詩歌を楽しむ「あるがまま」の俳人  一茶   二松学舎大学教授 矢羽 勝幸

 

⑨130531 あるがままの芭蕉会~ 一茶の俳論 

一茶の俳論は殆どない。唯一は「志多良別稿(しだらべっこう)」 その概要を述べる。

  

    自然の尊重・あるがままの尊重

・例えば仏法を修行するとして、出家の真似をして坐禅に凝ること、儒教を勉強するとして中国人の真似をすること、これらの人は全て平静を失っている病人である。このことは芭蕉も言っている。

・芭蕉忌(時雨忌)は時雨の季節なので、玄関に蓑・傘をかけてさらには天気なのに水まで掛ける。これはわざとらしくてよくない。 10月14日に芭蕉を記念して句会が行われていた。これを芭蕉忌・時雨忌という。

 

    我が宗門(浄土真宗)では、弟子は友人である。

・蓮如著「御文章(御文)では、師弟の上下関係を言わない。弟子は念仏の法に従う同行(友人)である。又親鸞は{私は弟子を持たない」という。

 

    いわんや、俳諧においてはもっと平等である。

・詩歌の前では平等である。

・芭蕉の言葉「俳諧は四季を友として自然に従い、言葉の誠を述べるものである」

・言葉遊びではなく、表現よりも本音を述べるもの。

 

    句会は正座ではなく胡座をかいて、寛ぐべき。→自由平等

 

    俳諧は僅かな物好きな隠者の遊びではなく、多くの人が生活の糧にするべきもの。

 

以上から要約すると 

「自然の尊重」

あるがままに生きているのは子供と動物である。一茶にはこれを題材にしたものが多い。

 

(片乳を握りながらの初笑い)  

 

(寝て起きて大あくびする猫の恋)

 

(人の為にのみ作りしを菊の花) 他人に見せる為にだけ作る菊作りを批判している。

 

俳句でも入賞するための句を作る人が多いのは嘆かわしい。

 

(侍に蠅を追わせるお馬かな)  侍をからかっている。

  

「平等」

浄土真宗から平等の思想の影響が大きい。

 

(麦焼きや子を負いながらいわし売り)  代表作

 

「俳句は表現より心の誠を述べるものである」

 

(世の中よでかい露よりまず落つる)  

世の中は駄目になるとまず大きいものから落ちていく。

・世の中は落ち目になるとえらいやつから駄目になって落ちていく→弱者が必ずしも弱くないよ。 

・俳句は季節感だけ、叙景だけの文学ではない。

・俗語・方言を活用して民衆の心の歌うこと。