詩歌を楽しむ「啄木再発見」 三枝 昂之(歌人) 歌

                      書「前川佐美雄」「啄木-ふるさとの空みかも」

 

1331()  胸に痛みあり   「悲しき玩具」の世界

 

第一歌集「一握の砂」の反響を見てみよう 

・大方は  三行の分かち書きの物珍しさ  

 ・どこか違った世界を描いている の2点に集約される。 

・その中で「早稲田文学」の評が適確だと思う。(日常平凡な折々を歌うことによって、人生の奥底に触れる歌である。)    しかしこの見方が一般的ではなかった。

・若山牧水は主宰していた雑誌「創作」で(「一握の砂」発刊後、啄木を真似た作品が多く投稿され困ったものだ)と。

・ともあれ、啄木は期待の新人の位置づけとなった。が、第一歌集発刊後1ケ月後病魔が襲う。

 

闘病

・東大病院で「慢性腹膜炎」と診断され、このままだと余命1年、すぐ入院せよと言われるが抵抗。 

・明星時代の友人で東大医学部の太田正雄(木下杢太郎 詩人で劇作家)に診断され、観念して即時入院。

(そんならば生命が欲しくないのかと医者に言はれてだまりし心)    

     追い詰められた心を表現している。

 

(ドア推して ひと足出れば病人の目にはてもなき.長廊下かな)     

      体力が落ちてきた感じが歌われている。 

(はてもなき) を使った初期の歌と比較してみると 

 (はてもなき荒野の草のただ中の髑髏を抜きて赤きユリ咲く)

同じ「はてもなき」だが、入院後の弱弱しい感受性をよく示している。

(晴れし日のかなしみ一つ! 病院の窓にもたれて 煙草を味ふ)

 

(夜おそく何処やらの室の騒がしきは 人や死にたらむと 息をひそむる) 

入院患者としては、自分に来るかもしれない、他人ごとではない緊張感が出ている。

 

(「石川はふびんな奴だ」ときにかう自分で言ひてかなしみてみる)

石川が二人いて一人芝居をしている自分を見ている。「かなしみてみる」→悲しみを演じていると言うニュアンスに注目。

 

講師も実に不憫な奴と思う、第一歌集で注目を浴びた直後病に倒れ、一年後に死すのだから。

 

作歌ノート

 

歌人の多くは作歌ノ-トを作っている。これには、作った歌やフレ-ズ、言葉を書いておいてこれを基にして20首/30首と作る。講師の場合、大学ノ-トB5を使っている。

 

啄木の場合最初が「暇なとき」、最後の5冊目に「一握の砂」以降の歌が入っている。

 

(途中にてふと気が変りつとめ先を休みて今日も河岸をさまよえり)

 

(家に かへる時間となるをただ一つの待つことにして今日も働けり)

勤め人の普遍的な心理を歌っている。

 

(何となく今年はよい事あるごとし元日の朝晴れて風無し)

元日の歌としてよく例に出される歌。この時すぐ浮かぶのは、佐々木信綱の次の歌である。

 

   (春ここに生るる朝の日をうけて 山河草木 みな光あり)  佐々木信綱 

こちらは格調高く堂々とした歌であるが、啄木は普段着で少し心が改まる元日と歌っている。

 

(人間のその最大のかなしみが. これかと. ふっと目をばつぶれる)

歌集の歌語で(悲し 悲しみ)が一番多く、102首で使われている。これは 上田博(石川啄木歌集全歌鑑賞)に出ている。

 

(胸痛み 春の霙の 降る日なり 薬に噎せて、伏して目を閉づ) 

        細かい動作の表現から、絶望的な病人の心を表している。

 

(回診の医者の遅さよ!痛みある胸に手をおきてかたく眼をとづ) 

        死を予感してあきらめに近い啄木の気持ちである。

 

(今日もまた胸に痛みあり死ぬならばふるさとに行きて 死なむと思ふ) 

    故郷には複雑な思いがあるが、これは消えて死を覚悟した男の姿が見えてくる。

 

(庭のそとを白きゆけりふりむきてを飼はむと妻にはかれる)

 

「悲しき玩具」は啄木の死後、土岐善麿の手で発刊された。作歌ノ-トにない発見された歌、2首が巻頭に置かれた。

 

この歌は啄木の苦しみを表した、切ない歌なので次回に話す。