220523⑧「最澄との別れ」

二人は出会って別れた。二人は考えている事、大事にすることが異なっていた事、目指していることが異なっていた。

それが二人の別れとなるのだが、そこの経緯を語る。

 最澄のやり方、空海のやり方

密教は、言葉では分からない、文字では分からないというのが、一つの大事な考え方である。しかしその割に空海は言葉の世界の住人であって、沢山の言葉を使っているし密教のお経も沢山あるのだが、それでは究極の所には到達できないというのが密教の考え方である。

しかし最澄は言葉の人、文字の人なのである。経本を書き写し、それをとことん勉強する。そしてマスタ-していくというやり方である。空海はその最澄のやり方が少しずつ分かってくる。最澄は自分のやり方が当然だと思っているが、空海はそのやり方が気に入らない。

 空海40歳の感慨を述べた詩 これを巡っての二人のやり取り

813年空海は40歳になった。40歳を迎えた感慨を「中寿感興詩」で述べている。そしてこの詩を最澄に送っている。

このことが色々な問題の発端となっていく。

読み下し文→黄ばめる葉は散り果てる、だから葉には終わりがある。蒼い空には始めと終わりがあるのだろうか。ああ、
私は40歳(五八の歳)になった。秋の夜長に色々と考えている。浮雲はどこから来たのだろうか。それは清らかな虚空から湧き出しているのだ。こう考えると浮雲と虚空(大宇宙)は一緒であって、大宇宙から雲が湧いているのだ。それと同じように仏と私達も一緒であり、私たちは仏から生まれているのだ。

この詩を貰った最澄は返事の手紙を書く。最澄は真面目だからその詩の序文の中に知らない本の名前があった。

「一百甘礼仏・方円・注義」「釈理趣経」。真面目な最澄はこれを読まないと返事が出来ないと考えた。それでその本を貸してほしいと手紙を書く。そして空海から貸さないという返事を貰う。そしてこれに驚いた最澄は高雄山寺で空海と一緒にいる弟子の泰範に「空海のそれらの本の内容を聞いてくれないか」と頼む。結果として最澄は詩へのお礼の手紙を、
空海に出すことが出来た。空海からその手紙へのお礼の手紙が来た。

 二人の決別までの経緯 空海がまず本は貸さないと言った手紙 決別ではない

まず最初に空海が「一百甘礼仏・方円・注義」と「釈理趣経」を貸さないと言った時点で、通常は、二人は決別したと言われることが多いが間違いである。空海が貸さないと言ったのは事実であるが、その貸さないといった手紙を良く読むと

空海が最澄に対して、大きな期待を寄せていることが分かる。

「天台はあなたでなければ支えられない。又真言の密教は私だけが分かっていることである。だから真言が盛んになるか滅んでしまうかはあなたと私にかかっている」ということが書かれている。最澄に対する大きな期待が示されている。

天台宗が一番大事にしている法華経の中にこういう話がある。突然、塔が姿を現す。扉を開くと多宝如来が姿を現す。

自分の横に席があって、釈迦如来を招いて自分の席の横に座らせ、多宝如来と釈迦如来が並んで座ったという話がある。そういうことが空海の手紙にあり、この二人の仏さまのように、貴方と私は並んで一緒に仏教を広めていく関係であると書かれている。空海が最澄の事を重要視している事は、この手紙をきちんと読めばはっきりするのだが、
このことが二人の決別した直接の出来事だと言う研究者が多い。確かにきついことが書かれていて、最澄は借りた本を書き写しているが、そういう言葉や文字、文章は瓦礫・かすだと言っている。あなたはカスや瓦礫を大事にすれば、一番肝心なことを失ってしまうと。又密教の一番大事なところは字からは得られない、心から心へと伝わるのみで、文字なんか瓦礫だ。あなたはそのかすや瓦礫を愛しているという内容である。きつい文章なので多くの人は、こういうことを言われたら縁を切るであろうが、私はそうはしない。なんて私の事を大事に思ってくれているのだろうと思う。

この密教が滅ぶか盛んになるかはあなたと私にかかっている。ここが大事である。
多宝如来と釈迦如来のように、私達二人は並んでこの釈迦如来の教えを広めていくのだと、絶対的な信頼と期待の手紙だと思う。

空海の、本を貸すのはお断りだが、一緒に仏教を広めようとの期待を込めた内容なのでまだこの時点では欠別はしていない。決別は3年後である。

空海に宛てた最後の手紙

内容は「借りていた本を返します。まだ書き写せていないけれど返します。伝法の為にお借りしていたが、まだ写し終えていない。だけれども空海からの返却の要求なのでお返しします。」これが二人の最後の手紙となった。

 最澄が弟子泰範への手紙

最後の手紙を書いた三ケ月後に、最澄は高雄山寺にいる弟子の泰範に「比叡山に戻ってこい」という手紙を書く。この頃最澄は布教の為に全国を回っている。今度は関東に行くので、一緒に行こうと。「老僧最澄は50歳だが、今まで何も出来ていないのに人生を終わろうとしている。」最澄は天台宗は優れていると思っている。天台宗には法華部門と遮那部門(密教)がある。ただ遮那部門は現状では弱い、空海の方が優れているのは明らかであるが、総体として天台宗が劣っている訳ではない。天台の教えで衆生を救うことをやろうと言った。中々心の籠った手紙である。所が泰範自身は返事をしなかった。代わって空海が書いた、代筆である。泰範が頼んだのか、空海がおれが代筆すると言ったのか。

これが嫌な手紙である。空海にこんな手紙は書いて貰いたくなかったなあというものである。

 泰範の返事 空海が代筆 二人の別れ

泰範に代わって書いているので、最初は、「最澄先生は素晴らしい龍の様だ、鳳凰のようだ。私如きは龍のしっぽについているだけで鳳凰の翼に触れるだけで有難いと、最澄の事をべた褒めからスタ-トする。私泰範は麦と豆の区別もつかないような愚かな人間である。法華と真言の区別もつかないような人間なので、そんなことを言われても困ります。言葉もありませんが、でも先生からこんな手紙を頂いたので、自分の考えを申し上げさせていただきます。

私は今この真言密教の素晴らしい教えにどっぷりつかって、他の物を味わいたくありません。みんなの事を救うというご立派なことは、先生が是非やって下さい。私は関わりません。」

実に嫌な手紙である。空海の為に実に残念である。特に「利他の事は悉く大師に譲り奉る」→他者を利する、他者を救うということは、最澄先生がおやりください というのは、19歳の時比叡山に籠った時の最澄の誓い→決して自分一人は幸せにはならない、みんなと一緒に己を忘れて他を利する 忘己利他(もうこりた)と誓った。これが最澄なのであるが、それを一寸茶化すような、笑うような、先生は存分におやり下さい。私はここで真言の最高の味わいを堪能しているので、

ほかの事はやりたくない という手紙である。最澄は終わったと思ったことであろう。私だったらこんな手紙を貰ったら、即時永遠に絶縁する。これが二人の別れとなる。

 

これが空海だと思うと、とても残念に思う。空海は最澄の事を嫌いだったのであろう。事後、真言宗関係者でさえもこの手紙ことには触れたがらない。

 

「コメント」

実に人間的なストーリ-である。それぞれ立派な人ではあるが、合わないということはこんなことである。空海には宗教者というより、僧玄昉のような政治好きの宗教者、それも能力のある頭のいい人、やり手のイメ-ジ。最澄は真面目一方。

 

そう言えば僧玄昉は、空海の母方の阿刀氏の出身。同郷の人である。同じ血か。