詩歌を楽しむ「啄木再発見」 三枝 昂之(歌人)
歌書「前川佐美雄」「啄木-ふるさとの空みかも」
⑪13年3月15日(金) 凩よりも 啄木が死んだ日
今日は啄木の最後の日々を見つめる。
東大病院に入院したが1ヶ月で嫌になって退院。自宅療養としたが腹膜炎から肋膜炎を併発。日記にも「38度の熱、食欲全くなし」とある。同時に妻節子が、肺尖カタル(肺結核の初期病変)を発症。家主から夫婦とも結核として退去を迫られる。
この頃前田夕暮の雑誌「詩歌」に17種の歌を「猫を飼わば」と題して送る。これが雑誌掲載の短歌は最後となる。
「解けがたき不和のあひだに身を処してひとり悲しく今日も怒れり」
妻と母の不和に苦しんでいるなす術のない自分に怒っている。
「俺一人下宿屋にやりてくれぬかと今日もあやふく言い出(いで)しかな」
余りにも妻と母の諍いが続きほとほと困り果て、逃げ出したくなった男の気持ち→家庭崩壊寸前の風景が見えてくる。
「ある日ふとやまひを忘れ牛の如く啼く真似をしてみぬ妻子の留守に」
牛になって戯れてみるしかない男、何にかなりたいけれど何にもなれない男→万策尽きた男の暫しの戯れの行為。
「買ひおきし薬つきたる朝に来し友のなさけの為替のかなし」
親友の宮崎時雨が送ってくる金への思い、万策尽きた男の悲哀を表す。(薬尽きたる朝に)は一層哀れを深める。
「何はなしに肺が小さくなれる如く思ひて起きぬ秋近き朝」
呼吸が浅くなった様におもい、目が覚めたという意。
病気の進行を暗示しており、(秋近し)が命が尽きるメタファ-になっている。
更に悪いことが重なっていく。
同年、母が腸カタル、父が家族の諍いと貧しさに嫌気がさして家出。更に最大の援助者の宮崎時雨と絶交する。妻との不倫を疑って。こうして最後の年を迎えることになる。正月からの日記を抜粋する。
「今年ほど新年らしくない年を迎えたことはない。例えようもなく不愉快な日であった。激しい咳。母が血を吐く。母には肺疾患が有りこの冬は越えられないと医師に言われる。3月7日 母 カツ 死去。油の消えた灯火の消えるように夜中に息が絶え、朝には冷たくなっていた。」
「庭の外白き犬行けりふり向きて犬を飼わむと妻に図りぬ」
歌集「一握の砂」の最後の歌。家庭団欒のゆったりした雰囲気の歌と読めるが、犬を飼おうというのは自分の命ヘの愛惜の情が感じられ、切ない。これは事情を知るものの読み過ぎかもしれない。
妻との出来事。学生時代の初恋、結婚、妻と母の不和、妻の家出、妻と宮崎時雨との不倫疑惑・・最後の短い平和の時か。
・金田一京助は読売新聞で「啄木 重態」とのニュ-スで啄木宅に駆けつけるが、既に死相を呈していたという。
啄木は京助には「今度はダメだ」という。京助は「甘いものでも食って太れ」と言って10円を持ってきた。
・4/7 危篤の報で金田一京助、若山牧水が駆けつける。
京助には「頼む」 牧水には少し笑って「死にたくない」と。
・4/13 死去 その後2首 ノ-トに書いてあった歌が見つかった。これが最後の歌というべき。→「悲しき玩具」の巻頭2首。
「呼吸(いき)すれば胸の中にて鳴る音あり凩よりも淋しきその音」
肺の炎症で呼吸の時のラッセル音、その音が凩よりも寂しいと歌っている。啄木の深い空虚が感じられる。
「眼(め)閉づれば心にうかぶ何もなしさびしくもまた眼(め)をあけるかな」
普通、目を閉じれば自分の世界に浸ることが出来るがこの頃の啄木には、もうすでに何も見えてこない。→例えば
懐かしい北上の山河、忘れがたい人々、人生の感慨までも全て失った空っぽの心が伝わってくる。
最後の最後の啄木の歌、ラストメッセ-ジとしてふさわしい歌である。
・葬儀 享年 26歳 妻 節子は翌年 26歳で死去する
土岐 善麿の実家 東光寺(浅草) 夏目 漱石、相馬 御風、北原 白秋、佐々木 信綱・・列席。