250907㉓ 松風の巻(2)
その当時の人々は前世があって現世がある。更には来世があると考えていたので、今の生活を楽しみ、驕り高ぶっていると、来世はとんでもないことになると思っていた。六道輪廻では地獄に落ちることもあると考えたので、後世での安楽を願って現世の内から仏道修行に励むのである。光源氏も段々とそうした年頃になってきた。この放送を聞いたら、古典講読のHPを見て欲しい。この放送の ねらい という所に、光源氏の人生を四期に分けて示してある。
第一部 「光源氏の誕生と生い立ち・少年期・青年期」
第二部 「逆境期・蘇る光源氏・壮年期」
第四期 「満月の翳り・光源氏の憂鬱・老年期・終焉」
今の光源氏は第一部 「光源氏の誕生と生い立ち・少年期・青年期」を過ぎて、第二部 「逆境期・蘇る光源氏・壮年期」に当たり、第三期 「家長として・栄華の頂点に向かって・円熟期」に向かって円熟期という段階に足を踏み入れつつある。そうなると光源氏もそろそろそうした来世の事を思い、御堂の建設を進めて、そこで静かに仏道に心を傾ける時間を持ちたいと思うようになってもおかしくない。むしろそうなるのが自然である。しかしそれが却って光源氏を現世に留めることになるのだと前回の放送で話した。というのは明石の君の母親・尼君に彼女の祖父の中務宮から代々伝わってきた山荘が大堰川の辺にあって、それが光源氏の御堂からごく近く、御堂は大覚寺の南に築かれつつあると書かれていることは前回も話した。大覚寺は桓武天皇の息子・嵯峨天皇の離宮・別荘であったが、その間に光源氏の御堂がある。光源氏はその御堂の様子を見に行くということを理由にして、明石の君を訪れるようとする。
位は内大臣と要職なので、自由に出歩くことは許されない。嵯峨野の御堂を見るためとしたのは、葵の上を意識しているからである。
朗読① 光源氏は他から聞くよりはと思い次の様に言う。「嵯峨野の御堂にも用事がある。
会いたいと思っていた人があの辺りに来ているので、ニ三日あちらで過ごします」
紫の上は俄かに桂の院というものを御作りになったので、あの人を住まわせるのだと
面白くない。
女君は、かくなむと確かに知らせたてまつりたまはざりけるを、例の聞きもやあはせたまふとて消息聞こえたまふ。「桂に見るべきことはべるを、いさや、心にもあらでほど経にけり。とぶらはむと言ひし人さへ、かのわたり近く来ゐて待つなれば、心苦しくなむ。嵯峨野の御堂にも、飾り亡き仏の御とぶらひすべければ、ニ三日ははべりなん」と聞こえたまふ。桂の院といふ所にはかにつくろはせたまふと聞くは、そこに据ゑたまへるにやと思すに心づきなければ、
解説
二条院の女君・紫の上が後になって噂で、光源氏は誰か女性に会うために嵯峨野に行ったのだと知ることになったら、それは穏やかでないと光源氏は考えた。ここで光源氏は紫の上に行くことを伝えた。
例の聞きもやあはせたまふとて消息聞こえたまふ。 これがその事である。桂の地に采配を振るわねばならないことがあるという。私の方から訪れようとしていた人が、その辺りに丁度来ていて待っているので、待たせるのも気の毒だし、御堂の仏様の飾りの事もあるので、ニ三日不在になるかも知れない。紫の上はピンときた。桂の辺りで光源氏を待っている人は、以前から聞いている人、光源氏が須磨から明石へと流離した時に会った人、そこに子供まで出来たという人。その人が上京したのだ。桂に御堂を作っているのは、そこにその明石の人を住まわせるだと思った。紫の上の想像は半分当たり半分外れていた。
明石の君一行は自分達で大堰川に家屋敷を用意し、そこに移ってきた。光源氏に命じられるままに上京したのではなくて、自分たちで家屋敷を用意して、そこに光源氏が通うのである。
この時代、女の人が男の家に引き取られる、男の用意した家に住むということは、それは女の側に抵抗感を生じさせ、場合によっては屈辱的な事とされることであった。女からすれば、男を自分の家に通わせてこそ、自分は相手と対等なのである。
通い婚もこうした考え方が根底にあった。要するに光源氏と明石の君とは対等な関係を守っているのである。
この様に光源氏は、葵の上に言葉を尽くしたうえで、大堰川の屋敷に向かう。三年振りの再会となる。明石の君はどんな思いで光源氏を眺めたか。
朗読② 夕暮れ時に到着する。明石の時代狩衣姿に身をやつしている時でさえ美しかったが、
今の直衣姿はまばゆい位。わが子の行く末を思う悲しみに閉ざされていた明石の君の
心も晴れるようである。
黄昏時におはし着きたり、狩の御衣にやつれたまへりしだに、世に知らぬ心地せしを、さる御心してひきつくろひたまへる御直衣姿、世になくなまめかしうまばゆき心地すれば、思ひむせべる心の闇も晴るるやうなり。
解説
かつて明石の浦で簡単な狩衣姿であった光源氏。その時だって 世に知らぬ心地せしを こんな素晴らしい人がこの世にいるのだろうかと思ったのだったけれど、今日は身なりを整え、直衣に身を包んだ光源氏の姿は、まばゆき心地すれば、
眩しい位で、目を伏せたくなるほどである。一方光源氏の目を奪ったのは、その傍らの女の子であった。明石で別れる時にはお腹の中で性別も分からなかった。
朗読③ 葵の上に出来た男の子をいかにも可愛いと世間は言うが、世人はおもねってそういう
のだ。抜きんでた人の顔は幼くとも一目でわかると、光源氏はいかにも可愛いと思う。
めづらしうあはれにて、若君を見たまふもいかが浅く思されん。今まで隔てける年月だに、あさましう悔しきまで思ほす。大殿腹の君をうつくしげなりと世人もて騒ぐは、なほ時世によれば人の身なすなりけり。かくこそは、すぐれたる人の山口はしるかりけれと、うち笑みたる顔の何心なきか、愛敬づきにはほひたるを、いみじうらうたしと思す。
解決
光源氏の感想は めづらしうあはれにて、 澪標の巻の事であるが、光源氏が自分の子が女の子であることを初めて知る場面にも、めづらしう という言葉が出てきた。
その事は前にも触れたが、これまでの子は全部男の子、女の事は珍しい。初めてということである。
あはれにて、 とあったが、あはれ というのは、人の心が喜びにつけ悲しみにつけ、大きくゆすぶられた時のその感情である。光源氏の喜び、感動が良く分かる言葉である。
今まで隔てける年月だに、あさましう悔しきまで思ほす。と書かれている。何故もっと早く会わなかったのだろうと後悔する。
幼な子は うち笑みたる顔の何心なきか、愛敬づきにはほひたるを、いみじうらうたしと思す。
嬉しそうに笑顔で、 何心なき 邪気がない,無心という意味である。
この幼子こそ、光源氏が受けた 宿曜の占い では、将来の后となるのである。
この姫君についてこんな文章もある。
朗読③ 乳母が姫君を抱いていると、可愛いと頭を撫でられる。会わずにいるとさぞ辛かろうと
仰る。
乳母若君抱きてさし出でたぬ゛り。あはれなる御気色にかき撫でたまひて、「見ではいと苦しかりぬべきこそいとうちつけなれ、いかがすべき。いと里遠しや。」とのたまへば、
解説
時間を先送りして、光源氏が大堰川の山荘から都へ帰ろうとする場面であるが、光源氏は姫君を
あはれ と感じて頭を撫でた。そしていう。「見ではいと苦しかりぬべきこそ この姫君と離れ離れとはさぞつらい事だろうと言葉をかけた。
さしてその続きである。
朗読④ 姫君は手を出して抱かれようとする。光源氏は「別れが辛い。母君はどうしたのだ。
一緒に出てこないのか」と言う。
若君手をさし出でて、立ちたまへるを慕ひたまへば、突くいゐたまひて、「あやしう、もの思ひ絶えぬ身にこそありけれ、しばしにても苦しや。いずら。などもろともに出でては惜しみたまはぬ。さればこそ人心地もせめ」とのたまへば、
解説
姫君は乳母に抱かれているのだが、若君手をさし出でて、立ちたまへるを慕ひたまへば、 姫君は立っている光源氏に抱かれようと手を伸ばす。初めて姫君を見た光源氏は あはれ 可愛いと思う。
次は光源氏が遣わした乳母の事である。
朗読⑤ 乳母は明石に下った頃はやつれていたが、今は美しく整っていた。光源氏は明石での
生活をねぎらう言葉を掛ける。
乳母の、下りしほどはおとろへたりし容貌根日まさりて、月ごろの御物語など馴れ聞こゆるを、あはれに、さる塩屋のかたはらに過ぐしつらむことを思しのたまふ。
解説
子供が出来たと聞いて光源氏はこれはと思う乳母を吟味して明石に送った。そしてその乳母に光源氏からねぎらいの言葉があった。彼女は明石に下った頃は衰えていた容貌も、今はすっかり見違えるようになっていると書いてあった。都にいる時には必ずしも幸せではなかった。彼女は両親が亡くなって、頼りにならない男との間の子供を抱え、あばら家に住んでいた。
その彼女は明石の君と馬が合った。澪標の巻にもこんな一節があった。
朗読⑥ 乳母は明石の君が申し分のない方であったので、お話し相手になった。乳母は他の
女房と違って高い気位を持っており、内大臣光源氏の素晴らしさを語ってくれる。
そして女君への手紙の中で、乳母の事も聞いてくれて心が和む。
乳母も、この女君のあはれに思ふやうなるを語らひ 人にて、世の慰めにしけり。をさをさ劣らぬ人も、類にふれて迎へ取りてあらすれど、こよなく衰へたる宮仕人などの、巌の中尋ぬるが落ちとまれるなどこそあれ、これはこよなうこめき思ひあがれり。聞きどころある世の物語などして、大臣の君の御ありさま、よにかしづかれたまへる御おぼえのほども、女心地にまかせてかぎりなく語り尽くせば、げにかく思し出づばかりのなごりとどめたる身も、いとたけくやうやう思ひなりけり。御文もろともに見て、心の中に、あはれ、かうこそ思ひの外にめでたき宿世はありけれ、うきものはわが身こそありけれ、と思ひつづけらるれど、「乳母の事はいかに」など細かにとぶらはせたまへるもかたじけなく、何ごとも慰めけり。
解説
乳母には不安もあったであろうが、明石の君に会って見たら、あはれに思ふやうなる と書かれている。直訳すれば、思う通りの人であるから、ああ明石の君は素晴らしい方と心から思うことが出来たのである。苦労人である。酸いも甘いもかみ分けて、そして人を見る目は決して甘くはない。その人がいうのであるから、明石の君はひとかどの人である。
明石の君近くに仕え、明石の君と語り合うことが何よりも当人の慰めとなった。都を離れた淋しさを忘れさせてとあった。性格が明石の君と似ている所がある。どこだろう。彼女も こよなうこめき思ひあがれり。 と書かれている。思い上がる と言えば明石の君も同じである。誇り高き明石の君と、その
人生は思うものではなかったけれど、一人の女としての誇りは忘れなかったので乳母と話が合うはずである。その乳母から都の事、亰で光源氏がどれほど人々から信頼され、特別な地位にあるかを聞かされた明石の君は、今は何時あえるか分からない光源氏であるが、そんな人と関りを持てて子供までなしたのは幸せだと実感する。一方乳母は光源氏からの文を一緒に見ていると、女君と私は立場がこんなに違うのだと、わが身の不遇が身につまされる。光源氏は気の付く人である。明石の君を
見舞う言葉の最後に、「乳母の事はいかに」宮内卿の娘も元気でいますかと書いてあるので乳母も嬉しく思う。普通は見過ごしてしまう事であるが、光源氏は違う。父母を亡くし子供を抱えて生きていく女が、光源氏の依頼で地方に下りそこに自分の所見つけて生きていく女性として描かれている。紫式部の目と心はこんな所にも行き届いている。姫君、乳母と来て、最後は明石の君である。翌日、光源氏は明石の君の山荘から、嵯峨野の御堂に行く。嵯峨野の御堂というのは、明石の君を訪ねる紫の上に対する単なる口実ではなかった。御堂の装飾のことなど指示を与え、月の光のもとに大堰川の
山荘に戻ってきた。
そして明石の君は、例の物、琴、形見とされたあの琴を取り出す。
朗読⑦ 明石の君はかつての夜を思い出して、あの琴を差し出した。光源氏はその琴をかき
鳴らしあの時と同じだった。二人は歌を詠み返す。今も変わらぬ琴の音にあなたを
思い続けてきた私の心を分って下さい。
返し あなたの約束を頼りに松風の音に添えて待っておりました。
ありし世のこと思し出でらるるをり過ぐさず。かの琴の御事さし出でたり。そこはかとなくものあはれなるに、え忍びたまはで搔き鳴らしたまふ。まだ調べも変らず、ひき返してのをり今の心地したまふ。
契りしに 変わらぬことの しらべにて 絶えぬ心の ほどは知りきや
女
変らじと 契りしことを たのみにて 松のひびきに 音をそへしかな
解説
光源氏があの明石の地で別れた時の事を思い浮かべている時、明石の君は琴を光源氏に差し出す。光源氏は琴を搔き鳴らしてみる。するとまだ調べも変わらず、音色のおかしなところはなかった。というのは明石の君がどのようにこの琴を大切にしていたかを表す。それは光源氏にもよくわかったことであろうが、ひき返してのをり今の心地したまふ。
明石の浦で琴を搔き鳴らしたのが、まるで昨日今日だったように蘇ってくる。今の文章の続きには、明石の君が
こよなねびまさりにける かつての容貌がより勝っている様に見えたというのである。更にその傍らには
若君はた、尽きもせずまもられたまふ 可愛らしい若君までいる。光源氏は早く二条院にこの親子を引き取って、自分の下で育てたいのである。事実上紫の上のもとであるが、母の出身が必ずしも高くないこの若君の身分を隠してやるしかないと考える。しかし葵の上にそんなことは言えない。さてこの様に松風の巻は、明石の人々と光源氏の再会を語る巻であるが、その最後に次のような場面が描かれる。「源氏物語」の解説書でも取り上げられることのない場面であるが、
光源氏は大堰川の山荘から桂の院・光源氏の所有する郊外の建物の一つに行き宴を開く。
朗読⑧ 今日は桂の院でということで、鵜飼もある。狩りをしていた公達たちは獲物を土産に
やってくる。夕日が射す頃、管弦の合奏が始まる。
今日は、なほ桂殿にとて、そなたざまにおはしましぬ。にはかなる御饗応し騒ぎて、鵜飼ども召したるに、海人のさへづり思し出でらる。野にとまりたる君達、小鳥しるしばかりひきつけさせたる萩の枝など苞にして参れり。大御酒あまたたび順流れて、川のわたりあやふげなれば、酔ひに紛れておはしまし暮らしつ。おのおの絶句など作りわたして、つきはなやかにさし出づるほどに、大御遊びはじまりて、いとなまめかし。
解説
この光源氏の桂山荘での遊びが、大御酒 と呼ばれている。大御酒 というのは、帝王・王者の遊びを表す言葉である。しかも光源氏は桂川で 鵜飼 をと書いてあったが、古代の 大御酒 は主君を寿ぐ行事で、取れた鮎は天子に奉られた。
桂川というのも、下々はそこで魚を獲ることを禁じられていた。そこで一行は人憚ることなく歌を作り、魚を獲り、音楽を奏で、酒を飲むのが 大御酒 なのである。
それを開く光源氏には臣下ではなく、王者の風格が出てきている。松風の巻の最後の風景、大御酒 をする光源氏の姿は何を意味しているのか。
「コメント」
光源氏の絶頂期、すると下るしかないか。まだまだやることは残っているぞ。