詩歌を楽しむ「万葉集の歩き方」               慶応大学教授 藤原 茂樹

 

140228 客を迎える作法~家と人を飾る

日本人の暮らし方の中には客人を迎えることを大切にする気持ちが横たわっていた。その気持ちは万葉の時代には既に存在していた。客を迎える作法を歌に託している。

その一例をあげると、山から木を切ってきて客の為にわざわざ建物を立てることをやっている。それも皮を剥がない丸太を使うことがポイントであった。丸木で作るのは現代にも伝わり、昭和から平成への移行時の大嘗祭の大嘗宮で実施された。これを黒木と言う。 削った木を赤木と言う。

 

(はだすすき 尾花(おばな)逆葺(さかふ)き 黒木もち 造れる室は 万代(よろずよ)までに)    元正太上天皇               1637

すすきのオバナを逆さに屋根に葺いて、削らない荒木で作っているこの家は永遠に栄えるであろう。

 

(あをによし 奈良の山なる 黒木もち 造れる室は 座せど飽かぬかも)   聖武天皇 1638

奈良山にある黒木で作ったこの家はずっといても、飽きないことよ。

 

・二首は724~729年の間に左大臣長屋王が元正太上天皇と聖武天皇を招待した時に、二人が家を褒めた歌。客が家を褒めるのは「室寿(むろほ)ぎ」という民間にも行き渡った伝統的な習俗。

・神話では川近くの場所にサジキとかサズキというもの、その並木の上に、八尋殿という建物を立てて髪を迎えるが、客を迎える心は神代の時代の心と同じである。

・これらの建物で大事なことは、宴や祭が終わると神や客にお引取りを願ったあとで壊してしまうこと。これは仮設の神殿であり、かりそめの永遠が大事な客を迎える時の日本の伝統の中に残されている。

・客を迎える心の奥に神を迎える気持ちがある。万葉の時代から現代に続く伝統と言える 

・例えば、立て砂。上賀茂神社、境内に立て砂が一対作られている。立て砂は神の降り立つ山の形に似せて作られており、神の降臨を促すものである。現代でも店先などに置く盛塩も山の形にして、神や客の来臨を願うもの。

 

次にもう一つ、客を迎える作法について述べる。 

(あらかじめ君来まさむと知らませば門に屋戸にも珠敷かましを)        門部王  1013 

前もって君が来ると知っていたのなら、我が家の門にも周りにも玉を敷いて待っていたものを      

・訪れる客人に対して、充分ではないが精一杯のおもてなしをしますという挨拶の歌である。

・ここで言う珠は今でも神社などに白い玉砂利が敷かれているが、これが万葉の時代には正式に客を迎える作法であった。これは神の通る神聖な道であることを示す。客を迎える作法の原型は神を迎えるものであった。

 

(うち(なび)く春立ちぬらし、我が(かど)の、柳の(うれ)に、鴬鳴きつ)                                作者不明  1819

草木が風になびく春になったようです。私の家の前の柳の梢に鶯が鳴いた

 

(我が(ts@)の 五本(ezms)(やなぎ)いつもいつも (6m)が恋すす なりましつしも)           矢作部真長(防人)  4386

我が家の門のそばに立つ、5本のヤナギ。いつもいつも、母は私を心配して、生業に勤しんでおられるでしょう。

 

(我が門の 榎の実もり食む 百千鳥 千鳥は来れど 君ぞ来まさぬ)       3872             

わが家の表の 榎の実をついばむ 百千の 鳥は来るけど あなたは来てくださらない。  

 

(()が門の片山椿まこと汝れ吾が手触れなな土に落ちもかも)           物部廣足,防人  4418  

私の家の門の前に咲く片山椿よ私が触らないうちに落ちてしまうのかな。恋人を他人に取られてしまうことを案じている。

・人の家を外から見る時に印象があるのは、門である。門を象徴するのがそこに植えられた木である。

・古事記 山幸彦の話。

 釣り針をなくした山幸彦は教えられた通りに、海神(わたつみ)の宮の門の所の桂の木で待っていると娘(豊玉姫)が出てきて結ばれる。

・万葉集は門の木として柳・椿・榎が多く出てくる。

 

(青柳の枝伐り下ろしゆ種蒔きゆゆしき君に恋わたるかも)                               3603

青楊の枝を伐って木鍬を作り斎種を播き祭の神事を行う貴女に心引かれていることよ 

・当時は柳が門の前にあった家が多かった。柳は農耕の神の依代であり、呪力をもった木であった。これは柳を(かずら)にする風習からも言える。鬘→蔓草や花などを頭髪の飾りとしたもの。

 

(霜枯れの冬の柳は見る人のかづらにすべく萌えにけるかも)                                  1846

霜で枯れた 冬の柳は、見る人の髪飾りになるくらいに芽が出ている。

 

(ももしきの大宮人のかづらけるしだり柳は見れど飽かぬかも)               1852                           

大宮人がかづらにしているしだれ柳は見飽きることがない。

 

(大夫(ますらお)の 伏し居嘆(いなげ)きて 作りたる しだり柳の かづらせ(わぎ)())                   1924

漢(おとこ)たる私が、猫背になって(不器用さを)嘆きつつ、こしらえた、シダレヤナギの、蔓だ。わが妻よ飾ってほしい。

 

「椿」

・椿は常緑樹の代表。最も古い日本的樹木。旧暦の新年に花のさかりを迎える目出度い木。宮廷では正月の最初の卯の日に用いる卯杖(うづえ)に椿はヒイラギと共に杖の材料として用いられた。 卯杖→邪鬼を払う呪いとした杖。

・卯杖は魔除けの杖であるので霊的な効力をもった木を使う。

 

「榎」  ニレ科 落葉広葉樹

東京板橋の縁切り榎、川越喜多院の榎稲荷、道祖神の傍らの榎と、何やら怪しい雰囲気がある。

・エノキは、古く鬼神・邪霊を避ける樹と考えられ、しばしば人家の邸内に植えられた。

神社と名のつくほどのところには、必ずといってよいくらい、榎の樹が植えられている。

・万葉の歌には鳥達が集まって榎の実を食べるところが歌われていて万葉人は賑々しさを感じたのであろう。

・葉が落ちるとヤドリギ(ほよ)が目立つ。鳥が運んで落葉広葉樹、多く榎に寄生するヤドリギ科の常緑低木。

・ヤドリギは神の座と考えられ、神を招く樹木を邸内に植えるはそのまま客を招く心得となっていった。

 

(あしひきの山の()(ぬれ)ほよ取りてかざしつらくは千年寿()くとぞ)             大伴家持  4136

山の梢のほよ(ヤドリギ)の葉を取って髪に挿頭すのは千年の長寿を願ってのことだ。

・正月の枯れ山からほよを取って、新しい年に髪に挿頭して長寿を願う風習。ほよは神の依代でもあった。

 

以上、神迎えの習俗が、家の装いに影響を残した例を述べた。一方神迎えの為に人はどのような装いをするかを見てみる。

挿頭(かざし)(かずら)

挿頭  花や枝を髪にさすもの    鬘  蔓草や花などを頭髪の飾りとしたもの

万葉時代は、挿頭・鬘の印象が深い。

 

((あぶら)()の光に見ゆる吾がかずらさ百合の花の笑まはしものを)                      4086                               

油火の光に見えるあなたに貰った花鬘、この鬘の百合のなんと微笑ましいことでしょう。

・古事記では、イザナキの黒い蔓が山ぶどうになる話、播磨風土記で神や天皇が旅する時にいつも携行する持ち物、装飾品であった。

 

(珠洲(すす)海人(あま)の沖つ御神(みかみ)にい渡りて(かず)き採るといふ(あわび)(たま)五百箇(いほち)もがもはしきよし妻の(みこと)衣手(ころもで)
別れし時よ ねばたまの()(とこ)(かた)さり朝()(かみ)搔きも(けず)らず 出でて来し月日()みつつ 歎くらむ
(なぐさ)にほととぎす来鳴く五月の 菖蒲(あやめ)(ぐさ)花橘に ()(ぬ)き(なじ)(かずら)にせよと包みて遣らむ)        大伴 家持 4101

 

珠洲の漁師が沖遠い神の島に渡って、潜っては採るという鰒の玉(真珠)を、五百個も欲しい。愛しい妻と衣の袖を分かって以来、暗い夜の床も一人で片端に寝て、朝の寝乱れ髪を櫛ですくこともなく、私が旅立って来た月日を数えながら嘆いているであろう妻の心の慰めに、
ほととぎすが来て鳴く五月の菖蒲草や花橘にまじえ通して蘰にするようにと、鰒玉を包んで贈ろう。 
 

・当時5月になると、あやめ草にタチバナの花を混ぜてカズラを作り身に着ける習俗が行われていた。

・花をつけるのを花蔓、玉を飾るのが玉蔓。

・蔓は祭と密接な関係がある。

(いや)(かわ)神社(奈良) 三枝(さえぐさ)祭では巫女がヒカゲノカズラをまいて舞う。新嘗祭・大嘗祭にも使う。

 

(はねかずら今する妹がうら若み笑みみ怒りみ付けし紐解く)       2627                           

はねかずらを付けた娘は、今まさに、初々しくはにかんだり怒ったりしながら身に着けた紐を解いて行く事よ。 

 

(はねかずら今する妹をうら若みいざ率川(いざかは)の音のさやけさ)        1112                       

はねかずらを付けたばかりのあの子、何と初々しく清らかなんだろう。まるで率川の流れの川音の様だ。

・はね蔓⇒ショウブの葉・根などで輪状に作った髪飾り。

 

家も人も神を迎えるにあたり、神のしるし(木や花)を目印にしている。それが設え(しつらえ)や髪飾の源の一つになっている。