詩歌を楽しむ「鳥の遊び」                  慶応大学教授 藤原 茂樹

 

140207 鳥の遊び

日本書紀の出雲神話で大国主命(スサノオの6世の孫、少彦名神と協力して国作り。瓊瓊杵尊に国譲りをして、出雲大社に鎮まる)の子供、事代主命が鳥遊びをしたことが出ている。古代、鳥は人間の魂を運ぶものとされ、それを取り込むことで活性化すると信じられていた。

 

・ホムチワケ

垂仁天皇(11代)の皇子(ホムチワケ)は生まれつき、口が聞けなかった。白鳥を見て口を

動かしたので天皇は鳥を捕らえさせたがまだ口はきけない。お告げて「出雲の大国主命

が祟っているとあったので、皇子を出雲に行かせる。

拝礼すると口が効けるようになった。ここでも鳥が一役、かっている。

  

「鳥を歌った歌」

・草壁皇子への挽歌

 天武天皇の皇子であったが、夭折。その子が文武天皇(軽皇子)。その折の挽歌。 

(島の宮匂の池の放れ鳥人目に恋いて池に(tr@)かず)          柿本 人麻呂 

 嶋の宮の(まがり)の池で放し飼いにしている鳥も、草壁皇子の薨去を淋しく思い、人目を恋しがって池に潜りもしない。

 草壁皇子が生前、鳥を可愛がっていたことを表している。

 

(鳥栖(とくら)立て 飼(ひし(かり)の兒 ()()ちなば真弓の岡に 飛び反り来ね)

 小屋を立てて 飼っていた雁の子が成長し巣立ったらこの真弓の岡に 飛び帰っておいで

  

(都武賀(つぬが)野に 鈴が音聞こゆ 上志太(かみしだ)の 殿の仲子(なかごし)し 鷹狩すらしも) 

都武賀野に鈴の音が聞こえる。上志太のお屋敷の坊ちゃんが鷹狩りをしているのだろう。

鷹狩りは、古くから都の帰属だけではなく豪族もやっていた。ある権威を示す。

  

・大伴家持は花鳥風月を歌に詠む風流の人であったとともに、鷹狩を楽しむことがあった。 

越中国守時代、日頃自慢にしていた鷹を、鷹匠の老人が誤って逃がしてしまった。家持にとってはよほどショックだったのだろう。鷹を失った悲嘆を面々とつづり、夢の中でまで鷹の居場所を捜し求める。そんな気持ちの盛られた長歌と短歌を三首作っている。

  

・サシバの捕獲  タカ目タカ科サシバ属

 万葉の時代からサシバを捕らえることが行われていた。中国北部、朝鮮半島、日本で繁殖し、秋には沖縄・南西諸島を経由して東南アジアニューギニアで冬を越す。一部は沖縄・南西諸島で冬を越す。日本では4月ごろ夏鳥として本州、四国、九州に渡来し、標高1000m以下の山地の林で繁殖する。秋の渡り9月初めに始まり、渡りの時には非常に大きな群れを作る。渥美半島伊良湖岬鹿児島県佐多岬ではサシバの大規模な渡りを見ることができる。この種は鷹の渡りをみせる代表的な鳥である。丹沢・箱根でも見られる。 

-ト 伊良湖岬→佐多岬→徳之島→宮古島→台湾→フィリピン・インドネシア