文化講演会「明るい晩年に向かって」 林 望  150720  作家 国文学者

情報化社会を予見した著名な未来学者、林雄二郎の次男として生まれる。都立戸山高等学校を経て、慶應義塾大学

文学部 国文学科卒業。同大学院文学研究科博士課程単位取得退学

・父 林雄二郎(未来学者 東工大教授)  伯父 林健太郎(歴史学者 東大総長)

・晩年とは(広辞苑  一生の終わりの時期・死に近い時期・年老いた時期)

「父と母と妹」

晩年と言うと明るい感じがしない。ここ数年身近なところで人を見送ってきたが、段々見送られる側に近付いてきていることを実感する。見送ったのは父、続いて妹。妹 享年58才。ヘビ-スモ-カ-で肺がん発症し転移し多臓器不全で死去。

(今一度花見て逝きねやよ()(ぎも))  桜の頃だったのでこの句を作った。58才と言うとまだ壮年なので、彼女は晩年を生きる事が出来なかったことになる。まことに勿体ない話だと思う。

母は1994年に72才で亡くなった。これも又スモ-カ-で乳がんを64才で発症して8年間の闘病生活の末、72才で没。

タバコは母と妹の敵、吸う人にはすぐおやめなさいと言う事にしている。明るい晩年を過ごすためにはまず煙草をやめるべきである。

父は2011年に95才の長命で何という病気もせずに亡くなる。1時間前まで歩いていて、眠ったと思ったら没。生前「ポックリ死ぬ本」というのを買って研究していたが、その通りになってこういうのを大往生と言うのだろう。この父は母が亡くなった時、77才だった。それから95才まで17年間元気で過ごした。この17年間が父の晩年であったと思うが明るい晩年とはこういうものではないかという、よい手本であったと思う。幸いに認知症になることもなく、口癖は「足が弱るといけない」。

「岡本 和久」 6つのF 

大学時代の友人で国際的なフィナンシャルアドバイザ-で大成功した人。成功した途端に作った会社を辞めて、これからは「世の為 人の為」と言って老人の資産運用のアドバイスをする仕事をしている。著書もあるがその一つ「賢い芸人が焼肉屋を始める理由」という本がある。その中に晩年に人間が幸福になる為には何が必要なのかという事を言っている。

→6つの「F」だと言っている。

1、フィナンシャルアセット  適正な金融資産

  今後はアベノミックスでインフレが見込まれるのである程度、リスクを侵しても運用をしなければ目減りしていくばかり。

2、フィットネス         健康という事

  健康は失ってみてよく分かる。不健康へのリスクを最小限とすべき。

3、ファミリ-          家族の存在

  孤独死などと言う悲惨なことも多くなっている。

4、フレンド  

  父は90才代になると「友達は皆死んだ」が口癖。長生きの男ならそういう事が往々にしてある。これは学生時代の

  同年輩の友達の事で、父は職業柄若い友達も多かったので不自由はしていなかった。経済企画庁から東工大教授。

  社会工学という新しい分野の第一人者であったので教え子も多く、師礼を取ってくれた。

5、ファン             趣味

  父にはこれという趣味はなかったが、最大に面白がっていたのは読書であった。大変な読書家で、私も本を読むのが

  仕事あるが、とても父には敵わない。年中新しい本を読んで新知識を仕入れては、話題にしていた。喜んで読んで

  いたのは西交流史(中世の遣欧使節・来日するイエズス会の宣教師・出島のオランダ人・キリシタン・・・・)

こんなものはいくら読んでも何の得にもならないけれど、何の得にもならないことに一番大事なことがある。これが

凡人には分からない。 読んで何かに役に立てようというのは不純なのであるし、又楽しくない。自分の興味、教養的

興味で以て読書をすべきである。そのことによってああそうなんだと日々新しい知見を得るという事は何歳になっても

出来ることで、これこそ人間らしい知的生活であって望ましい。ただただ面白おかしく毎日を送ることを求める人もいる

が、それより何倍も自分を満足させるものである。父には他にたいした趣味はなかったが、しいて言えば「おしゃべり」

であった。「男は黙って」なんて言う言葉があるが、父は大変なおしゃべりでそれも人を楽しませようというマインドは

死ぬまで失わなかった。これが歩くことと連動するのである。散歩の途中ケ-キ屋に立ち寄るとケ-キを買って

サ-ビスのコ-ヒ-を飲みながら店の人やお客とおしゃべりに興じていた。又よく外国に行っていたので、写真を

スライドにして家族に見せて解説をしていた。

「男は黙っていたら駄目だ、人と楽しく語らう事こそ人間の最も望ましい姿だ」と父は教えてくれたように思う。

6、フィランソロピ-       社会貢献  是がとても大事

  ボランティアとか無償奉仕とか狭く考えたらいけない。勿論それでも十分なのだが、それぞれが持っている職業で

  まじめに仕事をすることで社会貢献をしていると考えるべき。それぞれが自分の持ち分の中で自分にできる社会への

  貢献・奉仕をやっていくことが重要である。

晩年になったらそれまで自分が得たものをどう社会に還元していくかという事を考えて初めて幸福という道に行き

つく。

・母は64才でガンになってからはくよくよしてひたすら憂鬱な日々を送っていた。母の晩年は決して幸福とは言え

なかった。

一方父は母が具合悪くなってからは様々な公職から身を沿いて、看病に尽くした。母の死後は母に尽くしたという

満足感からか更に元気になった。父が生前残したものは子・孫への教育投資のみ。金を稼ごうという心では学問は

成り立たないので、私には他の事は気にせずに十分勉強しろと言ってくれた。私がかなりの時間、薄給の身であった

ので私及び孫の面倒をよく見てくれた。

・教育投資と言うのは一番確実な投資で、教養のある子や孫が世の中できちんと生きているというのは多少の

金儲けより何よりも幸せなことである。

「晩年の人間が与える子や孫への最後の教育」 

  死に方を見せる事であろう。

●母はがんで死んだが、最終的には住まいの近くの桜町ホスピスという所で数か月して亡くなった。父が言うには死の

 直前に痛み止めの麻酔で朦朧としていたが、正気に戻って「あなたは私には過ぎた夫でした」と言ったとて父は言うの

である。老年になって一番苦しいのは、家族に見捨てられ孤独になる恐怖感と言われる。母は家族に見守られて幸せ

であったろう。母はホスピスで痛みに耐えて死んでいくという事を見せてくれた。

●その後妻に先立たれた夫はどうなるのか。

父はその後17年間、それを見せてくれた。我々と同居していたがどうしてもというとき父はショートステイに行く。

或る時鼻かぜを引いたと言いながら言って間もなく息をしていませんと連絡があった。一時間前まで歩いていたと

いうのに。長寿で死ぬという事はこういう事なのだと示してくれたのだ。

   生前ショ-トステイで、70代の若いおばあさんの側に行って「前世でお目にかかりましたかな」などと言っていて、

   息子としては誠に見上げたものと感心したことがある。つまり齢をとってもエロス的興味と言うか、そうしたことを

   失わないという事も大事なことと思う。

「晩年の人間の過ごし方」

  私は80才まで生きるとして14年しかない。この間に自分は何をなすべきか、つまり常に死ぬというタ-ミナルな

  ところを見据えつつ、そこまでの間に自分は何をなすべきかと考えて行動しなければならない。

●死というものの捉え方

徒然草155段に以下がある。→死というもの解説

原文

「春暮れて後夏になり、夏果てて秋の来るにはあらず。春はやがて夏の気をもよほし、夏より既に秋は通ひ、秋は

すなはち寒くなり、十月は小春の天気、草も青くなり、梅もつぼみぬ。木の葉の落つるも、まづ落ちて芽ぐむには

あらず。下よりきざしつはるに堪へずして落つるなり。迎ふる気、下にまうけたるゆゑに、待ちとるついで甚だ速し。

生老病死の移り来たる事、またこれに過ぎたり。四季はなほ定まれるついであり。死期はついでを待たず。死は前より

しも来たらず、かねて後ろに迫れり。人皆死あることを知りて、待つこと、しかも急ならざるに、覚えずして来たる。

沖の干潟はるかなれども、磯より潮の満つるがごとし」

訳文

春が終わったのちに夏となり、夏が終わったから秋がやってくるのではない。春は次第に夏の気配を醸し出し、夏の間

からすでに秋の雰囲気が通いだし、秋はすぐに寒くなる。10月は小春日和の天気で、草も青くなり、梅もつぼみを

つける。木のが落ちるのも、最初に葉が落ちてから芽がでるのではない。葉の下から芽が出る兆しがあって、芽が

でようとするのに耐えられなくなって葉は落ちていく。きたる変化を用意して待っている生気が、木の内部で準備できて

いるので、葉が落ちてから新芽が出る順序がとても速いのだ。生老病死が移り変わってやってくることは、またこれ

よりも速い。四季の変化はそれでも決まった順序があるが、死期は順番を待たない。死は前からだけやってくるわけ

ではなく、あらかじめ背後に迫っている。人々は皆、死があることを知っているが、死を待つことは、そのように急では

ないのにもかかわらず、思いがけずやってくる。それはまさに沖の干潟ははるか遠くに感じるが、後ろからあっという間

に潮が満ちてきているようなものである

  大意

  自分の前から死がやってくるのではなく気が付かないうちに後ろからヒタヒタと近づいてくるものである。死はいずれ

  来るとは思っているけれど、まだ当分大丈夫と思っている内にある日突然トントンと死が肩を叩くという事になる。

  そういう訳で死は予期できない。だから人間はいつも死というものを意識して暮らさねばならない。→ここが大事で

  ある。

●物の処分

死ぬ時には財産というものは余りない方がよい。西郷隆盛「児孫の為に美田を買わず」

子孫に財産を残すのはいい思案ではない。なので私は子には十分な教育を与えた。息子は医者になりアメリカで

働いている。彼らは一人前の社会人として働いているので充分である。これで親のやることは済んでいる。死ぬまでに

は無一物になりたいと思っている。財産の最大のものは蔵書である。文献学者なので古いものは研究のために必要

なので色々買っていいものもある。例えば1300年前の天平の写経があるが、和紙と墨のお蔭で昨日書いたような

新鮮さをも保っていて価値がある。晩年のものがこの様な歴史的に価値のあるものを所有することは不見識として、

売却した。その他国宝的文化財等あるが、これも又売却した。そして然るべき所で保管して貰うのである。こうやって

自分の財産の中でいいものから処分していくのがベスト。

●遺言

晩年を朗らかに楽しく過ごすためにはもう一つ、死後の事をちゃんと考えてどうやって死ぬかを話し合っておく必要がある。家内とは話し合っている。死ぬことなど考えたくないというのは不見識である。そうすると遺言というものが必要になる。私は元旦に遺言を毎年書き改めている。ご参考までにご披露する。

「年頭の遺言」

・葬式は極力質素に、最小限に行う事

・戒名などは一切無用の事

・遺骨は必ず本名(林 望)のままで、青山墓地なる林家代々の墓に納骨する事

・納骨は宗教性なく、粛々と執行すべし

・死後適切な折を得て、知友の音楽家諸子に嘱し、ささやかな記念音楽会を催したる様希望す

・遺産は全て妻の有に帰せしめ その老後の生活に窮せざる等 等しく十分な援助をすべし

・蔵書はやたらと散らし棄つべからず 和古書はA書房のB君に委嘱して適宜売り立てをして適切に換金するように

●その他

・死ぬまでは何とか健康で生きたいので、たばこは吸わないし、酒は飲めないので宴席にも行かない。酒は飲めないけれど宴席は好きと言うのは余計なこと。

・食いしん坊であるが若い時そのせいで色々と病気をしたのでコリている。

・歌うのが趣味、専門家について声楽を倣っている。歌う事は健康的。

・ライフワ-クを持っていて今まで「近約源氏物語」「近訳平家物語」を書いている。

 

最後の時まで健康で力を尽くして無一文になって死のうと思っている。皆さんのご参考になれば。

 

「コメント」

・ごくごく当たり前で当然のことのお話。異論なし。ただいつも死という事を認識しろと言われてもさて。

 言ってることは分かるけど。

・家系は累代の旗本で、それなりの見識と財産は有る家柄。恵まれた環境と言える。伯父には東大総長もいる。

 慶応で大学院まで行き、英国留学をしている。そういう人が色々と生き方を言ってももう一つ共感は得にくいのでは。

・ただ読書が大切という事を強調しているのは正しいし、共感する。言い過ぎることはない。

・酒は飲まない、たばこは吸わない、趣味で本格的に声楽を学んでいる。立派過ぎて私とはもう一つ肌が

 合いそうにない。

  ・友人のフィナンシャルアドバイザ-、たっぷり儲けて今度は年寄り相手の慈善事業とは。

焼肉何とかと言う本、読んでみよう。