詩歌を楽しむ「啄木再発見」 三枝 昂之(歌人) 

                      歌書「前川佐美雄」「啄木-ふるさとの空みかも」

 

13322()  大切な言葉は今も  啄木短歌の読み方

啄木の短歌はどう読んだらいいのか、啄木は歌にどういうふうに工夫しているかについて話す。短歌/俳句は短い詩形なので複数の読み方が出るのは仕方ない。啄木は研究されているので、歌の背景も分かっている。

 

「どんなふうに読むのか」

 

「東海の小島の磯の白砂にわれ泣きぬれて蟹とたはむる」 東海とはどこかの議論 

・啄木が好きだった函館 大森浜説・もっと広い日本のどこか説  三枝は衛星から俯瞰した日本の磯でいい。どこと特定する必要はない。

・啄木はここでなければならない時には現場の名前を入れている。

例 (やわらかに柳あをめる北上の岸辺目に見ゆ泣けとごとくに)

 

「やとばかり桂首相に手をとられし夢見て覚め秋の夜の二時」 

     (手をとられ)は 逮捕説/握手説

・啄木の思想背景を活用すると、社会主義者として逮捕説となる。

(やとばかり)  やあやあの意  (手を取..) 辞書では親愛の情を表して手を取るの意。 講師はこの握手説。

・自分の俗物振りを自嘲している歌と読むのがいい。

 

「啄木短歌の特徴」

    演出が上手い

者のかなりの人は歌が事実と思う。啄木の場合、大筋では事実だが嘘を付いている。

 

[子を負ひて雪の吹きいる停車場にわれ見送りし妻の眉かな] 

    講師は細かく表現し、眉がいいと。

・日記によると啄木は列車に乗り遅れ、妻はそのまま帰ってしまったと。啄木はどんなシチュエ-ションが効果的かを考えて歌を作るひと。

 

「ふるさとの訛りなつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにゆく」

 

「故郷(ふるさと)に入りて先ず心傷むかな道広くなり橋も新し」

 

「見も知らぬ女教師がそのかみの我が学者(まなびや)の窓に立てるかな」 

・事実は上京以来、ふるさとには一度も帰っていない。にも拘らず帰ったことにしてふるさとの歌を多作。ふるさとは心の中にしかないという効果的な嘘をついて演出をしている。ここが上手いところ。

 

    言葉使いが巧みな歌人 

「不来方のお城の草に寝ころびて空に吸われし十五の心」

・普通の人は吸われし→眺める になる。 誰でも使う平凡な言葉は使わない。

(吸われし)は15歳の少年の心にふさわしい言葉。

 

かの時に言ひそびれたる 大切の言葉は今も 胸にのこれど」

・実にうまいなあと思う。(かの時)(大切の言葉)と抽象化しているのが心憎い。読者は自分の事にひき比べて想像力豊かににして共感する。このことにより場面設定が広がって共感する。

(のこれど) このいい差しで余韻が残り、若い時の感傷が広がる。

 

啄木はとかくセンチメンタルな歌人と思われているが、実は表現技術とかレトリックを考えた表現力豊かな歌人である。

    三行書きである 

当初は一行書きであったが、三行書きに変える。これは「現在の歌の調子を変える為」と言っている。

 

・M43年尾上柴舟「短歌滅亡論」に影響された。 連作流行による一首の価値への疑問、5音/7音の不安、文語体の否定 

・これによって三行書きとするが、啄木は5音/7音に忠実な、定形表現の優等生。

・素直なリズム感のいい歌が特徴なので、三行書きにする必要のない歌人である