詩歌を楽しむ「オノマトペのすてきな関係」     明治大学教授 小野 正弘

 

    130816 「そそ」「ほのぼの」の新古今、「ほがらほがら」の国学者たち~和歌その

  

新古今和歌集を中心に江戸時代まで和歌におけるオノマトペを見ていく。新古今集に全くないわけではないがオノマトペを見つけるのは難しい。

 

    いつしかと 荻の葉むけの片より に そそや秋ぞと 風もきこゆる    崇徳院

いつの間にか、荻の葉の向きが一斉に片寄るようになり、「ほらほら、もう秋だよ」と、風の音もザワザワと聞こえる・

 

    ささの葉 はみ山もさやにうちそよぎこほれる霜を吹く嵐かな       九条良経

 

    君来ずば独りや寝なむ笹の葉のみ山もそよにさやぐ霜夜を       藤原清輔

 

    ささの葉はみ山のそよと乱るなりわれは妹思ふ別れきぬれば      再録

但し 万葉仮名(清)のために さやが→そよと になっている。 

 

小竹(ささ)の葉はみ山もさやにさやげども我は妹思ふ別れ来ぬれば  柿本人麻呂の本歌

 

・万葉集の歌は万葉かなで書かれているので、読みが確定しない。現代でも新しい読みが提案される。今まで解釈の代表的なものは梨壺の五人(大中臣能宣・清原元輔・源順・紀時文・坂上望城)→951年宮中の梨壺に置かれた和歌所の寄人、勅撰集の編纂と万葉集の解釈に当たった。

 

・オノマトペは時代によってその意味が違ってくる。 

例  そよに・さやに   ザワザワした(万葉集の時代)優しい(現代) 

(いかにせん先立つ秋を惜しむ間に紅葉のそそや木枯しの風)    本居宣長

古代のざわざわの意をちゃんと捉えている。

 

ほのぼのと春こそ空に来にけらし霞たなびく天香久山)           新古今

 

ほのぼのと有明の月の月影に紅葉吹き降ろす山降ろしの風)       新古今

 

ほのぼのと明石の浦の朝霧に島隠れゆく舟をしぞ思う)           新古今

 

ほのぼのと明けゆく山の高根より霞に匂う花の白雲)            新古今

 

(霧深き秋の日陰の山の端にほのぼの見ゆる雁の一列)          新古今

 

(水瀬川なびく柳のほのぼのと春風かすむ山本の里)             新古今

 

 ほのぼの    ぼんやりと、ほんのりとした様子(古代)→穏やかで温かみの感じられる様子(現代)

 

ところでこの(ほのぼの)がオノマトペかという議論がある。結論で言うと本来オノマトペのルールで言うとオノマトペではない。→同じ言葉を繰り返す。例えばカタカタ・ソヨソヨ・ヒリヒリ。しかし現代ではオノマトペと認識されるようになってきた。

 

例えば ツラツラ(本来副詞で、つくづく・よくよく・念入りにの意味だが現代若者には、ダラダラの意味となりオノマトペとなる)

 

「まとめ・感想」

・今日の講師は何を言いたかったのか、理解不能。講師、生徒共に能力不足。しかし訳わからなくとも記録作らねば、継続が途切れる。よって途中までだが書くだけは書く。

 

・新古今集の歌のつまらない事。まさに花札の世界、退屈な叙景歌、これでは廃れてしまうのも仕方ない。