250614⑪「第六段(芥河)」
今回は第六段(芥河)を読む。男女が会いの逃避行を企て失敗に終わる悲劇である。しかも女が鬼に食われるという猟奇的な部分もある。猟奇的という点では「源氏物語」の夕顔の巻とも通じる。美術作品にも男が女を背負って逃げる場面が描かれている。
朗読① まず前半である。
昔、男ありけり。女の、え得まじかりけるを、年を経てよばひわたりけるを、からうじて盗み出でて、いと暗きに来けり。芥河といふ河を率て行きければ、草の上に置きたりける露を、「かれは何ぞ」となむ男に問ひける。行く先おほく、夜もふけにければ、鬼ある所とも知らで、神さへいといみじう鳴り、雨もいたう降りければ、あばらなる倉に、女をば奥に押し入れて、男、弓、胡簶を負ひて戸口にをり、はや夜も明けなむと思ひつつゐたりけるに、鬼はや一口に食ひてけり。「あなや」と言ひけれど、神鳴る騒ぎに、え聞かざりけり。やうやう夜も明けゆくに、見れば、率て来し女もなし。足ずりをして泣けども、かひなし。
白玉か 何ぞと人の 問ひし時 露と答へて 消えなましものを
解説
まず現代における標準的な解釈をする。
昔、男ありけり。昔男がいた。
女の、え得まじかりけるを、男には長年言い寄り続けていた女がいた。その女は自分の妻としては到底迎え入れられない高嶺の花であった。しかしやっとのことで関係をつけた。
からうじて盗み出でて、いと暗きに来けり 男は辛うじて女を盗み出し、暗い中を逃げ出した。
芥川といふ河を率て行きければ,芥河は実在する川とする説と、架空の川とする説とがある。実在する説も様々である。都の中を流れ、内裏を通る大宮川とする説、摂津国・現在の高槻市を流れる芥川とする説、・・・・・。大宮川は内裏に沿って流れ、内裏で生じたゴミ等を流す川とされる。
最後の種明かしで、二条后の兄弟たちは、内裏に向かう途中で連れ戻したとされる。摂津国を流れる川では、内裏から遠すぎると考えれば、大宮川説に分がある。現在では架空の川とする説が有力である。
芥川といふ河を率て行きければ、男が女を芥河まで連れて行ったところ、大宮川はまだ内裏の中。
摂津国の川であれば、都から離れた場所である。
草の上に置きたりける露を、「かれは何ぞ」となむ男に問ひける。主語は女である。芥河の畔に露が結んでいた。先ほど、いと暗きに とあった。闇の中に白く光るのが点々と見えたのである。女は「あれは何かしら」と尋ねた。女は身分の高いお姫様なので、普段は部屋の奥まったところで生活している。野原の露を見たことがなかったとする説が有力。ただしさすがに露くらいは知っているだろうとする立場もある。その場合、周りの暗さや、これから自分はどこに行くのかという不安が要因となって、女にこのように言わせたと考える、私は女がまだ露を見たことがなかったとする説である。
行く先多く、これからの道のりは遠いという意味である。
夜もふけにければ、さらに夜は暗さを増していく。
鬼ある所とも知らで、神さへいといみじう鳴り、雨もいたう降りければ、あばらなる蔵に、女をば奥に押し入れて、
男は女に「ここに入っていなさい」といって、粗末な蔵の中に押し入れた。その蔵の中には恐ろしい鬼が住んでいたが男は知る由もない。鬼は恐ろしい存在で、人の目には見えないことも多く、具体的な姿は描写されていない。男が判断を誤った理由は、目的地が遠くて焦っていたこと、夜が更けてきたことに加えて、天気が急速に悪化したからである。
神さへいといみじう鳴り、神 は 雷、雨も土砂降りてある。
男、弓、やなぐひを負ひて戸口にをり、この男が在原業平だとすれば、近衛府に務める武官である。
はや夜も明けなむと思ひつつゐたりけるに、男は早く朝になってほしいと願いながら、ずっと倉の入口に座っていた。
鬼はや一口に食ひてけり。鬼はあっという間に女を食った。
「あなや」と言ひけれど、神鳴る騒ぎに、え聞かざりけり。女は鬼に食われるときに「あれ-」と悲鳴を上げたが、鬼は一口に食ってしまった。
やうやう夜も明けゆくに、見れば、率て来し女もなし。足ずりをして泣けども、かひなし。
男はやっと明るくなったので、女を蔵から出して逃避行を続けようとした。ところが女の姿は見当たらない。
足ずりをして泣けども、かひなし。足ずり は 悲しみのあまり、足をすり合わせてバタバタさせること。女が鬼に食われたことを悟り、自分の判断ミスを心から後悔した。でも今更どうしようもない。
白玉か 何ぞと人の 問ひし時 つゆとこたへて 消えなましものを
男が絶望の底から絞り出した歌である。この歌は鎌倉時代の「新古今和歌集」に入っている。白玉 は真珠である。実際には女が露を見て、「あれは何」と尋ねたが、歌の中では「あれは白玉か、何かですか」と尋ねたことになっている。
つゆとこたへて その時にあれはつゆですよと返事しておけばよかった。消えなましものを 「新古今和歌集」では、
消なましものを となっている。意味は同じである。消えてしまえばよかった。消える の主語は歌を詠んでいる男である。
女が鬼に食われて消えるのではなくて、自分の命がつゆのように消えてしまえばよかったのに。
第六段の後半による種明かしの部分を読む。
朗読②
これは、二条の后の、いとこの女御の御もとに、仕うまつるやうにてゐたまへりけるを、かたちのいとめでたくおはしければ、盗みて負ひて出でたりけるを、御兄、堀河の大臣、太郎国経の大納言、まだ下臈にて内裏へ参りたまふに、いみじう泣く人あるを聞きつけて、とどめてとりかへたまうてけり。それを、かく鬼とはいふなりけり。まだいと若うて、后のただにおはしける時とや。
解説
深窓の姫君が鬼に食われるという猟奇的な物語の前半部分の種明かしがされている。実際には女は鬼に食われたのではなかったという。
これは、二条の后の、いとこの女御の御もとに、仕うまつるやうにてゐたまへりけるを、
いとこの女御 は、染殿后・藤原明子、二条后 からみて、染殿后はいとこであると同時に、夫となる清和天皇の母であるので、姑にあたる。二条后・高子は染殿の后に仕えるような形で一緒に住んでいた。
かたちのいとめでたくおはしければ、盗みて負ひて出でたりけるを
盗み の主語は男である。ここでは業平を指す。業平は染殿后の屋敷から、美貌の高子を盗みだし背負って逃げ出す。ここに 負ひて とあるので、業平が高子を背負って逃げていく絵柄が美術作品に描かれている。
御兄、堀河の大臣、太郎国経の大納言、まだ下臈にて内裏へ参りたまふに、いみじう泣く人あるを聞きつけて、とどめてとりかへたまうてけり。
高子の兄の 堀河の大臣、は藤原基経、太郎国経の大納言 は、藤原基経 の兄だが、弟の方が良房の養子となり、
関白まで登ったので弟の方が先に、兄が後に書かれている。彼らはまだ大臣、関白や大納言になる以前の身分の低い頃のことであった。宮中に参内する途中、ひどく泣く女を見つけた。何と妹の高子である。それで彼女を業平から取り戻したのであった。
それを、かく鬼とはいふなりけり。この 基経、国経 のことを第六段の前半では、鬼 と誇張して書いたのである。
業平からみたら純愛の妨害者である。高子は清和天皇に入内し、次の天皇になる皇子を生んだとされている。藤原氏の野望を実現するための手段なのである。
まだいと若うて、后のただにおはしける時とや。
この出来事があったのは、二条后がまだ若くて、清和天皇に入内する前とかいう。
ここからは、この段の解釈の歴史を掘り起こしていく。まず最も古い、鎌倉時代の「和歌知顕集」。登場人物は直前の第五段関守と同じで、染殿后の屋敷から業平が二条后を連れて逃げたと理解している。芥河を大宮川だとする説は、この「和歌知顕集」が最初である。大宮川を陽明門から内裏に流し込み、清らかな水を内裏に送ることになる。清涼殿の東を流れる水が、特に風情があるとされる。内裏の中のごみ・芥はこの川に流し棄て、内裏の外に流し出す。業平と二条后は、五条にある染殿后の屋敷から内裏を目指して逃げて来たとのである。
このあたりのことを朗読する。
朗読③
この人を盗むこと、これに限らず度々盗みたりき。ある時は深草に家を作り、庵に秋の野を作りて、はぎ、おみなへしを植えつつ、心ある様に住みなして、そこにいて行きて隠したりしを、僅かに三日を巡らされ取り返されにけり。又ある時には、都を遠く離れて春日野の繁き中に隠したりしを、尋ね取られなどして、大方、天の下はいづくも隠れなく覚えければ、なかなか内裏の中の宝蔵、何堂などのほどにいて、隠したらんことをば思ひもよらぬことにて、しばしば知られぬこともありなんものと思ひて、内裏の内にいて行きけるなるべし。
解説
業平が二条后を盗み出したのは、今回が初めてではない。ある時は深草の里に隠したが、三日の後に連れ戻された。ある時は遠く春日野に隠し据えたが、やはり探し出された。世界は広いようだが、どこにも自分たち二人が隠れ住むところはないと業平には思われた。そこで業平は、自分たちを探し求めるであろう人の予想の逆を行き、内裏の中や宝蔵とかお堂、などの建物の中に隠し据えたものが、人々の思いもよらぬ場所なのでしばらくは見つからなかったのかもしれない。そう考えて業平は五条から内裏へと向かった。なかなか面白い解釈である。しかも「和歌知顕集」は、内裏には鬼の間という所があると述べ、第六段の本文で鬼が住んでいるとすることとの関連を指摘している。
次に紹介する「冷泉家流伊勢物語抄」は、この「和歌知顕集」の内裏に逃げたとする解釈と、鬼の間という部屋があるという解釈をさらに発展させ、奇想天外な解釈を打ち出す。私はこの解釈に、50年近く魅力を感じ続けてきた。現代人から見れば非常識な解釈であるが、文学作品としてとても面白い。
第六段の表現と、それに対する解釈を並列させながら説明する。
昔、男ありけり。これは在原業平の物語である。
女の、え得まじかりけるを、業平は二条后を愛していたが、高子は東宮である、後の清和天皇の女御として、文徳天皇の宮中に滞在していた。その為二人はなかなか会えなかった。
からうじて盗み出でて、いと暗きに来けり。
業平は文徳天皇の内裏から、東宮の后である高子を盗みだし、暗い中を逃げ出した。
芥河といふ河を率て行きければ
河を率て ではなく、河を憂ひて が正しい。業平は高子を背負って脱出した。そして宮中を流れている、宮廷人が塵や芥を流している 芥河 まで来た。
草の上に置きたりける露を、「かれは何ぞ」となむ男に問ひける。
高子の体の上に彼女がこぼした嘆きの涙が零れ落ちた。高子は業平に「これは何でしょう。私の表れですよ」と言った。
行く先おほく 業平は二条后を盗みだしたからには、天皇が支配するこの国のどこにも、住むべき
土地はなかった。
夜もふけにければ、鬼ある所とも知らで、神さへいといみじう鳴り、雨もいたう降りければ、
夜も は、四つの門のなまった表現である。ふけ は門を閉じるという意味である。宮中の警備が厳しくて、四つの門は既に閉じられていた。業平たちは内裏から外へは出られない。
鬼ある所とも知らで、 業平は二条后を清涼殿の中にある鬼の間に隠そうとした。ここは以前天皇であった方々の遺品を保管している場所である。人々は恐れて出入りしない。それで鬼の間と呼ばれる。
神さへいといみじう鳴り 息子の清和天皇の后を業平に盗まれた、文徳天皇は激しい怒りを感じた。宮中を雲の上というが、その雲の上で大きな怒りの声を張り上げた天皇が、雲の上の雷鳴に例えられているのである。
雨もいたう降りければ、 文徳天皇は、何としても二人を探し出せという宣旨を下したが、それは雨足の激しさを思わせた。
あばらなる倉に、女をば奥に押し入れて、 鬼の間に住んでいる人はいない。これを あばらなる と表現した。倉 という漢字には、隠す という意味もある。この 鬼の間 に業平は、二条后 を隠した。
男、弓、やなぐひを負ひて戸口にをり、業平は実際に武装していたのではない。策略を講じて后を盗みだすことに成功した。この知略のすばらしさは、まるで武器を持っているかの様に勇敢であると称えている。
はや夜も明けなむと思ひつつゐたりけるに、この 夜 も四つ門という意味である。業平は心の中で、早く宮中の出口である四つの門を開けてほしいと思っていた。やがて朝が近づき、門が開こうとした。
鬼はや一口に食ひてけり。 鬼の間 には四つの入口がある。その一の口で、いなくなった妹を探していた国経が、二条后を見つけて取り戻しのである。
「あなや」と言ひけれど、神鳴る騒ぎに、え聞かざりけり。やうやう夜も明けゆくに、見れば、率て来し女もなし。足ずりをして泣けども、かひなし。
あなや はああ悲しい という意味である。足ずりをして泣けども、かひなし。業平は地団太踏んで泣いたが、仕方がない。
白玉か 何ぞと人の 問ひし時 露と答へて 消えなましものを
二条后が自分の体に落ちてくる涙の玉を、「これは何でしょうか。真珠でしょうか」と尋ねた時に、「これはつゆです」と答えればよかった。
この後の種明かしの部分で、后のただにおはしける時とや。 とあるのは、高子がまだ東宮の御息所と呼ばれていたころで、清和天皇の后になる前の事と云う意味であるということになる。
「冷泉家流伊勢物語抄」の説は小説を読むように面白い。皇太子の后との密通、逃亡というスリリングな事件である。
こののちに室町時代の一条兼良の「愚見抄」になる。染殿后と呼ばれた藤原明子は、文徳天皇の女御として内裏で暮らしている。そこにいとこである高子が、染殿后に仕える形で一緒に暮らしている。一条兼良は、業平が高子を盗み出した場所を内裏、文徳天皇の宮中であると考えているので、時期的には東宮・のちの清和天皇に入内する以前のことだと考えている。え得まじかりけるを、については、業平が彼女を宮中から盗み出すことが困難なことであると理解している。
芥河 については、摂津国に芥川という名所がある。また平安京の内裏の中の溝を流れ、宮中の芥を流し棄てる川とする説もあるとする。というように一条兼良は二つの説を紹介したのちでどちらも
否定する。
「この一段は、物語書く人の作り話に書きたるなり」即ち、芥河は架空の川であるとする説の始まりが一条兼良である。
女は暗闇の中で露が光っているのを見て、男に質問した。涙の比喩ではない。露を見たことはあっても、なんとなく問いかけたと説明している。あばらなる倉 については、場所は宮中なので、内裏の中のどこか荒れた所だろうと言っている。
男、弓、やなぐひを負ひて 業平は近衛中将という武官であるので、実際には弓、 胡簶 を身に着けていたのは間違いないと述べている。書かれていることを書かれている通りに解釈する一条兼良の面目躍如である。さらに兼良は神鳴るにも触れている。内裏の上空で雷が鳴り響くと、近衛府の武官たちは天皇を守るために、臨時の警備体制を敷く。弓矢を持って参集し、その弦を弾いて音を立て、その威力で雷から天皇を守るのである。
鬼はや一口に食ひてけり。 については、次のような面白い解釈をしている。
朗読④
女を人に奪われたことを、鬼に食われるに例えるなり。周易の文に、鬼の一車ということのあれば、一口と言い換えたり。神鳴り騒ぎ、雨いみじう降る夜、荒れたる所にありては思ひなく恐ろしかりなむ。
解説
鬼の一車 というのは、鬼と同じ車に乗っている様に恐ろしいという意味である。周易 は古代中国の占いの書物である。
ここから鬼の一車という諺ができた。「伊勢物語」の鬼一口は、鬼一車、鬼一つ車 をもじった表現であり、恐怖感を著しているという。
戦国時代になると、宗祇が登場する。弟子の牡丹花肖柏が書き残した宗祇の講義の本が「肖聞抄」である。宗祇は、
芥河 は作り物語の架空の川であるという立場である。宮中を流れ出るゴミを捨てる川であるという説と、摂津国の川であるという説も紹介している。架空の川であるが、実在する川を読者に連想させることでリアリティを生み出しているという理解であろう。宗祇は女を連れだした男の心と、連れていかれる女の心の両方を見つめる。二条后にはもともと外出には慣れていなかったのに、今は秘密の恋の
逃避行なので、心が激しく動揺していた。それで露を話題にして、業平に話しかけたのであろうと推測している。とにかく何でもいいから男に話しかけ、返事してもらい、心の動揺を鎮めようとしたのである。それなのに業平の心は乱れていて、返事できなかった。返事しなかったことを嘆く業平の心の乱れは、さらに激しいものになったと宗祇は言う。宗祇は登場人物に感情移入している。
さらに、業平の歌に関しては面白い指摘をしている。
朗読⑤ 34:03
五の字に、かくのごとくかと詠めるは宜しからず。この歌に取りては、何ぞとうつしていえば、苦しからざるなり。心は白玉とやらむ、何ぞやらむ問ひし時といふ心なり。
解説
宗祇の説である。和歌や連歌の実作者としての立場からのコメントである。五の字 は、ここでは初句、第一句のことである。和歌には初句に か という疑問の言葉を据えるのはよくない。但し 白玉か何ぞ と、次の二句に続いているので許されるという意見である。宗祇は初句切れを嫌っているのであろう。初句切れだと七五調になる。そうではなくて五七調のリズムをよしとしているのであろう。
ここまでの意見を集大成したのが、細川幽斎の「闕疑抄」である。細川幽斎は宗祇の か についての意見を、具体例を挙げながらさらに詳しく解説している。
現代の私たちは「伊勢物語」の 白玉か~ という歌が有名なので、 か が初句に位置しているのに何の問題もない、
むしろ良いことだと思い勝ちであるがそうではなかった。細川幽斎は 足ずり に関して、土佐国の足摺寺の故事を詳しく語っている。足摺岬の近くにある寺である。この寺の住職が去ったのち、弟子たちが足ずりをして悲しんだというエピソ-ドである。弟子が先生との別れを悲しむように、業平は愛する女を失って悲しんだのである。畢竟、哀れに耐えざる態なり と細川幽斎はコメントしていた。
足ずりという言葉は「平家物語」で鬼界ヶ島に流された俊寛のエピソ-ドでも有名である。「源氏物語」にも足ずり という言葉は使われている。
紫式部もこの第六段に影響を受けた一人なのである。宇治十帖の総角の巻で、薫は愛する大君の命が目の前で失われるのを見届けた。大君が亡くなる場面を読む。
朗読⑥
世の中をことさらに厭ひ離れね、と勧めたまふ仏などの、いとかくいみじきものは思はせたまふにやあらむ。見るままに
もの隠れゆくやうにて消え果てたまひぬるは、いみじきわざかな。
引きとどむべき方なく、足摺りもしつべく、人のかたくなしと見むこともおぼえず。
解説
この部分を現代語解釈しておく。
大君の臨終に立ち会う薫の心は、あきらめと執着の入り混じった複雑な気持ちだった。私がこれほどまでに悲しみを味わっているのは、世俗的なことの一切を捨てて出家遁世し、仏の道に入りなさいと仏さまが私に勧めているからなのだろうか。その薫の目の前で、大君の命がみるみる細っていき、
千草が枯れてしまうように命が消えてしまったのは悲しいことであった。
大君は26歳、薫には大君の命をこの世に引き留める術はなかった。
「伊勢物語」の第六段芥河で、愛する女性を鬼に一口で食われた男が、足摺りをして悲しんだという話である。薫もまた、足摺りをしそうな位に悶え悲しんでいる。周りの人々から、自分を見失った愚かな男と思われても構わないと、薫は身も世もなく悲しんだ。
大君を失った薫は、二条后を失った業平と一体化している。
なお「源氏物語」蜻蛉の巻では、浮舟が突然に失踪した直後、浮舟に仕えていた右近という女房が 足摺り をして嘆いた。それは若き子供の様なり、と書かれている。幼い子供が母親を探して足をバタバタさせるように、右近は浮舟を思って、地団太踏んだのである。
「闕疑抄」の後は江戸時代の契沖の「勢語臆断」になる。契沖は「源氏物語」総角の巻と蜻蛉の巻の 足摺り をしっかり指摘している。
さてこの段は様々な美術作品に描かれた。「伊勢物語」を口語訳した吉井勇の文章に、竹久夢二が挿絵を描いたのが{新訳絵入伊勢物語」である。この本に挿入されている竹久夢二の絵が大好きである。この芥河の挿絵はカラーでなく白黒である。背中に負われた女の顔と、負ぶっている男の顔が接近している。女が草の上に光っている露を見ながら、「あれは何」と尋ねている瞬間なのかもしれない。裸足で歩く業平の足取りはしっかりしている。彼の決意の強さを感じる。そういえば俵屋宗達の
描く「伊勢物語色紙」の芥河の絵は、業平が負うている二条后を振り返ってみている絵柄である。
「あれは何」と尋ねられて、一瞬振り向いた瞬間なのかもしれない。でも男は女に答えなかった。今は先に行くと目で返事している感じである。
「コメント」
絵の話が印象的。さすがそれぞれ名人。物語の瞬間を的確に切り取っているように感じた。