詩歌を楽しむ「あるがまま」の俳人  一茶   二松学舎大学教授 矢羽 勝幸

 

    130621  やれ打な蠅が手をすり~「おらが春」以後

「八番日記」 57歳~59歳の円熟した作品が並んでいる。

 

(戸口から青水無月の月夜哉)  開け放された農家の戸口から 6月になって月の光が差し込んでいるよ

 

(大蛍 ゆらりゆらりと 通りけり)ゆらりゆらり→一茶得意の擬態語  飛ぶではなく通りけりが効いている

 

(いくばくの人の油よ稲の花)   稲の花を咲かすのにどれほどの農民は精力を使ったことか

 

(仰のけに落ちて鳴きけり秋の蝉)  

 

(ずぶ濡れの大名を見る炬燵かな)  ずぶ濡れでご苦労なことだ   炬燵の中で格好を付ける武士をからかっている

 

(禄盗人日永なんどとほたえけり)   武士が日が長くなったなあと気楽なことを言っている 農民の苦労も知らないで

 

(霜がれや鍋の墨かく小傾城)   冬の日に鍋を洗っている女の子 どうせ飯盛女郎になるのになあ

 

(朝顔や吹倒されたなりでさく)   受身だが芯は強いものへの賛美

 

「文政句帖」 60歳~63 

(黒葡萄天の甘露をうらやまず) 天から与えられた才能(天の甘露)を羨まずに生来のまま(黒葡萄=山葡)でいいよ

 

(なでしこや人が作れば直ほそる) なでしこは人が植えるとダメになる。自然のままがいいのだ。 

 

   (手に取るなやはり野におけれんげ草)

作者の滝野瓢水は、知人が遊女を身請けしようとした際に、いさめて 「手に取るなやはり野に置け蓮華草」を詠んだ

 

(さびしさに 飯を食ふなり 秋の風) 

相次ぐ4人の子の死、最初の妻の死、二番目の妻との離別。再び一人になった一茶のさびしさ。

 

(後の子はわざと転ぶや年の豆)  最初の子は豆で転ぶが次はわざと転んでいるよ。子供のいやらしさ、わざとらしさを詠む

 

(でも僧や田植見に来る日傘)日傘→ひがらかさ 貴人がさす大きな傘 でも僧→品のない僧の意 でもしか先生と同じ

 どうしょうもない坊主が格好つけて大きな傘で田植を見に来ることよ  高僧批判の句

 

(よしきりやことりともせぬちくま川)

 

(付き合いは無理に浮かるる桜かな) 付き合いは辛いな 浮かれたふりをして 本音を詠んでいる

 

(卯の花の垣根に犬の産屋) 

 

(出代や江戸を見おろす碓井山) 出代わり(出代り)→奉公の契約期間終了 

出代わりになって信州に帰るとき忌々しい江戸への反感を込めて碓氷峠から江戸を振り返る 田舎者の感情

 

(大蛇やおそれながらと穴を出る) 啓蟄で大蛇が恐れ入りますと穴から出て来ることよ

 

(旅の皺御覧候へばせを仏) ばせを→芭蕉     芭蕉様 私も旅で苦労してシワだらけになりましたよ

 

(千葉寺や 隅に子どもも むり笑い) 年末に寺に集まり覆面して役人から庶民まで互いに棚卸して笑い合う行事

海上山 千葉寺(かいじょうさん せんようじ)  260-0844:千葉市中央区千葉寺町161043-261-3723

 

(精霊の御覧に入れる角田かな)  先祖の霊に家の前の田の今年の出来をご覧に入れよう 永々とした農作業

 

(節季候や本気で戻る浅茅原)  道化者のせきぞろも真面目な顔に戻って浅茅原を家に帰っていく

 

節季候 せきぞろ=季節の変わり目に祝言を述べて歩く門付け芸人