13人の合議制なのである。

13人の内容

4人の文官  大江広元、三善康信、中原親能、二階堂行政

北条氏系   北条時政、北条義時、三浦義澄、和田義盛、安達盛長、

頼家系     比企能員、梶原景時、足立遠元、八田知家、

北条時政による梶原景時の追い落とし

このメンバ-で御家人をコントロ-ルし、頼家の行動を弱めるのが目的であった。

この時に問題となるのが4人の文官。これをどう扱うか、味方につけるかが大きな意味を持って来る。そして、北条時政にとって、梶原景時が本当の敵だったのかもしれない。梶原景時は頼家に忠実であった。だから北条時政は色々と画策して、滅ぼしてしまうのである。梶原景時はこんな関東に未練は無いとして、京に向かう。しかし駿河の清見峠で待ち構えていた北条の息のかかった吉川氏に全滅させられる。

北条の策略により、御家人の66人の梶原景時弾劾の連判状があり、比企能員も署名していた。彼にもう少し先が読めて、頭がよければ、北条時政が梶原景時追い落とし、頼家の力を弱めようとしている事に気付いたであろう。

これでは余りにも政治音痴。13人の合議制は、親北条はまとまっているのに、反北条はバラバラになっていく。まず比企が纏めようとしていない。

こうして北条氏の力が弱いので作った、13人の合議制は効果を発揮していくのである。敵は梶原景時と比企能員であったのだ。

 

「コメント」

 

気軽なカルチャ-だからともいえるが、歯に衣着せぬ言い方でとても面白いし、真実をついていると思う。かなりオ-バ-めではあるけど。さあドラマはどう描くか。義時をどう善玉とするか。誰を悪玉にするか。まずは大江広元。