歴史再発見「元号文化の歩み」               京都産業大学名誉教授  所 功  名古屋大学文学部史学科

 

181002①「漢字文化の元号」

 

現在、天皇の生前退位に伴い元号に対する関心が高まっている中、13回にわたり「元号文化の

歩み」と題し話す。第1回は「漢字文化の元号」。漢字は2千年以上前に中国で発明されたといわれている。その漢字を使ってその年を表す元号(年号)は現在では日本だけが用いている。今回はいつ

漢字が日本に伝わったのか、儒学・仏教の伝来、律令の制定、最初に定められた年号など漢字文化と元号の歩みを話す。

「私の研究→三善清行」

私は歴史が好きで、大学では平安時代の宮廷文化を中心に勉強した。菅原道真を研究したかったが恩師がその専門家であったので、菅原道真の傍にいた三善清行をテーマとした。この人は高校の

教科書にも出てくるように10世紀初頭の宮廷社会に意見を述べた「意見封事十二箇条」で有名で

ある。

・三善清行

 平安時代の公家、正義感あふれる経世家。菅原道真と長年確執があり、その失脚にも関係した

 とも。

 陰陽道に詳しく昌泰4年(901年)は辛酉(しんゆう)革命の年に当たると指摘「延喜」と改元することを提唱して、        

 辛酉の年の改元の端緒を開く。

 この為、学生時代から、元号・年号への関心があった。

「昭和40年代の元号議論」

昭和天皇の高齢化に伴い将来元号はどうなるのだろうという議論が始まり」元号法」という法律を作ろうということになる。旧憲法の皇室典範には元号決定の規則があったが、新憲法では明文規定が無かった。昭和54年に成立した。

私もその時関心を持って、「日本の元号」という本を書いた。今回もその流れで話す。

「元号・年号の始まり」

元号、年号と言い方があるが現在では同じに使われている。学生が「歴史の勉強は年号を覚えなければならないのが苦手」と言うが、これは間違いでこれは西暦の事であり、年の数え方である。

流れる時間を年で区切り、それに名前を付けたのが元号・年号である。701年の大宝律令にこの言葉があり、「公文書には年号を用いよ」とある。それまでは干支(干支)の十干十二支で表示していた。

まず最初に、作られたのは大化(645年)であり、皇極天皇から孝徳天皇への譲位の際に唱えられた。後、断続的に運用されていたが、先程の大宝律令で正式に用いられることとなった。

「中国の元号」

前漢のBC115年に作られ、清代まで用いられた。周辺の諸国に広まったが現在残っているのは日本だけである。独自元号は日本他数か国で、朝鮮では中国そのままで行われた。

  

「コメント」

何故中国で元号が発生したのか、又周辺諸国が取り入れたか。又日本だけにどうして残存しているのか、これを天皇制との関連で知りたいものである。